ノート:朝日新聞の中国報道問題
この記事は過去に削除依頼の審議対象になりました。新しく依頼を提出する場合、以下を参考にしてください。
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修正報告
[編集]- >「報道の自由がなくても、あるいは制限されていても、そういう国であればこそ、日本から記者を送るということに意味があるのではないか」(『新聞研究』より)
- >さらに、「私が記者に与えている方針は『・・・こういうことを書けば、国外追放になるということは、おのずから事柄でわかっている。そういう記事はあえて書く必要は無い・・・』こういうふうにいっている」(同『新聞研究』より)
この部分からは、「中国政府の意向に沿った記事を書くことを公言している」事実は認められず、記述そのものが偏向しているものと判断し、「中国政府の意向に沿わない記事を書かないことを公言している」に改めました。また、「公正な報道を行わず」についても、この発言に対する主観的な論評以上の記述を見つけることが出来ないためNPOV上の問題があると判断し、コメントアウトしました。--125.54.18.226 2006年6月1日 (木) 22:49 (UTC)
また、「当時の朝日新聞には親中国的な報道が存在した。」について、明らかに主観的な記述であるため「との見方もある」と表現を改めました。
また「「朝日新聞の文革礼賛」だけが突出してしまっている言説も多く見られる。」との記述について明らかに主観的な見方であるため「「朝日新聞の文革礼賛」だけが突出してしまっていると考えるものもある。 」に改めました。なお、特に後者の個所についてはソースや根拠の記述がなされていないので、今後この部分が本当に必要かどうか、あるいは適切な記述であるのかどうか検討する必要があると思います。
皆さんも客観的な記述を心がけ、また、「偏向」しないように心がけてくださいw
--125.54.18.226 2006年6月1日 (木) 23:02 (UTC)
「結論」の部分は論評以外のなにものでもない為、コメントアウトしました。「その後」についても、誤解を生む可能性の高い表現の一部(カギカッコが無くて文節の区切りがわかりにくい・助詞の使用が適切でない)を微修正しました。--125.54.18.226 2006年6月1日 (木) 23:09 (UTC)
「そんな朝日新聞でも」という主観的で余計な修辞が含まれていたため、削除しました。--125.54.18.226 2006年6月1日 (木) 23:12 (UTC)
「中国報道問題」と言う聞いた事も無いフレーズは何とかなりませんか。124.86.128.5 2006年6月1日 (木) 23:27 (UTC)
削除依頼の検討
[編集]このページは百科事典の記事というよりも評論になっているように思います。「ウキペディアはなにでないか」をよく読んだ上で、全削除も含めて考慮されるべきです。218.229.195.161 2006年9月27日 (水) 04:33 (UTC)
- 項目が百科辞典的ではない、NPOVである、という理由で削除に賛成します。項目名自体の問題のため、「中国で・・・という事件があった。朝日新聞は・・・という報道をし、批判された。いっぽうでは・・・という見方もある」という紋切り方でつまらない記事にしかならないでしょう。残すべき内容も含まれているというのであれば、ほかの記事に移せば移せばいいのでは。「林彪事件報道について」は、林彪に書けばよいし、そのほかは稲垣武、文化大革命などに記載すればよいと思います。j8takagi
- 反対意見がなければ、上記のような記述移動をした上で削除依頼をします。j8takagi 2006年9月30日 (土) 02:03 (UTC)
- ↑あなたは百科事典が面白いと思いますか。たとえばジャンル・ジャポニカでは北朝鮮がこよなく正しく、韓国は傀儡だとかかれています。「百科事典の記事」とか「百科辞典的」とはいったいなんのことでしょうか。
- Wikiの語源は「わたしがおもうこと」という説があるといいます。ウィキリークという、新事実をスクープする機能も考え出されています。そもそも引用があればいいのなら、「韓国は傀儡」というような時代遅れの記事ばかりになってしまう。記事に主観があるのは当たり前です。修正したいならその箇所をすればいい。しかし国民の知る権利を侵すような「削除」はすべきではない。「削除」は無勉強・思考停止のばかにでも出来ることです。船橋西図書館司書事件の被告の独善は、有罪になりました。
- あなたが中国や朝日新聞を美化し狂信したいのは自由ですが、他人を巻き込む理由がない。戦前戦後、朝日新聞社は情報局総裁を兼務して言論を独占し、回覧板まで刷って人々を地獄に落としました。あなた方のような狂信徒をみていると、言論統制が今も続いているように思えてなりません。
- 「これがふつう」「これが定説」などという議論こそ、昭和初期におこった全体主義の萌芽です。朝日・毎日が400万部、読売が200万の寡占状態に迫ったのは、軍部の命令ではなく、すでに国民がそういう独善的な脳になっていたためです。すでに異論はことごとく排除されていました。
- 修正の機会が与えられている以上、疑問のある記事も掲載すべきであると思います。朝日がこよなく正しいとおもうなら、信仰のたけを加筆してもいい。言論統制に口実を与えるような安易な削除だけはつつしんでほしいと思います。--以上の署名のないコメントは、61.193.7.239(会話/Whois)さんが 2007年2月2日 (金) 10:36 (UTC) に投稿したものです。
- 念のため。
- 「Wikiの語源は「わたしがおもうこと」という説があるといいます。」は、Wikiの本式の名称を「What I know is」であるという話ですが、これは、「わたしが知っていることそのものをウィキに書き写す」という意味でしかなく、別段Wikipediaに限った話ではありません。それから、別にウィキペディアに記事が載らないということは、言語統制でもなんでもありません(事実、あなたはブログに好きなことを書けるので)。
- 今後見た人が誤解するといけないので、ノートに投稿。--ゆきち 2007年12月2日 (日) 17:15 (UTC)
- 万が一誤りがあれば修正すればいいだけであり、削除する必要性は全く無く、必要な記事です。--220.210.179.237 2008年5月11日 (日) 08:04 (UTC)
- いくらなんでもその他の項は酷すぎでは? これを「百科辞典的」と言うにはかなり無理があると思います。自分はIPユーザーなのでデリケートな編集には関与しませんが、これはさすがに何らかの編集が加えられるべきではないかと強く思います。--122.17.47.128 2008年7月10日 (木) 01:07 (UTC)
修正報告2
[編集]応急的に、可能な範囲で修正しておきました。--Shota talk / cntrb / log 2008年7月14日 (月) 03:36 (UTC)
無期限ブロックされた荒らしアカウントによる荒らし投稿でしたので、差し戻しておきました。--Shota talk / cntrb / log 2008年7月14日 (月) 03:43 (UTC)