ノート:東京都写真美術館の展覧会/削除
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このページは東京都写真美術館の展覧会の過去の版について削除依頼の議論内容を保存した物です。
現在の記事へのご意見はノート:東京都写真美術館の展覧会にて行ってください。
下記の議論により、このページは削除せずに対処することになりました。このノートを編集/削除しないようお願いします。
関連項目 : Wikipedia:削除の過去ログ、Wikipedia:削除の過去ログ 2004年3月、Wikipedia:削除記録/過去ログ 2004年3月
削除依頼での議論
- 東京都写真美術館の展覧会、写真に関する主要な展覧会(美術館レベル)、1990年の展覧会(写真展)、1995年の展覧会(東京都写真美術館)、日本近代写真の成立と展開(1995年)/東京都写真美術館、2003年の展覧会(写真展)(IP 203.140.123.197=203.140.123.142=203.165.12.59 による投稿)。写真展のデータをただ羅列しているだけで、百科事典として不必要であるだけでなく、今後も際限なく果てしなく増殖していく恐れがあります。参考:ノート:写真に関する主要な展覧会(美術館レベル)、ノート:日本近代写真の成立と展開(1995年)/東京都写真美術館、ノート:東京都写真美術館の展覧会 るがこむ 20:53 2003年9月27日 (UTC)
- 新しい削除理由ですね。確かにデータだけで記述が何もないので僕も気になっていました。ただ、誰かが記述をしてくれればウィキペディアにあってよい記事だと思いませんか? 普通の百科事典にはまずないタイプの記事ではありますが、ブリタニカのように年鑑が百科事典のサプリメントのような形で出版されるケースもありますし、ウィキペディアにはアルマナックのような情報も含まれていてよいそうですし。ただ、るがこむさんが挙げている削除の理由は今後果てしなく増殖していく恐れですね。。これが起こるとするとどうするべきなのか、僕もちょっと悩むところです。写真に限らず、ウィキペディアをデータの保管場所として使うことはできるわけですし。とりあえず削除する前に投稿者の方に話しかけてみるべきだと思いませんか? でも、「ウィキペディアがデータの貯蔵庫として機能したっていいじゃないか」という意見もありのような気もしますし、個人的には迷うところです。
- すでに何度もノートで呼びかけましたが反応がないので、削除依頼しました。東京都写真美術館という記事はあっても良いと思いますが、そこの写真展のデータをすべて一つ一つ取り上げて網羅していたのでは「写真展カタログ」に乗っ取られてしまいます。現状でさえサーバーが重くて動かないのに! いままでは人物記事を作るにしても「著名な」という枠を想定して制限してきたはずですが、これら一連の記事を容認してしまうなら、どんな小さな写真展や美術展でも出品した無名な人物すべてが記事になりうることになります。そうなれば、いままでの「著名な」というルールは崩壊してしまうのではないでしょうか? るがこむ 16:00 2003年9月28日 (UTC)
- 長い間放置するのも考え物なので見てみましたが、
- 一向に記事が充実する見込みが無いこと
- 写真展があったことを恒久的に残す意味が見えないこと
- などを理由として、この記事の存在理由は無いと思います。削除の理由としては、記事になりえないが良いのではないでしょうか。Kzhr 08:19 2004年3月8日 (UTC)
- 当時はお返事を頂けなかったようですが、現在では利用者登録もされ、議論の呼びかけにも丁寧に応答して下さることがはっきりしているように思うので、この件は利用者:20世紀(前半)美術さんに意見を聞けるとよいのではないでしょうか。(もしかすると作成者と別人物かも知れないですが、いずれにせよ、意見が聞けるとよいかと。)写真展が記事になるかと言えば、可能性の問題としては記事になりうるとは思いますが、現実的には今のウィキペディアにはほとんど執筆者はいないでしょう。著名でない漫画家の記事とほぼ同じような状況で、スタブばかりなので(削除ではなく)統合なりリダイレクト化なりをしよう、というところではないでしょうか。ただ、漫画家系とひとつ違っているのは、きちんとしたリサーチをして記事を書く方が少なくとも一人いて、少しづつではあれ執筆が進んでいる点ではないかと思います。また、るがこむさんの指摘通り「著名な」という枠をどうするのかという問題はありますが、どうやら写真展関連については今のところそういう問題もないようですし。Tomos 09:17 2004年3月8日 (UTC)
- わかりました。不服な点もありますが、20世紀(前半)美術さんの意見を待つてみる事にします。Kzhr 04:37 2004年3月11日 (UTC)
- Tomos様
ノート(利用者‐会話:20世紀(前半)美術)に、ご連絡いただきありがとうございます。
また、るがこむさん、Kzhrさん、コメントありがとうございます。
ご返事が遅れて申し訳ありません。ご推察のとおり、ここで挙げられている項目は、いずれも、私(20世紀(前半)美術)が、利用者登録をする前に作成したものです。
これら展覧会・写真展関連の項目について、削除依頼が出されていたことには、気付いていました。当初は、皆さんの議論を、拝見するつもりで、少し時間を見ていたのですが、あまり発展しないなと思っているうちに、結局のところ、そのまま、放置するような形になってしまい(しかも、削除依頼の対象としては、最も古いものとなってしまい)、申し訳ありません。まず、お詫び申し上げます。
さて、本件に関する、私の考えを、以下のとおり述べさせていただきます。 - 1.まず、このような記事があるべきかどうかについてですが、「あるべき」とまでは思いませんが、「あってもいいのではないか」とは思います。例えば、年度別日本公開映画という記事があり、成り立っているようですし、また、より一般的には、1990年というような記事もあります。この後者の記事を見ると、
- という項目がとりあげられていますので、この流れで、「1990年の展覧会」があってもいいと思います。もし、「展覧会」では、特定しすぎであるというご意見があれば、「1990年の美術」としてもよいのかもしれません。
なお、「恒久的に残す価値があるかどうか」は、おそらく他の項目(上記の、映画、文学、音楽、スポーツ、テレビなど)と同様に、「展覧会・写真展だから残す意味がない」というひとくくりにはできず、展覧会・写真展ごとに、個別に判断すべきだと考えます。すなわち、「展覧会・写真展でも、残す価値をもつものがある」というのが、私の立場です。要するに、「どの展覧会・写真展について書くか」に問題は収斂するわけですが、これにつきましては、次の項目もご参照ください。 - 2.次に、このような記事を認めると、記事が無限に増殖するのではないか、というご指摘ですが、これは、上記で挙げた各記事(映画、文学、音楽、スポーツ、テレビなど)についても、同様な問題があるはずですが、そこでは、あまり現実の問題にはなっていないようです。また、Tomosさんも、そういうご趣旨なのではないか、と失礼ながら勝手に思うのですが、この点については、結局、無限に増殖することは自然に防止され、ある程度の時間の経過とともに、適切な範囲に落ち着くのではないかと思っています。
しかし、実は、ここでご指摘の問題・懸念は、そういうことではなくて、「あんた(20世紀(前半)美術)が、無限に項目やデータだけの、あまり中身のない記事を作りつづけるのではないか? あんたが無限に記事を増やすのではないか?」ということかと思います。
確かに、当初、手持ちのアイデアをすべて出すという目的があったため、私の記事は、人名だけとか項目やデータだけのものが多かった(ほとんど?)、ということは認めざるをえません。そしてそれが上記のような記事無限増殖の懸念を招いてしまったことについては、仕方がない面があり、申し訳なく思っています。
しかし、正直言って、無限に記事を作成するような意図は、はじめからありませんでした。厳選した上で、重要な展覧会企画のみを挙げるつもりでおりました。例えば、当初、「森山大道」展と「中平卓馬」展を取り上げたのは、この2つがいずれも画期的な企画であることから、これを取り上げるという姿勢を見せることにより、ある程度の選択を期待できる、と思っていただくことにもあったのですが、そんな期待は、さすがに、ひとりよがりな期待で、役に立ちませんでした。
さて、具体的に、私が、当初想定していた範囲および内容(現在も、同様です)は、以下のとおりです。
まず、数ですが、東京都写真美術館の初期5年程度の活動については、大きく敬意を表して、年間5件程度の展覧会を取り上げようと考えていましたが、それを除けば、せいぜい年10件弱の展覧会(写真以外の絵画展等を含む)、年によっては数件ということも考えられます。まだ、全体については、実際の展覧会の選択を完了していませんので、確定した数字は持っていません。なお、美術館以外の、いわゆる画廊やギャラリーの企画は。よほどのものでなければ、含めるつもりはありません。現時点では、具体的には、1つも考えていません。
当時は、むしろ、数を限定する(というか、限定せざるを得ない)ことにより、かえって、内容が偏る(網羅的な選択ができない)ことを、心配していたところがあります。(私の力では、せいぜい20世紀全体しかカバーできない、という点が、そもそも懸念材料です。)
一方、記事内容としては、企画名、開催美術館、開催期間、主催等のデータ的な内容とともに、数行の説明、すなわち、展覧会の内容および(日本における)その展覧会の意義を書くつもりです。場合によっては、展覧会で取り上げられているアーティスト名を列挙する場合もあると思いますが、すべての企画についてというつもりはありません。なお、日本近代写真の成立と展開(1995年)/東京都写真美術館は、全作家を列挙したくなるような、極めて特殊な例だったのです。
無限に書くつもりなどない、ということを、すでに存在する私が書いた他の記事の書きぶりもご参照のうえ、ご理解いただきますようお願いいたします。 - 3.そして、これが、最も、厳しいご意見ですが、「誰も記事にしないではないか」という点です。(美術一般はともかくとして)特に写真について(機材や技術的な点以外で)、私以外の方に書いていただけることが現時点でもあまり期待できないようですので、結局のところ、私が書かないと記事として発展しない、要するに、「あんた(20世紀(前半)美術)は具体的な個別の記事を書くつもりはあるのか、また、書くつもりがあるとしたら、実際には、いつ書くのか」という問題提起かと思います。私も、展覧会記事の存在を忘れているわけではなく、全体構想は、上記のとおり、当初から持っていますので、ある程度のまとまった時間さえあれば、書くことはできる(はずな)のですが、すでに、項目自体を作成した時点から考えると、半年近くも経っておりますので、「近いうちに書きます」とここで改めて申し上げても、客観的に見て、何ら信用性のある発言ではないでしょう。
また、この範囲で書きますという意味をこめて、項目だけ書くという方法もありますが、これも、また、ある程度エネルギーを使う割に、「やはり、結局項目のみか?」という誤解を生む危険があり、問題がありそうです。
そこで、1つのご提案ですが、本日から、1か月お待ちいただけますでしょうか。その間に、展覧会記事を、いくつか書いてみます。それをご覧いただいて、ご判断いただいてはどうかと思います。
とりあえず、以上ですが、さらなるご意見、よろしくお願いいたします。20世紀(前半)美術 15:40 2004年3月15日 (UTC) - 保留 わかりました。以前の提案は少し暴論だったようで、申し訳ありません。なぜあんなことを書いたかというと、写真家の項目は、写真展からよりも時代の流れとして捉えたほうが読者にとって探しやすくなり、またただこの写真展にでましたよ、というのは少し変かな、と思うのです。映画などと違って、展覧会を一つの作品と区切るのは無理なケースのほうが多いでしょうし…。と言うわけからでした。しかし、今回のお返事から考えるに、その心配は無用のようですね。是非とも写真家の記事を充実させてくださいませ。お待ちしております。とりあえず、ステータスを保留とします。Kzhr 15:56 2004年3月15日 (UTC)
- 丁寧なご意見ありがとうございました。余り付け加えることなどはないです。個人的には気長に待ってもいいと感じているのですが、1ヵ月経ったらまた考える、というのでもいいと思います。Tomos 20:34 2004年3月16日 (UTC)
- Tomos様
皆様、こんにちは。
現在、本件に関連して、少しずつ、書き始めております。
現時点での構成は、当初と考えを変えて、
の2本立てとしました。
当初は、これに「写真」を加えて、3本の柱で進もうと考えていたのですが、展覧会を選んでいるうちに、写真と写真以外に分けることが、困難でもあり、それほど意味のあることには思えなくなり(というか、写真へのこだわりがやや薄れたということかと)、2本にいたしました。
この結果、2003年の展覧会(写真展)が浮いてしまいましたので、別途削除依頼を出します。
2本立てとすることの是非も含め、個々の記事についても、ご批判をいただければ、幸いです。念のために、重ねて書いておきますが、この項目に関連して、(スタブ)記事を無限に書くなどということは考えておりません。
なお、上記、移動があったためか、私が書いた部分の見出し番号が壊れていましたので、スタイルだけ修正しました。
以上、よろしくお願いいたします。
20世紀(前半)美術 16:07 2004年4月16日 (UTC)