ノート:東北本線
経営移管区間の標記について
[編集]経営移管区間の項に駅一覧を設ける必要はあるのでしょうか。しかも新設予定駅駅を盛り込むのもいかがかと思います。皆様の意見をよろしくお願いします。--218.224.158.16 2005年7月29日 (金) 08:15 (UTC)
駅一覧については、あってもいいと思います。かつて東北本線だったわけですから、移管区間と明記した上である分には、問題ないと思います。ただ、移管後の新駅予定については、書かないほうがよいと思います。(JRの駅であったことがないわけですから。)同様の編集は、信越本線や鹿児島本線でもされていますので、こちらも同じ扱いでいきたいですね。Kone 2005年7月29日 (金) 08:44 (UTC)
- 同様の議論がノート:鹿児島本線#経営移管区間についてでも行われているようです。Utsuda 2005年8月18日 (木) 20:56 (UTC)
盛岡が北東北の中心か
[編集]盛岡市が北東北の中心都市というのはおかしい。人口的に見ても唯一の中核市である秋田市が最大都市だし、交通網でも奥羽本線と東北本線の終着駅であり、また津軽海峡線の起点でもある青森も重要な都市です。八戸も同様でしょう。ちなみに北東北三県統合構想では県庁(道庁?)所在地を三県の中心である田沢湖高原(仙北市)に、という案もあります。—以上の署名の無いコメントは、219.57.194.83(会話/whois)氏が[2005年9月18日 (日) 06:07 (UTC)]に投稿したものです(Sat.K 2007年1月7日 (日) 17:36 (UTC)による付記)。
- 北東北の中心都市は議論の余地がありそうですね。ところで「北東北三県統合構想では県庁(道庁?)所在地を三県の中心である田沢湖高原(仙北市)に、という案」ですがまったく中心どころか青森県から離れすぎですよ。本当にそのような構想はあるのでしょうか。3県中心はだいたい十和田湖や八幡平付近ですよ。--60.47.193.43 2005年9月25日 (日) 03:17 (UTC)
東北縦貫線計画
[編集]中距離電車の乗り入れはない・・・ですが、東北本線系統ではないものの、戦前だったか常磐線電車(モハ51等)が有楽町まで乗り入れしていたはずですので、記載してもいいのでは?—以上の署名の無いコメントは、203.180.59.5(会話/whois)氏が[2006年6月1日 (木) 07:33 (UTC)]に投稿したものです(Sat.K 2007年1月7日 (日) 17:36 (UTC)による付記)。
- この記載については京浜東北線等で言及されていますね。Sat.K 2007年1月7日 (日) 17:36 (UTC)
駅表の快速列車の標記について
[編集]駅表に掲載する快速停車駅ですが、臨時列車である「フェアーウェイ」やきらきらみちのく関連、青森・八戸両方面より大湊線へ乗り入れる「しもきた」の記載ですが、著しい合理性がないのではないでしょうか?というのも、前者では臨時列車の場合、過去に一度でも停車すれば停車駅となり、固定されないと言う事項もありまた、運行についても担保されていない。後者については全区間通しで運行されているものと誤解・誤謬が生じるおそれがある。その辺を勘案することも必要ではないでしょうか。Sat.K 2007年1月7日 (日) 17:36 (UTC)一部補正Sat.K 2007年1月7日 (日) 17:39 (UTC)
分割の提案
[編集]記事全体を見渡すと、「歴史」の節だけが異様に長く感じます。容量も大きいことですし東北本線の歴史への分割を提案しますが、皆さんどうでしょうか?--SHARU 2007年2月19日 (月) 03:54 (UTC)
- (反対)反対します。過去の記録である歴史こそが主たるコンテンツと思うからです。歴史を取り除くと将来計画(東北縦貫線)、現行の運行形態、駅一覧が残りますが、過去について扱う場所がここからなくなります(個々の事象の過去については記事中の関連する他の箇所で触れてもよいでしょうが、やはり記事内に路線全体の沿革を扱う場所が欲しいです)。Rusk 2007年2月19日 (月) 09:37 (UTC)
- なるほど。それにしても記事のサイズ81KBというのはやはり大きすぎると思います。そこでRuskさんの意見も汲み取る形で新しく提案しますが、本項でも歴史の節は残しておき、沿革については「個々の駅の転移や開業」など、細かな点についてだけは分割した上で、歴史の節の一番上に分割後の記事に誘導し、複線化や路線そのものの沿革などについては本項の歴史の節にも残しておく、という形ではどうでしょうか?いずれにせよ、現在のままでは調べ物をする利用者側とすれば少々不憫に感じると思います。東北本線の歴史ではなくとも、なにかしら記事の一部を分割することが望ましいと思うので分割の提案は残しておきます。--SHARU 2007年2月19日 (月) 10:43 (UTC)
- (賛成) 確かにこの長さはあまりにも冗長ですし、私もSHARU氏の提案するような「個々の駅の転移や開業」など、細かな点についてだけは分割した上で、歴史の節の一番上に分割後の記事に誘導し、複線化や路線そのものの沿革などについては本項の歴史の節にも残しておく と言う形で十分では無いかと思います。どこそこの駅が開業した、のような情報は必ずしもこの項目に書いてある必要があるとも思えません(リンクを貼ればそれで十分でしょう)。また、東北縦貫線の項目も分量的には十分独立ページにして良いと思うのですが、今まで提案すらなかったのは何故なのでしょうか? (追記)署名を忘れました。申し訳ない。Ltd.3 2007年2月19日 (月) 15:13 (UTC)
- なるほど。それにしても記事のサイズ81KBというのはやはり大きすぎると思います。そこでRuskさんの意見も汲み取る形で新しく提案しますが、本項でも歴史の節は残しておき、沿革については「個々の駅の転移や開業」など、細かな点についてだけは分割した上で、歴史の節の一番上に分割後の記事に誘導し、複線化や路線そのものの沿革などについては本項の歴史の節にも残しておく、という形ではどうでしょうか?いずれにせよ、現在のままでは調べ物をする利用者側とすれば少々不憫に感じると思います。東北本線の歴史ではなくとも、なにかしら記事の一部を分割することが望ましいと思うので分割の提案は残しておきます。--SHARU 2007年2月19日 (月) 10:43 (UTC)
- 駅の改廃など特定のトピックをここから除去したとしてもいずれ加筆されるでしょう。他の路線でもそうですが、何か起きるごとに沿革や年表に加筆されますから。大きなトピックである駅の開業や改称も当然加えられるでしょう。駅の開業など最近のものが加筆される一方で、過去のものが書かれていないのはバランスに欠きます。
- そこでですが、年表も区間ごとに分割するのはどうでしょうか。つまり、東京~黒磯間は宇都宮線、盛岡~目時間はIGRいわて銀河鉄道線、目時~八戸間は青い森鉄道線に移し、そちらを見てもらうようにします。歴史の概略については、他の区間との関わりもありますのでここに残して欲しいです。Rusk 2007年2月20日 (火) 11:08 (UTC)
- ところで、調べ物をする利用者側とすれば少々不憫というのは、ほとんどの利用者は現状について調べるだろうから、歴史を調べる人はいないだろうということですか? 東北本線に限らず、これだけ歴史についてまとまっている資料はないと思いますが。Rusk 2007年2月20日 (火) 11:15 (UTC)
- これだけ歴史についてまとまっている資料はないと思いますが。と言う観点からすれば区間ごとに歴史を細切れにするよりも全線の年表だけを分割するほうが遥かに一覧性は高いと思いますし、それこそ歴史だけがコンテンツになるわけですから反対理由になりません。また、歴史の概略については、他の区間との関わりもありますのでここに残して欲しいです。についても複線化や路線そのものの沿革などについては本項の歴史の節にも残しておく、という形でSHARU氏が既に提案しています。新しいトピック(駅の新設・統廃合など)があったらその分割したあとの年表記事に書いてもらえばいいだけの話ではないでしょうか。Ltd.3 2007年2月20日 (火) 18:35 (UTC)
- Ltd.3さん、賛成票ありがとうございます。東北縦貫線についても同意で、分割しても差し支えないと思います。
- Ruskさん、不憫というのはあくまで「ページの容量が大きい」という観点で、特に現在の歴史の節を取り上げて不憫だと言っているわけではありません。ところで、「年表を区間ごとに分割する」、というのは、「年表」の部分だけを他の項目へ分割し、他の部分はこのページに残す、という形でよろしいですか?であれば分割については合意がなされたということで、あとはどこの節をどう分割するか、ということに議論が進みますが。--SHARU 2007年2月20日 (火) 12:13 (UTC)
- 基本的には分割してほしくない気持ちは変わっていません。ただ、分割賛成者が多数なら妥協しようかと考えていました。確かに全体の容量を考えると、歴史に限らず分割できるところは分割したほうがよいかとも思いましたし。
- 年表の分割については黒磯~盛岡間、八戸~青森間はここに残すことを想定しています。東北縦貫線については分離してもよいと思います。Rusk 2007年2月20日 (火) 20:14 (UTC)
- はたして81kBは大きすぎるのでしょうか。大き過ぎるがゆえに分割するというのは、紙を使用しないウェブ百科事典であるウィキペディアの特徴(特長)に反することになります。また、冗長であるという指摘については、分割して他の項目にそのまま使用するというのであれば、その記述は必要なものであることを証明するようなもので、記述自体が冗長であるという指摘は的外れです。
- Ruskさんがおっしゃるように、歴史だけに止まらず、本体記事は全般的に内容を見直しの上、概略に留め、詳細を他に移すというのであれば、可能性の一つとして検討の余地はあると思います。ということであれば、東北本線に限らず、鉄道プロジェクト全体で議論を深めるべきではないでしょうか。--Kone 2007年2月21日 (水) 08:58 (UTC)
- 分割についてはWikipedia:ページサイズ、Wikipedia:記事の分割と統合をご覧ください。草案段階ではありますがウィキペディアにおける公式な方針で、容量が一定に達した項目(特に記事内の特定の項目に関するものが多い場合)は記事を分割することが推奨されています。また、ページ全体を編集する際には、容量が大きいと一部のブラウザでは問題が発生するとの警告も出ます。
- 「本体記事は全般的に内容を見直しの上、概略に留め、詳細を他に移す」については私も同じことを感じております。ですが現段階においては特に歴史に関する節が肥大であるからこそ、あえて歴史の節の分割を提案しました。
- また、私としては、歴史に関する項目が非常によくまとまっているからこそ、新しく歴史に関する記事を立ち上げるべきだと考えています。Ltd.3さんがほぼ代弁をしてくださっていますが、Wikipedia:記事の分割と統合#記事の分割にも書かれているように、逆に新しく記事を立ち上げたときにスタブになってしまうような項目こそは分割するべきではないのです。新しく加筆されるであろう細かな歴史については、コメントアウトなどで加筆者に「個々の駅などの歴史については「東北本線の歴史」の項での執筆をお願いします」等といったコメントを加えることで対処は可能です。
- 私が提案した内容をもう一度よく見て頂きたいのですが、区間ごとに歴史を分割するよりも、新しく東北本線全線の歴史についてまとめた記事を新規に立ち上げた方が閲覧者側とすればよほど分かりやすくありませんか?もちろん、Ruskさんの希望するような歴史の概略(簡略化されたものにはなりますが)はここに残す形となるので、自分で言うのもなんですが結構いい案だと思っているのですが。--SHARU 2007年2月21日 (水) 09:42 (UTC)
- SHARUさんがあげられたページをもう一度よく読んでいただきたい。特にページサイズ32kBの警告については、ごく初期に開発された化石級のブラウザを使用した場合に問題が生じるだけであって、記事分割検討の一応の目安としているだけで32kBを超えた場合の記事分割を推奨しているわけではありません。また、一定の大きさの記事を無条件に分割することも推奨されていません。
- とはいっても、記事分割を検討する潮時だとは思います。ただし、この項目単独の話に止めず、鉄道プロジェクトとしての方針策定をまず行うべきではないでしょうか。そのたたき台として、この記事を俎上に載せることまで反対するつもりはありません。--Kone 2007年2月21日 (水) 10:34 (UTC)
- すいません。私自身、特定の分野のみに秀でて知識があるというわけでもなく、鉄道プロジェクト、というよりウィキプロジェクトそのもの自体に関心が薄く、殆ど意識がありませんでした。今後は鉄道プロジェクト等にも目を通していきたいと思います。とりあえず、Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 鉄道/路線#記事の分割についてとして提案を行いました。ご意見頂ければ幸いです。--SHARU 2007年2月21日 (水) 13:09 (UTC)
(インデント戻します)提案を行いましたが議論が止まってしまいましたね。鉄道プロジェクトへの返信もなく、また議論が発展する見込みがあるとも思えません。なので、とりあえず合意に至っている東北縦貫線については分割を行いたいと思います。尚、あと数日待っても明確な反対意見がないようであれば東北本線の歴史についても分割を行いたいと思います。
反対意見を述べていたRuskさんの希望する
- >歴史の概略については、他の区間との関わりもありますのでここに残して欲しい。
- については、現在の歴史の概略の節はここに残す形とし、年表の細かな点についてだけ分割することで対応。
- >駅の開業など最近のものが加筆される一方で、過去のものが書かれていないのはバランスに欠く。
- については、コメントアウトなどで加筆者に「個々の駅などの歴史については「東北本線の歴史」の項での執筆をお願いします」等といったコメントを加える」ことで対応。
ということで解決策を述べました。また、それ以降の明確な(この提案そのものに対する)反対意見もないので(少々強引ですが)合意に至っていると解釈します。
また鉄道プロジェクトとしての方針策定に関してですが、現状は特に歴史の節が明確に冗長と言えるのは東北本線の記事のみ(歴史の節だけで32キロバイト以上であるのは東北本線の記事だけです)であり、鉄道関係の記事全体の編集方針の提案については全く返信がありません。なのでまずは東北本線の歴史を分割し、鉄道プロジェクトとしての方針策定は後ほど行いたいと思います。--SHARU 2007年3月1日 (木) 03:16 (UTC)
- 節のサイズを問題とされているなら、(お読みになったと思いますが)Wikipedia:ページサイズ#長いページであるように、別記事に分けるのではなく、さらに節を分割すればよいのでは? そもそもWikipedia:ページサイズでは、まず節の細分化を勧めており、記事の分割を(最初の)解決方法としては挙げていません。
- 分割を決定されたようなので今更言うのもなんですが、開業した駅などすべて書きつつ、「駅~ 駅」や「間」などの決まり文句を省いたり簡略化することでコンパクトに収めている例もあります(函館本線#年表、羽越本線#年表)。「大宮駅~栗橋駅間」という表現を「大宮~栗橋間」とするだけでかなりサイズが削減できると思います。Rusk 2007年3月1日 (木) 09:29 (UTC)
- いえ、このまま異論がなければ分割は行うつもりでしたが、現状ではまだ私の意見に対する支持も少なく、Ruskさんのように「あまり望ましくない」と考えてる方もいらっしゃるようなので暫く保留にしたいと思います。
- 節のサイズについてですが、Ruskさんのおっしゃる節をさらに分割するというのもありだと思います。ただ、これだけ長い年表ですと、区間ごとに分けるという作業そのものが大変な点、それから、東北本線の記事そのものの「歴史」についての記述が他の記述と比べて長くアンバランスな点は改善されないと思います。--SHARU 2007年3月1日 (木) 17:26 (UTC)
- (一括分割なら賛成)
- 私は、「歴史」節から、「年表」の小節全体を一括して東北本線の歴史へ分割するのが一番だと思っている。
- 読む人も書く人も東北本線の歴史ひとつで済むからだ。
- また、私は、Ruskさんの意見には理解を示すことができない。
- 節の分割・細分化というが、どこをどう分けるつもりなのか?すでに小節もあわせ42の節があるのにさらに分けるメリットは何か?読み易くなると確信しているのか?
- また、”「駅~ 駅」や「間」などの決まり文句を省いたり簡略化する”云々おっしゃるが、バイト数を削ればいいってもんじゃない。ことの本質は東北本線の記事が充実しすぎて、縦に長い記事になっているので縦スクロールするのに一苦労する事態になっているということだ。これは節を分けたり、一文字削ったりしても解決しない。
- また、区間ごとの分割案に反対する。作業する人にとってつまらない仕事であり、読む人にとって一覧性が減る。
- Ruskさんは、”過去の記録である歴史こそが主たるコンテンツと思う”、”これだけ歴史についてまとまっている資料はない”と言いつつ、こまぎれにする案を出してくるのは何ゆえなのか。歴史の節をここに残そうとするあまり、しょうもない提案を繰り返して抵抗しているとしか感じられない。--のり230 2007年5月6日 (日) 23:16 (UTC)
- 一括分割に賛成
- 確かに、歴史の部分が異様に長いのは事実。のり230さんの意見に全面的に賛成。701 2007年7月29日 (日) 13:48 (UTC)
宮城野貨物線の開業日
[編集]長町 - 東仙台間の貨物支線(宮城野貨物線のこと)の開業日ですが、『鉄道要覧』によれば1960年10月1日だそうです。ですが、手元の資料、『停車場変遷大辞典 国鉄・JR編』および『日本国有鉄道 停車場一覧』では「1961年6月1日」になっております。 どっちが正しいのでしょうか…。
ちなみに、JR貨物の駅紹介では、「1961年6月に、仙台市場線の開業とともに開業」と記述されています。宮城野貨物線の開業時ではない(同線が早く開業した)ような書き方?ですかね。--継之助 2008年4月15日 (火) 08:32 (UTC)
この項にまとめてしまいますが「宮城野貨物線」の記事の『仙台駅で夜間工事が行われた際~中略~夜行列車がこの貨物線を経由して迂回運転を行ったことがある。』は明らかに間違っています。 仙台駅経由より、貨物線を使った方が列車の走行距離は短くなるので、この場合は迂回ではなくショートカットが正解--220.145.172.253 2008年9月2日 (火) 17:36 (UTC)
- あまりカタカナ語は使いたくないですね。ショートカット運転ですか? 私の語彙の乏しさを露にするようですが、かといって、短絡運転、近道運転といった語も(鉄道会社や時刻表などでの案内などで)あまり使っている例を私は見たことがありませんし(案内としては「本日は○○を経由しません」とされるか?)、そもそもそんな語があるのかどうかも存じません。結果として遠回りになるか近道になるかは関係なく、単に(通れない道を避けて)別の道を通るのは何と呼ぶべきでしょうか。
- 「迂」とは「まがる」という意味ですから「迂回」は遠回りの意味であるのはそうでしょうが、単に「避けて別の道を通る」と意味で用いている例もあるように思います。宮城野貨物線の例
の出典と思われるに触れている池田光雅『鉄道総合年表 1972-93』(中央書院、1993年)p.20 の当該トピックでも「迂回運転」としています。--210. 2009年4月12日 (日) 19:51 (UTC) 訂正 --210. 2009年4月12日 (日) 20:00 (UTC) - 当該箇所は違う表現に書き換えました。--210. 2009年4月12日 (日) 19:55 (UTC)
いろいろ苦心して手を加えてもらったようで。 >感謝
以下、私見です。 本件は内容的に本文に対して枝葉であり、なくても構わないですが…あったほうが楽しいor興味をそそられるという内容だと考えます。 ゆえに出来るだけ短く簡潔にまとめようと考えて一言で表現するために「迂回」なる言葉を使用したと思われます。 しかし「迂回」は迂遠に回る…つまり遠回りの意味であり、誤用と断じるつもりはありませんが「誤解を招きやすく、ここでの使用は避けるべき用語」であると考えます。
そこで上記の意図を汲んだつもりで「ショートカット」なる用語を提案したわけですが、これを「短絡」と置き換えてしまうと、また誤解を招きそうなので…。 個人的には簡単に「仙台駅を通らず、宮城野貨物線経由で運転した事がある。」とするか、「本来の仙台駅を経由する遠回り路線を使わず、宮城野貨物線経由で運転した事がある。」あたりで良いのではないでしょうか? --202.246.252.97 2010年12月2日 (木) 06:12 (UTC)
東北本線の走っている地域
[編集]概要節において、「東京から青森まで、東京都・埼玉県・栃木県・東北地方太平洋側の…」と書かれていましたが、経由都市が書かれていますので、あえて「太平洋側」と書かなくてもよいのでは思います。
私は当初、「東北地方東部」と修正したところ、そのようには言わないと指摘されましてそれは承知しましたが、日本海側(秋田側)ではないことを明確に示すためとはいえ、ほとんどの区間で内陸を走っている路線を「太平洋側」というのはかえって誤解を招くと思います。「太平洋側を走る路線」という認識を持たれると、鉄道に疎い読者だと路線名の書かれていない東北地方の地図を見た場合、常磐線や三陸鉄道などを東北本線と誤認するでしょう。経由都市だけで充分かと思います。--210. 2009年7月7日 (火) 20:11 (UTC)
- 天気予報や地理学において、東北地方は、脊梁山脈である奥羽山脈(あるいは中央分水界)を境に西側を日本海側、東側を太平洋側と2分割するのが一般的です(南北2分割の場合は北東北と南東北)。そのため、日本の常識より、『「東北地方太平洋側」が太平洋沿岸の狭い地域を指す』という210.さんの個人的な感覚が優先されて「太平洋側」が削除されることを看過できません。
- また、東北地方の地理に疎い人は、templateの東北本線の路線図を見ても、奥羽山脈がどこにあり、列挙された経由都市が「東北地方太平洋側」に連なってあると分からないと思うので、210.さんの「経由都市の記載があれば太平洋側と書かなくていい」との主張は決定的とは言えないと思います。
- ところで、私が「東北地方太平洋側」という言葉に拘った理由は、中国地方における山陰と山陽のように、本来は異なる地方(出羽と陸奥)が1つになって東北地方が成立していること、「東北」を冠しながらも東北地方の一部である太平洋側しか東北本線が走らないこと(奥羽本線などとの対比)、東北本線に限らず、東北新幹線や東北自動車道など、「東北」と冠するものは東北地方太平洋側のものに対して命名される傾向があること(奥州が奥羽と同義になることがあること等との対比)、戊辰戦争の戦後処理において出羽国と陸奥国は分割されましたが、鉄道の世界では分割前と分割後の双方の旧国名が混在して使用されており、「陸奥国」が示す範囲が一意に決まらないので、分割前の「陸奥国」を現代的には「東北地方太平洋側」としか言いようがないこと等からです。
- 太平洋側と日本海側にキレイに2分割できる地方は東北地方だけなので、他の地方の方々が210.さんの言うように理解してしまうのも分かりますが、私の主張も汲んで頂けると嬉しいです。--219.111.120.175 2009年7月8日 (水) 15:00 (UTC)
- そうですか。経由都市の位置が分かるレベルの読者なら、太平洋側といえば奥羽山脈以東の広い地域とわかるでしょうし、「東北本線は東北地方太平洋側を走る路線」で問題ないですね。常磐線や三陸鉄道との誤認のおそれは無用な心配で、私がおろかなだけでした。--210. 2009年7月8日 (水) 20:54 (UTC) 脱字修正 --210. 2009年7月8日 (水) 20:56 (UTC)
- ご理解頂きありがとうございます。210.さんのご指摘により、私も執筆する際の言葉の選び方の重要さを再認識させて頂いたので感謝しております。
- 江戸時代の東北地方は海運の航路の関係で、日本海側(北前船寄港地域)が大坂経済圏(使用通貨:秤量銀貨)、太平洋側(東廻航路寄港地)が江戸経済圏(使用通貨:計数金貨)と、基軸通貨が異なる経済圏に分かれていたのですが、明治の鉄道開通と中央集権体制によって地方が統一された経緯があるため、その端緒の1つである東北本線の記述に少々ムキになってしまいました。失礼をお許し下さい。--219.111.120.175 2009年7月9日 (木) 06:25 (UTC)
- そうですか。経由都市の位置が分かるレベルの読者なら、太平洋側といえば奥羽山脈以東の広い地域とわかるでしょうし、「東北本線は東北地方太平洋側を走る路線」で問題ないですね。常磐線や三陸鉄道との誤認のおそれは無用な心配で、私がおろかなだけでした。--210. 2009年7月8日 (水) 20:54 (UTC) 脱字修正 --210. 2009年7月8日 (水) 20:56 (UTC)
越河~中目信号場間複線化について
[編集]越河~中目信号場間の複線化ですが、1963年9月19日と1964年9月19日の2つ存在します。どちらが正しいのでしょうか?特急燕 2011年7月2日 (土) 16:03 (UTC)
- 日本鉄道建設業協会(現在は日本建設業連合会)「日本鉄道請負業史」の東北本線、手持ちの宮脇俊三・原田勝正『全線全駅鉄道の旅2 東北JR私鉄3000キロ』(小学館、1991年)p.204の「線路増設一覧表」で確認しましたところ、いずれも1964年(昭和39年)9月19日となっています。1963年のほうは除去しました。--210. 2011年7月2日 (土) 18:15 (UTC)
- 210.様訂正ありがとうございます。特急燕 2011年7月3日 (日) 07:34 (UTC)
過去の接続路線の項について
[編集]過去の接続路線の項で好摩駅の過去の接続路線が花輪線 八戸駅の過去の接続路線は八戸線となっていますがどちらも廃止されていません。現役の路線です。訂正してください。--以上の署名のないコメントは、114.160.61.57(会話/Whois)さんが 2012年9月24日 (月) 07:50 (UTC) に投稿したものです(Muyo(会話)による付記)。
- 野辺地駅の大湊線もそうですが、花輪線や八戸線は東北本線のほうがIGR・青い森鉄道に転換されたことで東北本線との接続路線ではなくなっているので、「過去の接続路線」でも間違いではないでしょう。--Muyo(会話) 2012年9月24日 (月) 08:00 (UTC)
東京駅 - 上野駅間の列車線
[編集]2021年11月30日の編集で「1928年には現在の宇都宮線にあたる東北本線の列車線が上野 - 東京間に複線で開業」と書かれましたが、鉄道省の昭和3年度、昭和4年度の『鉄道統計資料』を見ても、東京 - 秋葉原は2線、秋葉原 - 上野は3線です(この後のページの「線路増減表」に同区間についての記述はありません)。1937年(昭和12年)7月1日に東京 - 秋葉原が3線、秋葉原 - 上野が5線になり(昭和12年度『鉄道統計』 p.98)、1954年(昭和29年)4月15日に東京 - 秋葉原が4線になります(昭和29年度『鉄道統計年報』日本国有鉄道 p.67。なお同書p.28によると東京 - 秋葉原の第3線は回送下り線、第4線は回送上り線、p.30によると秋葉原 - 上野の第3線は回送下り線、第4線は回送上り線、第5線は貨物線)。果たして1928年に上野 - 東京間の列車線は複線で開通したのでしょうか? --210a(会話) 2021年11月30日 (火) 19:20 (UTC)
なお、東京 - 神田間で並行する中央線(中央本線)は上記の線数に含まれません。中央本線 東京 - 飯田町として別に書かれています[1]。念のため。--210a(会話) 2021年11月30日 (火) 20:01 (UTC)
もう一つ念のため、1928年・1929年時点の東京 - 秋葉原の2線は1925年(大正14年)11月1日に開業しています(大正14年度『鉄道省鉄道統計資料』、東京鉄道局『省線電車史綱要』(1927年)p.16 II-1-1表 同書II-1-1図)。--210a(会話) 2021年12月1日 (水) 18:57 (UTC)