ノート:東成岩駅
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駅の休止について
[編集]参考文献に掲示してある『武豊線物語』には、「東成岩駅は昭和17年3月31日営業休止、昭和19年11月11日660m武豊方に移転し再開」という旨の記載がある(2・184頁参照)のですが、いろいろ調べた結果、それは間違いである可能性が高いようです。なので消しました。
理由一つ目。これも参考文献に挙げていますが、『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』の東成岩駅の項目に、上記のようなことは書かれていません。国鉄の記録にはない事柄のようです。駅の休止が公告等なしに行われることはごくまれにあるようですが、公告等なしで再開業することは(同書を見た限り)他に例はありません。あと、開業時から半田から1.7km・武豊まで3.0kmだそうです。
理由二つ目。図書館で昔の時刻表で確認してみました。時間表昭和15年10月号では、東成岩駅は勿論営業中で、武豊から3.0km・半田まで1.7kmで現在と変わっていません。『武豊線物語』の通りに休止していれば東成岩駅は存在していないはずの昭和17年11月号でも、同じように営業していました。ただし、通過列車の方がはるかに多いですけど。--継之助 2010年9月30日 (木) 13:55 (UTC)
- 国立公文書館アーカイブで「半田都市計画街路決定○半田都市計画土地区劃整理決定ノ件」(昭和17年10月6日)という資料を見つけました。最終16ページに当時の半田市近辺の地図が掲載されていて、現在の知多厚生会館の近くの踏切の辺りに東成岩駅が存在していたことが確認できます。この文書の発行時には既に営業休止になっていますが、開業当初の駅の位置が現在と異なるという事実を示す資料としては有用かと思います。--124.24.243.9 2016年9月13日 (火) 17:37 (UTC)
- 先述されている「半田都市計画土地区画整理一般図」で使われている地図(昭和14年11月測図)で示された「ひがしならは」の位置がちょうど半田から1.7 km・武豊まで3.0 kmなので気になります。
- 昭和19年2月発行の『半田商工会議所五十年史』では、日本碍子が東成岩駅の東の敷地に工場を建築して昭和17年8月に事業を開始した旨記されています。「半田都市計画土地区画整理一般図」で示された場所は現在の日本碍子知多事業所の西側にあたるため、矛盾しないように思えます。
- 参考のため周辺の情報を記しておきます。
- 昭和8年12月 - 東成岩駅設置(『官報』)
- 昭和14年7月 - 東成岩駅旅客取扱区間の制限変更(『官報』)
- 昭和17年8月 - 日本碍子知多工場始業(『日本碍子三十年史』)
- 昭和18年12月 - 川崎重工業(→川崎製鉄→JFEスチール)知多工場設置(『川崎重工業社史』)
- 昭和19年12月 - 昭和東南海地震
- 昭和20年1月 - 三河地震
- 昭和20年2月 - 川崎重工業知多工場一部操業開始(『川崎重工業社史』)
- 昭和20年5月 - 東成岩駅貨物取扱開始(『官報』)
- 昭和20年8月 - ポツダム宣言受諾
- 昭和20年11月 - 川崎重工業知多工場操業再開(『川崎重工業社史』)
- 昭和22年4月 - 東成岩駅旅客取扱区間の制限廃止(『官報』)
- 昭和24年11月 - 川崎重工業知多工場鋳造工場完成(『川崎重工業社史』)
- --IXTA9839(会話) 2022年12月24日 (土) 19:54 (UTC)