ノート:松井つね
近藤つねという人はいません。松井つねが本当の名前です。異存なければ移動させます。Izayohi 2005年8月5日 (金) 09:48 (UTC)
- どうも。初版投稿者です。大河ドラマ等で「近藤つね」となっていたためこちらで執筆しましたが、夫婦同姓は明治31年(1898年)に施行された民法で初めて定められたらしいですね。私としては特に移動について異存はありません。「近藤つね」は「松井つね」へのリダイレクトで良いんじゃないでしょうか。--60.62.20.28 2005年8月5日 (金) 13:57 (UTC)
- 貴重な意見ありがとうございました。反対の意見ないので移動させていあただきます。Izayohi 2005年8月13日 (土) 06:44 (UTC)
2年ほど前に項目名を実家姓(松井)に変えられたようですが、ちょっと疑問に感じます。大河では近藤姓になっており、その他の書物でも「近藤つね」が一般的だと記憶してます。夫婦同姓の民法の規定は明治31年というのが根拠らしいですが、大河などが近藤姓にしている以上は先方にもなんらかの根拠があるはずで。大河だって考証の専門家がいます。ウィキペディアの検証可能性を基本とすれば、まずは専門家による世に公開された業績等を優先すべきであり(大河の考証だって業績です)、われわれ素人の一般人が「これが正しい」と決め付けるのは避けるべきです。「近藤つね」は間違いで、真実は「松井つね」かもしれませんが、自由参加の素人によるウィキペディアがその間違いを正す発信源になってはいけません。独自の研究になってしまいます。ウィキペディアは、まずは世の書物類に従うべきです。間違っていようが、いまいがです。
あと、専門家が長い間一致してそうしてるならば、たいてい案外と根拠があるものですよ。彼らはそれで飯を食ってるから、雑学知識は豊富です。われわれが新発見なんてまずないです。民法改正は明治31年で、鎌倉時代の北条政子、室町時代の日野富子は実家姓ですが、ひょっとすると江戸時代から慣習として妻は夫の姓を用いていた可能性があり、明治になってそれを法制化しただけかもしれません。専門家たちはそれを知っていて、常識として「近藤つね」を用いているかも知れません。
とはいえ、大河を根拠に「近藤つね」に戻すのはさすがに異論もあられるでしょうから、今度、暇な時に図書館へ行って新撰組関係の本を調べてきます。新撰組人名辞典があるので、項目名はこれに拠るのが適当でしょう。複数あるなら、それを参照してきます。その結果、「近藤つね」ならば、項目名はそちらへ戻させていただきます。逆に「松井つね」が存在して、その本が信頼性のより高い著者によるものならば、このままでいいと思います。--味っ子 2007年4月20日 (金) 22:24 (UTC)
- 会社の帰りに近所の図書館へよって『新選組大事典』(新人物往来社、1994年)を閲覧したところ、項目名は「近藤つね」でした。連休に入ったら他の調べ物とあわせて区の中央図書館へ足をのばすつもりだったので、ついでに新撰組関係の本を閲覧して確認してきます。その結果、「近藤つね」が有力なら、項目を元に戻そうと思います。あと「現代では婚姻すると」云々の但し書きも軽率ではないかと考えます。「近藤つね」もそうですが、大石内蔵助の妻の「大石りく」で世間では通ってます。一方で、鎌倉時代の北条政子(源政子ではない)、室町時代の日野富子(足利富子ではない)は婚家の姓ではないです。だから、「大石りく、近藤つねは間違いだ」ではなく「大石りく、近藤つねなのは何かもっともな理由があるのでは」と考えるべきでしょう。いずれにせよ、但し書きにはせめて時代考証雑学類の本からの典拠が必要と考えます。素人が「民法の規定は明治31年だから通説は間違ってる」の類の行為は避けるべきです。--味っ子 2007年4月25日 (水) 23:07 (UTC)
- 中央図書館へは結局行けないかったのですが、大規模書店に立ち寄ったたころちょうど「近藤勇のすべて」(新人物往来社)があり、関係人物の章に「近藤つね」として項目がありました。ちなみに「本当は松井つねが正しい」の但し書きはありませんでした。その他の新撰組関係の本もざっと立ち読みしたのですが、つねのフルネームは見つかりませんでした。あと、もう1冊ぐらい探してみます。--味っ子 2007年5月6日 (日) 08:50 (UTC)
歴史群像シリーズ『血戦・新撰組』『坂本龍馬』(いずれも学習研究社刊)『日本の歴史』(新人物往来社)にも『近藤つね』で載っています。またその他の女性に関しても『木戸松子』(木戸孝允の妻)『陸奥亮子』(陸奥宗光の妻)等、夫の姓で表記されている女性が多いです(勿論、この名前は民法で規定される前から名乗っています)。以上の事を考えますと、現在の『松井つね』での項目はおかしいと思われます。『近藤つね』に訂正するべきです。--222.7.172.136 2008年5月17日 (土) 13:46 (UTC)
- ずいぶん昔に議論があって止まっているようですね。人名に関する議論はあちこちでよく見かけるのですが、統一的な基準を作るのは難しいのではないでしょうか。議論冒頭に夫婦同姓は明治後年の民法で規定されたものとの指摘があって、その通りではあろうと思うのですが、では実際の前近代、特に江戸時代後期における女性の姓の名乗りはどうだったのだろうと、よくわからない状況です。特に「つね」さんがどういう姓の名乗りを実際に用いているか確認できないと、確定しがたいのではないでしょうか。大石学『新選組』によれば、『新選組日誌』にあるらしい近藤家の戸籍と過去帳の存在が記されています。--でここ(会話) 2015年5月5日 (火) 07:24 (UTC)