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ノート:枕投げ/過去ログ02

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「物理学側面」をわかりやすく

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枕投げ#物理学的側面につき、私が文章を修正試みたところ、「元の文章のほうが味わい深い」とのご意見を頂きました。私も、元の文章の味わいを損なうのは本意ではありませんので、よりよい方向に改められればと思います。

私の修正の趣旨は以下の通りでした。

  1. 内容のまとまりを把握しやすくする。
  2. 文章の流れを整理する。
  3. 一般的事実とはいえない部分を割愛する。

まず、1ですが、この節では2つの事項、すなわち「a. 枕は重いのに、なぜ投げてもなぜ致命傷を与えないのか」および「b. 投げた枕の軌道ははたして予測できるか」について説明していますね。原文では、その点を一読して理解するのがちょっと難しいかな、と思いました。唐突に、〈一般的な枕の質量は0.5kgから2.0kg程度の範囲に収まる。ここでは適当に1.0kgとする。……〉と書き出すと、読者はとまどいます。そこで私は、前半の冒頭にまず〈枕投げの枕が人に当たっても安全であるかどうかについては、物理学的見地から考察を試みておくことが必要である。枕の質量は、……〉としました。また、後半部分の始まりが分かるように、〈別の物理学的課題として、投げた枕の着地点は予測できるかということがある。……〉と入れました。

次に2ですが、たとえば、後半の趣旨は、原文ではこういうことだろうと思います。〈枕投げの着地点は予測できるであろうか。予測できれば、枕投げ参加者はやりやすい〉→〈どうすれば予測できるかの説明〉→〈実際には枕投げの着地点を研究する者はいない〉→〈それは当然で、そんなことはそもそもナンセンスないのだ〉→〈第一、実際の枕投げでは、着地点が予測できない方がゲーム性が高い〉。この流れに沿うように、文章を入れ替え、かつ添削しました。

さらに3ですが、たとえば、〈誤差が生じた方がゲーム性が向上すると断言するラグビー部員なども存在する〉という記述は、たしかにそういうラグビー部員もいるかもしれないにせよ、百科事典の一般的記述にはそぐわないと思われたので「ラグビー部員」を割愛しました。この「枕投げ」の項目は、「何だか笑える項目」ではあるにせよ、「よく読めばウィキペディアの方針に則って大まじめに書いている」点が重要だと思うのです。

このほか、語句の続き具合を修正しました。

以上の趣旨にみなさんのご異存がなければ、私にいただいたご指摘を踏まえた上で、書き直してみようと思いますが、どうでしょうか。--Hamlet 2007年1月21日 (日) 11:43 (UTC)

あ、どうも。意見をした者です。このような意見を書きました。
みなさんの意見もください。--Hatukanezumi 2007年1月21日 (日) 11:54 (UTC)

Hatukanezumiさんにご指摘いただいた「物理学の文章としておかしい点」については、当然改めるべきだと思っています。文章が平易で、論理が通っていて、物理学的にも問題なく、しかしなぜか笑ってしまう、という文章が理想でしょう。--Hamlet 2007年1月21日 (日) 12:15 (UTC)

(から続く) ともかく、「推測による記述である」ということを問題にしていません。本項目自身でも、枕投げという風俗が文献学的な検証を拒んでいるという指摘があるわけですから、個人の記憶や証言に頼った記述になるのはやむを得ません (そういう意味でも、この項目は「百科事典的」かどうかが微妙ですね)。ともかく、Hamletさんが追加した戦後の歴史についての記述は、きりがついたら追加されるべきと考えます。

さてまず、この間のおもな修正状況をまとめておきます。

  1. 2007年1月17日 (水) 12:47 (JST) の版から 2007年1月20日 (土) 17:37 (JST) の版までの修正 (途中に3版を含む)
  2. 2007年1月20日 (土) 17:37 (JST) の版から 2007年1月21日 (日) 06:22 (JST) の版までの修正 (途中に1版を含む)
  3. 2007年1月21日 (日) 06:43 (JST) の版から2007年1月21日 (日) 07:44 (JST) の版までの修正 (途中の版なし)

1. はわたしとHamletさんの編集が混在していますが、「いじめ」に関する編集をしたのがHamletさんです。個人的には、これは妥当な修正だと考えています。かつて「いじめ」が「喧嘩」に変えられたのはおそらくいじめへのリンクを嫌ってのことだとおもわれますが、ここは「喧嘩行為」では意味が通りません。

ほかはわたしの編集で、「飛礫打ち」の記述を追加しています。両者は競合していません。

2. のHamletさんによる修正について。これは余談なので読み飛ばしてけっこうです。

正直言って不満がありました。というのは、「飛礫打ち」という習俗一般が「遊戯」とまとめられてしまいましたが、そうは言えないからです。
「石合戦」はたしかに子供のやることなので、遊戯です。しかし、祭礼や、一揆・打ち壊しなどの際の「石打」は、行動にあたって人知を超えた力を頼むという、ある種の宗教的儀式の側面があったことが参考資料から読み取れます (後者については、物理的な効果も期待されなかったわけではないでしょうが)。つまり、「推測」を問題にするのであれば、この点は推測によって事実と違うふうに編集されてしまったわけです。ですのでわたしは再修正[1]しました。
もっとも、「たかが枕投げにアジール論を持ち出すのはやりすぎだ」という意見はありうるとおもいますので(自分でもそう思わないでもない(笑))、そういう意見が大勢を占めるようならべつにこの「飛礫打ち」の記述は削除してもかまいません。その点はこだわりませんが、事実関係が変わるのはこまる、ということです。

前置きはともかく、本題の 3. (「物理学的側面」の修正) についてお聞きします。

わたしは、この編集によって「わかりやすくなった」のかどうかが、よくわからなかったのです。いっぼうで、「ラグビー部員の証言」が「ラグビーボールの軌道」に流用されているなど、もとの文章にあった情報が削減されていたりもします。

Hamletさん自身は修正の方針について、すでに上の発言で述べておられます。しかし、もう少しくわしく、

  • 物理に詳しくないひとにとって、どういう点がどのようにわかりにくいのか。
  • どうすればわかりやすくなるのか。

について、教えてください。その結果として、上の発言のような方針を採用されたのかとおもいます。

ていうか、編集にこんなに気をつかってしまうのも、このノートの上のほうの議論が決着してないからなのかもね。ここで別の編集合戦なんかしたくないしね。 --Hatukanezumi 2007年1月22日 (月) 14:04 (UTC)

Hatukanezumiさんが2点お尋ねになっていることにお答えします。まず1点目ですが、私がこの節を「わかりやすくしたい」というのは、物理学の説明が難しいから、というのではないのです。あくまで、文章の筋を単純明快にしたい、ということです。物理学的知識をかみくだきたいのでなく、「『物理学側面』の節」の論理をわかりやすくしたいということです。

以下、元の文を書かれたBmuoさんの文章に触れることになって恐縮なのですが、たしかに、物理学的な知識が不足すると分からない面はありました。そのため、私は「修正」のつもりで、かえって詳しい人にはもたついた説明にした部分や、重言にしてしまった部分もあったようですね(Hatukanezumiさんが私のノートに書いてくださったとおりです)。しかし、基本的には、Bmuoさんの書かれた用語等を甚だしく誤解しているということはないはずです。

ああ、1か所、迷ったところがありました。

そもそも不確定性原理により枕投げの展開や枕の軌道は原理的に予測不可能であり、究極的には枕の軌道を予測することはナンセンスであるとみなす立場もある。もっとも、そのような立場に対しては、現在の多くの科学者は否定的な見解を寄せており、枕投げに量子力学的な問題を持ち出す必要は無いといえるだろう(ソーカル事件も参照されたい)。

この文の意味が分かりませんでした。私は初めこう理解しました:

「枕投げの軌道予測について、それは不可能だと見なす立場がある。この立場には多くの科学者が否定的である(すなわち、軌道予測は可能だと多くの科学者は見なしている)。でも、たかが枕投げに量子力学を持ち出して軌道予測を試みる必要はない(従って「軌道予測は可能とする多くの科学者」は間違いである)。ソーカル事件で分かるように、物理学的アプローチになじまないものでも、物理学の衣装をまとえば、もっともらしくなってしまうのである」

なんか、へんですね。「多くの科学者が枕投げの軌道予測が可能と見なしている」なんて。よく読み直して、次のようなことではないかとも思いました:

「枕投げの軌道予測についてさんざん研究した挙句、それは不可能だと見なす立場がある。この見解に対して、多くの科学者は『何を当たり前のことを言っているのか』と非同情的である。枕投げについて物理学的アプローチをするのはばかげている。ソーカル事件をみれば明らかである」

こういうことではないかと思うのですが、自信がありません。物理学のことをよく知らないために理解できない面もあるかもしれません。しかし、本質的には、構文が誤解を生むようになっているのだろうと思います。

構文の問題は、ほかにもいくつかあります。前述のように、冒頭部分もそうです。

一般的な枕の質量は0.5kgから2.0kg程度の範囲に収まる。ここでは適当に1.0kgとする。これは、……

と始まりますと、読者は「枕投げの項目なのに、『枕』について解説しているのはなぜだろう。この先、この文章は何を言おうとしているのだろう」とうろたえます。先まで読んでいって、要するにこの節の前半は「枕は重いのに、なぜ投げても致命傷を与えないのか」について解説していることが分かります。文章の趣旨が分かるまで、読者にとってはストレスになります。

さて、そこで、2点目のご質問、「どうすればわかりやすくなるのか」についてですが、構文の整理が必要だと思います。眼目は前述の通りで、「内容のまとまりを把握しやすくする」「文章の流れを整理する」ということです。

今、改めて文章の骨格について私のプランをまとめてみますと、だいたい以下のようになります。

a.前半――「枕投げの枕は重い。なのに、なぜ投げても致命傷を与えないのか? 物理学的に考えてみよう。まず、条件を単純化し、○○とする。数式化すると○○となる。この結果からすれば、致命傷を与えて当然である。しかし、実際はそうはならない。それはなぜかというと、空気抵抗があり、また、枕が柔らかいからである。」

b.後半――「もうひとつ別の物理学的問題として、枕投げの枕の軌道は予測できるかということがある(ここから話題が変わっていることを明示)。実際の枕投げでは、枕は放物線を描かずに飛ぶため、軌道が予測しにくい。いったい、どうすれば予測できるのだろうか? 予測するためには、○○や○○など、さまざまな要因が絡んでくる。コンピュータによる数値解析が必要だとも言える。しかし、不確定性原理を考えれば、しょせん枕投げの軌道予測は不可能である。こんなことに量子力学を持ち出しては、第2のソーカル事件になる。実際、どこへ飛ぶか分からないほうが、枕投げとしてはおもしろいではないか。」

と、文章を首尾一貫させようとすると、このようになると思います。ところが、原文の結論には「第2のオイラーが現れて枕投げの運動を解明してほしい」という趣旨が書かれていて、前の部分とは論旨が変わっているようです。文章の書き手は、「枕投げ理論の解明はナンセンスである」と考えているのか、「枕投げ理論の解明は有意義である」と考えているのか、読み進めるうちにわからなくなります。どうも、この結論はねじれているので、「枕投げ理論の解明はナンセンスである」という論旨を通したほうがいいのではないかと思います。

以上、長々と書いてしまいましたが、私の意図は、あくまで、論旨を分かりやすくすることです。原文の趣旨を誤解している点、読解の不十分な点があればご指摘ください。私の読解が基本的に誤っていなければ、その線で書き直したいと思いますが、いかがでしょうか。--Hamlet 2007年1月23日 (火) 14:02 (UTC)

こんにちは。私としましては、Hamletさんの編集によりだいぶ読み易くなったように感じられます。私自身物理に関しては素人なので、とかく私が書いた「原文」を重く見られる必要はないかと。特に衝突の話は本当にいい加減なので、いずれ改訂を要することであろうと思われます。ところで、不確定性原理云々のくだりですが、一応私が書こうとした意図としましては、

「なるほど、量子力学の世界では不確定性原理によって、未来は確率的にしか知りえないのは事実だ。数学の世界では不完全性定理によって公理系の無矛盾性は証明できないことが示されているのは事実だ。しかし、我々が日常的に暮らす範囲内では、不確定性原理云々など気にする必要などなく、ほとんど古典論の範囲で十分説明ができるのである。例えば、あなたの周囲には突然トンネル効果で壁をすり抜ける友人が存在するだろうか。不確定性云々をむやみやたらと持ち出して決定論的世界観を否定する必要はないのである(そういえば、アラン・ソーカルも似たようなこと言ってたかもしれないなあ)。幸い、流体力学の数値解析は既にある程度体系が出来ている。枕投げもこの手法を応用することで限りなく決定論的な解析ができるのではないだろうか。現に、航空機などはそのようにして設計されているではないか。」

といったような内容のつもりでした。言葉付け足しすぎですが。--B-muo 2007年1月23日 (火) 15:35 (UTC)

ことばをつけ足していただいて、よく分かりました。すると、やはり文の趣旨としては「枕の軌道は予測できる」ということなのですね。B-muoさんの補足を元に、上の部分を私に分かるように書くとこうなります。

そもそも、不確定性原理によれば、枕の軌道を予測することは結局不可能であり、こうした研究を行うことはナンセンスであると見なす立場もある。しかし、完璧な精度を要求しさえしなければ、おおよそのところは現在の流体力学の理論で十分説明しうるというのが多くの科学者の考え方である。枕投げの軌道予測というような問題に関して、あえて不確定性原理などを持ち出すことは、問題の本質から目をそらす結果にもつながる(ソーカル事件も参照されたい)。

こんな感じでしょうか。B-muoさんに、私の編集でも「だいぶ読み易くなった」と言っていただいたので、またよく考えて記事を編集させていただければと思います。--Hamlet 2007年1月23日 (火) 16:58 (UTC)

加筆訂正してみました。しかし、これで良いとは思っていません。根本的なこととして、後半の「枕の軌道予測」については、「枕はどう飛ぶか」という解説にはあまりなっておらず、むしろ「枕はどう飛ぶか、を研究すべきだ」という話になっています。これは「解説」でなく「主張」ともいえ、そうだとすれば、百科事典的記述になじまないわけです。なお手を入れる必要はあるでしょう。--Hamlet 2007年1月28日 (日) 07:38 (UTC)

確かに「主張」ですね(苦笑)。計算間違いがあるかもしれませんが「どう飛ぶか」についての古典的な結果を書いておきました。--B-muo 2007年1月29日 (月) 14:05 (UTC)

これは大論文になりましたね。驚嘆しました。--Hamlet 2007年1月29日 (月) 14:43 (UTC)

「枕投げ」の歴史を明らかに

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枕投げの歴史について、戦後に関わる文章が元に戻されています。

ここを書いたのは私ですが、元に戻されたのは、おそらく、「推測である」という理由であろうかと思われます。ウィキペディアは推測を原則として許していないので、私も、我ながら「どうかな?」と思う部分もあります。

ただ、私は、「枕投げの起源」はマジに知りたいと思っていまして、できれば、この部分には、多くの執筆者が枕投げに関する文献・記述を報告してくださればと思います。

私の記述は、そのきっかけを作ろうと思ったものです。特に、「1960~1970年代の児童の作文に『枕投げ』の記述が見える」というのは、じつは私の小学校の文集を資料としたのであります(現存するもので、最低限の客観性は確保しているかと思います)。

それより前の戦後の記述に関しては、私の親族の証言によるもので、これは客観性が危ういかも知れません(削除されても文句は言えません)。

私が、周囲の人に聞き取りをした印象では、「枕投げ」は戦後の習慣だろうと推測します。これは推測に止まります。ぜひ、多くの人に資料を寄せていただいて、枕投げの正確な「歴史」が明らかになれば、と思います。

私の1960~1970年代の記述は復活してもいいかと思いますが、いかがでしょうか。--Hamlet 2007年1月22日 (月) 02:50 (UTC)

あ。すみません。もどしちゃったひとです。戦後の記述が追加されているのを見落としていました。
この箇所は、Hamletさんが編集したあとわたしが再編集をかけているところですが、今朝(日本時間)寝起きの頭で「これにさらに編集を加えたりしたら、ややこしいことになりそうだなー」と考えているうちに、手がリバートしてしまいました。
ですので「推測だから」という理由ではありません (なお、推測と思われる箇所ならほかにあります)。というわけで、わたしが「戻してほしい」と思った理由をもう一度整理して書きます。ちょっと待ってくださいね (へ続く)。--Hatukanezumi 2007年1月22日 (月) 12:56 (UTC)

ご趣旨、よく分かりました。戦後の記述については、また時間のあるときに描き加えるつもりです。構成としては、まず「枕投げの起源」を修学旅行の始まった明治あたりから説き起こし、戦後につなげるのがいいでしょう。その他、近代以前の関連する習俗については、後半に持ってくるのがすっきりすると思います。--Hamlet 2007年1月23日 (火) 14:07 (UTC)

今後、寝起きに Wikipedia のサイトを開くのはやめます。混乱させてすみませんでした。
具体的に出典が明らかにされた証言ははじめてだとおもいますので、ぜひ本文にいれてください (出典自体を明記する必要はかならずしもないとおもいます)。中世の話はほぼ余談なので、後ろにまわしてもらっても別にかまいません。
の件については、どうすればいいかわたしも考えてみますので、応答はしばらくお待ちください。
--Hatukanezumi 2007年1月23日 (火) 15:26 (UTC)

「歴史」に、戦後の部分を含めて手を入れてみました。いろいろ考えてみると、Hatukanezumiさんの書かれた「中世の飛礫打ち」は後ろに持ってこなくてもよさそうだったので、冒頭近くに置きました。ただ、少々削りました(削ったのは「アジール論」の部分です。この種の記述はアリだと思いますが、歴史よりも、後段の「文化人類学的側面」で存分に論じられそうな気がします)。なお、「石打ち」と「石合戦」の性格については混同しないようにしました。

結局、構成としては、「物を投げ合うことは昔からあった」→「しかし枕を投げ合うのは近代以降とみられる」→「しかも修学旅行と結びついたのは確実に明治以降だ」→「戦前・戦後のことはあいまいだが、1960年代にはすでに枕投げはあった」という流れにしました。--Hamlet 2007年1月25日 (木) 14:43 (UTC)

「法的側面」の整理を希望

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「枕投げ」の「法的側面」は、ヒーロー特撮もののドラマを法的に解釈する試みにも似て、興味深く読みました。しかし、やや散漫というか、ばらばらな印象を受けます。もう少しまとめてくださればと希望します。

現状では、それぞれの事項の説明が、かならずしも枕投げの状況を踏まえたものでないようです。たとえば、「刑事上の問題」の「傷害致死」の説明を読むと、これは傷害致死の一般的説明であって、枕投げと傷害致死の関わりについて書いたものではありません。前段の「物理学側面」で、「枕の打撃により致命傷を負ったという事例」は否定されているので、そのこととの矛盾もあります。

ではどう改めれば、というと、私には知識がなく、ただ無責任に言うだけで恐縮します。一案ですが、「枕投げで法に触れるような事態はあるだろうか、あるとすれば、どういう状況が揃ったときだろうか」という視点で、二、三の場合(四、五の場合でもいいのですが、とにかくまとまった内容)を想定してまとめるというのではどうでしょうか。それに無関係な事項説明は省略してもよいと思います。

元執筆者の方を含め、法律的知識のある方にお願いしたいです。--Hamlet 2007年2月15日 (木) 16:03 (UTC)

121.93.54.129 2007年2月18日 (日) 04:09 (UTC)賛成。現状ではいささかならず冗長で、ユーモラスさを損ねています。

実際に怪我をした場合、「過失傷害」になると思います。「過失」が付くか付かないかによって、刑罰に大きな差があるでしょう。現在は、「過失傷害」についてまったく触れていないので手落ちです。どなたか法的知識のある方が「過失傷害」・「過失傷害致死」などについて書いてください。その場合、故意犯である「障害」・「傷害致死」については、削除するか軽く触れる程度にしてよいと思います。このままでは、脅しのようであり、アンサイクロペディアと言われてもしかたがないでしょう。 --Kazov 2007年2月19日 (月) 11:52 (UTC)

暴行(=身体に対する有形力の行使)はあるので傷害罪にはあたりえます(暴行の結果負傷すれば傷害罪となるからです。)。もし暴行について正当業務行為などとして違法性が阻却されるのであれば傷害罪ではなく過失傷害罪が問題となります。暴行部分について違法性が阻却されるかどうかは事案によるでしょう。このへんの説明があるとよかったのかもしれませんね。

「物理学的側面」「ゲーム理論的側面」「法的側面」

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これらの節について、本項目との関連が薄く、半ばこじつけをして書かれているような気がいたします。また、「ゲーム理論的側面」に関しては独自の調査に触るようにも思えます。なんだか最近のこの記事が、珍項目を通り越してアンサイクロペディアじみてきていると感じているのは、私だけでしょうか。-- D.328 2007/02/18 03:54 (UTC)

いや、面白いんだけどね・・・・・・うん、なんていうかなぜこれが削除されないで「便所飯」が削除されたんだってことなんだ。むしろこんなジョークがいろんな項目に伝播すればいいなと思う。--121.83.30.246 2007年2月18日 (日) 04:21 (UTC)
「物理学的側面」は必要だと思う。枕を投げる際の枕の運動は確かに独特でありこのように考察し記述することは悪いといえない。「ゲーム理論的側面」は今のところは何とも言えない。「法的側面」はこじつけ。全面削除か大幅削除が妥当。まず、「枕投げはさまざまな法的問題を孕む」ってのがうさんくさい。アンサイクロペディア的ノリだと思う。それにもし孕んでいたとしてもその法律の記事が別にあるのだから、ここでわざわざ述べる必要はないと思う。--121.83.30.246 2007年2月18日 (日) 04:21 (UTC)

ぜんぶ削除しました。「独特でありこのように考察し記述することは悪いといえない」と思いますが、ウィキペディアの役割ではないと考えられます。--全中裏 2007年2月19日 (月) 15:42 (UTC)

「全部削除」とコメントに書きながら全部じゃないようです。ですから、ひとつひとつの記述について削除した理由を説明していただく必要があります。説明していただくためにとりあえず削除をリバートしました。よろしゅうに。---Hatukanezumi 2007年2月19日 (月) 15:57 (UTC)
外部の研究事例が参照されない限り、独自の研究に該当するからです。全部削除しなかったのは、作業を途中で止めているに過ぎないからです。何を残せるのかを検討し、何も残せないと判断した場合には、削除依頼も視野に入れています。--全中裏 2007年2月19日 (月) 16:01 (UTC)
編集合戦と判断されてしまったようですね。申し訳ありませんでした。--全中裏 2007年2月19日 (月) 16:07 (UTC)
要約欄で議論がされてるようだったことと、rvの編集の量が大きかったので保護しました。自分でもやや拙速に思うので、お二人が(rv合戦ではなく)先にこちらで議論すると仰れば解除いたします。―霧木諒二 2007年2月19日 (月) 16:13 (UTC)
ここにあった発言は#保護(2007/02/19)についてへ移動しました。--Hatukanezumi 2007年2月20日 (火) 22:46 (UTC)
なんか、全中裏さんの再リバートの直後、霧木諒二さんによって保護されたみたいです。びっくり。なぜここまでの判断にいたったのか、実施者にノートで問い合わせ中です。と書いてたらコメントがありましたね。
「作業を途中で止めているに過ぎない」というのならなおのこと、ひとつひとつの記述について説明をしていただかなければなりません。「外部の研究事例が参照されない限り、独自の研究に該当する」というのは一般論としてはそのとおりですが、それを厳格に適用するのなら全中裏さんは Wikipedia のかなりの項目を削除してまわらなければならないことになります。そういう運用は多くの場合されていないことはよくご存知とおもいます。
ノートには、記述内容について否定的な意見も出ており、そのような意見が必ずしも否定されてもいない状況でしたから (わたしも否定はしません。履歴を見てね)、まずノートで問題点を明らかにすべきだったのではないでしょうか。
なお、現時点では、保護実施者に対して、こんなつまらないことで保護にするのは利用者に対して過保護だという感想を持っていることを付け加えておきます。コメントがあったのでとりあえず右の見解は保留にします。--Hatukanezumi 2007年2月19日 (月) 16:20 (UTC)

編集合戦の原因を作ってしまい、また、霧木さんやHatukanezumiさんのお手を煩わせてしまい、大変申し訳ありません。

何度も説明させていただきましたが、削除したのは、該当部分が独自の研究によるものと判断したからです。「法的側面」、「物理学的側面」、「ゲーム理論的側面」、「文化人類学的側面」について長々と書かれていましたが、文献への参照が一切なく、外部における同内容の研究事例を発見できない以上、百科事典に掲載すべきでないと判断したからです。まずは、節全体が明らかにそれに該当すると考えられる部分を削除しました。

それを厳格に適用するのなら全中裏さんは Wikipedia のかなりの項目を削除してまわらなければならないことになります」とありますが、「Wikipedia のかなりの項目」がいわゆる学術分野における記事を意味しているのであれば、十分な研究事例が存在する学術分野における記事と、この記事とでは、検証可能性の基準(記事存続の基準)を同一とすることは適切でないと思います。「枕投げ」や、その他サブカルチャー分野のように、研究事例が皆無である分野は、より厳しい検証可能性が求められると思います。あまり論理的なものではありません。読み手の感覚の問題です。「著作権の準拠法」(私は執筆に関わっていません)と「枕投げ」を比べてみてください。どちらも参考文献が一切ありません。しかし、ほとんどの人は前者の記事は信じてしまい、後者の記事は疑ってかかるでしょう。読み手がいかに厳しい目で記事を読んでくるかの違いです。学術分野の記事と、この記事やその他サブカルチャー分野の記事では、後者により厳しい信頼性を求めてくるのは明らかでしょう。

今までこの記事を執筆していない人間が、ふっと現れて大幅な編集をしたことは、大変申し訳なく思っております。しかし、この記事には依然から注目しておりました。他の「悪ふざけ的項目」が作られるたびにこの項目が参照され、存続の根拠とされる事例が多々ありましたので、ウィキペディア全体に悪影響を与えているのではないかと危惧を抱いておりました。

保護解除された後は、私が削除した部分が復帰されても、私は再度同様の削除をすることはないと誓いますので、よろしければ解除していただきたいと思います。--全中裏 2007年2月19日 (月) 16:58 (UTC) ※訂正--全中裏 2007年2月19日 (月) 17:26 (UTC)

今日はもう寝ます (ちなみに、日本標準時に基づいて生活しています)。また明日。--Hatukanezumi 2007年2月19日 (月) 17:05 (UTC)
帰ってきました。ええと、保護を懲罰的なものと考える必要はないとおもいますよ。それはともかく、
検証可能性の基準については、わたしはむしろ、「十分な研究事例が存在する学術分野」の記事の多くに不満です。たとえば、法的な解説がある項目では学説を紹介、比較することになるので、典拠は示せるはずだし、示さなければならないとおもうんですが……なんでこうも参考文献を明示していない記事が多いのだろう。それにくらべれば、サブカルチャーについての記事は典拠が得られにくいので不利だとはおもいます。つまり、確立されていない分野の記述は結果として難しいのであって、確立されていない分野だから検証可能性の基準を厳しく適用すべきだということではない、と考えます。基準はみんなおなじです。
で本題ですが、
法的側面
下に移動しました。--Hatukanezumi 2007年2月25日 (日) 03:22 (UTC)
物理学的側面
下に移動しました。--Hatukanezumi 2007年2月25日 (日) 03:22 (UTC)
ゲーム理論的側面
下に移動しました。--Hatukanezumi 2007年2月25日 (日) 03:22 (UTC)
文化人類学的側面
下に移動しました。--Hatukanezumi 2007年2月25日 (日) 03:22 (UTC)

Hatukanezumiさん、私の会話ページへの書き込みありがとうございます。

私も、書いてあったことが間違っているとは思いません。いずれも概ね正しいものであり、それぞれの分野の専門家がそれぞれの観点で「枕投げ」を考察すれば、ほぼ同じような考察結果は出てくるのではないかと思っています。

私が当該記述を削除したのは、書いてあることが間違っているからではなく、今までに枕投げを(人文、社会、自然)科学の眼で考察した事例が見られないためであり、WP:NORに違反すると考えたからです。全部消去という結論になったのはそのためです。

とはいえ、私の主張をずっと貫いていても話が進まないので、会話ページに提案していただいたとおり、何を復活できるか、考えてみました。--全中裏 2007年2月23日 (金) 13:02 (UTC)

すべて独自の研究として除去でいいと思います。出典のある記述というのは「○○と書いてあるので××ということがいえる」ということではなくて、「△△は○○と論じている」ということです。××の部分にも出典がなければ、それは結局、独自の研究です。--Aphaia 2007年2月25日 (日) 04:13 (UTC)

そういう意見があるということは理解できますし、かなり正しいともおもいますが、それだけでは編集による改善に結びつかないとおもうんですよ。
「すべて」ではなく個々の記述 (せめて節、できれば段落の単位で) について、除去すべきかどうかを論証しないと、結局議論がスタックするとおもいます (論証の結果、「結局すべてを削除すべきだった」ということになるのはかまわないとおもいます)。
で、以下に節分けがされています。--Hatukanezumi 2007年2月25日 (日) 08:38 (UTC)

法的側面

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ここの記述は、素人目に見ても、ちょっと稚拙な感じを受けます。

  1. まず、議論の対象と直接関係ない法理の解説が多いとおもいます。適用されえない法律を持ち出すのは法律を根拠にした議論のしかたとしてまずいでしょう。たとえば憲法に関しては、枕投げが幸福追求の一環であるとか言論活動の一種であるとかいう論証がまったくなされていませんから、適用されえないと考えられます。また、上のほうの議論でも、傷害致死が問題になっていますね。
  2. 同様のことですが、論理の飛躍がたびたび見られます。たとえば、国家賠償法が括弧内で一言だけ触れられていますが、この法律に言及するなら「監督者が教員である」かつ「その教員が公立学校の職員である」という前提を述べないと意味をなしません。

1. は削除すべき、2. は加筆すべきと考えます。まずは、法律にある程度明るいかたが、それぞれの記述が 1. と 2. のいずれにあたるか示してくださるとありがたいのですが。--Hatukanezumi 2007年2月20日 (火) 10:52 (UTC)

まず、節のタイトルは、「器物損壊」とか「債務不履行」のように、いきなり法律用語を持ち出すのではなく、「相手を負傷させた場合」とか「旅館の設備を損壊した場合」というように、事実内容を観点とした表現の方がわかりやすいと思います。巷の法律番組も、いきなり法律解説をするのではなく、まずはドラマ形式で事例を紹介して、その後に法律解説をしますよね。裁判の審理でも、事実の認定→適用する法律の検討です。
そして、本文に、どの法律のどの条文が適用されて、どういった法的効果が発生するのかを解説すればいいでしょう。
「刑事上の問題」では過失傷害のみ、「民事上の問題」では債務不履行と不法行為のみでいいのではないでしょうか。実際に事件が起きても、憲法問題になることは無いでしょう。--全中裏 2007年2月23日 (金) 13:02 (UTC)

物理学的側面 同様、法律のことも「書こうと思えばいくらでも書ける」ものだとは思いますが、それではやはりどうかと思います。「人を傷つけたらその罪を問われる」「物を壊せば補償の義務を負う」は、言ってしまえば当然のことで、"枕投げ" でわざわざ書くべきことのようには思えません。枕投げに限らず、日常生活の 文字通り 全てについて、法的側面からの記述くらいはできるはずですし。

ただ、実際に「枕投げで器物を壊したり人を死傷させたりすることによって刑法上/民法上の責任を問われたという例」があれば、それは "枕投げ" において特筆すべき内容たりえるかもしれません(それに1つの節を割く必要があるかは、また別の話ですけれども……)。 -- D.328 2007/03/12 16:50 (UTC)

「法的側面」の記述は現状では除去のままということになりますね。ほかの除去された記述も同様とおもいます (個人的にはどれも惜しいのですが)。
で、つぎに、現在の内容についての議論に移ってもよいでしょうか。--Hatukanezumi 2007年3月16日 (金) 15:02 (UTC)

現在の内容といいますと、「ノート:枕投げ#節の分け方について」も含まれますでしょうか。これについては特に書き込みがなかったので、時間のあるときにでもこの案に沿って書き換えようかと思っていました。--Hamlet 2007年3月18日 (日) 03:10 (UTC)

いまのところ、「学際的考察」にふくまれる内容が除去される、ということだとわたしは理解しています。それ以外の部分を指して「現在の内容」と表現しました。節の分け方とは別に、内容についての意見があるのではないかと考えたので。--Hatukanezumi 2007年3月18日 (日) 06:38 (UTC)

物理学的側面

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これはわたしはいいとおもいます。量子力学関係についても、すなおに「誤った考えかた」と読み取れるようになったのは (わたしは当初そのようにすることに否定的だったのですが)、よいとおもいます。--Hatukanezumi 2007年2月20日 (火) 10:52 (UTC)

これについては全削除の立場です。まず、空中に投げた枕の運動を古典/量子力学で解いたという研究事例が見当たらないという理由により、一切記載すべきでないという立場は前に述べたとおりです。それでも何か残せるものは無いかを考えてみたものの、駄目でした。法的側面においては、「相手を怪我させた」、「宿泊施設の設備を壊した」という事例が生じた場合、刑事/民事事件になりそうだということは、他の事例の類推で容易に想像がつきます。しかし、物理学的側面においては、空中に枕を投げたら、本当にあのような運動をするのか、誰にも確かめようがないでしょう。--全中裏 2007年3月4日 (日) 13:24 (UTC)
それは実学(?)としての法学と、理学(?)としての物理学との、世界のみかたのちがいじゃないでしょうか。物理学の立場で「枕を投げればある予測可能な運動をする」ということは、法学の立場で「相手を怪我させれば事件になりうる」ということと同様、リアリティのある話だとおもいます。また、どちらも「刑事/民事事件」とか「剛体の軌道」とかいう概念で現実を理想化していることにはかわりないんで、確かめようがないといえばどちらもそうなような。とはいえちょっと自信がなくなってきた。むう。--Hatukanezumi 2007年3月5日 (月) 13:23 (UTC)
仮にでも書こうと思えば、枕の運動について いくらでもリアリティをもって記述できるとは思いますが、それが果たして枕投げという遊びの本質に関わるかというと別問題です。つまり、今まさに枕投げをしようという人が、ゲームの結果生ずるかもしれない法学的問題の考察や、枕に特有の形状とその運動についての物理学的考察を、果たしてするものであろうかということですが。
たとえば、ラグビーの項目を見てみても、法律のことやボールの運動のことは書かれていません。それと同じで、ゲームとは直接の関係がない些末事を「書けるから」書くというのは、どうも違うという気がします。 -- D.328 2007/03/5 17:27 (UTC)
たしかに…。物理法則で説明できるというだけなら、枕の運動が予測可能 (ないしは予測不可能) なことも、郵便ポストが赤い (または黄色い、ないしはその他) ことも、みんな「物理学的側面」として記述してよいことになってしまいます。
現実に、枕の運動について論考した例がない --- 論考が外部の典拠によっていないというだけでなく、そのような論考が行われたことがあるという事実そのものが外部の典拠によって支持されない --- のである以上、そのような 記述は必然性をもたないということですね。そうでないと、わたしがふだんよそで言ってることにも反するしな。
逆に、上の「法的側面」についても同様の結論になると言えるでしょうか。この場合、枕投げで器物を壊したり人を死傷させたりすることによって刑法上/民法上の責任を問われたという例は、探せばあるとおもいますが、そのような事実を支持する典拠があることをもって「法的側面」に記述できるでしょうか。これは上で。--Hatukanezumi 2007年3月9日 (金) 23:57 (UTC)
該当部分の大半を執筆した者です。公式な方針(検証可能性)に抵触するとのことなので削除も致し方ないかと思います。今、違う場所を探しいます(空飛ぶトナカイのようにWikipedia:削除された悪ふざけとナンセンス行きになったとしたら光栄ですが、厳しいでしょうね)。
ただ、一応手続きを明確にしておくために、数点細かいツッコミを。「今まさに枕投げをしようという人が、ゲームの結果生ずるかもしれない法学的問題の考察や、枕に特有の形状とその運動についての物理学的考察を、果たしてするものであろうか」とはいいますが、それを言ったら枕投げの「歴史」や「枕の条件」や「大まかな展開」や「教師に注意されてペナルティボックスに収容されるリスク」も書く必要がなくなってしまうのでは?例えば、ラグビーの試合をすることだけが目的なのであれば、それこそ用具の名前やラグビーの歴史なんて知らなくてもいいわけで、その論理に徹すると百科事典の意味がなくなってしまうのではないでしょうか。「スポーツ法」や「バイオメカニクス」なんて単語でググると、ちゃんと学会もあるし何冊か本も出ていることがわかりますので、法律的・物理学的側面なんて「ゲームとは直接の関係がない些末事」なので書いてはならない、というのではなく、今後しかるべき文献が示されれば本文中に法律や物理への言及があっても構わないと思うのですがどうでしょうか。
もうひとつ、「郵便ポストが赤い」件ですが、郵便ポストの項目には「日本ではポストの色は基本的に赤色である」という記述によって「」という項目へのポインタが示されているので、「郵便ポストは基本的に○○という塗料が塗られ、その塗料は太陽光のうち○○nm~○○nm付近の波長の光を反射し、その光が網膜に当たって…」などといちいち書く必要がなくなっているだけなのではないでしょうか。
ポインタについてここからが本題ですが、他の項目へのポインタを示す方法には本文中にリンクを含める以外に、「関連項目」の節を作って他の項目へのポインタを示す方法があります。現在飽和攻撃アウトレンジ戦法という項目へリンクが貼られていますが、ここにもし斜方投射というリンクを追加すると、本文に枕の軌跡を書く場合とは違って、それだけでは「検証可能性」には抵触しませんよね?この方法を使うと、暴行罪だろうが非協力ゲームだろうが、今回の削除された内容を、実質的に復活させることもできてしまいます。リンク先には一応多少は関連性がある論点が書いてありますので、これらが絶対に関連項目の節に並んでいてはならないとも言い切れません。(まあ、「多少の関連があることが検証可能かどうか示せ」と言われればそれまでですが。)この問題については、Wikipedia:関連項目Wikipedia:レイアウトの指針#関連項目に何らかの指針があることを期待しましたが、どうやらあまり機能していないようなので、今後の議論を誘うべく一応問題提起しておきます。--B-muo 2007年3月18日 (日) 14:28 (UTC)
「今後しかるべき文献が示されれば本文中に法律や物理への言及があっても構わない」というのは同意です (詳しくは上記発言参照)。
いきがかり上、この節で続けます。
」へのリンクですが、これは (大げさに言うと) 読んでいて「赤とはどんな色だろう?」と思った読者の便宜のためで、郵便ポストの項目中での意味について論じているわけではないとおもうんですが。たいていの項目では、リンクはそういうもので、項目中で解説が必要なら、むしろリンクですまさないほうがいいようにおもいます。
関連項目に飽和攻撃アウトレンジ戦法が挙がっていることについては、本文中にまったく言及のないことでもあり、以前から疑問に思っていましたんで、むしろ削除したほうがいいかもしれません。--Hatukanezumi 2007年3月19日 (月) 10:41 (UTC)

ゲーム理論的側面

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これもいいんじゃないですか。理論の限界 (枕を盗みにいく行動) まで触れられているのは一貫していてよいとおもいます。強いて言えば、「ぶつけられるとペナルティを受けるルールが存在する」という記述がそれ以前の「スボーツのようなルールが存在しない」という記述と矛盾します。これは「参加者は、暗黙のうちにそういうルールがあるかのように振る舞う」というような記述にすればいいのかとおもいます。--Hatukanezumi 2007年2月20日 (火) 10:52 (UTC)

しばらく議論から離れておりました。申し訳ありません。
考えようによっては、「ゲーム理論的側面」の記載は他の3つと比べて最も問題があるのではないかと思っています。なぜなら、枕投げを「ゲーム」としてとらえている点、さらにそれにゲーム理論を当てはめている点で、独自の研究が二重になされていると考えられるからです。--全中裏 2007年3月29日 (木) 16:05 (UTC)

文化人類学的側面

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「人間の秩序と精霊の秩序」というあたりにひっかかるひとがいるのかもしれませんが、この点は典拠を示して論証可能だと考えます。なお、確立されていない研究分野で、先行する分野の知見を援用して説明することはよく行われることですので、「こじつけ」という批判は必ずしもあたっていないと考えます。 また、「アジール論」について当初「歴史」の節にあったものをこちらにいれたほうがいいという助言がでていまして、それとの整合性をとりつつそのうち加筆しようと考えています。が、当面はほかのことで手一杯でむりです。--Hatukanezumi 2007年2月20日 (火) 10:52 (UTC)

保護(2007/02/19)について

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節分けました。--Hatukanezumi 2007年2月20日 (火) 12:35 (UTC)

時系列で追ってみると、15:38 の一部削除と、それに続く 15:52、15:56 のリバート一往復を以って 3RR に類するものと判断されたのではないかと想像します。しかし、この前後 15:42、15:57、16:01 に当事者が相次いでノートで発言していることが考慮されずに、15:57 に「編集合戦」名目で保護が実施されています。16:13 になって保護の報告がノートでなされましたが、このときの発言も保護の時点での判断に依拠しているように読めます。もっとも、この間わずか40分たらずですから、事態の推移と判断が食い違うのはやむをえないとはおもいます (たとえば、わたしは 16:20 付のノートへの投稿を作成中にはじめて 15:42 以降の経過を把握しました)。[追記] ついでに言うと、削除とリバートの際も、要約欄で議論の努力はなされていました (要約欄で議論することが問題とはおもえませんし)。
保護実施者自身の判断として保護を解除することをご検討ください (検討の結果は教えてください)。--Hatukanezumi 2007年2月20日 (火) 09:47 (UTC) 追記--Hatukanezumi 2007年2月20日 (火) 10:00 (UTC)
(編集競合しましたがそのまま投稿します)
途中にレスを入れるのは個人的にいやなのでこっちに書き込みます。編集合戦と判断した理由は、上記の通り除去と直後に行なわれたrevertの編集量がかなり大きかったからです。除去 -> revert -> 除去だけだからまだそれほど回数が多いわけではないですが、編集量が多いこと、ただちに差戻しが行なわれていることから編集合戦とみなして保護しました。なお編集内容の要約欄は「どのような編集を行なったか」を書き込むところであり、議論を行なうところではありません。編集方針に関する議論はノートで行なってください。
保護解除に関して。Hatukanezumiさんも、「とりあえずrevert」ではなくこちらで議論してから編集を行なうと約束していただけませんか。―霧木諒二 2007年2月20日 (火) 11:19 (UTC)
あまり「ルールだから」となにかを振りかざしたくないたちなのですが、論拠として挙げますと、Wikipedia:保護の方針では「保護をかけてもよい場合」のひとつとして「ノートページ、要約欄などでの意志疎通の試みが全くないか、あっても誠意や敬意に欠けているように見える」を挙げています。要約欄で議論を試みることが保護の理由になるとは読めないし、むしろ「無言」のリバートが繰り返されるほうが問題だと読めるのですが。
「とりあえず」と記入したのは「枕投げ」ではありませんから、ここで持ち出されてもこまります。該当項目のノートかわたしの会話ページでどうぞ。なお、「とりあえずリバート」と要約欄に書いた場合は、かならずその理由を書いていますし (「とりあえず」なので当然でしょう)、ノートでの議論が並行している場合です。とりたてて誠意に欠けているとはおもいません。--Hatukanezumi 2007年2月20日 (火) 11:49 (UTC)

事後報告になりますが、ここにあるような経緯で「様子見解除」となりました。わたしが介在したことでかえって保護を長引かせてしまったようにも思い、その点は申し訳なくおもっています。--Hatukanezumi 2007年2月28日 (水) 12:19 (UTC)

節の分け方について

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節が新たに細かく分けられていますね。「枕投げによる支障」の節などは、ほとんど1段落で1つの節になっている部分もあります。たしかに、内容が分かりやすくなったとも言えますが、段落ごとに独立させると、文章がぶつ切りになって読みにくくなる面もあります。保護解除された後に、まとめてよいものはまとめておきたいと思います。--Hamlet 2007年2月20日 (火) 01:01 (UTC)

個々の記述が短いので、強いて箇条書きにしたり節分けしたりする必要性は感じませんね。--Hatukanezumi 2007年2月28日 (水) 12:22 (UTC)

細かい節を統合しました。ちょっと前の状態に戻っています。

ところで、節全体を見渡してみると、もう少し整理できそうな気もします。初めのほうに、「基本構造」とあり、その一部に「ルール」について書かれていて、その次にまた「ルールの設定」と別の節があるのはややこしいですね。「基本構造」は、後の「条件」と重なるので、後の記述に吸収合併できるのではと思いました。また、「用具」は「可能条件」の中に入れていいでしょう。

今、ちょっと考えたところでは、

  • 「定義」(冒頭)
  • 「歴史」
  • 「ルール」(特にルールはないことを中心に、ドッジボールと比較しつつ……)
  • 「条件」――「参加者」「場所」「時間」「用具」
  • 「展開」――「開始」「終了」
  • 「事故」――「負傷」「器物損壊」
  • 「学際的考察」――「文化人類学から」「物理学から」「法律学から」etc.
  • 「参考資料」
  • 「関連項目」

とでもしてはどうかと思います。--Hamlet 2007年3月1日 (木) 13:39 (UTC)

節の分け方に手を入れました。上記とやや異なり、

  • 「定義」(冒頭)
  • 「歴史」
  • 「ルール」
  • 「遊戯の条件」――「時間の確保」「場所の確保」「参加者の確保」「遊具の確保」(「いつ・どこで・だれが・なにを」の順)
  • 「展開」――「開始」「終了」
  • 「事故」――「負傷」「器物損壊」
  • 「参考資料」
  • 「関連項目」

としました。「遊戯の条件」で「○○の確保」といちいち書くのはうるさかったかもしれません。ただ、「時間の確保」と、「展開」の節の「開始」「終了」とを区別したかったわけです。--Hamlet 2007年3月18日 (日) 15:41 (UTC)

過去ログ化

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テンプレートもはがれたことですし、冒頭から#編集の再開についてまでの部分を過去ログ化したいとおもいます。異論のあるかたは表明ください。--Hatukanezumi 2007年2月20日 (火) 10:04 (UTC)

実施しました。--Hatukanezumi 2007年2月25日 (日) 02:41 (UTC)

英語版では統合の動きがある

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英語版ではen:Pillow fighten:Makura-Nageの統合の動きがあるようです。MegMilk 2007年9月9日 (日) 02:41 (UTC)