ノート:柳川組
この記事は2005年10月7日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、削除となりました。 |
「本名:柳川魏志、梁元錫」と記述されていますが、「柳川組の戦闘」(飯干晃一著・角川文庫)のp.258には、「柳川次郎-本名梁元錫はいま、日韓友愛親善会を創設して名誉会長となっている」と書かれています。「柳川魏志」は主に柳川組解散後に使用した名前で、本名ではないと思いますが、如何でしょうか?この部分の出典の明示をお願いします。--竜造寺和英 2007年2月20日 (火) 01:25 (UTC)
- 出典の明示がありませんでしたので、「柳川魏志」を削除しました。何卒ご了解ください。--竜造寺和英 2007年3月17日 (土) 06:33 (UTC)
「力道山、大山倍達と兄弟分で、極真会館の相談役でもあった」と書かれてありますが、検証可能な出典の明示をお願いします。--竜造寺和英 2007年4月28日 (土) 23:50 (UTC)
- 検証可能な出典の明示がありませんでしたので、該当箇所を削除しました。ご了承ください。--竜造寺和英 2007年5月4日 (金) 03:12 (UTC)
「田中禄春(本名は韓禄春)」と書き換えましたが、検証可能な出典は、飯干晃一『柳川組の戦闘』角川書店<文庫>、1990年、ISBN 4-04-146425-0のP.147です。--竜造寺和英 2007年6月1日 (金) 17:28 (UTC)
「(北海道支部3代目支部長)」と書かれてありますが、検証可能な出典の明示をお願いします。--竜造寺和英 2007年6月1日 (金) 17:52 (UTC)
- 検証可能な出典が明示されなかったため、該当箇所を削除しました。また、「北海道誠友会会長」を「二代目北海道誠友会会長」と書き換えました。検証可能な出典は、山平重樹『北海道水滸伝』双葉社<文庫>、1999年、ISBN 4-575-50698-2のP.339です。
山平重樹『北海道水滸伝』双葉社<文庫>、1999年、ISBN 4-575-50698-2のP.267~P.306を出典に加筆修正しました。ご了承ください。--竜造寺和英 2007年6月4日 (月) 09:25 (UTC)
61.78.183.100さんへ。Wikipedia:検証可能性には、「記事に新しい内容を加筆するときは、信頼できる情報源―出典―を明らかにすべきです。出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません」と書かれてあります。記事を加筆修正する際には検証可能な出典の明示をしてください。また、検証可能な出典が明示されている記述を書き換えることは、 Wikipediaのルールでは認められていません。このルールに従って、記述を加筆修正しています。ご了承ください。--竜造寺和英 2007年6月4日 (月) 13:00 (UTC)
山平重樹『北海道水滸伝』双葉社<文庫>、1999年、ISBN 4-575-50698-2のP.306~P.314を出典に加筆修正しました。ご了承ください。--竜造寺和英 2007年6月6日 (水) 08:22 (UTC)
山平重樹『北海道水滸伝』双葉社<文庫>、1999年、ISBN 4-575-50698-2のP.314~P.324を出典に加筆修正しました。ご了承ください。--竜造寺和英 2007年6月6日 (水) 21:42 (UTC)
明友会事件については、飯干晃一『柳川組の戦闘』角川書店<文庫>、1990年、ISBN 4-04-146425-0を出典として加筆修正しました。ご了承ください。--竜造寺和英 2007年6月9日 (土) 13:14 (UTC)
「昭和38年(1963年)3月、警察庁は、神戸・山口組、神戸・本多会、大阪・柳川組、熱海・錦成会、東京・松葉会の5団体をを広域暴力団と指定し、25都道府県に実態の把握を命じた」、「昭和39年(1964年)1月、「暴力取締対策要綱」が作られた」、「同年3月26日、警察庁は改めて広域10大暴力団を指定した。10大暴力団は、神戸・山口組、神戸・本多会、大阪・柳川組、熱海・錦成会、東京・松葉会、東京・住吉会、東京・日本国粋会、東京・東声会、川崎・日本義人党、東京・北星会だった」と加筆しましたが、検証可能な出典は、飯干晃一『柳川組の戦闘』角川書店<文庫>、1990年、ISBN 4-04-146425-0のP.221~P.222です。--竜造寺和英 2007年6月10日 (日) 08:40 (UTC)
明友会事件を加筆修正しました。検証可能な出典は、飯干晃一『柳川組の戦闘』角川書店<文庫>、1990年、ISBN 4-04-146425-0のP.156~P.162です。ご了承ください。--竜造寺和英 2007年6月12日 (火) 02:59 (UTC)
各組の歴史について
[編集]暴力団ミニ講座19)上納金には、「暴力団社会は富も権力もすべて親分に集中する仕組となっており」と書かれています。暴力団は階層的な社会であり、トップである当代は、配下の組員の生死の権限までも握っています。従って、実質的に暴力団は、そのときの当代の私物です。こう考えると、暴力団の歴史と、そのときの当代の来歴は、完全に一致していなければいけません。もしも暴力団と関係のない記事ならば、当然当代の関知しないことであり、当代の来歴にも登場しないはずです。また、当代と関係のない記事ならば、当代が関与したことではないために、暴力団にも登場しないはずです。それで、暴力団の歴史と当代の来歴にリンクさせ、「暴力団の歴史」の記事では、当代の記事へのリンクを表示するのみにするのは如何でしょうか?もちろん、当代の記事がない部分は、当代の記事が出来上がるまで、そのままにしておくしかないのですが。--竜造寺和英 2008年2月26日 (火) 09:28 (UTC)
「各組の歴史について」の提案に異議がある人は、まずはここで議論してください
[編集]まずは、提案に対して議論してください。議論をせずに、編集することで反対の意思表明することは止めてください。まずは、議論に参加してください。--獅子の鬣 2008年7月26日 (土) 09:56 (UTC)