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ノート:機銃掃射

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非戦闘員への機銃掃射について

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この節はおかしいです。機銃掃射を行なうと、民間人への攻撃になるとの論旨になっています。「非戦闘員に対して無差別に機銃掃射を行うことになり」とは何のことでしょうか。「動くものは手当たり次第に撃つこと」=「民間人への攻撃」ではありません。それに例として出ている鉄道への攻撃事例は不適の部分があります。鉄道は完全に軍事施設であり、普墺戦争の昔から軍隊・軍事物資移動の根幹となっているものです。それへの攻撃は民間施設への攻撃ではなく、軍事施設への攻撃となりミスリードを誘うものです。--Los688 2010年11月12日 (金) 15:57 (UTC)[返信]

  • あーすみません。そういう論理的なお話をしてるつもりはなかったんですよ。いずれにせよ引用元不明なので結論として削除で構わないと思います。ところで内部リンクは「機銃掃射」による日本国内での被害例ですので復帰させていただきますね。--大和屋敷 2010年11月12日 (金) 17:51 (UTC)[返信]

「実例」への個人の機銃掃射体験について

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「実例」節で有名人が機銃掃射を受けた体験が列挙されていますが、これは必要でしょうか? 私には彼らの体験内容が機銃掃射というものの代表的な実例とは思えず、またトリビア的であるため彼らの記事への転記もふさわしくないため、除去すべきと考えます。

上記の点についてご意見をいただきたく思います。 異論がなければ、1週間後のi月13日に除去いたします。--ひとむら会話2014年1月6日 (月) 06:34 (UTC)[返信]

下記の通り異論が複数寄せられ、除去について意見が割れているため、13日と予告しておりました体験談の除去を中止し、合意形成のために多くの方の意見を求めることを目的としたコメント依頼をいたします。--ひとむら会話2014年1月13日 (月) 07:59 (UTC)[返信]
  • 無名の方の単なる証言集ではなく著名性・特筆性のある方の体験談ですので最低限の検証可能性は満たしており「あって悪くないもの」という印象があります。すくなくとも「その著名な人物がそのように証言している」。ただし高度な信頼性については検証のない種類(あくまで証言)ですので歴史学の観点ではあくまで伝聞の域にとどまるものには違いありませんが。--大和屋敷会話2014年1月6日 (月) 14:14 (UTC)[返信]
    • 自分も挙げられた著名人物がそのような体験談を語っていること自体やその発言の有無の検証可能性について問題にしているわけではありません。自分が問題にしているのは「『その著名な人物がそのように証言している』」というだけで機銃掃射を受けたという「高度な信頼性については検証のない種類(あくまで証言)」の個人的な体験談をつらつらと並べることに、機銃掃射を説明するうえでどのような意味があるのか、と言う点です。
      軍事の専門家がその経験をもとに特筆性のある軍事的な著作やドクトリンなどを生み出したというのなら実例に挙げるのに問題はないと思います。しかし、実際に並んでいるものは単に幼いころそのような経験をしたというだけのもので、戦争の残虐性を語り継ぐうえで貴重な証言かもしれませんがそのようなことはウィキペディアの目的に合致しないように思います。この記述を残すならばせいぜい幼少期のその体験が人格形成やその後の進路を決定づけたと(適切な出典とともに)当該人物の記事に記述されるべきで、それすら適切な出典が提示できなければ雑多な記述として除去される類のものであると考えます。--ひとむら会話2014年1月6日 (月) 19:31 (UTC)[返信]
「機銃掃射」の記事に、実際の戦争で機銃掃射がどのように使われていたかという記述があって当然です。第二次世界大戦中に米軍機が日本人の子供を機銃掃射で狙い撃ちしていた事は、非常によく聞く話です。私も親戚から直接聞いた事があるし、新聞、雑誌等に掲載された戦争中の話の中でも頻繁に目にします。目の前で一緒にいた家族や友達を機銃掃射で殺されたという話もよく聞きます。決して特殊な事例ではなく、日本全国各地で無数に行われていた事でしょう。「機銃掃射」という言葉を聞いて、まずこの事を思い浮かべる人も多いでしょう。個人の経験談だけではなく、専門的な研究や統計資料などがあれば、ぜひ加筆して頂きたいです。これらの記述を除去してしまうと、読者がこの事に関する情報を得られなくなってしまいます。除去する事が「機銃掃射」の記事にプラスになるとは思えません。--211.14.207.231 2014年1月12日 (日) 19:22 (UTC)[返信]
私も百科事典の機銃掃射の記事に「実際の戦争で機銃掃射がどのように使われていたかという記述があって当然」であり「専門的な研究や統計資料などがあれば、ぜひ加筆して頂きたい」と思っております。しかし、個人の経験談を並べるという事には百科事典の記事として問題があると思っております。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは独自の考えを発表する場ではありませんの中に「ウィキペディアは……(中略)……だれかの個人的見解を人類の知識の一部へ昇華させるための手段ではありません。ある個人の意見が議論に値するほど重要であるといった特異な状況であっても、ほかの誰かにそれについて書いてもらうほうが良いでしょう」とあります。左記の文章は執筆者自身の意見・体験を記述する行為についての説明でありますが、個人的な体験談そのものを記述する行為についてにもあてはまると私は考えます。また、「非常によく聞く話」「親戚から直接聞いた事がある」「の話の中でも頻繁に目にします」「という話もよく聞きます」という類の供述は一次資料に分類されるもので、適切な二次資料がなければそれらは問題となるものです(Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料)。私が問題としているのは、そのような二次資料がなくただ体験談が綴られているという点なのです。
なお、私は機銃掃射を受けた側の体験を語り継ぎ戦争の悲惨な面を伝えるという行為を非常に有意義なものであると思いますし、そのような貴重な体験に関する情報を得られない事態は問題であるとも思います。しかし、悲惨さをダイレクトに語り継ぐ行為は百科事典がなすことの範疇を超えており、またWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは演説台ではありませんで行ってはならないと明言されています。冷たい言い方になってしまいますが、「読者がこの事に関する情報を得られなくなってしまいます」という指摘に対しては、どうか他のサイト/媒体で伝えてください、そのようなサイトや媒体がないならご自身で制作なさってください、としかウィキペディアからは答えられないのです(個人的には歯がゆくは思いますが)。--ひとむら会話2014年1月13日 (月) 07:59 (UTC)[返信]
  • コメント コメント依頼より参りました。除去には反対します(改善の余地はありそうですが)。私は機銃掃射と聞くと真っ先にガラスのうさぎを思い出しますが、このように日本での民間人の被害は甚大なものがあるのは事実です。しかし、本来の機銃掃射の目的は対人(兵士)も含めた軍事行為のはずであり、これらは全て例外です。よって、対人の中で民間人として扱うのでなく、軍事目的と例外(民間人残虐)を大きくわけて記載しても良いくらいだと思います。あるいはアメリカ軍の戦争犯罪に書いて、1行See AlsoやMainとしても良いですね。なお、例外の方が多くなるのは別に珍しい事ではありません(大多数の人が確定申告をしませんが、それは本来「例外」なのですよ)。--JapaneseA会話2014年1月13日 (月) 23:44 (UTC)[返信]
  • 私は個人の列挙は除去したほうがよいと考えます。この項目に記すべきは、「あの有名人も」ではなく、民間人がほとんど日常的に攻撃目標になった事でしょう。その意味では有名人の列挙という形で紹介する必要はありません。当座は民間人攻撃に関する出典として、注に放り込むのが適切ではないかと思います。
他方で、個々人の項目に記すことは、その後の影響がなくとも良いことだと思っています。殺されかけるのは、ただそれだけで人生の一大事件です。本人の業績に関係しなくても、何年何月何日に生まれ、何歳で結婚したかは記すでしょう。それと同じレベルではないでしょうか。--Kinori会話2014年1月16日 (木) 13:14 (UTC)[返信]
  • 賛成 コメント依頼より来ました。現状では機銃掃射を受けた人の感想に過ぎない(「乗務員が笑っているのが見えた」などは機銃掃射の説明としては不要と考えます)ので、各人の記事に移した後に除去が適切だと思います。また、除去しない代案として「小説家の開高健や指揮者の小澤征爾は、太平洋戦争中に機銃掃射を受けた経験があり、パイロットの顔が見えるほどの低空飛行から襲われたと語っている」という形で、箇条書きでは無く本文中(#航空機による機銃掃射の「人間」あたりに)に組み込んではいかがでしょう。--TT mk2会話2014年1月26日 (日) 17:00 (UTC)[返信]