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ノート:正宗

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修正依頼

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本ページについては、白紙改訂に近い大幅な修正が必要と思われます。加筆された方(方々?)の刀工正宗への思い入れはわかりますが、「百科事典の解説」から逸脱してエッセーになってしまっています。これでは日本刀や正宗のことに詳しくない一般利用者の調べものの役には立ちそうもありませんし、記述内容の正確性にも疑問があります。たしかに正宗は半ば伝説化され、現存作品も大部分が無銘で、実態の見極めにくい刀工であり、学問的客観的に記述することが難しい題材ではあると思います。だからこそ、執筆には一層の慎重さが求められるのではないでしょうか。一生懸命加筆してくださった方(方々?)には申しわけありませんが、ここに書くべきことは「百科事典の解説」であって、愛刀家の正宗への思い入れや独自の正宗観を書く場ではありません。 特に疑問に思われるのは「正真作」のセクションです。ここには短刀5口と刀2口が列挙され、「以上の短刀5口大刀2口は地鐵の變化、地刄の働き等の検証から一致しており、正宗の作であることが十二分に首肯できるものである」との解説がありますが、これではこれら7口だけが正宗の正真作で、それ以外は疑問作であるように読み取れます。以前の版には太郎作正宗、観世正宗、城和泉正宗、中務正宗などの著名作が列挙されていたのですが、2006年11月5日の編集でこれら全てが何の説明もなく除去されています。本阿弥家の鑑定がすべて正しいとか、国宝指定品が無条件ですばらしいなどと言うつもりはありません。しかし、国宝指定の長物(刀)4口すべてを何の説明もなく除去するのは行き過ぎではないでしょうか。また、正真作とされている7口のうち3口は国宝、2口は皇室御物であって、一般の愛刀家が手に取って鑑賞する機会はまずないはずです(ガラスケース越しの鑑賞では正真作か否かの鑑識は無理です)。 その他にも以下のような問題点があります。

  • 刀剣専門用語が解説抜きで多用され、一般の人には意味がわからない部分がある。
  • 「神技と言っても過言ではない」等の百科事典にそぐわない物言いがある。
  • 現代日本語の一般的な表記で書かれていた文章をわざわざ旧字(正字)まじりにしている。
  • 正宗は生没年さえ不詳、人物像や経歴についてはほとんど不明の人物であるにもかかわらず、「最低でも従5位の官位は賜っていたであろう」「刀鍛冶ではなく文化人であったことは確かであり」「真言宗大行寺の檀家であったことから空海の思想を深く理解していたと想われ」等の予断をもった記述がされています。
  • 相弟子の行光が「相州宗匠禁裏御番鍛冶」に任じられたというのは講談か芝居に出てくる話ではないでしょうか。
  • 「世界遺産登録基準の第1項(人類の創造的才能を表現する傑作 )を十分に満たしている」とありますが、実際の世界遺産登録物件を見ると、特定の美術家やその作品を登録したものはほとんどなく、この件は書く必要がないでしょう。
  • 正宗の銘について「「狂草」と呼ばれる前衛的な書體をしており、書道家も唸らせるほどの達筆である」とありますが、正宗の銘ぶりはごく尋常なものであり、「狂草」は当たらないでしょう。
  • 「武器に銘を切るのは朝廷の延喜式の掟であるから(正宗の無銘大磨上の刀も)元来は在銘であったものであろう」とありますが、元来在銘であったか無銘であったかは不明であり、予断をもって記述すべきでないと思います。
  • 「正宗の真髄は「沸の妙味」といわれてきたが、短刀に限っては改めなければならない。単なる沸出来は新刀以降の最上作でも出来る技であって・・・」とあります(「短刀に限っては」というフレーズは2006年10月28日の編集で挿入されたもの)が、なぜ「改めなければならない」のかわかりません。「沸の妙味」ということは、すなわち、「単なる沸出来ではない」ということではないでしょうか。
  • 「(正宗の短刀は)これまで学会(ママ)では無反りとされていたが、習作期を除く4口の短刀を仔細にみると「反り心」が有ることが判明している」とありますが、学界云々にかかわりなく、日向正宗や九鬼正宗の短刀は「反りごころがある」どころか、むしろ内反りです。(刀剣用語で言う「反り」とは外反りのことであるのはご存じと思います。)Urania 2007年1月8日 (月) 13:03 (UTC)[返信]
ノートページはおろか、要約欄にさえ一言のコメントもなく、「修正」「正確性」テンプレートがはがされていましたので、貼り直しました。アカウントをお持ちでない匿名ユーザーさんによって多くの編集がなされており、毎回のようにIPが異なっているため、一連の編集をされているのが一人の方なのか複数の方なのかさえ定かでなく、どなたに議論を持ちかければよいのかわかりません。そして、ノートページはおろか、要約欄にさえ一言のコメントもないので、議論の糸口さえありません。「修正」「正確性」テンプレートをはがされた方は、2006年11月5日の編集をされた方(短刀5口と刀2口のみが「正真作」と書かれた方)と同じ方でしょうか。「修正」「正確性」テンプレートをはがす前に、このノートページに何らかのコメントをお願いします。Urania 2007年1月10日 (水) 16:06 (UTC)[返信]

すくなくともこの時点よりはましなんじゃないっすか どうなんすかね 旧字体なんて修正すれば済むだろうし なんかこっちの方がエッセーぽいすよ >“刀剣のブランド化と贋作の流通 化”かだの“ムーブメント”だのドシロウトからしても変 だいいち日本刀に外来語は似合わないっしょ グッチやビトンじゃあるまいし ようは“ポジティブな表現”か“ネガティブな表現”かじゃないですかね やっぱ日本刀はむかしじじぃぽい表現のほうがいいんじゃないっすか ドシロウトなんであしからず( 2007年1月11日 (木) 12:19 200.41.39.123さんの発言)  

2006年2月26日 (日) 00:45の版 [1]

こんにちは。すぐりです。ここにあった以前の版は、過去版へのリンクで事足りるので、消させてくださいね。(でないと議論する場がないので)
正宗自身と関係のないところと、主観的なところをばっさり削ってみました。(正真作の部分は、今回さわってないです。)削りすぎた部分があれば戻していただけると幸い。「五か伝」の説明など、コメントアウトした部分の一部は日本刀に移動した方がいいかなと思うのですがいかがでしょうか?
200.41.39.123さん。カタカナに違和感を覚えるのは確かですが、ウィキペディアとしては、ど素人にもわかる言い方をして欲しいなと思います。うまく中庸な部分を探しませんか?--すぐり 2007年1月13日 (土) 05:55 (UTC)[返信]

>修正依頼 >本ページについては、白紙改訂に近い大幅な修正が必要と思われます。加筆された方(方々?)の刀工正宗への思い入れはわかりますが、「百科事典の解説」から逸脱してエッセーになってしまっています。

この記述がエッセーなどというのならもっといい文を書きなさい!!

>これでは日本刀や正宗のことに詳しくない一般利用者の調べものの役には立ちそうもありませんし、記述内容の正確性に>も疑問があります。

読みずらければ修正をすれば済むこと。

>たしかに正宗は半ば伝説化され、現存作品も大部分が無銘で、実態の見極めにくい刀工であり、学問的客観的に記述することが難しい題材ではあると思います。だからこそ、執筆には一層の慎重さが求められるのではないでしょうか。一生懸>命加筆してくださった方(方々?)には申しわけありませんが、ここに書くべきことは「百科事典の解説」であって、愛 刀家の正宗への思い入れや独自の正宗観を書く場ではありません。

古伝書「古刀銘尽大全」に康永2年に没と書かれている。独自の正宗観ではない。 

>特に疑問に思われるのは「正真作」のセクションです。ここには短刀5口と刀2口が列挙され、「以上の短刀5口大刀2口は地鐵の變化、地刄の働き等の検証から一致しており、正宗の作であることが十二分に首肯できるものである」との解説がありますが、これではこれら7口だけが正宗の正真作で、それ以外は疑問作であるように読み取れます。

正真であっても焼身の作(大阪城、江戸城などが火災の為、焼身)を入れるのは如何なものか。

>以前の版には太郎作正宗、観世正宗、城和泉正宗、中務正宗などの著名作が列挙されていたのですが、2006年11月5日の編集でこれら全てが何の説明もなく除去されています。本阿弥家の鑑定がすべて正しいとか、国宝指定品が無条件ですば>らしいなどと言うつもりはありません。しかし、国宝指定の長物(刀)4口すべてを何の説明もなく除去するのは行き過>ぎではないでしょうか。また、正真作とされている7口のうち3口は国宝、2口は皇室御物であって、一般の愛刀家が手に>取って鑑賞する機会はまずないはずです(ガラスケース越しの鑑賞では正真作か否かの鑑識は無理です)。 その他にも>以下のような問題点があります。

ガラス越しでも地鉄の良し悪しは十分分かる。観世正宗は特に沸出来であることがはっきりと分かる。

>国宝指定品が無条件ですばらしいなどと言うつもりはありません。

学問とは真理を追究し、芸術とは美を追求することではないのか。

>一般の愛刀家が手に取って鑑賞する機会はまずないはずです(ガラスケース越しの鑑賞では正真作か否かの鑑識は無理です)。

同じことを繰り返している。九鬼はと日向はガラス越しでも十分判る。オペラグラスを使えばよいではないか。正宗の最も特徴とする地刃の働きがまったく無いのはどう説明する?ただ地鉄がいいなどではすまされない。

>刀剣専門用語が解説抜きで多用され、一般の人には意味がわからない部分がある。

解説が必要なところがあれば追記をすれば済むこと。

>「神技と言っても過言ではない」等の百科事典にそぐわない物言いがある。

「神業」「神技」では意味が違う。「神技」といいきってはいない。

>現代日本語の一般的な表記で書かれていた文章をわざわざ旧字(正字)まじりにしている。

現代語に変えれば済むこと。

>正宗は生没年さえ不詳、人物像や経歴についてはほとんど不明の人物であるにもかかわらず、「最低でも従5位の官位は>賜っていたであろう」「刀鍛冶ではなく文化人であったことは確かであり」「真言宗大行寺の檀家であったことから空海の思想を深く理解していたと想われ」等の予断をもった記述がされています。

予断ではない。正宗は単なる刀工ではないことを説明する上で重要な文言。「古刀銘尽大全」に康永2年に没と書かれている。よく読んで頂きたい。

>相弟子の行光が「相州宗匠禁裏御番鍛冶」に任じられたというのは講談か芝居に出てくる話ではないでしょうか。

これについては削除に同意する。

>「世界遺産登録基準の第1項(人類の創造的才能を表現する傑作 )を十分に満たしている」とありますが、実際の世界>遺産登録物件を見ると、特定の美術家やその作品を登録したものはほとんどなく、この件は書く必要がないでしょう。

「ほとんどなく」?ここでは「十分に満たしている」と書かれている。なにも推薦せよなどと書かれていない。読まれる側の解釈。建物以上に精神性があるのは確かであろう。

>正宗の銘について「「狂草」と呼ばれる前衛的な書體をしており、書道家も唸らせるほどの達筆である」とありますが、>正宗の銘ぶりはごく尋常なものであり、「狂草」は当たらないでしょう。

いや、あれは「狂草」である。皇室の京極は有名であるから図書館などで容易に調べることは可能。但し、貴方は某NPO法人の機関紙に掲載された鏨違(一箇所)の在銘正宗のことをいっておられるのでは?あれは確かに狂草ではないが鏨が打ち間違っており、書体があまりにも整いすぎている。如何なものか。 

>「武器に銘を切るのは朝廷の延喜式の掟であるから(正宗の無銘大磨上の刀も)元来は在銘であったものであろう」とあ>りますが、元来在銘であったか無銘であったかは不明であり、予断をもって記述すべきでないと思います。

あの時代は武家政権とはいえ、まだ朝廷の影響力が有る時代であるから「延喜式の掟」は守られていた。貴方は徳川時代と混同しているのではないのか。

>「正宗の真髄は「沸の妙味」といわれてきたが、短刀に限っては改めなければならない。単なる沸出来は新刀以降の最上>作でも出来る技であって・・・」とあります(「短刀に限っては」というフレーズは2006年10月28日の編集で挿入され>たもの)が、なぜ「改めなければならない」のかわかりません。「沸の妙味」ということは、すなわち、「単なる沸出来>ではない」ということではないでしょうか。

貴方は「沸の妙味」が金筋=稲妻=地景を含んでいると?国宝指定の大刀のなかには金筋=稲妻=地景が無いものもある。日本刀は大きくなればなるほど地刃の働きが乏しくなる特質がある。

>「(正宗の短刀は)これまで学会(ママ)では無反りとされていたが、習作期を除く4口の短刀を仔細にみると「反り心」が有ることが判明している」とありますが、学界云々にかかわりなく、日向正宗や九鬼正宗の短刀は「反りごころがある」どころか、むしろ内反りです。(刀剣用語で言う「反り」とは外反りのことであるのはご存じと思います。) Urania 2007年1月8日 (月) 13:03 (UTC) ノートページはおろか、要約欄にさえ一言のコメントもなく、「修正」 「正確性」テンプレートがはがされていましたので、貼り直しました。アカウントをお持ちでない匿名ユーザーさんによって多くの編集がなされており、毎回のようにIPが異なっているため、一連の編集をされているのが一人の方なのか複数の方なのかさえ定かでなく、どなたに議論を持ちかければよいのかわかりません。そして、ノートページはおろか、要約欄にさえ一言のコメントもないので、議論の糸口さえありません。「修正」「正確性」テンプレートをはがされた方 は、2006年11月5日の編集をされた方(短刀5口と刀2口のみが「正真作」と書かれた方)と同じ方でしょうか。「修正」「正確性」テンプレートをはがす前に、このノートページに何らかのコメントをお願いします。

相州上工ともなれば古備前以上の鑑識を必要とすることぐらいは貴方は知っている筈。この分野は一般論で説明するのは不可能であることも知っている筈。貴方はなぜ重箱の隅を突つつくようなことをするのか。日本の輝かしい工芸品いや芸術品といってもいいだろう正宗をなぜ否定的になさるのか。現在、某有名オークションサイトなどで詐欺まがいが横行している。そうした被害者を増やさない為にもこういった真実(正宗とはいかなるものか)を知らせる必要があるのではないのか。

以上の理由からテンプレを撤廃して頂きたい。

匿名ユーザーさん、こんばんは。Uraniaでございます。申しわけないんですけど、このところ実生活の方が忙しくて平日に長い文章を書く暇がありません。今週か来週の週末にはきちんとお返事したいと思いますのでちょっと待っていただいていいですか。それから、参考までお伺いしたいんですけど、「ドシロウトなんであしからず」と書いている200.41.39.123さんと、上の長い返事を書いてくださった方とは同じ人ですか、別の人ですか?本文の編集もノートへの書き込みも毎回のようにIPが変わるので、どこまでが同じ方の投稿であり、私はどなたと話しているのかわからないんですが。Urania 2007年1月17日 (水) 17:55 (UTC)[返信]

匿名ユーザーさんへ

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修正依頼を出したUraniaです。どうも返信が遅れてすみません。さて、匿名ユーザーさんの主張には理解できる部分もありますが、明らかに違っている部分もあり、それ以前にウィキペディアの基本方針を理解されないまま執筆を進めているようにお見受けしました。その辺のことをご指摘しようとすると、どのように書いてもキツイ言い回しになってしまい、あれこれ書き直しているうちに時間が経ってしまいました。さて、「正宗」の記事の履歴を見ると、2006年9月から11月にかけて匿名ユーザーさんによって大幅な編集がされています。別に匿名が駄目だということはないのですが、問題は、毎回のように異なるIPアドレスから投稿されているので、果たして複数の人が投稿しているのか、また、どこからどこまでがお一人の方の投稿なのかわからないことです。しかし、上の長いお返事を拝見すると、一連の編集はどうやらすべてお一人の方によるもののように思われますので、以下そういう前提で話を進めます。

さて、匿名ユーザーさんには、当方のぶしつけな問題提起に対し返信をくださったことについて、まずは感謝申し上げます。私のような者が横から出てきて、「修正依頼」だの「正確性」だのというテンプレを貼ったあげく、何だかんだと批判的な意見を書きましたので、さぞかしご不快に感じられたことと拝察します。貴方様のご主張について全く理解できないわけではありません。しかし、ウィキペディアは「百科事典」である、という根本的な部分で認識のずれがあるようです。ここは個人のご高説を開陳する場ではありません。「百科事典」としての基本方針というものがあるわけで、その点の共通理解から出発しませんと、話はどこまで行っても平行線で、一向に前に進みません。ウィキペディアでは「中立的な観点」「検証可能性」「独自研究は載せない」ということが3大基本方針になっています。それぞれの方針がどういうものであるか、詳しいことはWikipedia:基本方針とガイドラインWikipedia:検証可能性Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:独自の調査等をご覧になってください。これらの基本方針に賛同されないのであれば、投稿を控えていただくほかありません。

>「この記述がエッセーなどというのならもっといい文を書きなさい!!」「読みずらければ修正をすれば済むこと」「解説が必要なところがあれば追記をすれば済むこと」「(旧漢字は)現代語に変えれば済むこと」

  • おっしゃることはわかります。「もっといい文を書けばいい」というのは、基本的には全くそのとおりですが、人様の書いた文章をいきなり消去する前に、まずはノートページに自分の意見を提起し、執筆された方のご意見や他の第三者の方のご意見を聞いてから慎重にしようと考えたわけです。また「修正依頼」に出すことによってこの記事が注目を集め、他のユーザーさんからの第三者的なコメントをいただけることを期待したわけです。「修正依頼」に出した効果はあり、「すぐり」さんという第三者のユーザーさんが編集に参加してくださっています。

>「ガラス越しでも地鉄の良し悪しは十分分かる」「オペラグラスを使えばよいではないか」

  • 私はガラス越しで「十分わかる」はずがないと思いますし、「美術品の真贋を見極める」ことのむずかしさ、怖さを知っている人なら決してそのような発言はしないと思います。ガラス越しでは全く鑑賞ができないと言っているのではありません。ガラス越しでは「精査」はできないはずだ、と言っているのです。簡単に見破れるようなお粗末なニセモノならばガラス越しでもわかるでしょう。しかし仮にも国宝に指定され、専門家が正しいと認めている「日向正宗」や「九鬼正宗」をガラス越しの鑑賞だけで否定するのは無茶だと思います。刀剣に限ったことではなく、たとえば絵画でも微妙な筆使いや絵具の質、画面のコンディションなどはガラス越しでは精査できません。貴方様はあくまでも「いや、九鬼と日向はガラス越しでもわかる」とおっしゃるかもしれませんが、「地刃の働きがまったく無いのはどう説明する?」と私に詰め寄られても困ります。言えることは、これらの短刀はこれまで多くの専門家によって真作と認められ、「地刃の働きがまったく無い」などと解説している文献資料を見たことがないということです。仮にですが、これらの短刀を疑問作だとする研究者が存在するのならば「これらの短刀を疑問視する説も一部にある」のような一文を付け加えることはできますが、その場合も両論併記とし、対立する見解の双方について公平に記述しなければなりません。そういうのがウィキペディアの方針であり、何度も言うように、こうした方針にご賛同されないのであれば、執筆はお控えください。専門家の鑑定は間違いであり、あくまで貴方様の鑑定が正しいと主張されるのであれば、まずはご自身のブログか何かに発表していただくのがよろしいと思います。

>「古伝書『古刀銘尽大全』に康永2年に没と書かれている。独自の正宗観ではない」「予断ではない。『古刀銘尽大全』に康永2年に没と書かれている。よく読んで頂きたい」

  • 正宗の正確な生没年は不明です。これは私が勝手にそう言っているのではありません。お近くの図書館で百科事典や人名事典を調べてみてください。どの事典を見ても正宗の生没年は「未詳」となっているはずです。正宗の伝記は江戸時代に形成されたものであり、江戸時代も後期に成立した『古刀銘尽大全』などは伝記資料として信ぴょう性の薄いものです。私は「正宗の生没年は未詳である」と言っているだけで、正宗が架空の人物だといっているわけではなく、正宗の芸術性の高さを否定しているわけでもありません。この点を混同されないようにお願いします。正宗が真言宗寺院の檀家であったことをもって「空海の思想」や「曼荼羅」に安易に結び付けるような記述を「独自の正宗観」だと私は言っているわけで、そのことと『古刀銘尽大全』に書かれている没年とは関係ありません。

>「正真であっても焼身の作(大阪城、江戸城などが火災の為、焼身)を入れるのは如何なものか」

  • 私が申し上げているのは、「正真作」を特定の「短刀5口、刀2口」に限り、それ以外は疑問作であると受け取れるような記載は問題ではないかということであって、焼身の作のこととは関係ありません。

>学問とは真理を追究し、芸術とは美を追求することではないのか。

  • 上記コメントの趣旨には全くもって賛成です。しかしながら、上記コメントは私の「国宝指定品が無条件ですばらしいなどと言うつもりはありません」という発言に対するコメントにはなっていないと思います。

>「いや、あれは「狂草」である。皇室の京極は有名であるから図書館などで容易に調べることは可能。但し、貴方は某NPO法人の機関紙に掲載された鏨違(一箇所)の在銘正宗のことをいっておられるのでは?(後略)」 

  • 「いや、あれは「狂草」である」では反論になっていません。大黒正宗、不動正宗などの図版は容易に参照可能なのでよく見ていただきたいと思いますが、特に「宗」の字などは楷書体といってよいくらいの尋常な字体です。「某NPO法人の機関紙に掲載された鏨違の在銘正宗」とはどれのことを言っているのかわかりませんが、一箇所鏨違があるからといって偽物とは即断できません。本間順治氏は、「京極」「大黒」「不動」以外に5口の在銘短刀(再刃のもの含む)を正真と認めていますが、その中には逆鏨のものもあります。

>「あの時代は武家政権とはいえ、まだ朝廷の影響力が有る時代であるから「延喜式の掟」は守られていた。貴方は徳川時代と混同しているのではないのか。」

  • 「延喜式の掟は守られていた」というのは、正宗の刀(元来は長寸の太刀)は元来在銘であったという意味だと思いますが、そのように断定する学問的根拠は何でしょうか。古刀期には生ぶ茎で無銘の太刀も現に存在します。また、古伝書にも「正宗などの相州鍛冶は銘を打つことがまれである」とあります。歴史研究は、さまざまな資料を参照して多角的に検討しなければいけません。正宗の作刀に無銘のものが多いのはなぜかということについては現在でも結論が出ておらず、さまざまな説があります。最近も佐野美術館の渡辺妙子氏が新たな見解を発表されています。

>貴方は「沸の妙味」が金筋=稲妻=地景を含んでいると?国宝指定の大刀のなかには金筋=稲妻=地景が無いものもある。日本刀は大きくなればなるほど地刃の働きが乏しくなる特質がある。

  • そういうことを申し上げているのではなくて、「正宗の特質は沸の美にある」ということは大抵の刀剣書に書いてあるし、「沸の妙味」ということをことさらに否定しなくてもいいのではないですか、ということです。

>相州上工ともなれば古備前以上の鑑識を必要とすることぐらいは貴方は知っている筈。この分野は一般論で説明するのは不可能であることも知っている筈。貴方はなぜ重箱の隅を突つつくようなことをするのか。日本の輝かしい工芸品いや芸術品といってもいいだろう正宗をなぜ否定的になさるのか。(後略)

  • 上記のコメントだけを見ると、まるで私が正宗否定論者のようですが、そのようなことは全くありません。「(正宗の短刀は)これまで学会では無反りとされていたが、習作期を除く4口の短刀を仔細にみると「反り心」が有ることが判明している」という記述について、それは少し違うのではないですか、と申し上げただけです。

長々と書かせていただきました。読んでご不快に感じられたかもしれませんし、反論もおありかもしれませんが、このページでの議論はこのへんにしませんか。ここでいかに反論されても、結局は冒頭に述べたウィキペディアの基本方針と相容れないものは載せられないので、水掛け論になるだけだと思います。貴方様が刀剣学界の従来の定説をくつがえすような新説をお持ちなのであれば、まずはご自身のサイトなりで発表されてはいかがでしょうか。それが本当に正しい説であれば、いずれ賛同者が出てくるでしょう。私としては、「正真作」という小見出しを「代表作」に変え、国宝の9口は全てリストアップし、その上で「修正依頼」「正確性」テンプレをはずそうと思います。Urania 2007年1月25日 (木) 13:42 (UTC)[返信]

典拠について

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「~と言われている」についても典拠を徐々に入れます。 できれば、Web事典ですので、原文は国会図書館の貴重書画像データベースや近代デジタルライブラリーから、書誌所蔵情報はWebcatから入れ、論文はその典拠も入れましょう--信國伯堂 2008年3月4日 (火) 18:14 (UTC) 出自について『銘尽』、『竹屋理庵本』の典拠を入れました。--信國伯堂 2008年4月19日 (土) 18:20 (UTC) 典拠の「銘尽」の進藤文四郎は字形から又四郎が正しいと思われるので修正します。(刀剣関係論文には両方示されてます)--信國伯堂 2008年6月10日 (火) 16:32 (UTC) 『古事類苑』が近代デジタルライブラリーに掲載されていました。産業部十二に「鍛工」があり、史料典拠となりますので、古事類苑のWikiに付けくわえますので、その典拠を示しましょう。--信國伯堂 2010年11月4日 (木) 07:46 (UTC)[返信]

「正宗抹殺論」という呼び方はPOVではないでしょうか?

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正宗抹殺論という呼び名が一般的なのは承知しています。

その一方で正宗抹殺論という名前は抹殺論を批判する側からの呼び名ではないか とも考えます。 私個人は抹殺論が起こった当時は生まれてもいなかったのでその空気などは知る由もないのですが やや今村に対して不公平な名前ではないかと考えています。

つまるところ、今村から派生していった正宗は実在しなかったという論を紹介していき、これは正宗抹殺論と呼ばれた、という流れなら 納得できるのですが 現在の記事のように正宗抹殺論を主語にした文章には抵抗があります。 --123.227.85.178 2008年3月14日 (金) 16:34 (UTC)[返信]

後醍醐天皇御番鍛冶伝説について

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質問 『類聚伝記大日本史 第6巻(六) 学芸篇』, p. 17(1936年)に、「[正宗は]後醍醐天皇の御番鍛冶となつたことも書物に見えてゐるが」とありますが、御番鍛冶説について、これより古い出処をご存知の方はいらっしゃいますでしょうか。さすがに事実とは思われませんが、江戸時代ぐらいにはこのような説を書いた古剣書があったような書きぶりです。これと関連する伝説だと思うのですが、魚津市公式観光サイト:郷義弘の、正宗が後醍醐にお守り刀を献上した時に、その作に見惚れて郷義弘が正宗に弟子入りしたという物語の出処も気になります。『越中史料 巻一』(1909年)に引かれた文献には書かれてないので、こっちの郷義弘のはそれ以降に発生した結構新しい伝承のような気もしますが…。--Senu会話2020年7月14日 (火) 14:21 (UTC)[返信]

これはどちらも講談『五郎正宗』のネタかと思います(1892年、神田伯竜[2] 左下に「御番鍛冶」)。成立時期は明治時代でせいぜい幕末まで遡れるかどうかというところです。ご提示された『類聚伝記~』の前ページで既に「背割正宗」の話が出ているのですが、いわゆる「背割正宗」は、幼い正宗が継母に虐待されているのにその継母をかばって瀕死の大怪我を負い、継母もそれを見て心を入れ替える、そんな孝子がひとかどの人物にならないわけはなく21歳の若さで帝の御番鍛冶に大成しました…と締め括られた話です。「孝子正宗」「正宗孝子伝」などとも呼ばれて戦前の修身の読み物になったりしているのですが、フィクションなのはお察しの通り。
講談では三つのエピソードが連結されていて一番目がこの背割正宗。二番目の話は備前長船の兼光が主役で、自分の作こそ帝のお守り刀に選ばれると思っていたら正宗の作が選ばれ御番鍛冶の栄誉もさらわれてしまって、頭に来て相模の正宗の屋敷まで乗り込みます。しかし正宗の仕事場で作業を見せてもらうと気迫と真剣さに圧倒され、思わず平伏して自らの奢りを告白、正宗の弟子にしてもらいました…という筋です。これは兼光が押しかけるのが標準的な話だと私は思っていたのですが、検索してみたら郷義弘になっているバージョンもあるのですね(これこれ)。魚津観光協会のサイトは「後醍醐天皇のお守り刀に献上された岡崎五郎正宗の仕事ぶり」と紛らわしい文ですが、兼光にせよ義弘にせよ、お守り刀を拝見したのではなく《仕事ぶり》を見学して弟子になっています。三番目の話はここでは関係ないので省きます。--小萩きりく会話2020年7月18日 (土) 03:50 (UTC)[返信]
多数の文献を示してくださってありがとうございました。技術者にも孝が求められるのは時節を感じて面白いです。桂定治郎の著(1932年)だと伏見天皇の代となっている辺り、1930年代ぐらいまではどの帝に仕えたか特に決まっていなくて、後醍醐天皇になったのは『類聚伝記大日本史』の独創なんでしょうか。優れた技術者は働きぶりも真剣であるというのは、身の引き締まる話ですね。小萩きりくさんのおかげで、この頃の正宗伝説の概略をつかめた気がします。労をとって色々と調べてくださったことや、また読みやすいリンクも貼って下さった気配りに感謝いたします。--Senu会話2020年7月18日 (土) 12:22 (UTC)[返信]