ノート:比較優位
この記事は2015年11月21日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、版指定削除となりました。 |
概念について
[編集]ハバードの比較優位の説明を記載しているだけである。経済学者の本をそのままの数値を引用して、書いているだけなので、 間違いではない。編集を削除する意図が不明である。 なお、マンキューの事例では、完全特化ではなく、部分特化の事例で説明されている。 今の教科書の最先端の記述は、「機会費用」に基づくものである。
- ここで「経済主体」という用語が用いられているが、これは修正すべぎであろう。「経済主体」は、通常、個人・家計・企業等を指すが、ここでは「経済主体」は国を指すと思われる。しかし、多くの読者には、「経済主体」をこのような意味で用いる習慣がないのではないだろうか。==HSR48(会話) 2015年6月29日 (月) 16:13 (UTC)
- この節の
機会費用とは、あるものを選んだ時に、放棄しなければいけない費用のこと。 比較優位は、機会費用を相手と比較することで、機会費用の低い方に特化すること。 比較優位は、自分の得意なものに特化することではない。
から
なお、上記の例や、リカードオリジナル表では、生産可能性フロンティアは直線になるが、実際には、企業や国レベルでは機会費用の違う(比の傾きの違う)主体の、無限の集まりなので、生産可能性フロンティアは曲線(扇形)になる。その場合、完全特化ではなく、部分特化となる。
までは記述が散漫で、導入部としてふさわしくない。この部分は、削除するか、すくなくとももっと簡潔にまとめる必要がある。TPP2015(会話) 2015年11月7日 (土) 11:48 (UTC)
- 注意点 について
なにが「注意点」なのかはっきりしない。長い注意であり、部分的に記入者の意見の表明になっている。早急な改善が必要である。以下、各条について問題点を指摘する。
- 労働者人口の移動
労働生産性の高い分野に特化することにより、労働生産性の低い分野から高いそれへと労働者人口の移動が起こる。
リカードは、国際的には労働力の移動が起こりにくいことを、外国貿易の場合に国内価値論が成立しない要因としたが、このような一般的議論を「注意点」で行なう必要があるか疑わしい。
- 利己心による
それぞれの利己心によるものである[4][5]。
アダム・スミスの『国富論』上下が引用されているが、比較優位と直接的な関係がない。
- 全体の利益と一部の犠牲
比較優位は、全体で利益は向上するが、一部で仕事をあきらめるなどの犠牲を払う必要がある理論である[6]。比較優位の考え方は、固定的に考えたり押しつければ強者の理論になるが、当事者が得意な分野を発見し、次の段階に発展していこうとすれば有効な理論にもなる二面性を持っている[7]。
ともに新井明・柳川範之・新井紀子・e-教室編 『経済の考え方がわかる本』 岩波書店〈岩波ジュニア新書〉を典拠とする注記であるが、議論の節にまわすべき争点であり、比較優位の概念に対する導入およびその注意点としてふさわしくない。
- 比較優位とは
比較優位とは、各経済主体が得意な分野を発展させようとすることで、交換の利益を介して互いに生活水準を向上できるようになることを示す理論である。
これは注意点ではなく、比較優位とはなにかを説明したものであるが、すでに総説でせつめいされてむいるか、されるべきものであろう。
- 用語の解説?
また、絶対優位や比較優位が最終的に目的とするものは、互いにより高品質の財やサービスをより多く消費できるようになることであって、労働量および資本力や労働生産性の向上はその手段にすぎない。
生産性が高い=所得が高いことである。これは、国と国を比較しても、個人と個人を比較しても同じである。先進国と発展途上国の差は驚くほど簡単である。生産性が高いか低いかである[8]。
生産性が高い=1人あたりGDPの高低のこと。 生産性が高い=所得が多いこと。
より生産性の高いことをする=効率をよくする=機会費用の低いことをするのは、個人単位でも、企業単位でも、国家単位でも同じ。生産性の高いこと(機会費用の費用の低いこと)をめざし、達成するのがGDP成長=所得増のこと。
すべて用語の解説と思われるが、どの用語の解説か明確でないし、国語辞書的な解説=言葉の言い換えにすぎない。
- 意見の表明?
つまり、人は黙っていても、生産性=給与(所得)の高い方へ移る。これは1国内でも、国家間でも同じ。途上国の人は先進国を目指す。逆はない(生産性の低いところへ自ら移動することはない)。
リカード理論を、「強制的に職業を奪う」とか、「強制的に失業を生じさせる」という批判があるが、人は黙っていても、所得の高い方へ移動する。国内でも国際間でも同じ、普遍的な真理である。
比較優位を「否定」するのは、「経済(GDP)成長」を理解していないこと。
一方的な意見の表明である。もし残すなら、議論の部の適切な個所で行なうべきものであろう。 TPP2015(会話) 2015年11月7日 (土) 12:30 (UTC)
- 11月7日のTPP2015さんの指摘に、基本的に賛成です。執筆者のかたから返答がないようなので、指摘にもとづき記述を整理しました。あわせて、独自研究とも読める意見表明のような記述も整理しました。--Moke(会話) 2015年11月17日 (火) 06:41 (UTC)
失業に関する記述、問題点・歴史的背景の節について
[編集]リカード・モデルは、もともとミクロ経済学的なモデルであり「失業を考慮していない」という批判は当を得ていないと思います。また、新自由主義やリバタリアニズムに関する意見は中立的な観点からみて疑義があります。失業に関する記述、問題点および歴史的背景に関する部分を削除することを提案します。 --Luke randomwalker(会話) 2012年3月23日 (金) 06:29 (UTC)
上記コメントへの反対意見
上記意見のうち、「リカード・モデルは、もともとミクロ経済学的なモデルであ」るというのは、貿易の利益の説明としてミクロ的経済的な説明がされてきたというだけであり、もともとリカードたち古典派が考えていたのは、国全体の利益(言い換えればマクロ経済学的な利害得失)であった。この意味で、「「失業を考慮していない」という批判」は、批判として正当かつ重要なものである。現に貿易摩擦の大部分は、貿易による失業・廃業に起因している。
比較優位の原理は、自由貿易を正当化させる有力な議論として常に取り上げられている。したがって、比較優位に基づき各国が生産特化するとき、各国の雇用状態がどうなるか(とくに完全雇用が保証されるか)は比較優位理論の重要な論点である。しかし、一般にこのような議論が貿易論あるいは比較優位原理の説明てにおいてなされないのは、そのような理論の必要が確認されながら、その理論が十分分かりやすい形で提出されていないからである。
たとえば、ハロッドの『国際経済学 改訂版』(実業の日本社、昭和33年)の序文には、本書「二重の機能」の一つとして、「雇用を支配する諸力に関する、故ケインズ卿の理論を国際貿易の分野に適用する」とあり、第4章第6節「比較生産費の原理と価格機構」の最後では「報酬が適当な水準以上である」とき、「自国内に要素の過小雇用が生じるであろう」(p.146)とある。さらにこの点は、第6章・第7章で展開されている。
ハロッドの分析が貿易理論において一般化しなかったのは、田淵太一『貿易・貨幣・権力』(法政大学出版、2006年)によれば、新古典派貿易理論がケインズ革命に「不感応」であったためである。「ケインズ的失業」は、ハーバラーなどが試みたが、全体としては失敗におわった。貿易論あるいは比較優位原理の議論において失業の問題が語られなくなるのは、必要が無いからではなく、重要な問題を隠し立てているにすぎない(第5章「新古典派貿易理論の誕生/「ケインズ革命」への不感応」)。比較優位理論の批判として、失業の問題は重要な論点である。--HSR48(会話) 2015年6月28日 (日) 14:16 (UTC)
要検証範囲について
[編集]「変動相場制下での特化」節の最後の段落
一方で、中央銀行が通貨発行量を異常に絞り込んだ場合、その国の通貨は異常に高騰して、すべての産業が競争力を失い、工場は海外に移転して空洞化が進み、海外の安い農産物が流入して農業は壊滅し、その国は貿易相手国の近隣窮乏化政策の絶好の犠牲となって失業が増加し、経済は停滞・衰亡してゆくなかで、金融業と年金生活者だけが自国通貨高で利得を得る。
で述べられている内容は、貨幣や為替レートを前提としないリカード・モデルと無関係な独自の主張を述べているものと思われるので、削除を提案します。--Luke randomwalker(会話) 2012年3月23日 (金) 06:29 (UTC)
Luke randomwalkerさんの意見について 「貨幣や為替レートを前提としないリカード・モデルと無関係な独自の主張を述べているものと思われる」というのは、事実として間違いです。リカード『経済学および課税の原理』第7章「外国貿易について」の後半2/3は、為替変動やそれに伴う国内価格の変化を問題にしています。リカードは、有名な4つの数字モデルを説明したが、それだけですべてが解決したとは考えていなかった。
しかし、引用の個所は、単純な貨幣数量説に基づく根拠の無い主張であり、説明として間違っている。したがって、削除されたこと自体は正がったと考えます。--HSR48(会話) 2015年6月28日 (日) 14:27 (UTC)
機会費用の観点について
[編集]- 「毛織物1枚を作るために、国Yではワインを3本減らさなければならないのに対し、国Xはワインを2本減らすだけでよい
逆にワイン生産を見た場合、国Xでは毛織物を1減らしてもワインが2本しか増えないのに対して、国Yは毛織物を1減らすことでワインを3本増やすことが出来る」
ですが、『定義』では国Yのワイン生産は18万、毛織物は2万なので、毛織物1枚を作るために、国Yではワインを9本減らし、ワイン生産では国Yは毛織物を1減らすことでワインを9本増やすことが出来る、ではないでしょうか?--Fatal day(会話) 2014年9月7日 (日) 14:30 (UTC)
- 「機会費用」という観点は、ヴァイナーの「実質費用アプローチ」にたいし、1930年代にハーバラーらが唱えたもので、オーストリア学派の価値論に依拠している。TPP2015(会話) 2015年11月7日 (土) 11:30 (UTC)
A3987665氏の編集について
[編集]- 「比較優位は、全体で利益は向上するが、一部で仕事をあきらめるなどの犠牲を払う必要がある理論である[1]。比較優位の考え方は、固定的に考えたり、押しつけたりすれば強者の理論になるが、当事者が得意な分野を発見し、次の段階に発展していこうとすれば有効な理論にもなる二面性を持っている[2]。」→「間違った俗論 比較優位は強者の理論であり、比較劣位産業の従事者に犠牲を払わせる理論である[3]。[1]」
このような編集はWikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成に該当します。Wikipedia:独自研究は載せない#何が除外されるかには「この方針は編集者の個人的観点や政治的意見、また発表済みの情報の個人的分析や解釈、そして自分の支持する観点を押し進めたり自分の提唱する論証や定義を支持するような形で発表済みの情報を解釈・合成するようなことも排除します。つまり、ウィキペディアで公開されるいかなる事実、意見、解釈、定義、論証も、信頼できる媒体において、その記事の主題に関連する形で、既に発表されていなければなりません。」とあります。また、Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」には「「検証可能性」とは、編集者が、例えばニューヨーク・タイムズの記事の中身が真実かどうか検証する責任があるという意味ではありません。実際のところ、編集者はその種の調査をしないよう強く求められます。なぜならウィキペディアでは独自研究(オリジナル・リサーチ)を発表してはならないからです。記事は信頼できる情報源が公開している題材だけを含むべきです。それは個々の編集者が真実であると思うかどうかには関係ありません。直観に反するようですが、ウィキペディアに掲載してよいかどうかの基準は「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」(真偽よりも検証可能性)なのです。」とあり、Wikipedia:中立的な観点#中立的な観点とはには「判断を下さない表現が好まれます。明瞭性とのバランスも考慮する必要がありますが、中立的観点は、トピックや信頼できるソースの主張に対して同情も攻撃もしません。ある意見について組み入ることなく、公平無私な言い回しをしてください。」とあります。
- 「各自の得意分野に特化することが肝要なのであって、他者に得意になるべき分野を強制させられるということは、比較優位とは最早無関係であり、どちらかと言えば社会主義との混同である。また、その様な方法を強いても労働生産性は上がり得ない。なお、労働生産性の低い分野から高い分野への移動は実質所得の増加を意味する。犠牲や損害などと考えた時点で既に矛盾を内包している。」
出典を示して下さい。Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」には「百科事典を編纂する際、良い記事を執筆するためには、広く信頼されている発行元からすでに公開されている事実、表明、学説、見解、主張、意見、および議論についてのみ言及すべきです。」--チンドレ・マンドレ(会話) 2014年11月5日 (水) 00:35 (UTC)--チンドレ・マンドレ(会話) 2014年11月5日 (水) 01:31 (UTC)
脚注
[編集]- ^ 新井明・柳川範之・新井紀子・e-教室編 『経済の考え方がわかる本』 岩波書店〈岩波ジュニア新書〉、2005年、132頁。
- ^ 新井明・柳川範之・新井紀子・e-教室編 『経済の考え方がわかる本』 岩波書店〈岩波ジュニア新書〉、2005年、131頁。
- ^ e-教室 編『経済の考え方がわかる本』岩波書店〈岩波ジュニア新書 511〉、2005年6月21日 。
3 具体例 3.2 仮定
[編集]この項目は、もともと「過程」とされていました。内容とはかなり離れているので、誤植と推定して「仮定」に訂正しました。しかし、この項目は、全体として曖昧な表現・間違った説明となっており、早急な改善が望まれます。
第1段落 「現代において、世界各国は、グローバルな貿易ネットワークに大なり小なり繋がっており、貿易を行っている。輸出財は国内需要よりも多く生産しているということであるので、特化が進んでいることになる。」
第1文は正しいのでしょうが、第2文は意味を成しません。生産が主として国内に限定されているサービスなどを考えれば、むしろ逆のこともいえます。たとえば、クレーム処理などは、英語圏ではインドなどに「輸出」されています。しかし、日本で考えれば、クレーム処理などとは比較にならない種類の多様なサービスが国内で提供されています。
第2段落 「国内には複数の産業があり、それぞれが他国へ輸出を試みたとすると、より高値で販売できる順に序列ができる。」
序列の定義としては可能ですが、それがどういう意味をもつか、説明がありません。たぶん(1)各製品の国際価格が決まっており、(2)国内の賃金が決まっている、さらに(3)原材料の貿易等がない、という3条件が満たされるとき、価格にたいし原価の安いものほど優位であり、賃金率が高くなっても、輸出品であり続ける、という意味でしょうが、このまままではとても読者は理解できません。典拠も示されていません。
第3段落 「固定相場制を採る国家又は共通通貨制下の国々では、輸出で利益を得た産業は生産を拡大し、より多くの利益を得ようとする。この際に、最も高い利益を得た産業が、より多く資源(設備や労働力)の購買力を得て、資源を需要するので、各資源の価格は次第に上昇する。」
輸出で利益を得ても、その産業の需要が世界全体で拡大しなければ、「生産を拡大し」とは言えません。また、「より多く資源(設備や労働力)の購買力を得て、資源を需要する」とありますが、日本のような国の場合、労働を除く多くの資源は外国から輸入している。そうなると、一国の輸出産業が需要する始原の価格のみが上がるとは到底言えない。
第4段落 「変動相場制を採る国家では、輸出で得た外貨は、自国通貨へ両替されることになる。このとき、より高い利益を得た産業がより多くの自国通貨を得ることになる。比較優位な産業はより高い利益を得て、生産を拡大し、より多くの利益を得ようとする。この際に、輸出拡張で自国通貨高が進む。」
この説明のうち、「より高い利益を得た産業がより多くの自国通貨を得ることになる。比較優位な産業はより高い利益を得て、生産を拡大し」という部分は、まったく不可解である。輸出入バランスが自国に有利になるかどうかは、輸出産業のみではなにも言えず、輸出・輸入の全体を見る必要がある。最後の「輸出拡張で自国通貨高が進む。」も、正しくない。
第5段落 「これに拠って、比較劣位な産業は、収益が悪化し解散するなどして、資源を解放することになる。この結果、比較優位な産業へ資源が集中して、特化が進み、一人当たりの実質GDP成長を齎す。」
自国通貨高が比較劣位な産業を淘汰するという趣旨らしいが、原材料を輸入している場合、原材料価格の相対的な低落によって比較優位・劣位が変更される可能性がある。傾向としてこのことが言えるかもしれないが、そのようには書かれていない。
この項目は、典拠とする文献への参照もない。早急な改善が無い場合には、削除を検討すべきであろう。
--HSR48(会話) 2015年6月28日 (日) 13:14 (UTC)
比較優位の前提条件
[編集]しかし、塩沢は、供給されたものが需要されなければならないという、実際にはあり得ない想定をしている。リカードの比較優位では、生産量=消費量だったものが、生産量<消費量になるが、生産されたものをすべて消費しなくても、生産量<消費量は達成できる。つまり、同じ時間だけ生産しても、世界の消費量が増え、それらを強制消費するものではない。余らせても生産量<消費量になるのである。
記入者はどういう文脈で「塩沢は、供給されたものが需要されなければならないという、実際にはあり得ない想定をしている。」と指摘しているのだろうか。この個所より上に、塩沢に関する当該の記事がない。
また、失業が生じるというが、保護貿易(関税や数量制限)だろうが自由貿易だろうが、比較優位現象は生じているので、「貿易自由化で失業増」というのは、理論的にも実証的にもあり得ない。
「理論的にも実証的にもあり得ない。」。これは貿易理論上の主張であるが、決して一般的とはいえない。誰がどういう根拠でそう主張しているか、典拠を示すべきである。
世界のGDPは毎年3%ずつ拡大=生産性が3%ずつ拡大=所得が3%ずつ拡大している。ある国の生産がゼロサム(成長率ゼロ)を想定しないと、「失業増」とはならない。失業が増えるとうのは、その国の生産性低下=GDP減のことであり、貿易自由化と失業に関係はない。
世界経済の一事実をもって理論がどのように理解されるべきかの反駁にはならない。GDPと所得とは、基本的には同じものなので「GDPは毎年3%ずつ拡大=所得が3%ずつ拡大」は成立するが、「GDPは毎年3%ずつ拡大=生産性が3%ずつ拡大」は一般にはいえない。GDP成長率と生産性とが等しくならないことはいくらでもある。また、この論理が成り立つならば、世界の所得が年3%ずつ拡大しているとき、生産性が年6%で'増えるならば、失業が生ずることになろう。記入者にはGDPと生産性の2概念に混同があるようだ。
アメリカとのNAFTAで、メキシコの農業で失業が増えたと俗論があるが、メキシコの農業が「豊か」だったことは、一度もない。みな最初から「貧しかった」のである。1家で5人も10人も農業に従事(それしか仕事がないのだから、低生産性=給与所得低い)していたが、同国の生産性=所得上昇は、NAFTA締結後、驚異的に伸びている。もちろん、自由化したから成長したということではなく、成長は同国内の生産性が上昇したことによる。
「失業増」と「豊かさ」とに直接的な関係はない。この事実を記事にしたいなら、典拠を示して記すべきだが、この事実とそれ以前との論理的関係が明確でない。上の系論でもないし反論にもなっていない。
この5段落は、「比較優位の前提条件」にほとんど無関係な議論の挿入であり、かつWikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成に該当する。削除するか、本節の趣旨に沿うよう書き直し、かつそれぞれの主張に典拠を示すべきだろう。 TPP2015(会話) 2015年11月8日 (日) 08:31 (UTC)
独自研究的な記述について
[編集]Kumaamebakumaさんというユーザーが、本記事と国際収支統計の記事で、ご自身の意見表明のように読める編集を繰り返しています。Kumaamebakumaさんは、他のユーザーからの本記事ノートでの指摘に返答がなく、ご本人のノートページへの指摘にも返答がないまま編集を続けている状態です。こういう場合は、記事の半保護などの提案をするのがよいのでしょうか。ご意見をいただければ助かります。--Moke(会話) 2015年11月20日 (金) 17:38 (UTC)
- コメント どうしても対応できない場合には、対話拒否を理由としてWikipedia:管理者伝言板/投稿ブロックに依頼した方がよいと思います(報告は私から行いました)。差し戻しを過剰に実施しますと、3RRに違反する可能性があります。その上でもし他の方も同様の編集をされた場合には、保護依頼をすべきであると考えております。--Sammy Of Blue(会話) 2015年11月21日 (土) 10:34 (UTC)
- コメント 加筆の一部がこのPDFファイル からの引き写しであったのを確認しましたので、私の方でWikipedia:削除依頼/比較優位を提出したことをご報告します。--Mee-san(会話) 2015年11月21日 (土) 22:09 (UTC)