ノート:沢村光博
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沢村光博(さわむら みつひろ、1921年-1989年)は高知県出身の詩人である。
現在の南国市で生まれたが、幼少期に両親を亡くし、親戚の家を姉とともにたらい回しにされる。20代で肺結核に罹り、太平洋戦争の徴兵検査にひっかかったため、単身で自給自足をしながら療養生活を送るようになる。
隔離された病床生活の中で哲学・宗教・詩などにのめり込んでいくうち、自ら詩作を行うようになり、同人活動を開始。各地のアマチュア詩人と多くの交流を持つようになり、その後上京。持ち物は机代わりのミカン箱と鍋ひとつだけだったという。
詩作の傍ら、生活のために東海大学の関係機関で働くようになり、同大学の機関誌「望星」などに執筆。昭和40年(1965年)、処女詩集「火の分析」を出版し、この作品で「H氏賞」を受賞した。その他、雑誌「思想の科学」などでも執筆活動を行う。
長崎の隠れキリシタンについての研究を精力的に行い、「神に呼ばれた名もない人びと」を「望星」に連載、のちに一冊の本にまとめた。本書では取材、執筆、写真など全て一人でこなす凝りようであった。また、並行して同人活動も継続しており、この頃の仲間に小柳玲子、香川紘子らがいる。
東海大学教育研究所に勤務していた1987年、脳出血で倒れ右半身不随と失語症を患う。以後詩作をはじめ執筆活動は一切行うことができず、自宅にて療養生活を送っていたが1989年10月27日に胆管癌にて死去。 --ばじる 2008年9月19日 (金) 13:47 (UTC)ばじる