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ノート:津田重長

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重長の父に関する修正

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貴志康親編『紀州郷土芸術家小伝 続篇』(貴志康親、1934年、172頁)にある、津田正徳を「津田監物算長の孫にして、父を監物重長と云う」とする記述を元に重長=津田算長の子とされていましたが、津田算正の子へ変更しました。

この本の典拠は『南紀徳川史』(南紀徳川史刊行会版『第7冊(要登録)86頁等)と思われますが(柔術、砲術、水芸といった分類や、砲術で取り上げられる人物が同じ)、『南紀徳川史』に記される系譜は「算長 - 算正 - 重長」であり、和歌山市津田家に伝来の「津田家系譜」を中心に書かれた太田宏一「津田流砲術と奥弥兵衛について」でも同様のことが書かれています。これらのことから『紀州郷土芸術家小伝』の記述は誤り、もしくは算長の孫=重長と読むのが正しいと思われるため、上記修正を行いました。--YasuminB会話2024年2月6日 (火) 05:17 (UTC)[返信]