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ノート:浅井井頼

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  • 浅井長政の子を自称するが、「井」の通字を使う浅井氏傍流(浅井井演、浅井井伴、浅井井規)があり、そちらの血筋という説が有力(宗家浅井氏の通字は、末尾に「政」)。

滅ぼされた浅井家の子どもなら、傍流に預けられていた、養子に出されていたということも考えられます(実際本家でもおかしくない諱も持っています)。出典を教えてください。以上の署名の無いコメントは、61.46.0.63会話/Whois)さんが[2007年2月21日 (水) 16:29 (UTC)]に投稿したものです(203.148.120.123による付記)。[返信]

小和田哲男氏の著作に学ぶ限り、「井頼」の名前が使われているのは「金刀比羅宮文書」に二通の書状にある署名(「浅井喜八郎井頼」、「浅井周防井頼」)しか見えません。「まさかた(政賢・政堅)」という名前が『徳川実紀』や『武徳編年集成』にありますが、「『井頼』の名前を主に(もしくは長期間)使われていたと判断された」のは何らかの研究・史料によるものと推察します。そのあたりを教えていただけませんでしょうか。--219.27.112.91 2008年1月26日 (土) 16:55 (UTC)[返信]