ノート:清/過去ログ1
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新疆の表現問題
清時代時、東トルキスタンという言葉はまだなかったです。新疆や西域で表記してください。
- 賛成します。また、新疆(東トルキスタン)でもいいと思います。--世界の平和をお祈り(会話) 2018年2月21日 (水) 19:44 (UTC)
清の皇帝一覧について
清の皇帝一覧について。初代に「ゲンギェン・ハン」、二代目に「ボグダ・セチェン・ハン」とあるけど、前者は満洲語、後者はモンゴル語ですよね。で、三代目以降は何もないと。この一貫性のなさはなんなんでしょうか?
ついでに。中国風の名前は漢字で、そうでなければカタカナで表記しているみたいですね。でも、もし私の記憶が正しいなら、清朝の皇帝が中国風の名前をつけられたのは康熙帝からで、順治帝の諱フリンは満洲風の名前だったはずです。—以上の署名の無いコメントは、218.228.160.69(会話/Whois)さんが[2003年8月20日 (水) 13:32 (UTC)]に投稿したものです(203.148.120.67による付記)。記号を半角に。Wikipedia:改行時の注意点に従い、一行改行を削除しました。--203.148.120.67 2009年12月21日 (月) 09:16 (UTC)
- 多分日本国内の歴史の教科書などで広く使われている用法に従っていて、また、一貫性がないと言うよりはまだまだ不足があるだけ、ということではないでしょうか。
- ぜひ、詳しく書き直していただけますと助かります。
- ウィキペディアは、詳しい知識を持っている方々の書き込み・編集をお待ちしております。
- - Gombe 13:44 2003年8月20日 (UTC)
- テンプレで署名を補足しました。また、節(見出し)を設置しました。--203.148.120.67 2009年12月21日 (月) 09:16 (UTC)
国号について
名無しさんは「満州」と「満洲」を使い分けているようですね。土地を表すときは「満州」、民族名としては「満洲」を用いるという話を聞いたことがあります。学会ではどのように整理しているのでしょうか。—以上の署名の無いコメントは、218.217.3.189(会話/Whois)さんが[2005年6月5日 (日) 11:59 (UTC)]に投稿したものです(203.148.120.67による付記)。
国号に付いてですが、これ有力説になってるんですか?私の持ってる山川『中国史4』にこの説が載ってますけど、「いろいろな説があって一定しない。私(奥崎祐司氏)の考えはつぎのとおりである」として書かれています。その後、研究が進んでこれが有力になったんでしょうか?素人考えだと木徳の青に何で水徳のさんずいが被さるんだろうな・・・と言う気がするんですけど。らりた 2006年1月9日 (月) 13:01 (UTC)
- 私が以前読んだ学術書においてはこの説を引用されて五行説由来が妥当ではないかと賛同されていた方がいらっしゃいました(以前の事なので著者を忘れてしまったので調べ直してきますが)。通説とは言えないまでも有力な説の一つとしては取り上げる価値はあると思います。ただし、(ここからは個人的見解ですが)元は基本的には五行説を禁圧していたものの当時の学者間では金徳が有力だった筈ですし、明の場合も火徳というのは紅巾軍の継承と言う意味があった筈なので、厳密な五行説が元以後に中国王朝で行われていたのかは疑問も残る一方で、逆に火徳に対抗する上での水徳という基本から離れた思想が浮上しえるとも考えたりもします。--水野白楓 2006年1月29日 (日) 05:04 (UTC)
- 日本大学の清代史研究者の加藤直人教授などは五行説を強く支持していたと記憶しています。王朝名は元来始めて冊封された地名を援用するのが原則ですが、清の場合は冊封されておらず自ら王朝名を決定しています。その際に選ばれたのが清であり、火徳の明を継承するという意味がこめられていたと述べています。よって民族名のマンジュも水徳と関連のある満洲の文字を選択しており、満州としてはその意図が不明になる…要約するとこのような感じです。マンジュという民族名自体も女真族、蒙古族、漢人(入関前に支配下にあった漢人)の総称としてマンジュとすると『満洲檔案』にあり極めて政治的な民族名であることを考えれば、満洲の方がより適した用字ではないかといえます。学界では清代史の研究者は満洲を好み、日本現代史では満州が使用されているケースもありまして、その用字を以って非難を行うようなことはないようです。個人的には満洲を愛用していますが、日本の検定教科書に満州の用字があるので、所詮は満語のマンジュの音訳なので満州を強く否定するまではないと考えています。--Yonoemon 2007年7月30日 (月) 08:12 (UTC)
- テンプレで署名を補足しました。また、節(見出し)を設置しました。--203.148.120.67 2009年12月21日 (月) 09:16 (UTC)
- 日本大学の清代史研究者の加藤直人教授などは五行説を強く支持していたと記憶しています。王朝名は元来始めて冊封された地名を援用するのが原則ですが、清の場合は冊封されておらず自ら王朝名を決定しています。その際に選ばれたのが清であり、火徳の明を継承するという意味がこめられていたと述べています。よって民族名のマンジュも水徳と関連のある満洲の文字を選択しており、満州としてはその意図が不明になる…要約するとこのような感じです。マンジュという民族名自体も女真族、蒙古族、漢人(入関前に支配下にあった漢人)の総称としてマンジュとすると『満洲檔案』にあり極めて政治的な民族名であることを考えれば、満洲の方がより適した用字ではないかといえます。学界では清代史の研究者は満洲を好み、日本現代史では満州が使用されているケースもありまして、その用字を以って非難を行うようなことはないようです。個人的には満洲を愛用していますが、日本の検定教科書に満州の用字があるので、所詮は満語のマンジュの音訳なので満州を強く否定するまではないと考えています。--Yonoemon 2007年7月30日 (月) 08:12 (UTC)
西暦年記事における清の地域分類について
西暦年記事「他の紀年法」節(例:1636年#他の紀年法)に記入する北京占領前の清の元号(1636年 - 1643年)の分類を「中国」にするか「中国周辺」にするかについて、Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 紀年法/ガイドラインで検討が続いていますが、とりあえず結論を保留とし、仮に「中国」に分類することで妥結しました。議論は継続することになっておりますが、参加者が少ないため、まだ検討が十分行き届いていない部分もあるかと思います。詳しい方からのコメントをお待ちしております。またこのノートページへコメントいただいてもさしつかえありませんので、よろしくお願いいたします。--Novo 2007年6月2日 (土) 12:26 (UTC)
「順」は正統王朝か
この記事と直接の関係はないのですが、今、李自成が建てた元号の記事であるノート:永昌 (李自成)で、この元号は崇禎に続き順治につながる中国史の正統な元号なのか、それとも私年号なのかについて議論しています。言い換えれば、大順は「明」と「清」の間にはさまる正統王朝なのかどうか、ということになります。議論がこう着状態ですので、ご関心のある方、特に明清史にお詳しい方がいらっしゃいましたら、ぜひコメントとご教示をお願いします。--Novo 2007年7月27日 (金) 21:18 (UTC)
- 陽明学の正閏論ではなく、明朝と清朝の間に短命政権として順朝が存在したことを認めるか、それとも明朝は直接清朝によって王朝交代したのかという事実認識の問題でしょう。--Yonoemon 2007年7月30日 (月) 07:51 (UTC)
Template:中国の歴史における議論について
上の節と関連しますが、現在Template‐ノート:中国の歴史において明を滅ぼした李自成が建国したとされる順をTemplate:中国の歴史に入れるか否か、また入れるとしたらどのように入れるかが議論されています。テンプレートに入れるべき王朝の範囲を決める重要な議論になるかと思いますので、順の位置づけも含め、ご関心のある方がいらっしゃいましたら、ぜひコメントとご教示をお願いします。--203.124.91.163 2008年10月19日 (日) 18:26 (UTC)
公用語編集の取り消し理由
Wiki8884氏による公用語編集の取り消し理由を述べます。正確に言えば近代主権国家ではない清朝に近代的な意味での公用語というのはないのですが、支配階層が公的な場で用いる言語という意味では満州語、漢語のほかにモンゴル語も加わっています。清朝皇帝はモンゴル帝国のカーンも兼ねることで内陸アジアの支配権の正統原理を獲得しているからです。実際康熙帝、雍正帝の宮殿をチベット仏教式に雍正帝の霊廟に改装した雍和宮の扁額は満州語、漢語、モンゴル語、チベット語の四体合壁ですし、皇帝の避暑山荘の額は満州語、チベット語、漢語、ウイグル語、モンゴル語の五体合壁式です。そういう意味では公用語にチベット語、ウイグル語を加えても不自然ではないくらいです。--ウミユスリカ 2009年7月7日 (火) 17:28 (UTC)
追尊皇帝について
清朝が追尊したモンティムール、フマン、ギォチャンガ及びタクシを追尊皇帝として、皇帝の一覧に付け足してもよろしいでしょうか。ご教示お願いいたします。--~~ Lijiahao0410(会話) 2018年2月22日 (木) 12:12 (UTC)