ノート:満洲国/過去ログ2
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国家承認について
[編集]国家承認について。黙示的承認や外交使節の接受形態、政府の承認と国家承認の関係など、詳細を検証する必要が本来はありますので、十分な資料のないままでの独自研究に踏み込まないようお願い致します。ソビエトについては本文にすでに記述されてあるように黙示的承認はあったわけで「枢軸」「連合」と単純に区分するのはただのお遊びです。--大和屋敷(会話) 2014年5月28日 (水) 17:39 (UTC)
その詳細の検証のためにも、承認した政権の成立状況と言う事実は記載するに足る情報ではないでしょうか。 今回の私の記述は事実の追記であり、独自検証とは言えません。 他国の占領下で組織された政権、と言う独立性に疑問のある状況にも関わらず、「当時の独立国の3分の1以上」と結論付けてる事こそ、独自研究ではありませんか? そこへの要検証すら外すのは、問題でしょう。 また日独伊三国軍事同盟に加盟していないフィンランドを枢軸国の代表であるかのように表記するのは疑問ですし、クロアチアは同盟に加盟した枢軸国です。--丁係(会話) 2014年5月29日 (木) 16:44 (UTC)
- 文献からの引用ではなく丁係さんの判断から分類してはいけません。「枢軸」「連合」というのは典型的なお遊びですので全削除で本来はかまわないと思います。そもそもこの項目に列記されている情報の大半ががどの文献から投稿されているのか分からないというのが問題です。--大和屋敷(会話) 2014年5月30日 (金) 00:27 (UTC)
満州は 、歴史上おおむね女真族(後に満洲族と改称)の支配区域であった
[編集]女真族が記録に現れるのは10世紀以降。前史に記した歴史に比して、「おおむね」とは言い切れない。書き換えると問答無用で取り消されるので、要検証で根拠を問う事にした。--丁係(会話) 2014年5月29日 (木) 17:44 (UTC)
- 該当箇所は曖昧性の誤謬を含んでおりますので除去しました。--大和屋敷(会話) 2014年5月30日 (金) 00:31 (UTC)
傀儡国家、理想国家、第三の歴史認識
[編集]124.36.197.160さんによる この編集で「日本によって創られた傀儡国家」とされているようですが、樋口秀実「満洲国史の争点―同時代と後世の視角」には、「満州国を傀儡国家とする側は、政策決定過程での日本人の発言力の大きさなどには注目するが、ある政策がなぜ立案されたのかという原因の部分を軽視する。逆に、それを理想国家とする側は、さきに述べたように、立案の動機となった民族協和などのスローガンばかりを理想視し、それが政府の方針となるまでに中国人官吏に政治参加の機会がほとんど与えられなかったこと、その政策が実行に移された結果、当初の動機に反して中国社会に被害が生じたことには目をつぶる。(中略)満州国をめぐる第3の歴史認識ともいうべき新たな視点である。それは、満州国が傀儡国家か、理想国家かという二者択一の問題を重要視していない。むしろ満州国の性格はどのようであったのかという問題は別にして、満州国が誕生したことや満州国政府が行った政策のために中国東北社会はその誕生前と比べてどのように変化したのかという点に注目している。」 (劉傑・三谷博・楊大慶編『国境を越える歴史認識: 日中対話の試み』東京大学出版会、2006年5月22日、ISBN 4-13-023053-0、134~135頁。)とあります。このような状況において、「傀儡国家」と断定するのは。Takabeg(会話) 2015年12月5日 (土) 14:58 (UTC)
・ブリタニカ百科事典の記述に従ったもので、十分に信頼性のおける出典に準拠しWP:NPOV違反にはならないと思われます。 また、樋口氏の主張は「満州国の性格はどのようであったのかという問題」を「重要視しない」だけであり、それを論じ結論を出す事自体を否定するものでは無いでしょう。--124.36.197.160 2015年12月6日 (日) 15:25 (UTC)
- 樋口秀実さんだけの主張というわけではありません。『ブリタニカ百科事典』は、信頼性はあると思いますし、使用していいはずですが、ウィキペディアにおいては、三次資料ですので、それだけが全てではありませんし、ましてや、『ブリタニカ百科事典』を示して「世界的にも。。。」というのは、どうも。。。また、同じ問題が過去にも議論されたことがあるようでして、参考にしてみませんか。まぁ、7年前のものですので情況も変わってきているかもしれませんけど。ただ、私も、「評価」という章を立てるのが有効だと思います。Takabeg(会話) 2015年12月8日 (火) 14:14 (UTC)
- 「傀儡国家」という「表現」は、記事の文面として使用するのではなく、上記でも提案されているように、この「表現」を使用する典拠を挙げて、発言主体を明示した「評価」として挙げるのが妥当とおもいます。--Dalaibaatur(会話) 2016年12月1日 (木) 08:56 (UTC)
何のための編集?
[編集]利用者:大和屋敷さんによるこの編集の意図がわかりません。『ブリタニカ百科事典』のリンクまで除去しているし。。。本音を言うと、利用者:大和屋敷さんの編集は全般的に何を意図しているのかわからないものが多くて困っています。少なくとも要約欄を使用するように努めてください。Takabeg(会話) 2015年12月6日 (日) 13:49 (UTC)
- 「傀儡政権」の場合ははっきりするのですが、傀儡国家となりますと「傀儡国家」という語じたいが学術的ないし辞書的に明確に定義されていない語ですのでこのような齟齬が生じているのだと思います。戦後に公表された満州国に関する論文のほぼすべてにおいて「満州国の傀儡性」について肯定する記述がみられますが、「傀儡国家」という名辞を採る場合、傀儡国家とは何かについて明確な定義が述べられている論文等が無ければ辞書的定義として成立しないわけで(循環定義:満州国は日本の傀儡国家である、傀儡国家とはたとえば日本における満州国である)、このあたりの違和感がwikipedia編集諸氏の違和感につながっているのだと考えました。とりあえず「満州国は~国家である」「日本の傀儡政権である」と二分割することにより循環定義の違和感を(表記上)解消してみました。--大和屋敷(会話) 2017年2月24日 (金) 13:05 (UTC)