コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:濱尾文郎

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

吉田茂首相への死後の洗礼についての質問

[編集]

2013年9月11日 (水) 14:01 (UTC) の編集において、「1967年に吉田茂元首相が亡くなった時は、・・・(中略)・・・死後直ぐの洗礼を授けている」との記述をコメントアウトしました。カトリック教会において、本人の死後に洗礼を授けることはできるものなのでしょうか?私自身カトリック信者でありながら、そんなことができるとは聞いたことがありません。カトリック教会のカテキズムを読んでみても、そのような例外規定は見当たりません。カトリック東京大司教区のサイトには「臨終の洗礼」について書かれていますが[1]、もし死後でも洗礼を授ける(受ける)ことができるのなら、このような「司祭でなくても洗礼を授けることができます」など緊急時の洗礼についての規定など必要ないと思われるのですが。「吉田茂首相が死後カトリックの洗礼を受けた(らしい)」という話はたしかに聞いたことはありますが、カトリック教会のカテキズムなどと照らし合わせると事実とは言えないような気がします。どなたか、実際のところを正確にご教示ねがえないでしょうか。--Lorettibarrend会話) 2013年9月11日 (水) 14:04 (UTC) (一部補足--Lorettibarrend 2013年9月11日 (水) 14:48 (UTC)[返信]

生死がはっきりしないならば、可能です。聖ピオ十世『公教要理詳解』に次のような記述があります。「561 生死がはっきりしないとき洗礼をひかえるべきですか。生死がはっきりとしないときは、「なんじ、もしまだ生きているなら、われ父と子と聖霊との御名によりてなんじを洗す」と言って、条件付きで洗礼を授けなければなりません。」より完成バージョンであるRoman Catechismなどにも、同じような記述があるのではないかと思います。--Michael tiara会話2014年2月23日 (日) 09:54 (UTC)[返信]