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ノート:熊谷元直

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記事分割提案

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分割後の記事名についての議論

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表題を追加しました。--迷子の雄猫 2008年12月14日 (日) 06:42 (UTC) かえって分かりにくくなっていると判断し、表題を修正しました。--Nalc 2008年12月24日 (水) 16:56 (UTC)[返信]

二名いる熊谷元直の記事を分割することを提案します。記事名は熊谷元直 (戦国時代)熊谷元直 (江戸時代)でどうでしょうか。--Nalc 2008年11月15日 (土) 01:58 (UTC)[返信]

分割には賛成ですが、記事名は変えた方が良いと思います。後者の元直は1605年没ですので、江戸時代を生きた期間は短く、あまり人物と適合していないような気がしますので。熊谷元直 (安芸武田氏家臣)熊谷元直 (毛利氏家臣)はいかがでしょうか。--松茸 2008年12月7日 (日) 03:11 (UTC)[返信]
記事名は「~氏家臣」のほうがよいと思います。あとで融通が利くからです。たとえば「江戸時代後期に伊達家に仕えた熊谷元直」が居たら、「~時代」という記事名だと困ります。--迷子の雄猫 2008年12月11日 (木) 02:51 (UTC)[返信]

分割後、熊谷元直そのものは、あいまい回避記事にするということでよろしいでしょうか? --迷子の雄猫 2008年12月11日 (木) 02:51 (UTC)[返信]

戦国時代の元直のみを分割する案

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それではキリシタンの元直の記述だけを残して、その先祖の元直の方のみを熊谷元直 (戦国時代)へ分割するというのはどうでしょうか。松茸さんの案だと括弧の中が長すぎますし、記事にしてもいい熊谷元直は差し当たってこの二名しかいなさそうなので、迷子の雄猫さんの案も少々気をまわしすぎだと思えます。--Nalc 2008年12月13日 (土) 03:44 (UTC)[返信]
この記事だけなら(戦国時代)でもよいかもしれませんが、日本史の人物記事全体を考えると、個人的にはあいまい回避に(何々時代)は好みません。安土桃山時代から江戸時代にかけて活躍した武将ならどちらの時代にするか悩みますし、(安土桃山~江戸時代)、とするのは、それこそ括弧の中が長すぎでしょう。が、長すぎるからといって熊谷元直 (安芸武田家)熊谷元直 (毛利家)とするのは違和感があります。これだとその家の家長や一族という意味になりかねないですし。--迷子の雄猫 2008年12月14日 (日) 06:42 (UTC)[返信]
長さの問題もありますが、戦国時代の氏族同士の関係を「家臣」という用語で表現することに対する疑義というものもあるのですよね。安土桃山時代にするか江戸時代にするか悩むという問題は、官位での曖昧さ回避や藩主での曖昧さ回避においても発生しうる問題でもあります。また、括弧内部が「藩主」の記事については、括弧の中が「江戸時代」では曖昧さ回避にならないようなものも混ざっているようにも思えます。--Nalc 2008年12月22日 (月) 09:57 (UTC)[返信]
う~む?「戦国時代の氏族同士の関係を『家臣』という用語で表現することに対する疑義」というのがよくわかりません。家臣団#戦国大名と家臣団にあるように、御恩と奉公という関係で結びつく関係を主君、家臣と表現するものだと思っておりましたが。無論、下克上や離反などは日常茶飯事であったのは想像に難くないですが。--迷子の雄猫 2008年12月24日 (水) 06:51 (UTC)[返信]
半独立的な地位と状況によっては命令を拒むことができた、という意味でしたら、「~家被官」というのはいかがでしょうか?--迷子の雄猫 2008年12月24日 (水) 07:01 (UTC)[返信]
家臣にしても被官にしてもどこまでが家臣か、あるいは被官かという問題が、「日本史の人物記事全体を考えると」でてきますね。少なくとも「どちらの時代にするか悩む」以上の問題であると思いますよ。その人物の活動時期だけでなく、事蹟全般について、信頼できる情報源による検討が場合によっては必要になってきますから。--Nalc 2008年12月24日 (水) 16:56 (UTC)[返信]

(参考)武将の曖昧さ回避記事

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以下に示す武将記事のように、(戦国時代)もありますが、 (播磨国明石藩主)という長いものもありますので、一概に(戦国時代)はよくない、括弧の中が長すぎるのはよくない、と言い切れないですね。 何々藩主、としているのが松平信友松平信古松平忠刻松平忠和松平忠愛松平忠誠松平直之松平近貞など。 牧野信成が牧野信成 (今橋城主)牧野信成 (関宿藩主)。 松平信孝が松平信孝 (戦国時代)松平信孝 (小島藩主)。 松平忠国が松平忠国 (播磨国明石藩主)松平忠国 (武蔵国忍藩主)。 松平忠房が松平忠房 (島原藩主)松平忠房 (小幡藩嫡子)。 松平忠昭が松平忠昭 (大給松平家)松平忠昭 (藤井松平家)。 松平忠栄が松平忠栄 (亀山藩嫡子)松平忠栄 (尼崎藩主)。 松平親長が松平親長 (松平郷松平家)松平親長 (岩津家)。 --迷子の雄猫 2008年12月14日 (日) 06:42 (UTC)[返信]

キリシタンの元直を分割する案

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表題を追加しました。--迷子の雄猫 2008年12月24日 (水) 06:51 (UTC)[返信]

単純に熊谷元直熊谷元直 (福者)で如何でしょうか?後代の元直は福者として最期を迎えたわけですし、良いのではないかと思います。 戦国時代の元直をそのままの記述として、後者の元直を福者として記事作成するのが良いのではないかと思います。--125.204.22.148 2008年12月17日 (水) 03:30 (UTC)[返信]

はじめまして。ペトロ岐部と187殉教者という記事を発見して、ここにきました。福者になった方の元直の記述は、同記事に持っていくのもどうかと思ったんですが?--日の丸手内職者 2008年12月20日 (土) 13:57 (UTC)[返信]

キリシタンという属性に着目してそちらの元直の記事を分割する方法も考えましたが、初版を見るとキリシタンの元直のみの記事として作成されたようであることと、烈福されたことによって知名度が戦国時代の元直(おそらく地方史レベルの人物でしょう)よりもかなり上になったとも思われるからです。--Nalc 2008年12月22日 (月) 09:57 (UTC)[返信]
福者という語を知らないと、熊谷元直 (福者)では何のことだかさっぱりわかりません。熊谷元直 (キリシタン)ではいかがでしょうか。あと、「烈福されたことによって知名度が戦国時代の元直よりもかなり上になった」のでしたら、もう片方は熊谷元直 (安芸武田氏家臣)か、熊谷元直(戦国時代)としておくよう提案します。--迷子の雄猫 2008年12月24日 (水) 06:51 (UTC)[返信]
分かりにくかったかもしれませんが、熊谷元直 (キリシタン)のような記事名には懐疑的という意味の発言ですので。--Nalc 2008年12月24日 (水) 16:56 (UTC)[返信]
最近、「サブスタブ廃止は是か非か」の投票をみて、その後に前述の記事やこの記事を見つけて、(2つにわけたとしても、内容を増やせなかったらサブスタブだろ)と思って、前述の記事への内容の部分的な転記を提案してみたのですが、単独記事化にこだわるべき理由が何かあるのでしょうか?(なお、前述記事の中からも、殉教者個別の記事数件には、自分が内部リンクを張らせて頂きました)--日の丸手内職者 2008年12月24日 (水) 12:23 (UTC)[返信]
(まとめてコメント)サブスタブの定義の話はおいておきますが、私の見る限りではサブスタブレベルの状態は既に脱していると思います。分割ではなく部分的な転記でしたらご自由にどうぞ。「単独記事化にこだわるべき理由」はWikipedia:曖昧さ回避が最近改訂されたことが大きな理由ですが、それを抜きにしても分割の必要が生じている状況だと思います。なお、キリシタンの元直は、殉教や死後の列福の事実のみならず、武家である熊谷氏の歴史を語る上でも、また、長州藩の歴史を語る上でもそれなりに重要な人物ですので、他の殉教者個別記事とは同列には扱えないと思います。--Nalc 2008年12月24日 (水) 16:56 (UTC)[返信]
(インデント戻し)横から失礼します。Nalcさん、私も熊谷元直熊谷元直 (福者)の案に賛成です。--60.68.133.22 2008年12月27日 (土) 12:44 (UTC)[返信]
えっと、アカウントをお持ちならログインした上で、合理的な理由をしっかり述べた上で発言してください。私個人としては、キリシタンの元直だけを別記事として作成するのは、Wikipedia:曖昧さ回避に照らすとかなりありえない方法だと思うんですけどね。--Nalc 2008年12月27日 (土) 14:21 (UTC)[返信]

(コメント)議論中に失礼します。あくまで私見としてなんですが、「〇〇氏家臣」とか「福者であるか無いか」よりも、「安芸熊谷氏〇代」で分けるのがいいのではないでしょうか。「福者」と言われても俺には何のことかわからないし、誰それの家臣、で分けるのも両者の関係がわかりづらいと感じます。幸い両者は曽祖父・曾孫の関係にあるようですし、熊谷元直(安芸熊谷氏十一代)熊谷元直(安芸熊谷氏十四代)の方が、収まりがいいかなと思うのですが。あくまで私見ですので、上での議論を否定するものではなく、ご参考程度になれば、と思う次第です。--影綱 2009年1月5日 (月) 23:36 (UTC)[返信]

(コメント)12月27日の発言について主な理由も言わず、議論を乱してスイマセンでした。--60.68.133.22 2009年1月6日 (火) 10:16 (UTC)[返信]
IPさんへ。「主な理由」が書かれていない議論が存在しつづけている状態が継続していれば、謝罪だけされても議論が乱されている状況には全然変更がないわけなのですが。--Nalc 2009年2月4日 (水) 21:23 (UTC)[返信]

まとめ

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みなさまがいろいろと別の案ばかり主張されるので、こちらとしても身動きがとれない状況なのですが、熊谷元直にキリシタンで安土桃山時代から江戸時代に活動した元直についての説明を残し、戦国時代に活動した元直を熊谷元直 (戦国時代)へ分割する案を再度提起させていただきます。キリシタンの元直が戦国期の元直より著名だという点には争いがないと思われますし、主家の違いに着目して区別するにしても、当主順で区別するにしても、それぞれの元直の事蹟や系図等の資料についてどのように評価するかで判断が分かれると思われ、余計な手間がかかるからです。また、信仰別で分割する案については、少なくとも戦国時代の元直の事蹟は宗教とは何ら関係ないことから考えると明らかに不適切であるように思われます。括弧の中身をどうするか、というレベルの問題なので、先に分割しても差し支えはないのですが、一応再度の提案という形式をとらせていただきます。正直、これ以上は手間かけたくないな、というのが本音です。--Nalc 2009年2月4日 (水) 21:23 (UTC)[返信]

益田天祥なる人物について

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熊谷元直(安土桃山~江戸時代)の方の記述で益田天祥なる人物が出てくるのですが、検索してもこの項目以外ヒットしませんでした。益田氏の一族においてマイナーな人物として「益田天祥」なる人物が存在したのか、単純に益田元祥の誤字なのか、判断しかねるので、誰か詳しい方、修正なり補足なりお願いしたいです。--ポテンシャル0 2009年1月26日 (月) 05:23 (UTC)[返信]

気になったので、グーグルで調べてみました。五郎太石事件は「益田元祥の配下の人足」が起こしたものだそうです。また、前後の文脈から、誤字と思われます。--影綱 2009年1月26日 (月) 05:46 (UTC)[返信]
「祥」の字を効率的に表示するために「天祥」で変換してから「元祥」に直す、というやり方をしたのですが、漏れがあったようです。混乱させてすみませんでした。--Nalc 2009年2月4日 (水) 21:11 (UTC)[返信]