ノート:片山まさゆき
>ただ、ほとんどの作品が「強気を助け、弱きをくじく」ストーリーから、好き嫌いが別れる。
とありますが、そうですか?『自己中心派』と『ヅガン』は確かにそうですが、『オカルティー』はどれが強くてどれが弱いと言う話ではない。『爆牌党』は弱い鉄壁が強い爆岡に立ち向かう話、『さだめだ』は明らかに弱きが強きに勝つ話です。「ほとんどの作品が」とは到底いえないと思うのですが?それに前二つは明らかにギャグとして書いてるのですから「強気を助け、弱きをくじく」が好き嫌いに結びつくものでしょうか?らりた 2005年10月5日 (水) 09:18 (UTC)
- 『ミーコ』も基本的に弱きが強きを倒すストーリーで来ていますよね。我鷹と波溜はどちらも麻雀は強いですが、組織内の立場では我鷹が圧倒的に強い。女子プロの世界に目を向けると、明らかに弱いミーコが、いずれ強い馬杉に勝つというストーリーなのではないでしょうか。『とどめ』だって、幼い頃負けて父を殺された主人公が、成長して仇を討とうとするストーリーですし、『ドトッパー』も、強い田中は最終的に敗退します。私もこの部分の記述は削るか表現を改めるべきではないかと思います。 --くしなだ 2005年11月4日 (金) 16:36 (UTC)
- 問題の一文を削除しました。らりた 2005年11月14日 (月) 11:57 (UTC)
- 私も片山作品で麻雀を知ったクチですが、片山作品はキャラを立てるために極端に強いか極端に弱いキャラクターという設定を入れているためにそのキャラの強さ又は弱さが目立ってしまうのだと思いますよ。でも強いキャラクターは大抵団体などの組織から孤立しているか外れているような異端児・アウトロー(持杉が実はプロ雀師だという設定はすっかり忘れていましたし)ばかりですし、弱きが強きを倒すストーリーが多いと思いますが。--水野白楓 2006年5月18日 (木) 09:27 (UTC)
- 問題の一文を削除しました。らりた 2005年11月14日 (月) 11:57 (UTC)
自己中
[編集]私もソースが無いので編集しなかったのですが、「自己中心的」という言葉が「自己中」と略されるようになったのは、『ぎゅわんぶらあ自己中心派』が由来ではないというのが当時の実感なのですが。。 実際のところはどうなのでしょう。--以上の署名のないコメントは、222.1.93.96(会話/Whois)さんが 2006年8月30日 (水) 00:14 (UTC) に投稿したものです。[1]
- 『ぎゅわんぶらあ自己中心派』をリアルタイムで読んでいた世代ではないのでよくわからないのですが、そもそもこの作品って「自己中」って略されてたんでしょうか? 私の周りでは「ぎゃんじこ」と略してましたが… 私のまわりだけ? 世代間で略し方に差がある?
- それにしても2年近く放置とは…。麻雀畑には人がいませんね…--Nazki rhetorica 2008年6月19日 (木) 23:30 (UTC)
ずっと前から自己中という言葉はありますから、この作品とは関係がありません。ないのではないかと思います。--はるひ 2008年6月19日 (木) 23:33 (UTC)
- ということは本記事の記述はウソエイトオーオーということですか…。ここも加筆の要ありか。略し方についてはどうですか? 「自己中」でした? 「ぎゃんじこ」でした?--Nazki rhetorica 2008年6月21日 (土) 18:02 (UTC)
実際はわかりません。「自己中」という言葉がこの漫画が由来であるという出典があれば、出典に基づいて書いていただければよいと思います。--はるひ 2008年6月22日 (日) 06:34 (UTC)
現在のところ検証不可能なのですから、記述を削除してよいと思います。だれか出典が示せる方がおられれば、そのとき改めて記述すればよいでしょう。--Horlicks 2008年6月22日 (日) 12:01 (UTC)
- (報告)「自己中」に関する記述を除去しました[2]。そのあと、独自研究っぽい箇所や羅列感のある記述を整理しました[3]。不足があれば修正お願いします。--Nazki rhetorica 2008年6月23日 (月) 10:58 (UTC)
- お疲れ様です。私も続編云々の所には疑問を感じていたので削除されたことは適切であると思います。あと同人誌を参考にしての所は、あれは冗談として書いてるんじゃないかと思うんですが、どうなんでしょう。あと、私の周りでは「ぎゅわん自己」っていってました。どうでもいいですけど。--らりた 2008年6月23日 (月) 11:50 (UTC)
- そうですねー、、同人誌を参考にしてという箇所、確かにあれは片チン流のネタと言っていいと思いますが、単行本にも記載されていることですし、それがWikipediaに載るというのも御愛嬌ですから、今回は記述削除しませんでした。--Nazki rhetorica 2008年6月28日 (土) 15:40 (UTC)