コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:特別恩寵

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

特別啓示との統合提案

[編集]

「特別恩寵」(special grace)と「特別啓示」(special revelation)、又「一般恩寵」(common grace)と「一般啓示」(general revelation)は同義だと思うのですが、どちらかに統合したほうがわかりやすくないですか? ←また署名忘れました^^;--木人 2010年12月6日 (月) 07:23 (UTC)[返信]

関連部分もありますが、相違があります。翻訳論文集『予定論と一般恩恵』、ロイドジョンズのGreat Doctrines of the Bibleなどから、加筆予定です。--イザヤ 2010年12月7日 (火) 11:18 (UTC)[返信]
まず、一般恩寵と一般啓示の違いについて。一般啓示の断罪機能に対して、一般恩寵はより肯定的なものです。たとえばコーネリウス・ヴァン・ティルが一般恩寵にあげるものに一夫一婦制がありますが、一夫一婦そのものは異教徒のうちにもみられるもので、断罪機能というより、文字通り神の恵みです。自然啓示、一般啓示はローマ書1章18-20を根拠聖句にするものですが、ローマ・カトリックの自然啓示と一般啓示もまた異なります。ローマ・カトリックの自然啓示は、断罪機能というより、自然を通しての啓示の肯定面をより主張すると言えます。--イザヤ 2010年12月8日 (水) 17:25 (UTC)[返信]
カルヴァン主義の教派的特徴をもった恩寵論ではカルヴィニズムの5特質のTULIPにあるen:Irresistible grace不可効的恩寵)となりますが、特別恩寵とすればもっと超教派的なはずです。--イザヤ 2010年12月8日 (水) 17:25 (UTC)[返信]
コメント一般恩寵と一般啓示の違いについて、了解しました。ただ、私としては別々の項目を立てるのではなく、関連項目だということがわかるように、一つの項目にしたほうがすっきりすると思っています。私もこのことについて勉強中ですので、またまとまりましたら提案させて頂きます。--木人 2010年12月9日 (木) 06:17 (UTC)[返信]
コメント 横からすみません。教派ごとの理解の違いが概念名称に反映されているのであれば、別々の項目名の方が、作成にあたって中立的観点が達成し易いというメリットはあると思います。統合には少なくとも現時点では否定的と申さざるを得ません(尤も当方はプロテスタントには信じられないほど暗いものですから、お二人の議論の推移をみて意見を変える可能性も無しとはしませんが)。--Kinno Angel 2010年12月9日 (木) 10:05 (UTC)[返信]

冒頭文についての依頼

[編集]

イザヤさん、申し訳ありません、「一般恩寵」「特別恩寵」の語彙は正教会では聞いた事がありません。en:Common graceにも"a theological concept in Protestant Christianity, primarily in Reformed and Calvinistic circles"とあり、プロテスタント、とくにカルヴァン主義の術語である事が冒頭に明示されています。キリスト教全体で用いられる術語ではありません。こうしたことを踏まえた冒頭文を作成して頂きたいのですが…m(_ _)m--Kinno Angel 2010年12月7日 (火) 10:22 (UTC)[返信]

それから、この編集で「ウェスレアンの理解ではありません。」と仰っておいでですが、でしたら尚更どの教派で使われる術語なのかについて説明が必要です。--Kinno Angel 2010年12月7日 (火) 10:24 (UTC)[返信]

・私も「福音派における術語」というのには違和感があります(一般啓示も同じ)。一般啓示・特別啓示の言葉は近年における福音派とリベラル派の区分けよりずっと以前からあった言葉で、その区分を認めないとしても福音派が作りだし使用している言葉ではありません。少なくとも「プロテスタント教会における術語」としたいのですが、いかがでしょうか。--木人 2010年12月7日 (火) 11:14 (UTC)[返信]

上記の補足と訂正です。当たり前のことですが、この二つ(一般と特別)をどう捉えているか、ということと、その言葉があるかどうか、ということとを分けて考えるべきだと思います。よく用いるのが改革派だとしても、ウェスレアンにこの概念が少しもないわけではありません。そういう意味ではカトリック教会でさえもこの言葉は認識されていると思います(自然と恩恵)。Kinno Angelさんの上記の記述から、正教会にはこの概念がないようなので、「西方教会における術語」とすべきかもしれません。--木人 2010年12月7日 (火) 11:58 (UTC)[返信]
コメント 概念については微妙です…「術語が無い」のと「概念が無い」のが等価では無いというのは木人さん仰る通りです。ですから正教会にも「類似の概念はある」としても良いかもしれません(当たり前ですが、正教徒機密を通して受ける恩寵と、非正教徒が受ける恩寵は別物です)。ですが違う語彙を用いてい場合、仮にこの「特別恩寵」がプロテスタントの甲教派で使われている語彙である場合、プロテスタント甲教派の概念と、正教会・カトリック教会・プロテスタント乙教派における類似概念がどのように相似するのかを書くのは、おそろしく労力のかかるものと推定されます(比較神学は往々にして中立性を確保するのが難題となります)。私としましては「本記事はプロテスタント甲教派でよく用いられる甲教派における概念について詳述する」といった記事体裁を志向して頂きたいのですが…--Kinno Angel 2010年12月7日 (火) 19:39 (UTC)[返信]
コメント 議論中ですが、申し訳ありません、冒頭、「改革派神学で用いられる用語」として書き換えさせて頂きました。やはりカトリック神学とも異なる概念であり、さらにメソジストでも用いられないとなりますと、キリスト教全体で用いられる概念であるかのような冒頭文には無理があり過ぎます。--Kinno Angel 2010年12月8日 (水) 02:19 (UTC)[返信]
「改革派神学で用いられる用語」というのも正確ではないと思います。「改革派神学で用いられる用語」というのは例えば『リフォームド神学辞典』に掲載されているが、超教派の『新キリスト教辞典』にはないものだと思います。ところが『新キリスト教辞典』には「一般啓示」も「特別啓示」も説明があります。自分の認識では全的堕落と同じように、改革派特有のものでなく、西方教会の用語だと考えます。--木人 2010年12月8日 (水) 08:03 (UTC)[返信]
コメント それは違うでしょう。超教派の事典・辞典であっても、特定の教派にしかない概念は普通に扱われます。超教派のものである、ボウデンの『キリスト教神学事典』には「神化(神成)」の項目がありますし(内容はおそろしく惨憺たるものですが)、【『キリスト教大事典 改訂新版』494頁、教文館、昭和52年 改訂新版第四版】には「赦罪」の項目が(聖公会、東方正教会、ローマ教会)のものとして挙げられており、同じく『キリスト教大事典』には「ミサ」の項目があります。--Kinno Angel 2010年12月8日 (水) 10:31 (UTC)[返信]
少し説明が足りませんでした。「超教派の事典・辞典であっても、特定の教派にしかない概念」が項目としてあげられることは言われるようにあると思います。私が言おうとしたことは、「特定の教派にしかない概念」は、どの教派が用いているのか、というただし書きがある、ということで、まさにこのことについて議論しているわけです。たとえば、私が今参照できる『新キリスト教辞典』にも「ミサ」という項目がありますが、はじめに「ローマ・カトリック教会用語」とまず説明されています。ところが「一般啓示」「特別啓示」に関しては、どこかの教派のものという記述はありません。バプテスト派のエリクソンが書いたChristan Theologyには「一般啓示」「特別啓示」を説明するのに改革派に言及すらしていません。--木人 2010年12月8日 (水) 11:14 (UTC)[返信]
コメント一般啓示」「特別啓示」については私は申していないのですが…(汗)あくまで「特別恩寵」と「一般恩寵」に絞って申しております。で、英語版で「改革派において特に言及される語彙である」旨書かれている現状について、木人さんはいかがお考えでしょうか。--Kinno Angel 2010年12月8日 (水) 11:54 (UTC)[返信]
私は恩寵と啓示に関して一つの項目としてまとめられると考えていたので、このノートで一般啓示と特別啓示に言及していました。上記で恩寵と啓示に関してとりあえず別々とすることに同意しましたので、「・・恩寵」に関して主に改革派用語であるというのに同意します。--木人 2010年12月9日 (木) 06:17 (UTC)[返信]
コメント 木人さん、了解しました。同意ありがとうございます。--Kinno Angel 2010年12月9日 (木) 10:05 (UTC)[返信]

キリスト教の意味

[編集]

Kinno Angelさんは、一般啓示[1]特別啓示[2]でキリスト教とその後に福音派[3][4]と入れられ、ここの特別恩寵では最初に福音派[5]、つぎに[6]、改革派という語をいれておられますが、おそらくキリスト教の語は、全教派で同意できるものでないと入れるべきではないという考えからなさっているのだと思います。教派の相違をクリアにすること自体は中立性、両論併記を保つのに必要ですが、キリスト教は異教に対しての語、プロテスタントはローマ・カトリックに対しての語、福音主義は自由主義神学に対しての語、福音派はエキュメニカル派に対しての語です。つまり、この中ではキリスト教の指し示す範囲がもっとも広いのです。ジェームス・パッカーの定義によれば「使徒的キリスト教の継承者」が福音派なので、この意味では福音派=キリスト教です。しかし、もっと狭い意味ではふつう、リベラル派、エキュメニカル派に対して福音派の語を使います。この福音派の中には改革派系もおりますし、アルミニウス主義系もいます。福音派はリベラル派、エキュメニカル派に対する語として使われなければ意味をなしません。改革派は聖書によって常に改革されるの意味であって、ローマ・カトリックのSemper eadem(常に同じ)に対して使われる語なので、広い意味では聖書に権威をおくプロテスタントすべてを指します。しかし、狭い意味ではプロテスタントの正統主義時代に、カルヴァン主義系の神学者によって構築された神学をさし、更に狭い日本語の意味では米国の古プリンストン神学系の神学を濃く受け継ぐ日本キリスト改革派教会を指してしまう場合があります。そのため、改革派という語を冒頭に入れることに対しては私は慎重であって、ここに入れませんでした。また、異教でなければその用語についてキリスト教と記述する「資格」はあるはずです。しかし、ウィキペディアの現状においては、教派の間の相違という問題だけではなく、キリスト教と異教の相違すらあいまいで、混在しています。異教からのキリスト教に対する批評、批判、非難について書くなといっているわけではなく、特筆性のあるものについては大いに書かれるべきだと考えますが、キリスト教と異教を区別せずに書かれた記事については正確性にも中立性にも問題が生じます。たとえばキリスト教諸教派の一覧には三位一体を否定する宗教団体が「キリスト教教派」の中に入っていますが、これは歴史的なキリスト教会がキリスト教と呼ぶものではありません。教派間の相違をクリアにしなければならないことは私も同意しますし、Kinno Angelさんがそれに対して高い意識をもっておられることは称賛されていいと思いますが、現状のウィペディアにおいて区別されていない場合のある異教とキリスト教の相違をクリアにしていくことも優先順位としては高いと考えます。また、少なくとも私が作成した項目については、教派間の調整を非常に考えて作成しています。特別恩寵は冒頭に神の恵みのうちと書いたことで、狭義と広義の意味がある改革派という語を入れるのを避けたのです。en:Irresistible grace不可効的恩寵)はより狭義の改革派に使われる語なので、不可効的恩寵の冒頭に改革派、カルヴィニズムの5特質の、と書かない方が不自然ですが、特別恩寵については不可効的恩寵ほど狭義ではないはずなので、冒頭文については神の恵みと書くだけでいいのではないかと考えています。--イザヤ 2010年12月9日 (木) 11:35 (UTC)[返信]

コメント 丁寧なご説明をありがとうございます。当方としましても西方の神学に暗い以上、「何が適切な表現か」については一貫性ある主張を本件につき出来ておりません。その事については率直に認めますし、木人さんやイザヤさんに要らぬ手間をおかけしてしまっていること、心苦しく思います。
ですがやはりイザヤさんが私の意図につき
おそらくキリスト教の語は、全教派で同意できるものでないと入れるべきではないという考えからなさっているのだと思います
とご指摘の通りなのです。
正教会では恩寵を西方教会のように細分化した概念としてあまり捉えないように思います。もちろん私の知見不足に由来する危険性はゼロではありません。しかしながらマカリイ1世 (モスクワ府主教)による『定理神学』においてすら、「一般恩寵」と「特別恩寵」の区別はなされていないのです。「すら」と申しましたのは、19世紀のロシア正教会神学は相当に西方教会に影響を蒙っていたとして、正教の伝統を復興しようとする人々からは否定的に語られることすらあり、そうした時代・地域でスタンダードとしての地位を得ていた神学書ですら言及されないというのは、やはり正教にはみられない概念整理と申して良いのではないかと思われるのです。蛇足ですが、マカリイの定理神学では「共働の恩寵」の語彙もあり、西方には無い共働(シネルギア)の伝統が反映されています。
そもそも原罪論すら正教会と西方教会とでは異なるのですから、「キリスト教神学の概念」と言える記事は、おそらく巷間で思われる以上に極少である筈です。
この点、日本の超教派の事典類・書籍類には、「正教に造詣の深い、正教神学を学ぶローマカトリック神学者」によって正教関連の項目が書かれている事も多く、彼らなりのバイアス(「東方教会はカトリック教会の肺の一つ」)が多分に入っている事に注意しなければなりません。彼らのバイアスからは、安易に「カトリックと東方教会はこの点では同じである」とする誤謬が頻繁に結果しています。
色々蛇足的なものを申しましたが、やはり「キリスト教用語」とするには難しいと思います。
と言って「改革派用語」とすることには拘りはありません。より適切な表現があれば、ぜひぜひ拝聴したいと願っております。--Kinno Angel 2010年12月9日 (木) 13:04 (UTC)[返信]