ノート:理容師
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ハドリアヌス帝などの記述について
[編集]時代と王の名前に錯誤が見られるので、どなたかご教示頂きたく、ノートにて記入いたします。 該当箇所はここです。 「中世以降 ノルマンディー公ウィリアム征服王のイングランド征服時には、ハロルド2世 (イングランド王)と家来は顎髭を剃っていた 顎髭がファッションに戻ったのはギリシャ好きのハドリアヌス帝の時代になってからであった」 ハドリアヌスは帝国ローマの皇帝かと記憶しており、また時代的にノルマンディー公のあとというのは、時代が逆行していると考えます。 正確な事をご存知の方、訂正をお願い致します。
- 報告 節タイトルを付けさせていただきました。係る一文を改訂しました。--Cyclops(会話) 2012年9月12日 (水) 04:12 (UTC)
- コメント まず、「ノルマンディー公ウィリアム征服王」ではなくて、「ノルマンディー公ギヨーム2世(イングランド王ウィリアム1世)」です。ノルマンディー公としての名は「ギヨーム2世」であり、イングランドを征服したことで(ノルマン系の)イングランド王「ウィリアム1世」となり、「征服王」とも雅称されるようになったわけです。また、「ノルマン・コンクエスト(イングランド征服)」ではなく、ギヨーム2世率いる「ノルマン・コンクエスト(ノルマン征服=ノルマン[によるイングランドの]征服)」です。更に、「ハロルド2世 (イングランド王)」とありますが、敵方であり最後のアングロ・サクソン系イングランド王となった「ハロルド2世」です。以上、これらは誤読が起こらないよう以下のとおり改訂しました。
- 「イングランドにおいて、ノルマンディー公ギヨーム2世(イングランド王ウィリアム1世)によるノルマン・コンクエスト(ノルマン征服)の時代には、敵方であり最後のアングロ・サクソン系イングランド王となったハロルド2世とその家来は顎髭(あごひげ)を剃っていた。」
- そして、「ハドリアヌス帝」についてですが、「帝」という点でも「ギリシア好き」という点でも「イングランド関連」という点でも、ローマ皇帝ハドリアヌスを指すと思われます。ですが、ウィリアム1世より千年も昔の人物であり、明らかに時代が逆行していて理屈に合いませんので、とりあえずコメントアウトとしておきました。どういった理由でハドリアヌス帝が出てくるのか判る方がおられましたら、改訂をお願いします。なお、「帝」ではない「ハドリアヌス」であれば数名のローマ教皇がいます(ハドリアヌス (曖昧さ回避))。余計な「帝」を付け足してしまったということも、考えられなくはない…でしょうかね。--Cyclops(会話) 2012年9月12日 (水) 04:12 (UTC)