ノート:理蕃政策
まず、2014年10月13日の記述において、「アジア・太平洋戦争」と記述しましたが、これは「太平洋戦争」と記述するのが正しいと考えます。本記事は、1945年の12月のいわゆる「真珠湾攻撃」をはじめとする英米各国に対する戦闘開始以降の戦争を指しておりますので、それ以前の満州事変に始まる戦争からの一連の戦争と捉える「アジア・太平洋戦争」の用語は、適切ではありませんでした。同様の理由により「大東亜戦争」という用語を併記することも適切ではないと考えます。同用語は、12月12日の閣議決定が示す通り、日中戦争を含む概念ですので、「太平洋戦争」という用語とは併記しえないと考えます。 次に、志願兵が多かったという記述についてですが、これは、台湾人(当時で言うところの「本島人」)一般についての記述であると考えます。本記事該当部分は、あくまでも台湾原住民(当時で言うところの「高砂族」)であり、対象を異にします。従って、この本記事からは削除しました。 最後に、「『高砂義勇兵』として南方戦線に参加」という記述ですが、参加という表現は実態にそぐわないと考えます。志願兵といっても、全くの自由意思とは考えられず、かつ部隊全員が志願兵だけで構成されているわけではありません。第一回陸軍志願兵の募集に42万人余の申込者が殺到しというのは、1941年のことであり、戦局の悪化にともない募兵制から徴兵制に替わっています。「台湾における全面的な徴兵制は1945年から布かれています。1945年の日本の敗戦までの最後の8年間で、台湾では20万7183名が日本の戦争に参加し、うち軍人は8万433名、「軍属」が12万6750人、そのうち死亡者総数は3万304名であった。軍人は徴兵入隊者が主で、陸軍志願兵はわずかに5000余名のみ、海軍志願兵は約1万1000名のみである(周婉窈著・濱島敦俊監訳「図説台湾の歴史」平凡社 152ページ」というのが実態です。当該個所は載國煇著「台湾-人間・歴史・心性-」(1988年)岩波新書 80ページにある「太平洋戦争の勃発後、先住民系の青年たちは一転して日本人の同胞扱いとなり、南方作戦に「高砂義勇隊」として動員され再び犠牲となった」からとっています。この底本を尊重すべきと考えます。 --会話 2015年8月24日 (月) 05:21 (UTC)