利用者‐会話:二林史夫

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二林史夫さんがウィキペディアにおいて実り多き執筆・活動をなされることを楽しみにしております。--Free spirit会話2014年1月19日 (日) 11:46 (UTC)[返信]

コピー&ペーストによる新規記事作成の中止のお願い[編集]

こんにちは、二林史夫さん。記事名を変更する際に、新しい記事を作ってそのまま内容をコピー・アンド・ペーストされているようですが、履歴保存の都合上、ページ名の改名を使うことが強く推奨されています。

また、そのような移動はWikipedia:ウィキペディア内でのコピーをお読み頂きますとお解りの通り、GFDLおよびCC-BY-SA違反となり削除対象となりますので、Wikipedia:ページ名の変更をお読みのうえ、移動を行っていただくようお願いします。

台湾地方自治聯盟台湾地方自治連盟にコピー&ペーストで作成することはWikipedia:即時削除の方針#全般の全般6により禁止されており、即時削除依頼を提出させていただきます。

記事名の改名が必要と思われたのなら改名提案の手続きを行ってから合意を得てから行って下さい。

--KASEI会話2014年4月5日 (土) 11:08 (UTC)[返信]

台湾からの引き揚げについて[編集]

こんにちは、二林史夫さん。台湾からの引き揚げにて、「本記事では~」という、スタイルマニュアルから逸脱した始まり方をしていたので訂正させて頂きました。これはウィキペディア日本語版が、アメリカ・フロリダ州にあるウィキメディア財団の有するウィキペディア日本語版サーバーから提供されているサイトであり、決して日本人のためだけにあるサイトではなく、全世界の日本語話者に向けられたサイトであるという大前提から来る記事の書き方の決まり事ですので、その点をお忘れなきよう今後の記事の執筆の際にもほんの少しだけ注意して頂けたらと思います。今後も良質の記事執筆を頑張って下さいませ。--106.167.23.176 2014年6月25日 (水) 03:04 (UTC)[返信]

問題を解決させずにテンプレートを剥がす行為について[編集]

問題を解決させずにテンプレートを剥がす行為はおやめください。 こんにちは、二林史夫さん。ウィキペディアにご参加くださり、どうもありがとうございます。

満蒙開拓団から{{出典の明記}}および{{参照方法}}を除去編集されておられましたが、Wikipedia:ウィキペディアでやってはいけないこと#独断でメンテナンス用テンプレートを剥がそうとすることに記載がございます通り、問題を解決させずにテンプレートを剥がす行為は推奨されておりません。

「満蒙開拓団の記事について出典はすべて記載しております。指摘は全くあたっていません。」とのことでございますが、二林史夫さんが編集された当該記事の最後の版である2014年9月7日 (日) 00:49 (UTC)の版におきましても、‎「概説」節の文章のいくつかに出典が記載されていないものがあります。「参考文献」の節に文献を列挙しただけでは、記事のどの部分がどの出典を参照しているか分からないため、検証したり不要な出典を除いたりするのが困難になります。それらの文書の何ページの記載が、ウィキペディア記事の本文中のどの箇所の出典に該当するのか、個別参照法等を用いて明確に記載する必要があります。

例えば、

== 本文 ==

お弁当とは、米飯や惣菜を箱に詰め合わせたものである。箱の蓋は紐などでくくられ、誤って開いて中身がこぼれることのないようにされることが多い。中には梅干やわさび漬けなどを併せて入れることで、中身の腐敗を防ぐよう工夫されることがある。

== 参考文献 ==

  • 伊藤太郎 (2007), お弁当の食品安全, お弁当出版, ISBN 1234567890
  • 山田花子 (2003), はじめてのおべんとう, 主婦書房, ISBN 2345678901

のような記載は、

== 本文 ==

お弁当とは、米飯や惣菜を箱に詰め合わせたものである[1]。箱の蓋は紐などでくくられ、誤って開いて中身がこぼれることのないようにされることが多い[2]。中には梅干やわさび漬けなどを併せて入れることで、中身の腐敗を防ぐよう工夫されることがある[3]

== 脚注 ==

  1. ^ 山田花子 2003, p. 3.
  2. ^ 山田花子 2003, p. 37.
  3. ^ 伊藤太郎 2007, 第2章第3節.

== 参考文献 ==

  • 伊藤太郎 (2007), お弁当の食品安全, お弁当出版, ISBN 1234567890{{ISBN2}}のパラメータエラー: 無効なISBNです。 
  • 山田花子 (2003), はじめてのおべんとう, 主婦書房, ISBN 2345678901{{ISBN2}}のパラメータエラー: 無効なISBNです。 

のように改めることができます。脚注の付け方はこの限りでなく、様々な方法があります。Help:脚注をご参照の上、適切な記載をお願い申し上げます。

また、数字の記載方法につきまして、原則、4桁ごとに「万」「億」「兆」などを入れ、カンマ区切りとは併用しないことが規定されています。Wikipedia:表記ガイド#数字もご参照ください。

以上につきまして、なにとぞご理解の上で、編集活動を行われますようお願い申し上げます。 --180.61.45.142 2014年9月8日 (月) 01:37 (UTC)[返信]

(2014年9月8日 (月) 01:37 (UTC)の投稿より不必要な文字が挿入されていた箇所を撤去)--180.61.45.142 2014年9月8日 (月) 01:39 (UTC)[返信]

ご連絡くださりありがとうございます。確認致しましたが、依然として一部の文章には出典が付与されておりません。例えば「概説」節における「満蒙開拓団の事業は、 - (中略) - として発足した。」「1936年(昭和11年)までの - (中略) - を送り出した。」などの文章には一切出典がありません。お手数ではございますが、ご対応のほどよろしくお願い申し上げます。また、一部重複する脚注がございましたので、統合編集を行いました。

なお、本件に関するご返信は、議論の履歴継承の観点から、利用者‐会話:180.61.45.142ではなく、原則としてご自身のノートページ(このページ=利用者‐会話:二林史夫)へお願い申し上げます。--180.61.45.142 2014年9月8日 (月) 07:33 (UTC)[返信]

ご指摘の点についての改善について[編集]

ご指摘ならびに注釈についての重複記載の統合ありがとうございました。ご指摘の点ですが、「満蒙開拓団の事業は、昭和恐慌で疲弊する内地農村を・・・」から「1941年(昭和16年)までの5年間は「本格的移民期」にあたり年平均送出数は、3万5000人にのぼる。」までの文章は、実は同一ソースなのでこのように改善の仕方にしました。ご意見等よろしくお願いいたします。--二林史夫会話2014年9月8日 (月) 15:43 (UTC)[返信]

迅速にご対応くださりありがとうございます。出典の付与につきまして、同一の出典であっても、段落ごとではなく、原則として文章ごとに記載をお願い致します。閲覧者や他の編集者の方々が、どの箇所がどの出典を元に記載されているのかすぐに参照できるようにしておく必要があるためです。ご指摘に基づき2段落目までは全ての文章に出典の付与を完了致しましたので、残りの3段落目「日中戦争の拡大により国家総力戦体制が - 」以降の箇所につきまして、大変お手数ではございますが、ご対応のほど、よろしくお願い申し上げます。--180.61.45.142 2014年9月9日 (火) 09:41 (UTC)[返信]

二林史夫さん、こんにちは。 掲題の件ですが、Wikipediaではすべての版は履歴にて完全に保管されます(この場合、ここに残っています)。ですから、過去の版をノートページ等に残す必要はありません。また、ノートページは記事の議論に用いる場所でして、記事のコピーを置く場所ではありません。さらに言えば、記事をまるまるどこかにコピペする場合には「履歴の継承」が必要ですから、今回のノートページヘのコピペはWikipedia:ウィキペディア内でのコピーのルールに反することになり、著作権違反で削除となります(今回は私にて、全般6での削除要請を貼付しました)。Wikipediaには様々なルールがありますので、今回の場合はどう問題があったのか、Wikipedia:ウィキペディア内でのコピーをよく読んでいただければと思います。不明点があれば、お気軽にわたしのノートで質問してください。 --Tonbi_ko会話2014年9月28日 (日) 11:09 (UTC) わかりやすいようにリンク追加しました。--Tonbi_ko会話2014年9月28日 (日) 11:18 (UTC)[返信]

民工の加筆について[編集]

二林史夫さん、こんにちは。中国経済関連で記事を執筆している(いた?)Wushi会話)と申します。このたび、民工の加筆ありがとうございます。出典で気になったところがありましたので、確認にあがりました。

脚注3  鈴木(2010年)209ページですが、参考文献に記載がないようです。ご確認の上、加筆・修正お願いいたします。--Wushi会話2015年7月18日 (土) 20:13 (UTC)[返信]

感謝いただきまして、ありがとうございます。[編集]

「無条件降伏」の表現について[編集]

はじめまして。「湾生」と「台湾からの引き揚げ」のページにおいて感謝を示していただきありがとうございました。

さて、標題の件についてですが、私が「本省人」と「本島人」のページにおいて「日本の無条件降伏」という表現を「日本の降伏」という表現に変更すると、後日、あなたがその編集を取り消されました。

日本国軍隊に関してはポツダム宣言において「無条件降伏」が明記されているので問題ないと思いますが、日本政府に関しては条件付降伏説もありますので、論争を回避するためにも「降伏」とさせていただいた次第です。

日本の降伏が「条件付降伏」か「無条件降伏」かという議論をここで行うつもりはありませんが、この論争は有識者の間でも長年続けられており結論も出ておりません。そのため、不要な編集合戦を回避するためにも「降伏」といった無難な表現にしておくことが妥当かと思います。どうしても「無条件降伏」と表記したいのであれば「日本の無条件降伏」「日本国軍隊の無条件降伏」とした方が論争を避ける意味でもよろしいかと思います。

以上、よろしくお願いします。--A22112212会話2015年11月30日 (月) 00:33 (UTC)[返信]

「本省人」などの記事における「日本の無条件降伏」の記述について
はじめてごあいさつ申し上げます。二林史夫と申します。
表記の件について、ご意見ありがとうございました。ただ、貴見に対して感じた疑問点を述べさせていただきます。
まず少し長くなり恐縮ですが、遠山茂樹・今井清一・藤原彰著『昭和史(新版)』(1959年刊)岩波新書青版239ページから240ページを転記します。
「ソ連の参戦は、その仲介に最後の希望を託していた日本政府に大きな衝撃をあたえた。そしてポツダム宣言受諾へふみきらせるきっかけとなった。ところが8月9日、最高戦争指導者会議では、ポツダム宣言が要求している無条件降伏は問題とならず、天皇の地位の保障を条件につけようとする外相の案と、その他に自主的な武装解除、日本の手による戦争犯罪人の処罰、連合軍の日本占領にたいする制限などの条件をつけようとする軍部の案が対立した。この日、長崎に2発目の原爆が投下され、さらに数10万人の死傷者が生まれた。9日深夜に開かれた御前会議でも両案が対立したが、ついに天皇の裁断によって、外相案すなわち天皇の地位の保障だけを条件につけることが決定された。8月10日「天皇の国家統治の大権に変更を加うる要求を包含し居らざることの了解の下に」ポツダム宣言を受諾の申し入れが、ラジオと中立国を介して行われた。これに対してアメリカ国務長官バーンズは「降伏のときより天皇および日本国政府の国家統治の権限は(中略)連合国最高指揮官に従属するものとす。最終の日本国の統治形態は、国民の自由に表明する意思により決定せらるべきものとす」との回答を通告してきた。8月12日、この回答を知った軍部や平沼枢密院議長は、これでは国体護持の保障がないとし、再照会と、もし保障が得られないときは戦争を継続すべきことを主張した。対立がふたたびむしかえされ、天皇は動揺した。しかしこのとき、連合国の回答にもられたアメリカの真意は、暗に日本の申し入れをみとめたものだというアメリカの新聞情報がはいり、受諾論がもりかえした。8月14日、再度の御前会議で、天皇お決定によって無条件降伏がきまった。」
参考文献としては挙げませんでしたが、「本省人」の記事などで「無条件降伏」という言葉を使った当初の記述では、この記述を念頭において書いています。この記述を読むと、日本が条件付き降伏をしたなどという解釈は出て来ようもないと思っております。
A22112212様は、「日本の降伏が「条件付降伏」か「無条件降伏」かという議論(中略)は有識者の間でも長年続けられており結論も出ておりません。」とおっしゃいますが、果たしてそう言えるかどうか?
2015年8月7日付けの朝日新聞朝刊11面(オピニオン面)に佐伯啓思京都大学名誉教授が書いている「(異論のススメ)押し付けられた米国的歴史観 ポツダム宣言の呪縛」という意見を読みました。そこには「たとえば、近年は多少認識されるようになったが、ポツダム宣言は、決して日本の無条件降伏など要求していない(無条件降伏は「カイロ宣言」に書かれている)。ポツダム宣言が要求しているのは、「日本政府が、直ちに全日本国軍隊の無条件降伏を宣言する」ということなのである。「軍隊の無条件降伏」がいつのまにか、「日本の無条件降伏」になってしまったのである。それよりも明白なのは、ここに示された戦争観・歴史観であろう」とあります。
A22112212様の言う「条件付降伏」論者が佐伯教授のような見解かどうかはわかりませんが、もしそうだとしたら、佐伯教授のような見解は、果たして先述の『昭和史』に書かれているような事実と、がっぷり四つに組んでいると言える対立なのか、疑問に思います。少なくとも佐伯教授のような見解は、ポツダム宣言の受諾についての歴史的な事実がどうか、というよりも別のところ(改憲論など?)にあるような気がいたします。
以上より、私は「ポツダム宣言の受諾による無条件降伏」という記述が、事実を素直に捉えた書き方だと思っていますが、いかがでしょうか?--二林史夫会話) 2015年12月9日 (水) 15:22 (UTC)(転載--A22112212会話2015年12月9日 (水) 15:51 (UTC)[返信]
こんにちは。
まず、はじめに申し上げた通り、今の気持ちとしてはここで「条件付降伏か無条件降伏か」を深く争うつもりはありません。
そうしたことも踏まえて、はじめに、ご指摘の点について感想を述べさせていただきます。
遠山茂樹・今井清一・藤原彰著『昭和史(新版)』(1959年刊)岩波新書青版239ページ~240ページの該当部分の転載、ありがとうございました。
ご提示いただいた文献では、「『天皇の国家統治の大権に変更を加うる要求を包含し居らざることの了解の下に』ポツダム宣言を受諾の申し入れ」を日本側が行い、紆余曲折の末、「連合国の回答にもられたアメリカの真意は、暗に日本の申し入れをみとめたものだというアメリカの新聞情報がはいり、受諾論がもりかえし」ポツダム宣言を受諾したということになりますが、これでは日本側にとっては申し入れ(提示した条件)が認められたがゆえに降伏の判断を下したということになりませんか。
前後の文章が無いためか、あるいは私の読解力不足でしょうか。たしかに最後に「8月14日、再度の御前会議で、天皇の決定によって無条件降伏がきまった(「天皇お」は「天皇の」の間違いだと思いますので修正しています)」とありますが、文章を読む限り日本側は提示した条件を認めさせたようにしか取れないように思います。
この文章の読み取りはさておき、あなたが仰られるような無条件降伏論が正しくないとまでは申し上げておりません。私が申し上げていることは「条件付降伏論、無条件降伏論いずれも存在し、戦後数十年経った現在でも未だに両陣営がそれぞれの主張を行っている」ことを鑑み、「降伏」といった中立で現実を捉えた表現が編集合戦も起きず妥当なものであるということです。
二林さんは「無条件降伏論」を裏付けるため歴史学者が書いた本を提示してくれました。しかし、その一つをもって「正しい」ということにはなりません。
例えば、五百旗頭真著『戦後日本外交史』第3版補訂版の第1章 占領下日本の「外交」(p.20~)では、連合国の日独に対する姿勢やポツダム宣言の経緯について述べ、p.27で「5月のドイツ降伏文書は、何ら条件を示すことなく、勝者の要求をすべて敗者が受諾することを約した。いわば「白紙委任」型の無条件降伏であった。それに対し8月の日本降伏は、ポツダム宣言に列記された条件に同意しての『条件降伏』であった。」とあります。また、結章 戦後日本外交とは何か(p.279~)においても、p.282で「日本占領はマッカーサー連合国最高司令官が天皇と日本政府を通じて支配する間接統治となった。日本国家ではなく、『日本の全軍隊』のみの無条件降伏がポツダム宣言に列記された。条件を白紙委任したドイツ型の無条件降伏ではなく、日本はポツダム宣言に記された諸条件を受け入れて降伏した。」と記載されています。このように、条件付降伏論を唱える学者もおり、両陣営が出す文献を挙げればキリがないでしょう。
私はこの本、記述をもって「日本が条件付降伏をした」と言い切るつもりはありませんし、条件付降伏論が必ず正しいと言うつもりもありません。一方、同じ論理で、無条件降伏論が必ず正しいとも言えないはずです。--A22112212会話2015年12月9日 (水) 16:49 (UTC)[返信]

「本省人」、「本島人」および「台湾人」の3記事について、いずれも当初は若林正丈著『台湾 変容し躊躇するアイデンティティー』(2001年)ちくま新書の61ページの「日本の無条件降伏により」という原文をもとに記述されていた「無条件降伏」の文言が「日本の降伏」という文言に変更されたことについて、「中立的観点から」という理由による当該変更を了承します。理由は、以下のとおりです。ポツダム宣言の受諾に伴う日本の降伏について記述する書物において、「無条件降伏」と言い切って説明するのは前傾遠山他著『昭和史(新版)』が私が確認できた中では唯一の例であり、他の書物ではポツダム宣言の受諾について「無条件降伏」という文言を使って説明するものはなかったことです。例えば、三國一朗著『戦中用語集』(1985年)岩波新書202-203ページ、吉田裕著『アジア・太平洋戦争 シリーズ日本近現代史6』(2007年)、加藤聖文著『「大日本帝国」崩壊 東アジアの1945年』(2009年)では、いずれも「無条件降伏」という文言の使用はありませんでした。ポツダム宣言の受諾という歴史的事実を説明するに「無条件降伏」の文言を使用しないというのが現代の主流かとも考えられます。よって、「日本の降伏」という文言を使った変更を合理的なものと現時点では考えます。--二林史夫会話2015年12月31日 (木) 10:19 (UTC)[返信]

「無条件降伏」か「降伏」かの議論について

かつて議論しておりました「本省人」や「台湾人」などの記事中の「無条件降伏」から「日本の降伏」への文言に変更問題ですが、貴兄による当該変更を了承したいと思います。理由は、以下のとおりです。ポツダム宣言の受諾に伴う日本の降伏について記述する書物において、「無条件降伏」と言い切って説明するのは前傾遠山他著『昭和史(新版)』が私が確認できた中では唯一の例であり、他の書物ではポツダム宣言の受諾について「無条件降伏」という文言を使って説明するものはなかったことです。例えば、三國一朗著『戦中用語集』(1985年)岩波新書202-203ページ、吉田裕著『アジア・太平洋戦争 シリーズ日本近現代史6』(2007年)、加藤聖文著『「大日本帝国」崩壊 東アジアの1945年』(2009年)では、いずれも「無条件降伏」という文言の使用はありませんでした。ポツダム宣言の受諾という歴史的事実を説明するに「無条件降伏」の文言を使用しないというのが現代の主流かとも考えられます。よって、「日本の降伏」という文言を使った変更を合理的なものと考え、了承します。長い間放置してしまい申し訳ありませんでした。--二林史夫会話) 2015年12月31日 (木) 10:25 (UTC)(転載--A22112212会話2016年1月4日 (月) 10:34 (UTC)[返信]

理解していただきありがとうございます。--A22112212会話2016年1月4日 (月) 10:42 (UTC)[返信]

「羽衣文具」削除依頼のお知らせ[編集]

二林史夫さん、はじめまして、クブクリンと申します。

突然ですが、昨年11月8日に二林さんが加筆された羽衣文具の項目について、当方で削除依頼を提出させていただきました。新聞から短歌の引用をなさっていますが、その作者である一般読者のかたの個人名はWikipedia掲載には適切ではない(削除対象)と考えております。
この短歌の引用も、羽衣文具とその廃業を説明するのに必要性が高いとはいえず、著作権の面でも問題を孕んではいないでしょうか(この点については微妙な判断であり、当方も問題があるかどうかはっきりいえる自信はありませんが)。

この2点を理由に削除審議に諮りました。当該部分も取り除いてありますので二林さんからは何もしていただく必要はありませんが、念のためご報告まで。--クブクリン会話2016年2月22日 (月) 13:02 (UTC)[返信]

一般人の名前を記載することはお止めください。[編集]

Wikipedia:削除依頼/羽衣文具が提出されています。ウィキペディアでは一般の方の名前を書くことは、第一にプライバシの観点から不適切であると見なされます。さらに短歌一つも著作物であり、それを転載することは著作権侵害と見なされます。そもそも全く脈絡もなく無意味で不要な加筆です。--KAMUI会話2016年2月22日 (月) 13:08 (UTC)[返信]

ニュースソースについて[編集]

習近平の件、修正後の内容確認致しました。承知しました。

また、習近平の二林さんの加筆内容や他の記事を見ていて気になったので一つお願いです。新聞を用いたソースにおいて「○○新聞、いつ付、何面」といった出典の記載をされていると思いますが、新聞の場合同じ記事でも版によって掲載ページや掲載される号が違ったりしますので、出来るだけ電子版などへの記事リンクも付けて頂けるとWikipedia:検証可能性#アクセシビリティが向上し、より元のソースへのアクセスがしやすくなり、正確性もあがると思います。(後々縮刷版で追いかけようとした際、二林さんが確認された版と掲載ページ等が異なる可能性も出てきます)

つきましてはご協力のほどよろしくお願いします。--準特橋本Talk/Contribs2016年5月4日 (水) 02:57 (UTC)[返信]

中立的な観点に反する記述となりますのでご確認ください[編集]

日本に関する無条件降伏に関しては、深刻な論争がある主張ですので、事実として記さないでください中立的な観点に反する記述とならないように、ご協力をお願いします。--Husa会話2016年5月28日 (土) 01:22 (UTC)[返信]

著作権侵害のおそれ[編集]

二林史夫さんによる執筆に関してですが、著作物の写しをされています[1][2]。原文通りに執筆されることは、著作権侵害となる恐れがあります。二林史夫さんによる執筆は、百科事典的というよりは、作家特有の創作的なフレーズが散見される印象をもっております。原文通りに執筆されてされている箇所はほかにありますでしょうか。是非、著作権侵害におそれのある執筆箇所について、調査をお願いします。著作権の概念については、Wikipedia:著作権Wikipedia:原典のコピーはしないWikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針の熟読をお願いします。また、問題が発覚した記事については、Wikipedia:削除依頼/日本の降伏を提出しておりますことをお知らせします。--Husa会話2016年6月21日 (火) 14:31 (UTC)[返信]

著作権侵害のおそれによる削除依頼追加[編集]

二林史夫さんが利用者‐会話:Husa(2016年6月21日 (火) 14:50‎)で、引用元を記さずに、Wikipedia:著作権で保護されている文章等の引用に関する方針から大量のコピーを行われましたので、ノートページの削除依頼に提出せざるを得ない状況となっております。まず、Wikipedia:原典のコピーはしないの熟読をお願いします。二林史夫さんが執筆された内容において、引用の形式をとらない原典のコピーがなされている恐れがあります。どの箇所が原典のコピーであるかを、ご申告頂けますと大変助かります。ご協力をお願いします。--Husa会話2016年6月21日 (火) 15:45 (UTC)[返信]

特定の観点を推進する記載は控えて下さい(警告)[編集]

Wikipedia:中立的な観点をご参照下さい。特にWP:YESPOV中にある「意見を事実として記さない。」、「深刻な論争がある主張を事実として記さない。」を良くお読みになってください。--Criteriaire会話2016年6月26日 (日) 11:49 (UTC)[返信]

上記警告について[編集]

8月15日を中心とする日本のポツダム宣言受諾については、日本側がいかなる条件もあるいは留保事項も付けませんでした。これは客観的な事実です。これに反する事実すなわち、日本が1つでも条件や留保事項を付したという客観的な事実はありません。このことを争う歴史学者は、1人たりともいません。ただ特定の政治的意図をもって「日本は条件付き降伏をした」という主張をする言論人や国会の場で発言をした極めて少数の憲法学者などがいることは事実です。しかし、それは学問的背景のない極めて少数説である、「深刻な論争がある」とは言えないと思います。また「無条件降伏」という客観的事実を、「降伏」という文言に書き換えてしまうことは、(無条件降伏でない降伏とはすなわち条件付き降伏ですから)逆に「意見を事実として期さない」という原則に反してしまうと考えます。取り急ぎの回答で失礼しました。詳しい議論は、削除されてしまった部分が回復してからにいたしましょう。--二林史夫会話2016年6月26日 (日) 13:05 (UTC)[返信]

たとえ話は無用の議論の拡大を招きかねないので控えてきましたが、今回の「無条件降伏」論争をしながら常に思っていたことがあります。 たとえば、「恐竜が絶滅した」という客観的事実をwikipediaに書いた場合、「ネス湖にネッシーが存在する」という考えを発表した「学者」が1人でもいたとしたら、「中立的観点」からはすべて「恐竜が絶滅した」という文章は書けなくなるのか?あるいは天動説がかつて極めて有力だったということからすれば、「地動説」も「中立的観点」からは書けなくなるのか?はたまた、「錬金術」がかつて多くの人が信じたことからすれば(あのケインズも信じたとかつて読んだことがあります。)中立的観点から、これにも言及しなければならないのか?「日本が条件付き降伏をした」との説は、「ネッシー実在説」、「天動説」、「錬金術」と同様か極めて近い議論に聞こえるのですが、Husaさんやその賛同者の方はどうお考えですか?「中立的観点」を金科玉条のごとく振り回すだけでは、解決しないと思います。--二林史夫会話2016年6月26日 (日) 14:42 (UTC)[返信]

あなたの言う「客観的な事実」はあなたの主張であって、その主張が客観的に担保されないのであればそれは何ら客観性を持たず、あなたは単にあなた自身の主張によって論争の一方に与しているに過ぎない、というのが客観的な状況です。--Criteriaire会話2016年6月28日 (火) 12:35 (UTC)[返信]
  • 連合国の提示した条件に対してなんら条件をつけることなく受諾したことをもって「日本の無条件降伏」と呼称しているわけですが、じっさいにはこれは歴史上「連合国からなんら条件を提示することなく日本が無条件降伏した」として占領政策が(一部)実施された経緯を含め論争となっているわけです(例えば外交権の剥奪、憲法の「押し付け」、軍票無効問題、戦後賠償問題、北方領土問題、海外抑留兵問題等々)。また実際の法廷であまた争点となっている事実を無視しています。<ただ特定の政治的意図をもって><学問的背景のない極めて少数説である><「深刻な論争がある」とは言えない>なる主張は信頼できる情報源の存在を意図的に軽視ないし無視したただの二林史夫氏の憶測ですので、そのような特定の観点にたってwikipedia編集方針を確定することはできません。wikipedia読者から特定の「信頼できる情報源」を隠してしまわないよう、慎重にお願いいたします。--大和屋敷会話2016年7月24日 (日) 11:13 (UTC)[返信]

コメント依頼提出のお知らせ[編集]

Wikipedia:コメント依頼/二林史夫を提出いたしました。--Husa会話2016年6月26日 (日) 15:04 (UTC)[返信]

コメント依頼での編集について[編集]

  • こんにちは。Wikipedia:コメント依頼/Husa 20160620の二林さんの編集に関して3点お願いです。
    • この[3]編集について、せっかくご忠告いただきましたが、Husa氏の編集についてコメントをお願いする場ですし、あまり論点を増やしたくはないので、<del></del>で取消線を引き、付随してコメントを付した方がいらっしゃるので、お詫びの言を入れておいていただけないでしょうか。
    • またこの[4]編集でおっしゃっている、「特定のページつぶし」というのも、どの方針・ガイドラインに違反しているのか、はっきりしません(どこかに、類型化されていますか?)。となると果たしてある編集行為が違反行為に該当するのかも判断しづらいので、いったん取消線を入れていただいて、もし追加で問題のある編集行為が確認されているようでしたら、「どの編集が、どの方針・ガイドラインに違反している」という形で改めてご提示いただけないでしょうか。
    • Husa氏の編集行為に関して、私から提起した問題(Wikipedia:荒らしに該当するか)について、もしよろしければご意見ください(二林さんはHusa氏の編集をリバーとされており、方針上リバートは荒らしへの対処以外では使いませんから、荒らし行為と判断されたのだろうと推測しておりましたが、違っていたらすみません)。
以上です。--宇井木辺出夫会話2016年7月10日 (日) 05:16 (UTC)[返信]

近況伺い[編集]

こんにちは。二林史夫氏の過去の記述については、その多くが著作権侵害のおそれにより削除されております。その他にも、まだ、著作権侵害の調査が終了していない記事が存在しておりますので、編集活動を再開されるということであれば、過去に書かれた記事の著作権侵害の調査を自ら率先して行われますよう、よろしくお願いいたします。--Husa会話2016年12月27日 (火) 05:09 (UTC)[返信]