皇甫酈の項に書くべきことかもしれませんが、あまり向こうを編集する気はなく、本項を編集してしまったので、ここに記します。出典未記載で、皇甫酈が皇甫嵩の甥という記述がありましたが、論拠と思われるのは次の2点。
- 【1】『後漢書』皇甫嵩伝の記述「嵩從子酈」
- 【2】ちくま訳『三国志 (歴史書)』董卓伝注内の注記「皇甫酈のおじに当る皇甫嵩」
【1】の「従子」は現代語においては「甥」とイコールのようですが、古代中国においてはその限りではないはずです。例えば夏侯玄は夏侯覇の従子と三国志にありますが、甥ではありません。【2】についてはちくまの注記であって原文にはありません。いずれにせよ「従子」の記述で十分かとは思っています。--narumi(会話) 2022年1月1日 (土) 16:18 (UTC)[返信]