ノート:祟り

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「祟りとは迷信か否か」について、独自研究であることを理由として議論も無く削除されたことに不服です。現代社会において、「祟り」という用語自体で、即刻「迷信」であるとして扱う方が多数派です。つまり、「祟り」という用語を解説するうえで、「迷信か否か」は、避けて通れない重要なテーマなのです。

私事で恐縮ですが、学生時代に、5人程の仲間で、肝試しとして「お化けスポット」を周ったことがあります。その後、一週間以内に、5人とも揃って不運に見舞われました。まず私の場合、交差点をバイクで直進中に、右折車に激突し、大けがを負いました。お陰で授業の単位不足で留年しました。他の友人達も、元気ないとこが心臓発作で突然亡くなったり、父親の経営する会社が不渡りを出すハメに陥いったため、学費稼ぎのためにバイトを複数こなさなければならなくなったり、三角関係が発覚して相手の男性に散々殴られたり、或いは、突然網膜剥離で緊急入院したりと、ロクでも無い目に遭ったのです。

私は、単なる偶然では説明出来ない、これらの災いは、「祟り」に対して「迷信」としてタカをくくったものと確信しました。5人の仲間も、これらの災い以降、「お化けスポット」を恐れるようになりました。

しかし、今でも、学生達の間では「お化けスポット」巡りが流行っています。実際には何事も無かったグループもいれば、災いに見舞われ、知り合いで命を落とした者もいます。

ここの段落の結論は「科学の分野では説明出来ないものの神仏に対しては「畏れ」の念をもって接するべき」です。「怖いもの見たさ」といった面白半分で「祟り」に接する人達に注意を喚起するためです。--以上の署名のないコメントは、123.220.146.181会話/Whois)さんが 2008年9月22日(月)11:23 に投稿したものです(Boca_sambaによる付記)。

お返事です。指摘した事がわかっておられないようなので、最初に断っておきます。私は祟りを否定してコメントアウトした訳ではなく、貴殿の主張を否定するものでもありません(どちらかといえば肯定的です)。しかしここは百科辞典です。最初に、貴殿の文章文面は当初から(百科事典的記述に相応しくない)断定口調で締めくくり、極めて独自研究色が強い記述内容であった、ということをご理解の上、自省してください。次に、出典の提示無きまま明らかな独自研究色の強い記述内容は、(本来ならば)議論するまでもなく削除されます。しかし、私は編集内容の要約欄に出典提示の上、ご再掲ください、として指針を示してコメントアウトしたまでで、削除そのものはしていません(私自身の寛容性の観点から、出典提示の上での文章再構成を求めたということをお考え下さい)。また、出典を示さず検証可能性を満たさない文面、あるいは個人の体験に基づく主張を百科辞典に載せる必要性はありません。
なおそのような意見が、公的にあるならばハッキリとした書物や文献などを出典として明記するのがWPでのルールです。したがって出典提示無く単に元に戻されただけなので、再度コメントアウトします。これ以降の編集は出典元の提示及び検証可能性を満たした編集を再度強く求めます。なお、これは2度目ですので警告します。もしWPの方針文書を理解せず、再度同じ行為を繰り返すようであれば、Wikipedia:管理者伝言板/投稿ブロック#方針文書の要熟読にて報告し、ご自身が投稿ブロックの対象にもなりかねないことをお考え下さい。また発言主張をされる場合は署名するのが決まり事であり最低限のマナーですので、次回以降はなにとぞご自身で署名されることをお願いいたします。--Boca samba 2008年9月22日 (月) 04:11 (UTC)[返信]