ノート:福島第一原発事故による放射性物質の拡散/拡散から推定される漏洩原因
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拡散から推定される漏洩原因
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さらに、上記到達所要時間を各地のピーク時刻から減算することにより、漏洩の原因事象を推定することができる。
数多かった事故事象のうち、14日以前の1、3号機のベントや1、3号機の水素爆発の影響は、意外に目立っていない。13日9:20に3号機のベントが行われたときも、上表のように本原発敷地で281.7μSv/Hが観測されているが、風向のためか、本原発から約12km南の第二原発でさえ影響が見えない。
しかし15日0時以後(2号機の数分間のドライベント実行の頃から2号機圧力抑制プール爆発のあった6時頃まで)の大漏洩の波及は、次々に各地で観測された(「福島第一原子力発電所事故の経緯#3月15日」も参照)。これはその後2号機からの汚染水の放射性物質が特に高濃度と判明したこととも符合している。
茨城県のデータを見ると3時半頃から放射線量が上昇し始め、本原発から70km前後の北茨城市で、地震以降それまでで福島県以外の最大値、5.575μSv/hが5時50分に観測されている。これを踏まえると、6時頃の2号機圧力抑制プール爆発以前にすでに、ベント操作のせいか他の配管などから漏れたか、大量の濃い放射性物質の漏洩が進んでいたことが分かる。[独自研究?]
15日未明の大規模放出時刻は東京電力のデータからは不明であるが、アメリカ合衆国エネルギー省の資料に記載された正門のモニタリングデータを参照すると、他のピークに混ざって、東京電力の公式データには記載されていない0時頃の約1,200ミリレントゲン=約12,000μSv/Hのピークが存在する[1]。これを加味して考えると自然に説明が付くことになる。[独自研究?]
すなわち(1)14日21:37に正門で観測された3,130μSv/Hの放射性物質によって、1時頃より茨城県を南下する0.1~0.5μSv/H級の空間線量が観測されることになり、さらに(2)上記15日0時頃,約12,000μSv/Hの放射性物質大規模放出によって、4時頃より茨城県を南下する1~5.5μSv/H級の空間線量が観測されることになったと考えられる。[独自研究?]
まだ謎が残る。
- 東京都でいうと15日18時に二度目の鋭い大ピークを形成した原因は何か(2号機または4号機の使用済み核燃料からの水素の燃焼か、あるいは2号機からの気体の風が時間をかけて回り込んだか)、
- 13日9:20に本原発敷地の281.7μSv/Hのピークで放出された放射性物質が、NHKまとめの盛岡市のデータで欠測が終わった13日がいきなり高くなっていたのと関連あるのであろうか。
- 盛岡市、山形市、ひたちなか市などでみられた20日からの丘状態の原因は何か、また
- 長期漏洩の起点でもある21 - 22日の長時間大漏洩の原因事象は何か(4号機の使用済み核燃料からの水素の燃焼か、各号機からの気体での放出や水蒸気か)(「福島第一原子力発電所事故の経緯#3月21日」も参照)
これらは、当時の1 - 4号機の内部状態、発生事象および気流が不明確で、まだ特定されていない。[独自研究?]
脚注
[編集]- ^ U.S. Department of Energy Releases Radiation Monitoring Data from Fukushima Area (04/07) 7ページ目U.S. Department of Energy