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ノート:福祉

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冒頭の定義

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冒頭の定義をもう少し広義なものに修正した方がいいように思います。一般、健常者にも関係があると思うんですが。(企業福祉とか..)Monami 2004年10月1日 (金) 01:03 (UTC)[返信]

コメント

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項目の内に ・・介護保険と合わせたこれらの動きは、福祉を「行政から差し伸べる恩恵」という考えを廃し、福祉を必要とするものにとって当然の権利とする見方が反映されている。

との評価がありますが、介護保険、支援費制度実施以前の「措置費」制度のときは、憲法の規定に基づく「生活権」を保障する制度でしたので、「国家責任」という言い方もありました。いわゆる弱者は生活権を国に求めることができると考えられます。たしかに、行政の実施は、一方的、一律で、障害などの状態をあまり考慮しないものではありました。この状態を「恩恵」と認識するのは、実態からは理解できますが、介護保険以前の制度解説としては「国家責任」から考えるべきものといえます。

「当然の権利」というのも、介護保険、支援費が国家財政が福祉を負担できなくなったところから、制度化したものですので、この評価は十分ではありません。「買う福祉」という言い方があり、自身の決定により福祉サービスを可能にしたもの、従っていわゆる弱者は自主、自立した福祉が確立された、と言えるかもしれません。例では、痴呆老人が、自身の福祉サービスを自己決定し権利主体として契約できるわけではありません。成人後見の制度で補完することになっていますが、「介護保険と合わせたこれらの動き」は、障害者年の「平等」を達成する「権利」を考えたものではないでしょう。この項目の内容は皆さんの検討をお願いします。___2004/10/21 maco

▼供給主体は本質的には三つのカテゴリーになる。「福祉国家」「家族」「市場」である。これはそれぞれ「公助」「共助(互助)」「自助」とに対応する。前述された流行のボランタリーな各種団体は、それは本質的には資本主義体制の下では政府の補助がなければ存立し得ないということから、それらはただ単に福祉国家の代理を行っているに過ぎない。地方分権や共同体・家族の復活に名を借りた、コミュニティに対する過度な責任転嫁は、しばしば政府の無責任体質の裏返しに過ぎないのである。もちろん適度な福祉国家からの補助と適度な責任体制とが両立すれば、慈善事業が福祉供給主体として有用であることを否定するものではない。(以上引用)

供給主体が「福祉国家」「家族」「市場」の3分類というのは多少強引な感が否めません。80年以上の歴史を持つ無給の民生委員は「福祉国家」に含まれるのでしょうか?災害ボランティアは共助だと思いますが「家族」なのでしょうか。 「自助」=セルフヘルプが「市場」というのも同様に疑問です。 阪神淡路大震災以降、地震や水害などで大活躍している災害ボランティアは「福祉国家の代理」なのでしょうか。 政府の補助なしにやっているところもたくさんあります。 突然文脈に表れた「慈善事業」とは、ここでは何を指すのでしょうか?___2005/10匿名

これは本文に書こうと思ってたんですが、事実上の「福祉の供給者」は「家族」が圧倒的なんです。これはどこ国でのどんな時代であってもそうです。この項目の一行目読んでもらえばすぐに想像つくのですが、未成年者、高齢者、障害者の衣食住の面倒を見てるのは家族が圧倒的なんです。ホームレスにならないように金銭的な援助の意味で居候を許すのも、親元が大部分でしょう。もし福祉の供給量を計量化できるなら、家族が過半数をはるかに超えるでしょう。 福祉のほとんど全てを占める家族の視点を第一義的に扱うのが、正しい視点だと思ってます。だから、本文にある「企業、生活協同組合、労組、公益法人、宗教法人、NPO、ボランティア、コミュニティ、家族など多様な主体が役割」は間違っていると思います。「家族が主体な役割」で、「福祉国家」と「市場」がやや補助的で、他のものは極僅かであると書くことが正しい説明だと思います。

▼「家族」の重要性はよく分かりました。私も否定はしていません。まず、供給主体のひとつ「福祉国家」は、中央・地方の両方を含む「政府」あるいは「フォーマルセクター」とするのが、事典として一般的ではないかと思います。日本の行政は「福祉国家」といえるでしょうか?理想論はともかく、世界的に見ても「福祉国家」と現時点で言われている国は北欧くらいではないかと思います。また、供給主体を3分類に閉じ込めるのは無理があるように思います。どこの国でのどんな時代であっても存在する「隣近所の助け合い」は、おっしゃる表現ではははじき飛ばされることになるのでしょう。それから、各種インフォーマルセクターを「福祉国家の代理」と片づけるのは、インフォーマルセクターの方々には失礼にあたるお粗末な記述だと思います。少数であれ、成年後見人として活躍している弁護士や司法書士は「福祉国家の代理」とお考えですか?___2005/10/10匿名

福祉国家という単語に違和感があるなら「政府」でよいかと思われます。福祉国家の語源からしたら、先進民主国家は全て福祉国家になるのですが、それはそれでその項目に書くべきかも知れません。次にボランタリーな各種団体ですが、これは直接に政府の補助を受けているのはもちろん、間接にも補助を受けていれば福祉国家の政策によって「生かされている」存在だと考えています。日本で活動する何がしかの団体であれば全て法人税が課せられるべきですが、公益性の高いという理由で優遇措置が採られています。更に法人であれ個人であれ、社会事業団体やNPO法人などに対する寄附金はそれぞれ法人税や所得税の優遇措置が採られています。これらの理由から福祉国家の代理人に過ぎない、という厳しい現実があるわけです。従って「政府」と「市場」の組み合わせ以外に重要性があるかのような書き方を百科事典ですることは、事実を反映してるとは言い難いと思ってます。本当に互助性のに拠っているボランティアもいないわけではないでしょうが、それが極少数であることはすぐにお気づきになるかと思います。

実際にそこで働いている方に失礼であるかどうかは捉え方次第ではないかと思います。誤解を招く文章に満ちているといたら、私の文章力不足ですが。老後の備えとして「ボランティアに頼る」という返答が返って来たとしたら、それが如何に不自然であるか良く分かるのではないかと。家族に頼る、政府に頼る、個人年金(市場)に頼るというのが普通の感覚なのではないでしょうか。そういう意味でボランティアという存在は理念はともかく実際的には無力であり、政府の補助無しには存立しないだろう、という考えを持っています。

▼H17厚生労働白書によると、H15.4.1現在社会福祉協議会に登録しているボランティアの数は全国で780万人いるようです。もっとも、すべてが福祉ボランティアではなく、社会福祉協議会に登録していないボランティアのことも考える必要があります。「理念はともかく実際的には無力」と書かれましたが、「780万人のボランティアさん、あなた方は無力なんですよ」「国によって生かされているんですよ」というメッセージを事典として発するのはどうでしょうか。ボランティアを含めたボランタリーセクターは、社会の主要なセクターのひとつであり、無視するほどの数の少なさではないと思います。 そもそも「代理」という言葉は、(法律用語で言う「代理」を別とすれば)本人に代わりに仕事を行うことであると思いますが、国の代わりだと言って数百万のボランティアが「自発的に」活動するでしょうか。 また、商法や民法に定められた法人はともかく、「日本で活動する何がしかの団体であればすべて法人税が課せられるべき」というのも疑問です。この記述では、法人格を持たない草野球チームも、料理サークルも、高校生のボランティアサークルも、町内会も、老人クラブも、子ども会も、十把一絡げに「法人税が課せられるべき」というふうに読み取れます。___2005/10/11匿名

780万人の福祉供給者であるボランティアと、「家族」として福祉を供給している数千万~1億人の人を、同格に書くことが事実でしょうか?あるいは、家族や政府や市場よりもボランティアに対してたくさんの記述をすることで本当に現実の姿を読んだ人に伝えることに寄与できるのでしょうか?どうしても事実を記述したくないのなら、「事典」とは何のためにあるのでしょうか?もう一度聞きます。老後の備えとして「ボランティアに頼る」と答える人が無視できないほどの人数がいるのですか?日本社会の現実はボランティアに頼れなくて家族に負荷が掛かってる、というのが事実なのではないですか?

▼自然保護や国際貢献、伝統文化の継承なども行っているボランティア登録者(活動者ではなく統計上の登録者です)を「780万人の福祉供給者」と言われるのは、正確を期すべき文章を執筆しようとする方の記述とは考えにくく、このノートの議論を続けるべきか困惑してしまいます。私は同格に書くべきとは一言も言っていません。3分類は多少強引な感が否めない、無理があると言っているだけです。「主たる」「主な」「メインの」供給主体が3つならまだ分かりますが、「本質的には三つのカテゴリーになる」という記述に対し、カテゴライズ=分類されていない分野が複数あるとすればそれは漏れがあるため、「本質的に」カテゴライズ=分類されていない記述だと思っています。 それから、老後の備えとして「ボランティアに頼る」というのは、ボランティアの「無償性・自発性」の原則から考えても「ただで自発的にやってくれる人に頼りたい」という人は虫が良すぎると思いますから、そういう人は考慮に入れなくて良いと思います。また、介護を例に挙げれば、日本社会の事実は逆だと思います。「家族に頼れないから」「家族に負荷がかかりすぎて倒れそうだから」ボランティアが活動し(できる範囲での仕事を自発的に請け負い)、それでは支えきれないから社会的な介護制度が充実してきた、というのが現実ではないでしょうか?「無償で自発的にやってくれる人に頼れなくて家族に負荷がかかっている」というのは本末転倒なお考えだと考えます。 「誤解を招く文章に満ちている」とは言いませんが、本文の「適度な福祉国家からの補助と適度な責任体制」という言葉は、何を指すのかさっぱり分かりません。「程度がほどよい、ちょうどよい補助と責任体制」って、何ですか?___2005/10/12匿名

それではどのように書き直せばよいか、案を出してみてくれませんか?

▼供給主体については、○印~○印の2~3行の説明にまとめるのがすっきりして良いと思い提案します。ここは用語の定義説明の部分ではなく、付随した解説部分なので、「福祉国家」「ボランティア」「NPO」については、別にそれぞれの単語ごとに詳しく説明し、各種団体は広い意味での「市場」に含めるのが良いのかもしれません。福祉国家の代理…や、適度な…の記述は、事実誤認または(現在のところ)意味不明のため、削除が適当だと思います。 ○福祉サービスは主に「政府」「家族」「市場」が供給しており、それぞれ「公助」「共助(互助)」「自助」とに対応する。市民社会の成熟にともない、近年ではボランティア団体やNPOなどの活躍が注目されている。○ こちらからも、もう一度質問します。「適度な福祉国家からの補助と適度な責任体制」という言葉は、何を指すのかさっぱり分かりません。「程度がほどよい、ちょうどよい補助と責任体制」って、何でしょうか?___2005/10/13匿名

先に質問からお答えしましょう。「適度な福祉国家からの補助」はNPO等は国からの助成があって初めて成り立つものだ、という意味です。活動実績を作るためには、政府からの補助は必須だ、ということを表します。これについての議論は後からも致します。次に「適度な責任体制」の意味は、「過度な責任体制」を説明した方がイメージがわかりやすいかと。イギリスのサッチャーは、貧困が起こるとしたらそれは個人の責任だ、と述べたわけです。これは自助努力を過大に評価した「自助」の「過度な責任体制」ということになります。ブレアは、貧困が起こるとしたらそれはコミュニティの責任だ、と述べています。これが「共助」の「過度な責任体制」となります。実際にもブレア政権下でもほとんど貧困は減っていません。むしろ増えています。
次に文章の案についてですが、「市民社会の成熟にともない」にかなり引っ掛かりがあります。例えば、NPO型の保育所はフランスやベルギーで多く、ドイツやオランダでは少ないです。これはフランスの方がドイツよりも市民社会が成熟してるから、差があるのでしょうか?ベルギーやオランダとの比較は?もっともな答えは「福祉国家からの助成があるか否か」の差だということです。これが先ほどから言ってる「NPOは福祉国家の代理である」ということの意味でもあります。
市民社会の成熟度を測る事は難しいですが、例えば北欧諸国はどうでしょう?証明不可能ですが、私は北欧諸国はヨーロッパでもっとも成熟した社会ではないかと思っています。もし市民社会が成熟すれば、自動的にNPO等が「政府」「家族」「市場」にとって変わるものだとしたら、北欧諸国の現状はいかが?彼らの選択肢は、「福祉国家」ですね。私はNPOが流行り始めたのは福祉国家が大きくなることに対する保守からの攻撃を逸らすためだ、とさえ思ってます。
昔は福祉といえば福祉国家について書きゃイイ、という時代がありましたが、福祉国家がイデオロギー的に排撃されるようになって、今では福祉といえばコミュニティやボランティアについて書きゃイイ、という風潮になってます。私的には困ったもんだ、と思ってますwこの項目でも、福祉という単語の語源の説明から、いきなりすっとんで福祉国家の話になって、そのまま各種団体のことに続いてますね。
NPO等の本質が「市場」の一形態である、とする案については確かにそうかもしれません、と思います。先ほど言ったフランスのNPO型保育所は、民間セクターに分類されてる資料が多いですし。両論併記してみたらいかが?あるいは「政府」「家族」「市場」のほかに4つめの「市民社会」が加わるという考え方とか。最後のが多数説のような気もしますが。NPOの本質は1.「市民社会」という4番目のカテゴリーである。2.市場の一形態である。3.福祉国家の代理である、あたりで。更にNPOについては、それが今後主流になるという意見とそうではないという意見がある、ぐらいかな。
続けてこちらから文章の案を出させてもらうと、続けて「日本の実態は家族による福祉がほとんど全てを占めている」更に諸外国の現状として「大陸ヨーロッパは日本と似たような家族主義である」「アングロサクソン諸国は市場が家族の負担を軽減させる役割を持っている」「北欧諸国は福祉国家が家族の負担を軽減させている」となります。どうしても書きたいのは「日本や大陸ヨーロッパの家族主義は少子化という耐えがたいコストを伴う」ということですが、「福祉」の項目に書くべきかどうかは迷います。

▼拝読した感想をいくつか述べます。用語の厳密さに欠けるので、だんだん議論が疲れてきました。 (1)「NPO等は国からの助成があって初めて成り立つ」と言う点、NPOでも法人格を持たない団体は助成なしでやっているところはあり国でなく「地方自治体や助成財団、企業、社協」からの助成も多くあります。すべて「国」ではないでしょう。 (2)保守主義のサッチャーはともかく、「コミュニティ」の指し示す幅は広いので、ブレアがどのレベルの「コミュニティ」を指したか明確ではないので、説得力に欠けます。ブレア政権で、貧困が減っていないのは分かっています。 (3)「自助の過度の責任体制」「共助の過度な責任体制」は、何となくしか意味が分かりません。主語は何ですか?責任という以上、誰がどのような責任をどのようにとるどのような体制ですか?専門用語なら、学術的に確立された言い方ですか? (4)「NPOの本質は福祉国家の代理」というのは、これまた環境NPOや芸術文化NPOを無視した話だと思います。前にも書きましたが、ボランティアはすべて「福祉ボランティア」ではありません。また、NPOはすべて「福祉NPO」ではありません。用語の厳密性は事典にとって不可欠だと思います。他にもありますが、この辺で。___2005/10/17匿名

通所施設の「通所」はなぜ、福祉施設に「通う」んですか? 2005/11/11ダブルA

「福祉」を命名したのは誰かで、その「福祉」の由来と出身国は何ですか?--以上の署名の無いコメントは、202.231.91.129会話/Whois IPv4IPv6)さんが 2006年3月8日 (水) 03:35‎(UTC) に投稿したものです(Type20会話)による付記)。

福祉と社会福祉への分割

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福祉社会福祉への分割を提案します。内容の一部に過ぎないはずの社会福祉についての記述が膨らみ過ぎており、タイトルと内容のアンバランスが目立つから。Saiyuki 2006年6月24日 (土) 17:06 (UTC)[返信]

少し考え直してみましたが、切り分け方として社会福祉政策あたりが独立項目として相応しいかも知れません。Saiyuki 2006年7月5日 (水) 16:25 (UTC)[返信]

社会福祉政策へと分割するための記事変更を行いました。Saiyuki 2006年7月6日 (木) 07:42 (UTC)[返信]

福祉社会福祉の分割のほうが良いと思います。もし「社会福祉政策」とするのであれば、それらに加え3つにすべきかなと思います。「社会福祉政策」という言葉は学術用語ではありますが、新聞では殆ど使われない言葉ですし、事典としては「社会福祉」が欠落するのは不自然な気がします。2006/7/9匿名

うーん、そうですね。福祉の中の社会福祉の中の社会福祉政策だけが突出して記事量が多いことが気になっていたのですが。分割することにより、福祉と社会福祉を統合した当記事があまりにも記事量がすくなくなるのは分割に係るルール「分割した結果、いずれか一方または双方がスタブになる場合」に抵触するかもしれませんね。もう少し福祉に関する記述と社会福祉に関する記述を膨らませてから、その後にまた分割を提案してみましょう。Saiyuki 2006年7月10日 (月) 04:19 (UTC)[返信]

>社会福祉制度とは、社会福祉の供給主体をどのようにミックスさせているかを規定することをいう。 >社会福祉政策とは、社会福祉制度のうちの一部について法律により規定すること/規定されているものをいう。 この定義は、無理が多いと思いますよ。社会福祉制度は「政府(国や地方公共団体or地方自治体)による、社会福祉サービスに関する制度」、社会福祉政策は「政府による、社会福祉サービスの運営や提供に関するプログラム」としたほうが分かりやすいと思います。もっといい表現もあるかもしれませんが、供給主体をどのようにミックスさせているかを考え、規定するのは、社会福祉制度を分析する学者の役割でしょうか。政策は、法律のみで決められるものでなく、条例もあり、通知もあります。制度の一部という表現も分かりにくいですね。制度は一般に政府が決めるものだと思いますので。2006/7/14匿名

学者云々の下りは意味がわかりませんが、制度と法制を混同してるのではないですか?情けない辞書だと、制度の項目を引くと法制として書かれるべき事が書いてあったりしますが。制度を規定するものの根底にあるのは、むしろ慣習が主で、法律は従です。Saiyuki 2006年7月14日 (金) 06:22 (UTC)[返信]

では、かっこ内に提案した定義と、Saiyukiさんの定義とどちらが分かりやすいでしょうか。事典としてご覧になった方にとって、どちらが理解しやすいでしょうか。2006/7/17匿名

分かりやすさ≠正しさではないですか?制度社会契約などを見てもらえば分かるように、そもそも人間社会は複雑なのだから。分かりやすくするがあまり、間違いな定義を載せても意味があるとは思えませんが。--Saiyuki 2006年7月16日 (日) 22:58 (UTC)[返信]

では、かっこ内に提案した定義のどこが間違いなのか、ご指摘ください。2006/7/17匿名

身体障害者福祉法を1950年とされていますが、正しくは1949年です。また、記述ではまず生活保護法が成立し、次に児童福祉法、身体障害者福祉法という潤のように書かれていますが、まず児童福祉法、次に身体障害者福祉法、最後に生活保護法(1950年)です。 2008/1/1 匿名

生活保護法は昭和25年(1950年)、児童福祉法は昭和22年(1947年)、身体障害者福祉法は昭和24年(1949年)に出来ています。本文記載の内容ではまず生活保護法、次に児童福祉法、最後に身体障害者福祉法が出来たように書かれていますが、実際は児童福祉法、身体障害者福祉法、生活保護法の順で、本文のニュアンスは全く違っています。この文章の根拠は何でしょうか? --Shimasan 2008年2月5日 (火) 05:47 (UTC)[返信]

スタブテンプレートについて

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これは「医学に関連した書きかけの項目」なのでしょうか。 どう考えても医学とは関係ないような気がするのですが。--以上の署名の無いコメントは、61.115.184.22会話/Whois IPv4IPv6)さんが 2006年12月26日 (火) 01:09‎(UTC) に投稿したものです(Type20会話)による付記)。

Category医学、stub医学をとりました。書き込みには、~を四つ打って、署名をしてください。Mishika 2006年12月26日 (火) 01:16 (UTC)[返信]

分割提案

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お世話になります。失礼ながら、作業が先行してしまいました日本の福祉への記事分割を提案したく思います。問題等ございましたらお寄せください。数週間ほど合意を待ちたく思います。--Yuasan会話2014年1月1日 (水) 04:37 (UTC)[返信]