ノート:立山
ここは記事「立山」の改善を目的とした議論用ノートページです。 |
「富山県内の多くの小学校で」がいつの間にか「いくつかの」に変はつてゐるのですが、「いくつかの」では「少数の」と云ふ感じになつてしまひます。具体的に何割の小学校で立山登山を実施してゐるかは判らないのですが、富山県では珍しいことではないと思ひます。「多くの」で問題があるのでしたら、どう書けば良いものでせうか。nnh 2004年11月17日 (水) 03:47 (UTC)
「立山」という名前の由来をご存知でしたら、ぜひ記載して頂きたいと思います。北陸自動車道の呉羽PAには、「そびえ立つような山」と「神が降り立つ山」の2つの説があると書いてありましたが、詳しい事はわかりません。 五寸法師 2005年10月19日 (水) 15:38 (UTC)
「日本三霊山の一つとする場合がある。」とあり、する場合としない場合があるように読めますが、リンク先を見ると、そのような揺れはないようです。どなたか整合性を持った記述に変えていただけたらと思います。202.228.203.34 2006年6月30日 (金) 04:13 (UTC)
参考文献が嘘になっています。実際に資料となっている文献なりなんなりに限定して、それ以外は書き込んだ人で削除してもらうと一番良いと思います。 --Fuseoyama 2010年8月29日 (日) 14:15 (UTC)
周辺の山についての記述は飛騨山脈の項目にあるのでそちらを参照としました。 --Fuseoyama 2010年8月31日 (火) 11:52 (UTC)
周辺の山については、山の解説記事として、近接の関連する山を内部リンクで記述することが大きな目的で、 ほとんどすべての山の記事がそうなっています。 表形式で、三角点と距離を表示する必要性については、賛否両論あるとおもいますが、10程の主な山で表形式に編集し直しました。やがてあるべき姿に編集されると思われます。 このため、近接の関連する山を内部リンクで記述する表現に戻します。 --Alpsdake 2010年8月31日 (火) 12:59 (UTC)
立山の歴史が未整理なので自分で整理してもらいたいがどうか。 --Fuseoyama 2010年10月9日 (土) 19:50 (UTC)
整理が必要と判断する人が、編集下さると思います。富士山などのように登山史を別項目とする案もあると思われます。さらに多数の項目が追加されたら、重要性に応じて整理しても良いかもしれません。また深田久弥の著書である日本百名山を登山関連の本にする必要はないと思われます。山名の由来、文化や歴史などについて、その山について解説した本(読売文学賞)です。また、花の名山の本も、高山植物や山に関連することについて解説した本です。(参考)同じ記事への連続投稿を減らす--Alpsdake 2010年10月9日 (土) 23:42 (UTC)
この記事における「立山」の範囲に関する根本的疑念と全面的書き直しに関する提案
[編集]この記事のにおける「立山」の概念について根本的な疑念があります。
最新版(2022年10月1日現在)では、「立山」は「立山連峰」および「後立山連峰」を含む「複列連峰」である、とされています。歴史的に「立山」の名称が具体的にどの範囲の山々を指したのかについては変遷があり、はっきりしない部分もあるでしょうが、現在の用法では、白馬岳や五竜岳、鹿島槍ヶ岳などをふくむ後立山連峰を「立山」に含めることはまずないと思います。白馬岳に登った人は「北アルプスに登った」とか、「飛騨山脈を訪れた」とは言うでしょうが、「立山に登った」ということは考えられません。
岩波書店の「広辞苑」では、立山は、「富山県の南東部、北アルプスの北西端に連なる連峰。標高3003メートルの雄山を中心とし、北に大汝山(3015メートル)、南に浄土山が屹立。剣岳・薬師岳などと立山連峰をなす」とされており、後立山は含まれていません。『大辞泉』でも、「富山県東部にある山。数峰からなり、大汝山(おおなんじやま)は標高三〇一五メートル、雄山(おやま)は二九九二メートル。立山黒部アルペンルートが通じる。古来、山岳信仰が盛ん。古称、たちやま」とされています。後立山連峰も黒部川側は富山県ですが、後立山を含めるならば、当然「富山県から長野県にかけて連なる山」としたところでしょう。この定義にも後立山は含まれません。『大辞林』では「富山県東部,飛騨山脈北西にある火山。大汝(オオナンジ)山(海抜3015メートル)を最高峰とし,別山・雄山の三山からなる。江戸時代には信仰登山が盛んであった。たちやま」であり、立山の範囲はさらに限定されています。『新辞林』における定義も同様です。三省堂の『日本山名事典』では、「立山」については、「富士ノ折立・大汝山・雄山の3峰を称するが、広義の立山の範囲は…別山乗越から南の浄土山まで」と記され、「立山連峰」については剱岳、赤谷山、立山、薬師岳、黒部五郎岳、三俣蓮華岳などからなる」、とされ、後立山連峰は含まれていません。
更に、ウィキペディアの「後立山連峰」に関する記事では、後立山が「黒部川を隔てて立山連峰と対峙している」とされており、「立山」の項目における記述はそれと矛盾する形になっています。こうしたことからして、「立山」に後立山連峰を含める用法は現在の日本語で一般的とは到底言えず、不適切だと考えます。
また、「複列連峰」という用語をネット検索しても、それが出てくるのはこのウィキペディアのページ、およびそこから由来すると推測されるページで使われているのみであって、地理学・地形学に関する学術誌等でこうした用語が使われている証拠は見いだせませんでした。一般的に使われず、学術上も確立していない用語を事典であるウィキペディアでの説明に使用するのは問題が多いと考えます。
以上のことから、この記事の導入部分や「地理」の項目における記述で、立山に後立山連峰が含まれることを含意している記述を削除し、書き直すとことを提案します。 具体的な書き直し内容については追って提案しますが、以上の基本方針について異議がある場合は、この「ノート」上で理由を示して一か月以内に反論していただけるようお願いいたします。--お山の大将(会話) 2022年10月1日 (土) 10:28 (UTC)
記事の全面的書き直しに関する具体案
[編集]上記提案後一か月が経過しましたが、特に反論等はないようですので、以下に書き直しの具体案を提示します。書き直し案作成にあたっては以下の方針を取りました。 1)この記事の対象とする「立山」の範囲は、基本的には上記の辞典類のなかで「立山」について最も広く定義している三省堂『日本山名事典』における「広義の立山」の範囲(別山乗越から浄土山まで)をとることとし、別に存在する「立山連峰」の記事、また「後立山連峰」の記事で扱われるべき内容については削除する。 2)ただ信仰上の見地から、劒岳や薬師岳のような峰々が「立山」信仰のなかに含められてきた点については考慮し、そうした記述は削除しない。 3)「複列連峰」という用語は用いない。 4)記事内で重複した内容がある場合は繰り返しが内容に整理する。 5) 以上の方針と両立する限りにおいて、書き直しは最小限にとどめる。
この方針に従って、記事を以下の通り書き直すことを提案します。
冒頭部分(「概要」の前)
立山(たてやま)は、日本の飛騨山脈(北アルプス)北部にあり、中部山岳国立公園を代表する雄大な群峰である。[2]狭義の立山は雄山、大汝山(おおなんじやま、標高3,015 m(最高標高峰))、富士ノ折立(ふじのおりたて、標高2,999 m)の三峯をさし、これらは立山本峰(たてやまほんみね)と称される。広義の立山は南の浄土山、北の別山を含み、浄土山、雄山、別山を合わせて立山三山と称する。立山は北方では剱岳や毛勝山、南方では薬師岳 方面へと連なっているが、これらの山々を含む山脈を立山連峰と呼び、立山はこの連峰の最高峰となっている。
立山は雄峰立山七十二峰八千八谷と謳われ、古来より信仰[3]の対象として神々が宿るとされ、現在でも信仰登山が行われている。 古くは多知夜麻(たちやま)とも立山(りゅうさん・りゅうせん)とも称された。国文学表現の「植うる(ううる)剣」とも「太刀の峯」とも謳われる。 また、観光上有名な立山黒部アルペンルートは、立山連峰から後立山連峰を横断して、数々の山岳風景を楽しませてくれる。 また、立山連峰(剱岳、雄山、富士ノ折立には、日本では数少ない氷河が現存する[5][6]。 なお、しばしば地図表記などに雄山や大汝山が立山とのみ記載されるが、立山には立山と称する単独峰は存在しない。
「地理」の項目の書き出し部分
造山運動により形成された褶曲山脈であり、黒部川を挟んで後立山連峰と対峙している。立山は、日本の3,000 m超級の山の最北端・最西端の山である。富山県の最高峰であり、日本海に面する道府県の最高峰である。
「主な山」の項目(表を含む) ==>削除
記事冒頭部分の大幅書き直しのお知らせ 2022年11月3日の記事冒頭部分等の大幅書き直し案の投稿から2か月以上が経過しましたが、特に反論もなかったようですので、大幅な書き直しを実行に移しました。旧版への差し戻しを主張される方がおられる場合は、この「ノート」でその理由を説明していただくようお願いいたします。--お山の大将(会話) 2023年1月7日 (土) 13:32 (UTC)
異議がある場合は、この「ノート」上で理由を示して一か月以内に反論していただけるようお願いいたします。--お山の大将(会話) 2022年11月3日 (木) 07:36 (UTC)