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ノート:竹居安五郎

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竹居安五郎書簡について

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竹居安五郎書簡の原文を引用したところ、利用者‐会話:124.141.85.70氏から語句の誤り(?)を訂正する編集が入りました。私は高橋敏『博徒の幕末維新』掲載の翻刻と、最新の翻刻である山梨県立博物館発行の『博徒の活動と近世甲斐国における社会経済の特質』所載の翻刻と解題を使いました。両著の翻刻文を対象させたところ、利用者‐会話:124.141.85.70氏の指摘される部分は「珍重ニ奉存候」で共通していますので、これは正確とされる翻刻であろうと判断しました。

一方、同じく山梨県博発行の『黒駒勝蔵対清水次郎長』には問題の安五郎書簡に関して鮮明な写真画像が載っています。私のくずし字判読能力では現物に即した議論はできませんし、また史料の現物の解読は専門家により解釈された文献を用いて著述するという原則から、現物に即した議論をしてしまうことは「独自研究」にあたるだろうと考えます。もしかしたら利用者‐会話:124.141.85.70氏の指摘される通り翻刻文の誤りがあるのかもわかりませんが、それはなにかしかの文献に基いて訂正されるべきであろうと考えますが、如何でしょうか。--でここ会話) 2016年7月25日 (月) 15:39 (UTC)(追記)今日はこれで失礼します。続きは後日。--でここ会話2016年7月25日 (月) 16:00 (UTC)[返信]

逆にききますが、「御座珍重」と「奉存候」の間の二字はどこへ行ってしまったのでしょうか?またその上の「成」は?

たしかに「儀」の字は癖のある書き方ですが、二行先の「今般愈奉申上候儀」の「儀」と同一であることから類推できます。その上は明らかに「御」です。 したがいまして、この部分は「御家内中様御揃被成、御座珍重御儀ニ奉存候」と読むのが普通です。 山梨博物館のものは見ていませんが、元になっている写真現物を見るかぎり、そうとしか読めないのですが。--以上の署名のないコメントは、124.141.85.70会話)さんが 2016-07-25T23:31:40‎Z に投稿したものです(Ohgiによる付記)。

古文書の読解に関しては上述の通りお答えできる立場にありません。「私の読解」は「独自研究」にあたりますから。wikipediaの執筆においてはWikipedia:検証可能性という原則があります。「独自研究は載せない」「出典を明記する」の原則からしても、我々が勝手に古文書を読解し、典拠となる文献における翻刻を正すことはこれに反することになると考えます。IP様のおっしゃられるように両高橋氏による翻刻にあやまりがあるのかもしれませんが、それを証明する二次的な文献がない限り、これを正すことはできないのです。wikipediaにおいて「正しいかどうか」は後回しにされます。「客観的な文献を示せるかどうか」がまず第一です。--でここ会話2016年7月25日 (月) 23:43 (UTC)[返信]
印刷物と違ってウィキペディアは普及性が高い媒体です。そこに誤りと「疑われるもの」を載せた場合、何より書き手本人(安五郎)の意図が誤って、伝わってしまう恐れが生じてしまいます。典拠云々よりそちらがまず大事です。そこでお願いなのですが、翻刻をそのままにしておいていただけないでしょうか。いずれ第三者の方が判断してくれると思います。無理を言って申し訳ありません。(ただ文章はそれほど難しいものではなく、明らかなイージーミスだと思いますので、それほど深刻ではないと思います。)--以上の署名のないコメントは、124.141.85.70会話)さんが 2016-07-25T23:53:21‎2016-07-25T23:53:21‎Z に投稿したものです(Ohgiによる付記)。
「典拠云々より」ではなくて、Wikipedia:検証可能性を第一とする原則があるのですが。。客観的な文献を示せないかぎり「誤り」があるとは証明できないのです。また、「第三者の方の判断」も採用できるわけではありません。「既出の安五郎書簡の翻刻について誤りがある」ことが、何かの媒体で発表されない限り、正すことはできないのです。これにご異論があるのであれば、指針についての議論を行ってください--でここ会話2016年7月25日 (月) 23:57 (UTC)[返信]
(追記)私の立場としては、翻刻の文章に誤りがあるとしても、現状ではそれを正すことはできず、底本通りにするべきであろうと考えます。wikipediaの記事は永遠に未完成です。既出の翻刻に誤りがあるとしても、それを正すのはしかるべき文献を確保できた将来に行われるべき課題です。--でここ会話2016年7月26日 (火) 00:21 (UTC)[返信]
コメント こんにちは。Wikipedia:独自研究は載せないの観点からは、でここさんのご見解が適当であると考えます。「書き手本人(安五郎)の意図が誤って、伝わってしまう恐れ」に関してはウィキペディアで考慮すべき事情ではありません。ウィキペディアでは執筆者の見解を反映するのではなく典拠通りにするということが大事です。--Ohgi 2016年7月26日 (火) 12:53 (UTC)[返信]

Ohgi様、対処ありがとうございますた。今回保護依頼を行いましたが、繰り返しますが私は利用者‐会話:124.141.85.70様の指摘される翻刻文の誤りが本当にあるとしたら、訂正するのはやぶさかではないと考えます。しかし、現状では誤りがあると客観的に証明できる文献を我々は持ち合わせていないので対処はできないということです。どうかご理解ください。--でここ会話2016年7月26日 (火) 13:47 (UTC)[返信]

どうやら記事を上げたでここ氏にも、写真現物との比較から、翻刻文に誤りがある「らしい」ことがお分かりいただけたようなので、私の目的は達しました。(上に示した読み方のポイントは、このノートとして残りますし)後はでここ氏の裁量にお任せ致します。お二人様には貴重なお時間を割いていただき誠に有難うございました。

私は誤りがあると「すれば」正すべきと書いています。全文検索しましたが私は「らしい」という言葉は使っていません。本当に誤りがあるかどうかはそれを証明する文献を欠いている状態ですから、まったく保留してます。あしからず。古文書の読解というテクニカルな領域に匿名執筆者は踏み込むべきではありませんので。

それはともかく、私の意見をご理解いただき、ありがとうございました。若干恐縮ですが、合意が達成されたようですので、底本を正確に引用した版にまで差し戻させていだきます。IP様もどのようなお立場の方か存じませんが、専門家に近い方であれば、今回のようなご指摘はむしろ歓迎されるものであると考えます。しかし、wikipediaには匿名執筆者で記事の信頼性(「正しさ」ではなく)を確保するために確立された原則というものが幾つかありますので、せっかく貴重なご意見を頂いても、それを反映させるのには文献を探して来なければなかったり、あるいは今回のように文献がない状態であれば現状では不完全(であるとすれば、ですが)なまま残しておかねばなりません。将来的にもしIP氏のご指摘されるポイントがどこか紙媒体・電子媒体の資料で論じられることがあれば、それは立派な「参考文献」となりますから、情報をご存知したら是非持ち込んでいただきたいものです。

今回の議論や編集の経緯において不手際・無礼がございましたら、失礼しました。では。--でここ会話2016年7月27日 (水) 15:19 (UTC)[返信]