ノート:第2バチカン公会議
このページって外部リンクだけですよね。何のために記事があるのですか?Mh35 03:45 2004年3月30日 (UTC)
「ヴァティカン」の表記は、コンセンサスのあるものでしょうか? で、それは郷に従うとしても「第2」は「第二」であるべきではLR 14:25 2004年6月13日 (UTC)
Desenchantement du monde
[編集]第二ヴァティカン公会議の折に、「Desenchantement du monde」という表現が使われたそうで、フランス語圏では同公会議を象徴する表現のひとつとされています。この表現の意味、出典をご存知でしたら教えていただけませんか。
「世界の覚醒」のようですが? 関連は不明です。johncapistrano 2005年12月14日 (水) 17:56 (UTC)
名称について
[編集]確かに原音に忠実に表記するなら「ヴァティカン」なんでしょうが、バチカン市国の記事が「バチカン」という日本語の標準表記にしていることとの揺れを考慮して「第2バチカン公会議」に移しても、特に問題はないと思いますがいかがでしょうか。Gakuinryou 2007年1月28日 (日) 16:13 (UTC)
- 二週間見ていましたが、特にご意見ないようですので移動しました。Gakuinryou 2007年2月11日 (日) 16:14 (UTC)
まったく役に立たず無益な記事
[編集]Mh35さんがご指摘のように、この記事は Vatican II に批判的な外部リンクにばかり読者を関心が拡散し、記事その物の価値がまったくありません。
- この記事の最大の難点は、公会議文書が実際に存在するにもかかわらず、その精神の説明より、コメント、しかも中傷的なコメントで埋め尽くされているところでしょう。→ 百科事典の項目としてまったく役立ちません。この記事を読んだ読者は【何だかよくわからないもの】が【よくない】という印象を受けるだけで、全く無意味・無価値で、調べ物に役に立ちません。
- 教皇ヨハネ23世は門外の聖パウロの修道院をふらりと訪れ、17人のローマ枢機卿の前で突然、公会議を召集することを告げた。→ 情緒的表現は辞書に相応しくない。
- 多くの枢機卿らは、司教たちがマスメディアの圧力を受ける危険を指摘して、公会議招集を止めようと促した。→ まったく無意味で削除すべき。
- 顧問名簿の中で、イヴ・コンガール、アンリ・ドゥ・リュバック、カール・ラーナーの少なくとも三人は、教会当局から制裁措置を受けた事があり、本来なら顧問になる資格がなかったにもかかわらず、名簿にその名前が記載されていた。しかし、オッタヴィアーニ枢機卿はこの告発を取り上げなかった。教皇がそれを望んでいたのだった。→ 「本来なら顧問になる資格がなかった」という判断基準が誰によるいかなるものか不明。削除すべき。
- 保守派のスコラ的で正確な学問的な表現 → 日本語として意味不明。削除すべき。
- ゴッドフレ枢機卿は「この改革は「キリスト教徒らに驚愕を引き起こす革命的な改革」(オッタヴィアーニ)であり、礼拝を捨て去り聖伝を蔑視するという意味で反典礼的だ」と異議を唱えた。→ 典拠がない。「反典礼的」とは無意味な語。
- (スタッファ作戦 Operation Staffa)→ 要説明。
- 21「公会議はその初日から、公会議教父たちの大部分は、何か異常なことが起きていると感じた」→ 必ず削除されるべき冗漫かつ無意味なコメント。
- 『信仰について』からの引用。→ 具体的内容への言及がない慨嘆。すべて削除すべき。
- 教皇ベネディクト十六世の教皇庁に対する降誕祭のあいさつ → 「正しく理解しましょう」というまったく意味のない引用。Tizizano(会話) 2013年3月7日 (木) 10:08 (UTC)
一週間たちましたが、何のご意見もないので、加筆に先立ち、不要部分を削除させて頂きます。Tizizano(会話) 2013年3月14日 (木) 03:14 (UTC)
「まったく役に立たず無益な記事」というTizizanoの批判に対する返事
Tizizanoさん、復活祭おめでとうございます。
- Mh35さんがご指摘のように、この記事は Vatican II に批判的な外部リンクにばかり読者を関心が拡散し、記事その物の価値がまったくありません。
→ Mh35さんが03:45 2004年3月30日 (UTC)に「このページって外部リンクだけですよね」と書かれた時から、10年以上経ち、多くの方々のご協力でこの記事が成り立ってきました。あなたのしていることは、まったくアナクロニズムの批判であり、批判のための批判に過ぎません。また「記事その物の価値がまったくありません」とは、多くの方々の労を無にするものです。
- この記事の最大の難点は、公会議文書が実際に存在するにもかかわらず、その精神の説明より、コメント、しかも中傷的なコメントで埋め尽くされているところでしょう。→ 百科事典の項目としてまったく役立ちません。この記事を読んだ読者は【何だかよくわからないもの】が【よくない】という印象を受けるだけで、全く無意味・無価値で、調べ物に役に立ちません。
→ この記事関しては「1 公会議の経緯」の部分以外にも、充実すべき点はあることと思います。「全く無意味・無価値で、調べ物に役に立ちません。」と批判するだけではなく、公会議文書が実際に存在するのですから、その文書を典拠として記事を充実させていきましょう。
- 顧問名簿の中で、イヴ・コンガール、アンリ・ドゥ・リュバック、カール・ラーナーの少なくとも三人は、教会当局から制裁措置を受けた事があり、本来なら顧問になる資格がなかったにもかかわらず、名簿にその名前が記載されていた。しかし、オッタヴィアーニ枢機卿はこの告発を取り上げなかった。教皇がそれを望んでいたのだった。→ 「本来なら顧問になる資格がなかった」という判断基準が誰によるいかなるものか不明。削除すべき。
→ 「本来なら顧問になる資格がなかった」とは、第2バチカン公会議の「公会議規定」によります。
- 保守派のスコラ的で正確な学問的な表現 → 日本語として意味不明。削除すべき。
→ 「保守派が使うスコラ学的かつ正確な表現」と改めましょう。
- ゴッドフレ枢機卿は「この改革は「キリスト教徒らに驚愕を引き起こす革命的な改革」(オッタヴィアーニ)であり、礼拝を捨て去り聖伝を蔑視するという意味で反典礼的だ」と異議を唱えた。→ 典拠がない。「反典礼的」とは無意味な語。
→ これは、Acta et documenta de concilio Vaticano II apparando; Polygl. Vat. series II (praeparatoira), vol. II, pars III, 384 385.にラテン語であります。ラテン語の原文を、後に掲示してお知らせします。「反典礼的」とは「典礼」に反するということです。無意味な言葉ではありません。
- (スタッファ作戦 Operation Staffa)→ 要説明。
→ 詳しい説明を加えて編集いたします。
- 21「公会議はその初日から、公会議教父たちの大部分は、何か異常なことが起きていると感じた」→ 必ず削除されるべき冗漫かつ無意味なコメント。
→ 公会議はその初日から、異常なことが起きました。事務総長の提案が、突然リエナール枢機卿及びフリンクス枢機卿の発言によって反古にされ、最初の会議がミサを含めて50分で終了したからです。(The Rhine flows into the Tiber, p16-17.)
- 『信仰について』からの引用。→ 具体的内容への言及がない慨嘆。すべて削除すべき。
教皇ベネディクト十六世の教皇庁に対する降誕祭のあいさつ → 「正しく理解しましょう」というまったく意味のない引用。 → 公会議の正統な解釈をする最終判断を下す権限は、最高の教導権を持つ教皇聖下にあります。教皇聖下の発言こそ、第2バチカン公会議の理解に必ずなければなりません。ご精読をありがとうございます。また、対話が成立する前に一方的に削除されてしまいましたので、元に戻します。--Julio Mein(会話) 2013年4月4日 (木) 09:47 (UTC)
Julien Mein さん、こんにちは。
- 「保守派が使うスコラ学的かつ正確な表現」と改めましょう。
→ これも日本語として何も意味していません。「保守派」とは思想的布置を示す言葉であり、「正確/不正確」とは価値判断を含む言葉であって、第2バチカン公会議に関する客観的記述をすべき項目に関して、ただ単に読者を「保守派」に誘導するものです。
- 公会議はその初日から、異常なことが起きました。事務総長の提案が、突然リエナール枢機卿及びフリンクス枢機卿の発言によって反古にされ、最初の会議がミ サを含めて50分で終了したからです。(The Rhine flows into the Tiber, p16-17.)
→ これも上掲の同じ理由で不都合。
- 教皇ベネディクト十六世の教皇庁に対する降誕祭のあいさつ → 「正しく理解しましょう」というまったく意味のない引用。 → 公会議の正統な解釈をする最終判断を下す権限は、最高の教導権を持つ教皇聖下にあります。教皇聖下の発言こそ、第2バチカン公会議の理解に必ずなければなりません。
→ まったく違います。Wikipedia はカトリック大辞典ではありません。特に教皇ベネディクト16世の発言ばかりを特筆大書する理由などありません。(付記、あなたの忠誠には感動しますし、私もどちらかと言えばウルトラモンタンなのですが、要するに「ノート」とは辞書項目を充実させるためにあるメモなので、「聖下」云々などと書く場所ではないのです。余談は、互いに時間があるときに、Julien Mein さんの「ノート」でもやりましょう)「教皇ベネディクト16世」の理解を含めて、賛同・批判を含めて多くの考え方を「外部から」記述するのが辞書項目です。Wikipedia:中立的な観点 には、「対立する観点との相対的な勢力差を正確に示す。そのトピックについて異なる観点を記載する際には、その相対的な勢力差が適切なレベルで反映されるよう記述してください。同等であるとの誤った印象を与えたり、特定の視点を不適切に重点的に記述することを避けてください」と明確に規定されています。第二バチカン公会議のあり方全体に反対する勢力は、ルフェーヴル一派などごく少数です。そうでなければ、現在のようなカトリック教会はあり得ないでしょう。声を大にして言う「少数派」は、それが「少数派」であることを明確に示されなければならないということです。それが「対立する観点との相対的な勢力差を正確に示す」ということです。ですから、この項目は執筆の方針の土台そのものが不都合であり、特に「公会議の解釈」の節は全面的に改稿するか、すべて削除すべきです。Tizizano(会話) 2013年4月4日 (木) 21:08 (UTC) ←( )内を付加。Tizizano(会話) 2013年4月4日 (木) 21:25 (UTC)
- それから、『信仰について』は教皇時代の著作ではないので、著者はラッツィンガー枢機卿と書くべきでしょう。そして、ラッツィンガー枢機卿はルフェーブルの勝手な除階を阻止しようと説得に赴いた張本人であり、第2バチカン会議の大筋に反対しているわけではありません。後代においてその精神が必ずしも適格に生かされていない云々は、注釈の一つにでもあれば良いことです。依然として聖務停止下にあるルフェーブル一派のあり方にあたかも賛同しているかのような印象を与える蓋然性ある引用の仕方があるとすれば、それは事実と異なり閲覧者を欺く「独自研究」であって、辞書項目の記述として不適切であることは、改めて言うまでもありません。Tizizano(会話) 2013年4月4日 (木) 23:09 (UTC)
「聖座」について
[編集]随分以前に「聖座」を「教皇庁」に変更させて頂いた際、ノート:聖座に質問をしたのですが、どなたもお応え下さらなかったんですよね…。プロジェクト:キリスト教の方にも問い合わせたのですが…。で、先程こういう投稿を受けたので気付いたのですが、相変わらず当記事でも、何の注釈も無く「聖座」が使われて居ます。
一般人がみたら「なんで玉座が何かを決定するんだよ」としか思えません。せめて注釈は入れて頂けませんでしょうか。また、どうかカトリックに関する専門知識の御有りの方に、ノート:聖座にお答えを頂きたく存じます。宜しくお願い申し上げます。--Kinno Angel(会話) 2016年1月10日 (日) 16:00 (UTC)
「大司教」、「枢機卿」を省略できない文はどれか
[編集]名誉称号・階位としての「大司教」、「枢機卿」は、複数回記述の人物の場合、初出のみ残しました。神父は残しました。といいますのは、記事で公会議に出席できる範囲をきちんと示してあると読み取りましたので、カトリック教もしくはキリスト者に詳しくないと、記事の内容を読み取りづらいからです。
もちろんヒエラルキーの違いが状況の影響力の違いや上下関係を示す鍵となる場合も予想しているので、すべて一律に初出のみ残したのではなく、複数の階位を併記した箇所もあります。誤りが含まれているかもしれません。どうかご指摘くださるようお願いします。--Omotecho(会話) 2019年8月10日 (土) 16:46 (UTC)
10委員会3事務局の日本での名称(お願い)
[編集]第2バチカン公会議#前準備委員会に記載のある10委員会3事務局について、注釈を設けて英語版からそのまま転記、編集要約欄に下記のとおり記しました。そこで日本での名称がお分かりでしたら書き換えをお願いできないでしょうか。
Copied from W:en:Second Vatican Council#Commissions as edited by Colonies Chris at 10:38, 10 August 2019. 英語版から転写すると赤リンクが生じますので、言語間リンクに置き換えました。
ゆくゆくは基礎情報ボックスを設け、その中へ移すと形が整うかと考えます(英語版ご参照。)--Omotecho(会話) 2019年8月10日 (土) 21:15 (UTC)