利用者‐会話:Tizizano
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- こんばんは。初めまして。じぶろと申します。
- 今回はピエール・アンの加筆、感謝致します。私が初版作成した頃と較べてより百科事典らしく、分かりやすい記事になりました。ありがとうございます。--じぶろ(会話) 2013年5月5日 (日) 14:56 (UTC)
- じぶろさん、はじめまして。じぶろさんが、ご自分のポータルに掲げられている執筆予定の文学・芸術関係の項目は、実に玄人好みのシブいご選択ですね。項目ピエール・アンの参考文献に挙がっている、文芸雑誌『ノール』(著名な文芸評論家ピエール・ルナール主幹)が PDF ファイルで記事を公開しているので、少なくともフランス語版の数倍の記事にはできそうですが、連休も終わってしまうので、すぐに作業は出来そうもありません。日本風に言えば、大原社会問題研究所の研究員といった感じですか … エミール・ゾラほど下品で観念的はなく、自身が民衆の出なので、庶民への愛情が感じられる作家ですね。今後とも、よろしくお願い申し上げます。Tizizano(会話) 2013年5月5日 (日) 20:59 (UTC)
- 私も連休が終わってしまうと多忙な日々が待ち受けているのでWikipediaを閲覧することはできても編集することはできなくなりそうです。私のスタイルとしては「加筆できるものは加筆をし、できないものは誰でも編集できる特徴を活かして編集して下さる方に任せ、とりあえず土台だけ作る」と言う感じですので、編集して下さる方に後はお任せします。こちらこそ今後ともよろしくお願い致します。--じぶろ(会話) 2013年5月6日 (月) 06:17 (UTC)
- じぶろさん、はじめまして。じぶろさんが、ご自分のポータルに掲げられている執筆予定の文学・芸術関係の項目は、実に玄人好みのシブいご選択ですね。項目ピエール・アンの参考文献に挙がっている、文芸雑誌『ノール』(著名な文芸評論家ピエール・ルナール主幹)が PDF ファイルで記事を公開しているので、少なくともフランス語版の数倍の記事にはできそうですが、連休も終わってしまうので、すぐに作業は出来そうもありません。日本風に言えば、大原社会問題研究所の研究員といった感じですか … エミール・ゾラほど下品で観念的はなく、自身が民衆の出なので、庶民への愛情が感じられる作家ですね。今後とも、よろしくお願い申し上げます。Tizizano(会話) 2013年5月5日 (日) 20:59 (UTC)
GA選考について
[編集]おかげさまで全ての教皇に関する大司教聖マラキの預言がGAとなれました。私が主加筆者となって今まで選考を経てGAになった記事は、全部自薦か自動推薦のみでしたので、過分な推薦の言葉をいただいての今回の選出は、非常にうれしいものでした。どうもありがとうございます。簡略ですがお礼まで。--Sumaru(会話) 2013年5月11日 (土) 02:18 (UTC)
- ご丁寧に、ありがとうございます。予言などといえば、大抵終末論にまつわる宗教史的ないし社会学的検討に付され、無味乾燥な分析に終わるのを常としておりますが、Sumaru さんには、それを「風変わりな文学作品」と捉えられ、そのコンシートを考察するという新たな視点を教えて頂きました。今度ともいろいろとご教示下さいませ。Tizizano(会話) 2013年5月11日 (土) 08:21 (UTC)
こんにちは
[編集]私はスペイン語ですので、こんにちは、私は日本語を話さない。あなたに感謝し、私を助けてこれらの記事の改善に役立つことができれば、私は尋ねる: アウディトリオ・デ・テネリフェ, ペトロ・ド・ベタンクール, マリア・デ・レオン. それが再び、面倒ではありませんおかげで、期待しています。--CanaryIslands(会話) 2013年9月23日 (月) 14:36 (UTC)
- スペイン語はわかりません。悪しからずご了承下さい。Tizizano(会話) 2013年9月23日 (月) 22:03 (UTC)
プロジェクト:キリスト教/キリスト教の記事名ガイドライン案への議論参加のお願い
[編集]プロジェクト:キリスト教に参加されておいでの2013年に活動されていた方々に、プロジェクトにおける大変重要な提案につき、個別にお知らせをさせて頂いております。
プロジェクト‐ノート:キリスト教に予告しておりました通り、プロジェクト:キリスト教/キリスト教の記事名ガイドライン案を作成しました。議論場所はプロジェクト‐ノート:キリスト教/キリスト教の記事名ガイドライン案です。
ガイドライン策定に御参加頂ければ幸甚です。今年も宜しくお願いします。--Kinno Angel(会話) 2014年1月2日 (木) 11:29 (UTC)
フランシスコ (ローマ教皇)の件
[編集]俎上の文献を出典とした記事は今後加筆するものと考え、とりあえず「参考文献/論文・記事」のリストに反映させました。ラテン語正文の案内があれば補足してください。--ジャコウネズミ(会話 | 投稿記録) 2014年6月16日 (月) 11:56 (UTC)
- ジャコウネズミさん、お久しぶりです。お手数をお掛け致しました。ありがとうございます。Tizizano(会話) 2014年7月26日 (土) 20:59 (UTC)
Sur le projet "L'International"
[編集]Sur le projet "L'International". Je essaie de traduire plus récente, moderne, fidèle à la signification originale, mais vers lyriques. Je ne peux pas utiliser la rime, pinyin etc. Je suis en attente pour vous ma page de la conférence. merci beaucoup.--ジャコウネズミ(会話 | 投稿記録) 2014年12月31日 (水) 12:06 (UTC)
映画『杉原千畝 スギハラチウネ』について
[編集]こんにちは。すでにご存知かもしれませんが、映画『杉原千畝 スギハラチウネ』が2015年12月に全国東宝系で公開予定とされております[1]。杉原千畝の記事内には演劇の項目がありましたため、本作も記事内に書き加えられる可能性があるのではないかと思いまして、まずはご一報を差し上げました。--Isamit(会話) 2015年4月18日 (土) 07:34 (UTC)
- ご案内、ありがとうございます。Tizizano(会話) 2015年4月28日 (火) 13:08 (UTC)
こんにちは
[編集]TizizanoさんがYOKOTA Kuniteru氏へのコメント依頼サブページを追記されていますが、このコメント依頼はずいぶん前の物です。改めて出しなおすのが良いと思います。新たなYOKOTA Kuniteruへのコメント依頼は私の方で提起しますので、停止してだいぶ経つこちらのコメント依頼は引っ込めていただけないでしょうか。私の方で改めてWikipedia:コメント依頼/YOKOTA Kuniteru 20150502として提出します。--ぱたごん(会話) 2015年5月2日 (土) 04:43 (UTC)
追記、Wikipedia:コメント依頼/YOKOTA Kuniteru 20150502を提出しました。Tizizanoさんがコメント依頼に設けたWikipedia:コメント依頼/YOKOTA Kuniteruは2012年のもので議論停止になっています。これを蒸し返すより改めたほうが良いと思います。--ぱたごん(会話) 2015年5月2日 (土) 05:45 (UTC)
- ぱたごんさん。色々とお手数をお掛け致しました。ありがとうございます。Tizizano(会話) 2015年5月2日 (土) 08:04 (UTC)
記事「杉原千畝」の「年表」の記載の仕方について
[編集]こんにちは。いつも編集作業お疲れ様です。
現在、ノート:杉原千畝にて「年表」の節の記載の仕方について提案させていただいております。
杉原千畝のページは良質な記事に選出されていますが、かつてTizizanoさんが多くの努力を払われ選出されたという経緯があるため、私としてはTizizanoさんからもご意見いただきたいと考えています。
無論、意見するかどうかは自由ですが、より良いページとするためご協力いただけると助かります。以上、意見表明希望の案内でした。何卒よろしくお願いします。--A22112212(会話) 2015年9月21日 (月) 09:15 (UTC)
保護依頼の妨害はおやめください
[編集]こんにちは。如何なる理由があっても保護依頼を妨害することはやめてください。議論無しに記述を大量除去する行為は新たな問題を引き起こし、あなたの立場を悪くするほかありません。--Fusianasan1350(会話) 2016年11月29日 (火) 01:00 (UTC)
- 保護依頼者として補足いたします。まずはありがとうございます>Fusianasan1350さん
- あなたの行為は、その理由動機はどうあれ、半ば「荒らし」です。保護依頼しなければならない理由をよく考えてください。これ以上不毛な編集合戦を繰り返されるのであれば、当事者総員の方針再確認を強くお願いすることになります。要約欄でがなり立ててばかりいないで、ノートページで合意を図るなど、大人の行動をご検討ください。もろもろご賢察願います。--maryaa(会話) 2016年11月29日 (火) 01:05 (UTC)
あなたはブロックされました。しばらくウィキペディアの編集を行うことはできません。ブロックは時間がたつと自動的に解除されます。解除後、基本的な決まりを守って参加するなら、あなたの投稿は歓迎されます。今後の対話ならびに異議申し立て、解除依頼はあなたの会話ページで受け付けます。会話ページも編集できないブロックの場合は、IRCの#wikipedia-ja-unblock、もしくはメーリングリストで、会話ページの編集許可を求めてください。(ヘルプ、投稿ブロックへの異議申し立て・投稿ブロック解除依頼作成の手引き参照) Wikipedia:投稿ブロック依頼/Tizizano 追認--Los688(会話) 2017年10月20日 (金) 04:46 (UTC)
質問
[編集]色々とご迷惑をかけており申し訳ありません。 ついては、ブロック明け次第「不毛な編集合戦を繰り返されるのであれば、当事者総員の方針再確認を強くお願いすることになります。要約欄でがなり立ててばかりいないで、ノートページで合意を図るなど」の方針で編集をしたいのですが、(α)Los688さんは、Wikipedia の管理者ですが、この記事の執筆には関係がないのです。その「当事者総員」が記事の執筆者であれば、問題は数時間で解決するのですが、利用者 Highestever さんは、無茶苦茶な編集を繰り返し、永久ブロックされています。私はこの Highestever さんの編集時に Wikipedia をほとんど見ておらず、あとからノートを見ますと、私が書いた記事を G.A. に推薦して下さった方々が対応して下さり、意味不明の裁判記録以外は、私が雛型を作った原版に戻り、参考文献もほとんど同じです。 (β)ですから、出生地問題の個所は、荒唐無稽な編集がほぼ訂正され、最後に残った部分なのです。「八百津町」出生の証拠はいま直ぐいくらでも出せますが、その際に誰と「合意」を得たら良いのでしょうか?(γ)編集合戦らしきものは、ネトウヨのような連中のおかしな記述があったときにそれを除去した数回くらいで、それ以外で意見がわかれたことはほとんどないのです ... そこで、教えて頂きたいのは、【どこで】【誰と】合意を得ればいいのでしょうか?その方が証拠等に納得され出生地問題を片付けたら、当方としましては特に異論はないのです。この点をご教示下さい。Tizizano(会話) 2017年10月20日 (金) 09:14 (UTC)
問題のありか
[編集]これまで私が項目杉原千畝を書いた後、書式の相談ぐらいしかやりとりがなかったのに、なぜこんな錯綜した問題が生じたかは Renzi さんのご指摘の通りです。「現在、論争中の事柄について、論争の当事者がWikipediaを「利用」しようとしているように感じます。これは百科事典として憂慮すべき事態だと感じています。--Rienzi(会話) 2017年1月2日 (月) 04:57 (UTC) 」← つまり、係争中の者が匿名で自分に有利に世論を引きつけようと Wikipedia を利用して自己宣伝をしようとしたので、本来「付け足し」に過ぎない親族の部分が異常に肥大し、ユネスコ登録の際も自分が主導権を執ろうとした結果がその根底にあります。もちろん、ここでは詳しく申し上げられませんが、そんな外部的理由で、歴史記述が歪められるのはトンデモない話しで、書式を整えたりなり挙証などに関して Wikipedia の方針に従う云々はそれほど難しい問題ではないのです。つまり、さんざん記事を無茶苦茶にした揚げ句消えてしまった執筆者がまだいて、話あえる状態なら合意形成は簡単ですが、相手がいない状態なら、どう挙証し、どう記述すれば良いかを考えるために、一旦ひの記述をここに挙げますから、チェックされて下さい。そうすれば、多分1日で問題は解決するでしょう。Tizizano(会話) 2017年10月20日 (金) 09:34 (UTC)
「杉原千畝」の記事について
[編集]失礼します。杉原千畝の記事でのご編集についてうかがいたいことがあります。2017年以降はWikipediaへの投稿をしていらっしゃらないようにお見受けしますが、ここでお答え頂くことは可能ですか?--Leonidjp(会話) 2019年2月21日 (木) 23:47 (UTC)
- ええ、どうぞ。宜しくお願い致しますTizizano(会話) 2019年2月22日 (金) 14:45 (UTC)
- ありがとうございます。杉原千畝におけるこちらのご加筆(全てがTizizanoさんによる加筆です)についてなのですが、記事の本文部分への加筆内容に比して、「参考文献」節へ加筆なさっている文献の点数が多いようにお見受けします。このご加筆の直前の版と比べますと、参考文献節に載っている文献の点数が2.5倍くらいになっています。
- 「参考文献」という名前の節は、それぞれのWikipedia記事の出典として使われている文献を記入するための節なのですが(そのことは、ガイドラインであるWP:LAY#参考文献にも記されています)、上述の差分において「参考文献」の点数が倍増している理由は、その当時の杉原千畝の記事において出典として使われた形跡のない文献をTizizanoさんが「参考文献」節に書き加えてしまったためなのではないかと私は推察したのですが、この推察は正しいでしょうか?--Leonidjp(会話) 2019年2月22日 (金) 22:07 (UTC)
- ご指摘、ありがとこざいます。(1)まず(全てがTizizanoさんによる加筆です)とのことですが、私の加筆部分は【緑色】の部分で【赤色】の部分は私が書いたものではありません。(2)文献に関しては、同様の主張をしているほぼと重複部分があるものもあり、全部を後ろの註釈に入れることはできないということであります。いまのところ、こんなところです。私は当該分野で日本でもっとも詳しい研究者の一人であり、この項目のほとんどの部分は私が書いたものなので、何なりとご質問下さい。(3)冒頭の出生地の部分の書き換えは間違いであり、「戸籍」にあるというのは、単に好水が「そこに登記」したということだけです。寺の住職も「出生地」とは言っておらず、千畝自身も「八百津町」としております。ただ、以前投稿禁止になった経緯もあり、学問上の素人たちとやりあうのは不毛と思い、しばらく投稿しておりませんでした。それが、投稿の空欄のある理由です。Tizizano(会話) 2019年2月23日 (土) 02:13 (UTC)
- ご応答ありがとうございます。
- >>私の加筆部分は【緑色】の部分で【赤色】の部分は私が書いたものではありません。
- 緑色・赤色とお書きですが、私の環境では青色・オレンジ色で見えます(参照)。それはともかく、青色の部分がTizizanoさんの加筆内容であり、オレンジ色の部分はそうでないということは、もとより存じております。それを前提にして申し上げています。
- >>(2)文献に関しては、同様の主張をしているほぼと重複部分があるものもあり、全部を後ろの註釈に入れることはできないということであります。
- 「ほぼと重複部分があるもの」というフレーズの意味が分かりません。誤記でしょうか? これはどういう意味ですか?
- >>(3)冒頭の出生地の部分の書き換えは間違いであり、(以下略)
- その点についてお書きいただいた後で申し上げるのは恐縮ですが、私が注意を向けているのは参考文献節でありまして、出生地の問題ではありません。--Leonidjp(会話) 2019年2月23日 (土) 02:30 (UTC)
- 「上述の差分において「参考文献」の点数が倍増している理由は、その当時の杉原千畝の記事において出典として使われた形跡のない文献をTizizanoさんが「参考文献」節に書き加えてしまったためなのではないかと私は推察したのですが、この推察は正しいでしょうか?」という質問(私としてはyes or noのどちらかでご返答頂けるものと期待してお訊ねした質問です)に対するご返答もよろしくお願いいたします。--Leonidjp(会話) 2019年2月23日 (土) 02:59 (UTC)
- 補足です。私が上述の質問で申し上げている「形跡」というのは、特定の文献を指す文言(それは通常なら脚注内に書かれるものであり、ときには本文中に直接書かれていることもありますが)という意味で使っています。--Leonidjp(会話) 2019年2月23日 (土) 03:07 (UTC)
- ご説明、ありがとうございます。Wikipedia の内規に註釈に直接という内規からするとそうかも知れません。ただ、何十回、何百回も加筆や書き直しをしているので、どのあたりまで差し戻したらいいのかすぐにはわかりません。ご判断にお任せ致します。急ぎませんので、お手数ですが、宜しくお願い致します。Tizizano(会話) 2019年2月23日 (土) 03:18 (UTC)
- 別件ですが、再三「合意を取り付けろ」というアドバイスがありましたが、出生地に関して呼びかけても、2年間も何の応答もありません。これだと適当なことを書いて書き逃げでも通用してしまうので、かなりおかしなアドバイスだと思います。私は本項目に関しての質問に関して、質問を見た瞬間に即答できるので、この点に関しては大きな疑問です。まあ、それでも規則なら仕方ありませんが。Tizizano(会話) 2019年2月23日 (土) 03:18 (UTC)
- >>Wikipedia の内規に註釈に直接という内規からするとそうかも知れません。
- つまり、この加筆においてTizizanoさんは、当時の杉原千畝の記事の出典であることが明確に確認できたわけではない文献をも、杉原千畝#参考文献節に加筆なさったということですね?(もし違うなら違うと仰ってください)。
- ※Tizizanoさんは「この文献はおそらく杉原千畝の出典であろう」というふうに推測をなさり、それに基づいて参考文献節にその文献を加筆なさってきた、ということなのかもしれませんが、それでしたらあくまでも推測に基づく判断ですし、もし推測でなく実際に出典として利用されていることが確認できる場合には、本来であればその使用箇所(各文の末尾や途中)に脚注を置かねばなりません(その意味では、上述のこの加筆においても、脚注を殆ど付けておられません。以後の版でお付けになったのかもしれませんが)。
- 上でもお示ししたWP:LAY#参考文献というガイドラインは、「出典として利用していないが、その記事に関連している文献・資料などは、記述の出典と混同しないよう、別の節を作るなど、分離して記載するようにしてください。」と定めておりますので、出典でない文献は参考文献節に載るべきものではありません。本来でしたらそれらは「関連文献」などという名前の節に載せられるべきものだと思います(杉原千畝の記事にはそういう節がまだありませんが、他の記事にはしばしば存在します。たとえばアドルフ・ヒトラー#関連書籍など)。
- 上述の加筆において、出典であることが確認できていない文献をも参考文献節に加筆なさっておられるとのことでしたが、杉原千畝においてそれと同じことを、これ以外の編集でもTizizanoさんは行っておられた例があるのではないかと私は危惧しています。杉原千畝に対するTizizanoのご編集は、回数・分量ともに多大ですので、そのすべてを私が具体的に精査できているわけではありませんけれども、2011年当時にそのような編集実態があり、それから7年あまり経った今日私がこのように申し上げたことによってTizizanoさんがこのこと(出典であると確認できていないものや、ご自身も出典として利用していないものを参考文献節に載せた可能性があること)に明確に気づかれたのだとすれば、出典でないものを参考文献節に加筆なさったのは2011年のこの時だけではないのではないでしょうか。
- そこで私はTizizanoさんにお願いしたいのですが、杉原千畝#参考文献節にこれまでにTizizanoさんが加筆なさってきた文献のなかで、その加筆時点の杉原千畝の記事の出典であることをTizizanoさんが確認できているわけではないものを、ココもしくはノート:杉原千畝に挙げて頂けませんか?(この作業をTizizanoさんにお願いする理由は、「参考文献節に加筆した文献のうちのどれが出典であるのか/ないのか」を知っている(或いは、思い出しうる)のは、加筆者であるTizizanoさんしかいらっしゃらないと思うからです。他の利用者は、あくまでも憶測ができるだけです)。
- >>何十回、何百回も加筆や書き直しをしているので、どのあたりまで差し戻したらいいのかすぐにはわかりません。ご判断にお任せ致します。
- 「差し戻し」という操作をすると、記事の本文部分まで変わってしまいますので、それはやらないで頂きたいです。私はあくまでも、「出典であることが確認されていないもの」が参考文献節に混入していることを是正したいだけです。
- >>別件ですが、再三「合意を取り付けろ」というアドバイスがありましたが
- 申し訳ありませんが、私はTizizanoさんと他の利用者さんとが、杉原千畝の記事に関するどのような「合意」を巡って議論もしくは立場の対立をしておられたかを詳らかに存じておりませんので、その方面につきましては何とも申し上げられません。--Leonidjp(会話) 2019年2月23日 (土) 04:26 (UTC)
- 「出典であることが確認されていないもの」が参考文献節に混入していることを是正したいだけです。← それでしたら、ありません。いまのままで結構です。Tizizano(会話) 2019年2月23日 (土) 05:13 (UTC)
- >>それでしたら、ありません
- ということは、Tizizanoさんが参考文献節に加筆なさってきた個々の文献について、それが杉原千畝のどの文の出典であるかを、Tizizanoさんが言い当てられるはずだ、ということになりますよね? そうでなければ、「この文献は出典であることが確認できている」とあなたが宣言することはできないはずですから。「出典であることをご自身が確認している」のだとしたら、そうであるのに何故、出典としての使用箇所を明示するための脚注を付けていないのでしょうか? 例えば「金子マーティン 『神戸・ユダヤ難民 1940-1941』みずのわ出版、2003年 ISBN 4-944173-23-7」というのはTizizanoさんがその差分で参考文献節に加筆した文献ですが、当時の版のどこで出典だったのか不明ですし(脚注が無いから不明なのです)、この文献は最新版の杉原千畝#参考文献にもそのまま載っていて、かつ最新版においてもこの文献を指す脚注が存在していませんけれど。これが杉原千畝の記事の出典として確認できているのであれば、どの文の出典か示して頂けますか?--Leonidjp(会話) 2019年2月23日 (土) 06:05 (UTC)
- 上述の金子マーティン氏の文献と同じ問題がある文献(=Tizizanoさんが2011年に杉原千畝の参考文献節に加筆し、同記事の当時の版においても現時点の最新版においても参考文献節に載っているにもかかわらず、「その文献を出典として使用した文が記事内のどれなのか不明のもの」)を、ここに挙げておきます。
- [仏訳] Yukiko Sugihara, Visas pour 6000 vies, traduit par Karine Chesneau, Paris, Ed. Philippe Piquier, 1995.
- 丸山直起 『太平洋戦争と上海のユダヤ難民』法政大学出版局、2005年 ISBN 4-588-37703-5
- 山本祐策 『ユダヤ難民救助者の法的評価 – ヤン・ツバルテンディクと杉原千畝』近代文芸社、2006年、ISBN 4-7733-733-7389-X
- 関根真保『日本占領下の上海ユダヤ人ゲットー』昭和堂、2010年、ISBN 978-4-8122-0972-1
- 白石仁章「いわゆる“命のヴィザ”発給関係記録について]」(『外務省外交史料館報』第9号、1996年3月)
- 野村真理「杉原ビザとリトアニアのユダヤ人の悲劇」(『歴史と地理 世界史の研究』 山川出版社、2005年2月号所収)
- 白石仁章「“杉原ヴィザ・リスト”の謎を追って」(『外務省外交史料館報』第23号、2008年12月)
- 阿部吉雄「資料調査:上海のユダヤ人難民の観点から見た杉原リスト」(九州大学大学院言語文化研究院『言語文化論究』第23号、2008年)
- 「杉原千畝 6000人のユダヤ人を救った外交官 『命のビザ』の決断」(PHP、『歴史街道』2001年3月号)
- David Kranzler, Japanese, Nazis and Jews, Hoboken, NJ, Ktav Publishing House, 1976.
- Alison Leslie Gold, A Special Fate. Chiune Sugihara, New York, Scholastic, 2000.
- Seishiro Sugihara & Norman Hu, Chiune Sugihara and Japan's Foreign Ministry : Between Incompetence and Culpability, University Press of America, 2001.
- Dom Lee & Ken Mochizuki, Passage to Freedom. The Sugihara Story, New York, Lee & Low Books, 2003.
- これらのそれぞれの文献の何ページ目が、杉原千畝の当時の版および最新版においてどの文の出典かをTizizanoさんは示して頂きたいです。少なくとも同記事の最新版において出典として使われていることが明らかにならないのであれば、最新版においてはこれらの文献は「出典である」とは言い得ないですから、その場合は、記事の出典であることが確認できない文献が現在の参考文献節に混入していると判断されるてもやむを得ないと思います。
- これらの文献を参考文献節に記入し、かつ「出典でない文献が参考文献節に混入していることはない」という認識を2019年の今も維持していらっしゃるTizizanoさんこそが、「上述のどの文献が、記事のどの文の出典であるのか」を正確に言い当て得る人物に違いありません。参考文献(=出典)としてこれらの文献を利用したという趣旨を当然もつ編集を実行したのはTizizanoさんであり、当時も今も参考文献節には「出典でないもの」が混入していないと仰っているのもTizizanoさんですから。ですので、Tizizanoさんに上述のことを依頼します。どの文献の何ページ目がどこの出典か示してください。
- 「この項目のほとんどの部分は私が書いたものなので、何なりとご質問下さい。」という頼もしいお言葉も最初にありました。どうぞよろしくお願い致します。--Leonidjp(会話) 2019年2月23日 (土) 07:02 (UTC)
- 「出典であることが確認されていないもの」が参考文献節に混入していることを是正したいだけです。← それでしたら、ありません。いまのままで結構です。Tizizano(会話) 2019年2月23日 (土) 05:13 (UTC)
- ご指摘、ありがとこざいます。(1)まず(全てがTizizanoさんによる加筆です)とのことですが、私の加筆部分は【緑色】の部分で【赤色】の部分は私が書いたものではありません。(2)文献に関しては、同様の主張をしているほぼと重複部分があるものもあり、全部を後ろの註釈に入れることはできないということであります。いまのところ、こんなところです。私は当該分野で日本でもっとも詳しい研究者の一人であり、この項目のほとんどの部分は私が書いたものなので、何なりとご質問下さい。(3)冒頭の出生地の部分の書き換えは間違いであり、「戸籍」にあるというのは、単に好水が「そこに登記」したということだけです。寺の住職も「出生地」とは言っておらず、千畝自身も「八百津町」としております。ただ、以前投稿禁止になった経緯もあり、学問上の素人たちとやりあうのは不毛と思い、しばらく投稿しておりませんでした。それが、投稿の空欄のある理由です。Tizizano(会話) 2019年2月23日 (土) 02:13 (UTC)
- 本当にあなたは、私の文章を全然読んでいないでしょう。「何なりとご質問下さい」と依頼しますとは整合しません。それから「この文献はおそらく杉原千畝の出典であろう」というふうに推測をなさり、それに基づいて参考文献節にその文献を加筆なさってきた、ということなのかもしれません」とか、トンデモなく失礼なことをいっていますが、この文献はすべて私が所有しているもので、そもそもこの記事を書ける人が私意外にいると思っているのですか?もう一度繰り返しますよ。私は当該分野で日本でもっとも詳しい研究者の一人で、私の論文も著作も参考文献にあります。したがって記事の内容に関する真偽についてはいつでも質問を受けますが、こんな手間の掛かる仕事が撤何日かかると思っているんですか?そんな依頼をうけていたら、私の自分の仕事が出来なくなるので、気が向いたときにやります。まず適当な「推測」で中傷したことに関して謝罪すべてはでしょう。Tizizano(会話) 2019年2月23日 (土) 07:34 (UTC)
- それから、あなたはそもそも研究や学問の基本的な作法をご存じなんですかね?ある主張に関しては、総説なら重複する記述もあり、またクロスチェックもしなくてはならない。各註釈が必要最低限のものだなど当たり前のことでしょう。学術書なら、Cf. をつけて全部付記しますが、全部に追加したらトンデモなく長大なものになり、辞書の項目としては過重なものになります。その程度のことがわかりませんか?そもそも参考にしたかどうかわからないって、専門家でもなく該当書を持ってもいないあなたがどうしてわかるんですか?本当に失礼極まりない。Tizizano(会話) 2019年2月23日 (土) 07:43 (UTC)
- 「「金子マーティン 『神戸・ユダヤ難民 1940-1941』みずのわ出版、2003年 ISBN 4-944173-23-7」というのはTizizanoさんがその差分で参考文献節に加筆した文献ですが、当時の版のどこで出典だったのか不明ですし(脚注が無いから不明なのです)」← これなんかもまったく意味不明です。そもそもこれは「2011年2月6日 (日) 21:26」と9年も前の書き込みで、各版を見れば、徐々に加筆して行き、あちこち整備したくらい誰でもわかりそうなものでしょう。Wikipedia というのは、原稿料もないボランティアでやっているのだから、時間の合間合間で少しずつ調整し、あるまとまった時期に G.A.を頂いたのです。こんな書き始めの註もほとんどないものをいちいち揚げ足を取っていたら、記事なんて誰も書いてくれませんよ。そのくらいわかりませんか?〜〜〜〜
- Tizizanoさんは杉原千畝の参考文献節に文献名を加筆してきたけれども、その文献の何ページ目が杉原千畝の記事内のどの文の出典であるのかは、現在必ずしも明らかではありません。なぜ今そうなっているかというと、参考文献節に文献を加筆した際や、本文に文言を加筆した際に、各文言の出典を示す脚注を付けなかったからです。そのせいで、Tizizanoさんの加筆した文言は出典不明となるし、参考文献に加筆された文献は本当に記事の出典なのかどうかが、Tizizanoさん以外の誰にも分からない状態となったわけです。出典不明の文言を書き込むことは独自研究の披露に該当しておりますので、Tizizanoさんが加筆した文言のうちで現在の最新版にも存在しており且つ脚注が付いていない(=出典不明)のものは、今後、「独自研究の披露がなされたもの」と疑われてもやむを得ない状態となっています。出典の明示を「気が向いたときにやります」などと仰らずに、気が向かないときにも出典の明示をなさるべきです。それは本来、それぞれの加筆時になされるべきだったことですから。
- 「出典を明示すること」はすなわち「出典を示す脚注を記入すること」を可能とします。ほんらいTizizanoさん自身によって脚注が記入されるべきであった箇所については、記入可能となった脚注を実際に記入して頂きたく思います。最新版の杉原千畝においてです。WP:CITEというガイドラインに準拠した仕方でご記入お願いします。
- >>「何なりとご質問下さい」と依頼しますとは整合しません。
- 私は「質問に回答することを依頼」しているのです。つまりTizizanoさんが質問されているわけです。「どの文献のどこが、どの文の出典ですか?」と。そう取ればよろしいではないですか。
- >>まず適当な「推測」で中傷したことに関して謝罪すべてはでしょう。
- お詫び致します。
- >>そもそも参考にしたかどうかわからないって、専門家でもなく該当書を持ってもいないあなたがどうしてわかるんですか?
- 繰り返しになりますが、「その文献が出典として用いられた」ということを示す脚注類が存在していないからです。
- >>全部に追加したらトンデモなく長大なものになり、辞書の項目としては過重なものになります。その程度のことがわかりませんか?
- どこがどのくらい「長大」か、というのはケースバイケースだから、一般論で「こうしよう」と決めるような問題ではないと思いますね。少なくともWikipediaにおいては、一般的な基準が定められているとは聞いたことがありません。長大になった箇所をどうするのがよいか、という判断は、各記事のノートで利用者が議論して決めることです。--Leonidjp(会話) 2019年2月23日 (土) 08:25 (UTC)
- (1)「各記事のノートで利用者が議論して決めることです」← ですからね、そんな麗しい理想論になっていたら、私も嫌気がさして、2年間も加筆しないなどということはありませんよ。「議論」しろ、「合意」を作れというのは簡単ですが、私が意見を述べた上方の掲示だった何の応答もないでしょう。そうなるとテキトーなことを書いている連中が何十行も記載されても、それを削除すると投稿禁止とか管理側は何をお考えなのかわかりません。(2)「『どの文献のどこが、どの文の出典ですか?』と。そう取ればよろしいではないですか」← それはよろしくないでしょう。多くの記述にかかわるもの、節をまたいで参照すべきものを挙げても発展的な学びに役立つものであれば普通は出します。ですから、取りあえず、ご指摘の個所の10点ほどを消されて下さい。その上で時間がある時に、加筆したり削除したりしますので。Tizizano(会話) 2019年2月23日 (土) 08:52 (UTC)
- 「こんにちは。如何なる理由があっても保護依頼を妨害することはやめてください。議論無しに記述を大量除去する行為は新たな問題を引き起こし、あなたの立場を悪くするほかありません」「あなたはブロックされました。しばらくウィキペディアの編集を行うことはできません」← これは投稿者に協力を求める姿勢ではないでしょう。そもそも私が原稿料もなくボラティアでG.Aになるように良質な記事を投稿しているのに、「立場を悪くするほかはありません」などと書き込んでくるのに、2年も3年も間隔をおいて、今度はまた編集しせよとは図々しいにもほどがあります。こんな図々しさは良識ある一般社会では絶対に通用しませんTizizano(会話) 2019年2月23日 (土) 08:59 (UTC)。
- >>取りあえず、ご指摘の個所の10点ほどを消されて下さい。その上で時間がある時に、加筆したり削除したりしますので。
- 「10点」というのは私が上に名指しで挙げた文献群のことでしょうかね? それが消された「後で」と条件を付けておられますが、「消された後」にならないと、出典の明示ができないということですか? そうならざるを得ないわけでは当然ないですよね。その10点が最新版の記事内から消えようが消えまいが、個々の「脚注無しで加筆された文言」の出典を今から示すことはお出来になるはずと思います。お示しください。--Leonidjp(会話) 2019年2月23日 (土) 09:13 (UTC)
- まったく意味がわかりません。(1)「10点ほど」というのは概数です。(2)「個々の「脚注無しで加筆された文言」の出典を今から示すことはお出来になるはずと思います。お示しください」← しかし、註や説明の異例の量をご覧になられればお分かりの通り、「脚注無しで加筆された文言」は少なく、他人の加筆までは面倒見切れません。あればお示し下さい。それは個々に示されれば、山積みの本を引っ張り出してくるのは結構大変なので、時間があるときに致します。Tizizano(会話) 2019年2月23日 (土) 10:02 (UTC)
- >>「10点ほど」というのは概数です。
- まあ、何の「数」であろうと、それが記事から消されなくても、出典の提示作業は始められますよね。どうぞお始めください。
- >>他人の加筆までは面倒見切れません。
- Tizizanoさん以外の人が脚注を付けずに加筆した文言の出典を、私がTizizanoさんに要求するわけがありませんし、そんなことを要望した覚えはありません。Tizizanoさんが最優先で出典を示すべきなのは、当然ながら、Tizizanoさん自身が出典を明示せずに(=脚注の類を付けずに)加筆し、かつ現在の杉原千畝にも載っている文言です(最新版以前の版においてすでに消されている文言は、今さらそれを復元したうえで出典を付けるという処理をすることは必要ではないです。記事から消されるには消されるだけの、当時なりの理由があったのでしょうしね)。
- 勘違いされないように予め申し上げておきますが、わたしは別に、文言そのものをこれから記事に加筆してくれなどとは頼んでおりません。「Tizizanoさんが出典を明示せずに加筆した部分について、出典を明示してほしい」だけです。すなわち、出典を示すために必要な文字(それは通常は脚注のことです)を、それぞれの適切な位置に書いてほしいと言っているだけです。それがなされて初めて、参考文献節にあなたが書き加えてきた文献のそれぞれが、いったいどこの文の出典であったのかが、漏らさず明らかになりますし、参考文献節にも脚注にも記載がなかった文献がもしあれば、それも初めて記入されることになります。それらは全て、各々の加筆時に明らかにされるべきものでした。
- >>山積みの本を引っ張り出してくるのは結構大変なので、時間があるときに致します。
- まあ、少なくない文量をこの記事に加筆しておられて、その加筆当時に出典が明確に書かれなかった文や、「出典としての使われどころ」が明確にされなかった参考文献の「使われどころ」を、今からもう一度突き止めようとか思い出そういうのは大変だとは思いますが、ご自身の過去の編集内容に起因する事柄ですので、よろしくお願いしますね。半年や一年では終わらないかもしれませんが、少しずつでもやってください。--Leonidjp(会話) 2019年2月23日 (土) 10:51 (UTC)
- 何か大きな勘違いがあるようですが、「Tizizanoさんが出典を明示せずに加筆した部分について、出典を明示してほしい」だけです。すなわち、出典を示すために必要な文字(それは通常は脚注のことです)を、それぞれの適切な位置に書いてほしいと言っているだけです。← 「Tizizanoさんが出典を明示せずに加筆した部分」など見落とし部分以外はありません。加筆した本文には、不注意で見落とした部分以外はありません。研究者以外は煩雑な凝りすぎた文献あるので、不要と思われる文献そのものを削除して下さい。その方が手間が省けますから。私は「加筆するな」「加筆せよ」等々、Wikpedia 投稿者若干のその場その場の都合で生きているわけではないので、時間が割ければやります。しかし、一方で2年も3年も問いかけに答えない不誠実な投稿者を放置している管理体制には大きな疑問を持っていますので、「気がむけばやる」程度にお考え下さい。それでは。Tizizano(会話) 2019年2月23日 (土) 11:07 (UTC)
利用者ページの保護について
[編集]こんにちは。はじめまして。柏尾菓子と申します。
最近「故意に編集フィルター記録に多量の動作ログを残しログ監視を妨害する荒らし」が流行しており、その一環でTizizanoさんの利用者ページも標的となりました。そのため、2023年6月16日 (金) 04:46(UTC)に半保護されています(Logid/6516929)。詳細な理由は利用者‐会話:えのきだたもつ#利用者ページに対する半保護をご確認いただけると幸いです。不明な点がある場合は、答えられない可能性もありますが、可能な範囲で説明するため、お問い合わせください。あるいは、保護しないでほしい場合もお問い合わせください(確実に気づくために、通知していただけるとありがたいです)。何もない場合はこれはお知らせのため、返信は不要です。よろしくお願いいたします。--柏尾菓子(会話) 2023年6月18日 (日) 07:59 (UTC)