ノート:米田の補題
平成24年5月23日 (水) 02:29時点の修正について
この修正は到底容認できるものではない。理由は主に下記3点である。
1 日本語として読みづらい点についての修正であるという名目でありながら、日本語として意味を成していない文言がある。
『関手CからSetを考える。』、『この式の右辺の θ は θA(1A) ∈ F(A) から完全に定まることがわかる。』
2 修正により文意が損なわれた。
米田の補題はトリック
hom(A,f)1A = f
により、射についての条件(自然性条件)が対象についての条件に置き換わるというところが最もわかりづらい点である。そのことを考慮した文言が、『Cは局所的に小さいため、対象 B が与えられれば、任意の射かつ対象の要素 f ∈ hom(A,B) = hA(B) に対して成り立つ、つまり θA(1A) は θB:hA(B) → F(B) を定め、自然変換 θ は要素 θA(1A) ∈ F(A) から完全に定まることがわかる。』
という部分であったが、そこを完全に削除し、また代替となる文言を挿入することも行わなかった。
加えて、『対象 A における自然変換のコンポーネント θA の恒等射 1A における値 θA(1A) ∈ F(A) を定める。』という文言を削ったものは主張としてギャップが大きく、理解困難になっているとおもわれる。
3 無意味に用語を曖昧にしている。
『集合値関手 F: C' → Set』はSet-valued functorの訳であり、Setへの関手の略称である。単に『関手』と種類を曖昧にする理由はない。
『 Nat(hA,F) 』は明確にクラス(ゲーデルーベルナイス集合論における)であり、『全体』と曖昧にする必然性は全くない。
主に上記3点理由からこの修正は受け付けることができず、取り消すことが妥当である。 ---I.hidekazu(会話) 2012年5月30日 (水) 12:31 (UTC)
- クラスであるというのは通常何も主張していないのと同じ。「すべてのXのクラス」と書くより「Xの全体」と書いたほうが明らかに明確な表現になる。ほかにも「すべてのXからなるクラス」という書き方もある。「すべてのXのクラス」と曖昧にする必然性は全くない。しかも「の」が続く文章はあまり好ましくないので、なるべく避けたい。
- 『Cは局所的に小さいため、…』の文は論理的におかしい。それ以下のところで局所的に小さいことを使っているわけではない。局所的に小さいことがどこに必要なのか理解しているか疑うレベル。
- 『任意のfに対して成り立つ』というのは意味不明。これは、「P(f)である。(途中に長文)。全てのf:X->YについてP(f)である。」という通常ありえない形式の証明になっている。 --Kik(会話) 2015年3月9日 (月) 19:42 (UTC)