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ノート:細川氏之

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改名提案

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細川持隆」から「細川氏之」(現在リダイレクト)への改名を提案します。本文内で名前が持隆から氏之に変更・統一されたため(本来ならページ改名後に行うべき編集ですが)、その追認という形になります。

「細川持隆」の名前が「細川氏之」が正しいということについては、2021年8月に森脇崇文が四国中世史研究会で発表([1])、10月9日に徳島新聞に取り上げられ([2])、同月発行の天野忠幸『三好一族』(中公新書)で四国中世史研究会例会報告レジュメを参考文献として「氏之」の名前が採用され、2022年3月の『史窓』52号に正式に森脇の論文が掲載されたという流れのようで、比較的最近のことです。

ただし、細川氏に関する著書のある研究者の中では、馬部隆弘が「江口合戦後の細川晴元」(石井伸夫・重見髙博・長谷川賢二編著『戦国期阿波国のいくさ・信仰・都市』戎光祥出版、2022年2月)で森脇のレジュメを元に「氏之」を採用し、古野貢が天野忠幸編『戦国武将列伝8畿内編下』(戎光祥出版、2023年3月)で「氏之」と書いており(128頁)、研究者の間では氏之の名前は受け入れられてるものとみられます。

以上の状況より、本文の記述を持隆に戻す編集を行うよりもページ名の改名を行いたいと思います。1週間経ち反対がないようでしたら改名を実行いたします。--YasuminB会話2024年3月15日 (金) 03:05 (UTC)[返信]

チェック 改名しました。--YasuminB会話2024年3月22日 (金) 04:30 (UTC)[返信]