ノート:経ヶ岬灯台

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水銀槽式回転機械について[編集]

経ヶ岬にも共通することですがこちらで。水銀槽式回転機械を発明した技師の名前が「プール・デーユ」や「プール・デーコ」となっていますが、件の技師はfr:Léon Bourdellesであり[1]、“Bourdelles”のカナ表記としてはいずれも不適当と思われ、一方で下関の角島灯台についての資料で「ブールデーユ式回転機械」とあることから[2]、これを出典として「ブールデーユ」に変更します。

また、パリ万博に出品したとの記述ですが、1892年に初めて完成した発明品が、1889年に出品、それを購入しそのまま導入、というのも納得のいかない話です。出典がありますので、取り敢えず手を付けずにおきますが、例えばこちらこちらの資料、(公社) 燈光会の会誌『燈光』2009年12月号などが確認できれば、何かわかるかもしれません。--ぷんすけ会話2021年11月3日 (水) 20:55 (UTC)[返信]

パリ万博は1893年ですね[3]。国会図書館や歴彩館の文献はしばらく確認できる機会がなさそうなのですが、たぶん間違いないのでひとまず修正しておきました。誤りにお気づきいただき、ありがとうございます。技師の名称についてもありがとうございました。--漱石の猫会話2021年11月4日 (木) 13:17 (UTC)[返信]
と思ったのですが、国際博覧会一覧によれば、1893年の万博はシカゴなんですね……。1900年の誤りだとすると1898年に初点灯しているのがおかしいので、パリ万博が間違いなのか発明年が間違いなのかと思いますが、これはちょっと専門的な文献をあたる必要がありそうです。--漱石の猫会話2021年11月4日 (木) 13:27 (UTC)[返信]