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ノート:総社

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メモ~いくつかの疑問

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いくつか疑問があるのだが、細かく調べて書き直しているほどの余裕がないので、とりあえずノートにメモ書きしておく。識者がおいでになりましたら加筆をご検討くだされ。

んで、署名忘れ+3項目を併記したことからスレッドの混乱がありましたので、署名しとくと同時に小項目を立てるという編集をやっときます。

Nekosuki600 2005年8月22日 (月) 19:07 (UTC)[返信]

定義未満

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時代背景などが全く記されていない。そういう意味で定義未満であり、「無意味な記述+背景が分からぬリスト」という不幸な状況に陥っている。

--2005年8月23日 (火) 03:10 Nekosuki600

志摩国 : 波切神社(志摩国の神社は一社のみ三重県志摩市)

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波切神社が総社であったかどうかってのとは別の話として、カッコ内の付記がなんか違うのではないかと思う。

でかい神社の数は少ないかしらんけど、ほんとにひとつだけしかないのか? 絶対にそんなことはないと思うのだが。ちっちゃな神社をカウントからはずしていけば、そりゃ最大の神社ひとつだけが残るよなあって感じなんだけども。

関東の片隅にいたままできる範囲で調査したところ、少なくとも国土地理院の地図で見る限りでは、志摩市内どころか旧大王町域にすら、複数の神社の印が見られる。それらがすべて波切神社の支店であり実質上たったひとつしか神社がなかったというような可能性を否定するものではないが、しょーじきそれは机上の空論としても説得力がない。

--2005年8月23日 (火) 03:10 Nekosuki600

神道のことはしりませんが、ここでどういう基準で神社を数えているのかなぞだというのは賛成です。
  • まず江戸時代に合祀によって成立した波切神社が総社というのは時代錯誤ではないにしても、説明が不足しているのではないでしょうか(律令期の志摩の総社は定説にいたらず、ある程度有力な説は国府神社と記憶しています)。
  • 志摩には式内社が三座あるので、どう数えて「一社のみ」という記述がなされたのか知りたいと思います。皇大神宮別宮を一社と数えないなら、同じく皇大神宮末社である波切神社も一社として数えるのはおかしいでしょう(がそれでは慣例に反しますね)
  • 仮に、そうした言い方を許容するとします。しかし一社しかない、というのは一宮伊射波神社が存在する以上、明確に誤りであるように思います。
そもそも、こういう注記が必要なんでしょうか。蛇足という気がします。
あと、上でも指摘がありますが、律令体制下の総社なのか明治期以後の国家神道体制下での総社なのかが不分明です。冒頭記述は前者をおいていますが、リストはどうも後者のようで、そういうことは明確にしていただきたいと思いました。--Aphaia 2005年8月22日 (月) 18:55 (UTC)[返信]
今さらですが、波切神社を皇大神宮末社と判断した根拠を教えて頂きたく。少なくとも明治以降は末社ではなく、おそらく末社であった事実はないと考えておりますが。N yotarou 2007年1月22日 (月) 10:54 (UTC)[返信]

……RCで英虞郡をみてふっと邪推が働いたのですが、この「志摩国」ってのは志摩市の誤記なんじゃないでしょうか。波切さんは志摩にあった神社を合祀したもんなので、志摩市内で江戸期から残る神社は波切だけ、というのはそりゃそうだろうと思うわけです。で志摩市のある旧英虞郡には式内社がないわけで。。--Aphaia 2005年8月23日 (火) 05:27 (UTC)[返信]

波切神社から流れてきたものです。波切神社の項にも同様の「総社」とか「唯一の神社」という記述があり、どうしたものか悩みました。結局、ノート:波切神社に理由をいろいろと書いたのですが、両者とも根拠は薄弱であろうと思われ、削除いたしました。
もしよろしければ、この「志摩国の総社」の項から、波切神社ならびに一社のみという記述を削除する提案をさせてください。代替としては、Aphaiaさんも仰ってます、一般的な認識と思われる「不詳」とすることを提案いたします。錯誤に基づくおかしな主張をしているなどございましたら、ご指摘くださいませ。
なお、蛇足ですが、この総社の編集履歴を見ると、現在の「神社は一社のみ」とある前に、「郷社は一社のみ」と書かれていました。全部知っているわけではありませんが、たとえば鳥羽市の賀多神社も郷社であったようです。--Excavator 2005年10月4日 (火) 16:53 (UTC)[返信]
異議なし。Nekosuki600 2005年10月4日 (火) 20:00 (UTC)[返信]
お返事ありがとうございます。長く議論しなければならない性質のものとも思えませんので、早速変更してしまうことにいたします。--Excavator 2005年10月5日 (水) 14:42 (UTC)[返信]

手元の資料(國學院大學日本文化研究所 編『神道事典』、日本史広辞典編集委員会 編『日本史要覧』)を見てみましたが、志摩国の総社はどちらも「国府神社(志摩郡阿児町国府)?」と書かれています。どちらかがもう一方を参照している可能性もありますが。参考まで。nnh 2005年10月6日 (木) 16:41 (UTC)[返信]

情報ありがとうございます。上でAphaiaさんも同様の情報を書かれておられ、わたしとしても否定または無視をするものではありません。ただ、志摩国の過去の版(2004年2月29日 (日) 17:04 の版)における、『志摩郡阿児町に国府神社があるが、明治3年に八皇子社が他神社を合祀して改称したもので、総社ではない。』との記述が気になっており、不詳とするのがいいかなぁ、、と思っただけです。Nnhさんのお調べの通りに変更していただくことについて、わたしとして異議があるものではありませんので、どうぞお気など遣わずにご編集ください。--Excavator 2005年10月7日 (金) 19:37 (UTC)[返信]

東海道

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以下の項目が「東海道」にあることが釈然としない。地域を細分化するなどして別項目を立てそちらに入れるのが筋じゃないだろうか。東山道などについても、項目の文面からではいつの時代のことなのかわからないというあたりもひっくるめて、地域分類にはかなりの疑問がある。

志摩国 : 波切神社(志摩国の神社は一社のみ三重県志摩市)
甲斐国 : 甲斐奈神社(山梨県笛吹市春日居町国府または笛吹市一宮町)または府中八幡宮(甲府市)
武蔵国 : 大國魂神社(東京都府中市宮町)
安房国 : 六所神社(千葉県館山市亀ヶ原)
上総国 : 戸隠神社(千葉県市原市総社)
下総国 : 六所神社(千葉県市川市須和田)
常陸国 : 常陸総社宮(茨城県石岡市総社)
律令の規定では、これらの令制国は東海道に属しています。延喜式神明帳でもその行政区分によっています。おっしゃる方向での改稿は事態に即していないように思いますが。--Aphaia 2005年8月22日 (月) 18:23 (UTC)[返信]
時代背景が不明(まったく書かれていない)といったことも冒頭部分に書いてあるわけです。「この項目が説明しようとする年代(それがいつなのか記事からわからんという問題があるわけですが)には、エリアの呼び名が現在と異なっていた」というあたりのことをあなたがご存知であるのならば、そういった情報の加筆は簡単なんじゃないかなーと思います。「知恵を持つものは、すぐれた記事にすべく加筆をする」という方向でやっていただいた方がお互い幸せじゃないかと思うのですが、いかがでしょうか。
--Nekosuki600 2005年8月22日 (月) 18:59 (UTC)[返信]
リストの地域区分はあきらかに律令にそっていますが(そしてこれは明治期までの神社を扱うならある程度当然のことですが)、リストに含まれている神社には江戸期創建のものも含まれています(上記の私の書き込みを参照ください)。全体として何がいいたいのか不明なので加筆のしようがないというのは私も同じです。神道に詳しい方にお任せするのがよいと思いますが。--Aphaia 2005年8月22日 (月) 19:04 (UTC)[返信]
今日はもう寝ますが、とりあえずの対処として「正確性」かなんかのテンプレを貼り付けて、読者に対して「鵜呑みにすんなよ」という警告を発しておくというので、短期的には問題の発生を回避できるような気がします。どんなもんでしょうか。
--Nekosuki600 2005年8月22日 (月) 19:12 (UTC)[返信]

利用規約(草稿ですが)にそれはすでに書いてあるので、屋上屋をかさなくてもいいような。とくに反対はしませんが、張ってない項目は保障しているように思われるほうが怖いように思います。--Aphaia 2005年8月22日 (月) 19:23 (UTC)[返信]

「配列は五畿七道による。」の一文を入れました。Kinori 2005年10月4日 (火) 17:16 (UTC)[返信]
ありがとうございました。冒頭部の加筆もあり、だいぶわかりやすくなったと思います。Nekosuki600 2005年10月4日 (火) 20:00 (UTC)[返信]

肥前国総社

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肥前国総社は肥前国#国府・一宮などでは不明と記されていますが、本記事では初版から「不明」ではなく「廃絶」と記されています。廃絶というのはかつてあったという何らかの根拠に基づく表現であり、旧社名や鎮座地の情報があってしかるべきだと思います。また、肥前国府跡・惣座遺跡から程近い佐賀県佐賀市大和町久池井字春日に鎮座する「地主宮天照宮」を肥前国総社と比定する情報もちらほらありますが、どうなんでしょうか。--218.110.170.81 2009年12月2日 (水) 14:04 (UTC)[返信]

その記述は日本史広辞典編集委員会 編『日本史要覧』を元にしたのではなかったかと思います。この本がすぐに出て来ないので確認が出来ないのですが、國學院大學日本文化研究所 編『神道事典』の総社一覧でも肥前国総社は「(今ナシ)鎮座地 佐賀郡大和町惣座」という書き方になっています(不明のものは「(不明)」、元からなかったものは「(ナシ)」と区別して書かれています)。とりあえず状況だけ。nnh 2009年12月2日 (水) 16:38 (UTC)[返信]
『日本史要覧』もありました。「廃絶?」と書かれています。鎮座地の記述はありません。nnh 2009年12月2日 (水) 16:53 (UTC)[返信]
早速の回答ありがとうございます。「地主宮天照宮」について少々分かったことがあるので情報を追加します。前コメントで記した「春日」は間違いでやはり「惣座」に鎮座していました。「惣座」は住所表示上では用いられない小字として大字久池井内にあり、與止日女神社(佐賀県佐賀市大和町大字川上)からは嘉瀬川下流対岸、肥前国府跡とは長崎自動車道をはさんで北側に位置しています。地元の方のブログ記事によると「町内の公園を兼ねた鎮守様という風情の神社でした。今は市内の高木八幡宮(佐賀市高木瀬東ニ丁目)で管理しているそうです。一国の惣座も儚くなりにけり」ということで、宮司不在のために「廃絶」扱いになっているのではないかと思われます。--218.110.170.81 2009年12月3日 (木) 00:44 (UTC)[返信]