ノート:総統/過去ログ1
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議論1
デスラー総統はヒトラーから直接のインスピレーションではなく、松本氏自身が、デス(Death,死)とラー(エジプトの太陽神)から付けたもの、と語っていたような気がします。死の太陽、ですね。「~~ラー」と付く名前はほかでも彼は幾度か使っていたようですが、手元に資料がないのでどなたか詳細をご存じの方いらっしゃいましたらお願いします。--FeZn 2004年7月13日 (火) 15:40 (UTC)
- いちおう自分で、判る範囲で追記・書換しておきました。--FeZn 2004年10月3日 (日) 08:35 (UTC)
バンダイネットワークス「ヤマト発信!!」に、デスラーの名の由来に関して書かれているものを見つけました。→[1]、[2] ご参考まで。松本氏がアニメ雑誌のインタビュー記事で語っていたのは真実のようですね。それはそれとして、この記事は「総統」の記事なので、「デスラー」の名の由来については、デスラーの方に記述する方が適切かもしれません。ここでは、デスラー総統の「総統」という地位について何か記事にすべきネタがあると嬉しいのですけど、何かあったら加筆をよろしくお願いします。
中国語版へのinterwikiですが、中国語の「総統」は、日本語の「大統領」の意味で、そちらからInterwikiされてますので、このページでは外しておきます。oxhop 2004年10月3日 (日) 15:19 (UTC)
- 一言ずつ書き足しているうちに膨らんでしまっていましたね。デスラーのほうに移植しておきました。聖総統スカルダート以外は、「総統もそうとうにご冗談がお好きで。うわははははははははははははははは。はっ!?」というシーンぐらいしか思い浮かばないので追記は遠慮しておきました。--FeZn 2004年10月4日 (月) 16:29 (UTC)
個人的な見解の押し付けに関して
「 2007年9月2日 (日) 05:31 58.95.145.227 」で、「ドイツ語が基本である。日本語の一人歩きは誤解をもたらす」という理由で大幅な削除がおこなわれました。しかしこれは、ノートでの合意形成を経たものではなく、ウィキペディアの基本に反するため、復活しました。そもそも、この項目はドイツ語の「Führer」の解説だけにとどまらず、それを日本語に訳した「総統」という言葉をできるだけ詳細に解説するところに主眼があります。--kun 2007年9月3日 (月) 12:50
- kun さん!Hartmann です。削除の理由を述べます。
1) 以下の文章には百科事典ウィキペディアで最も忌嫌われ、削除に値する「個人的な意見の押し付け」があるのではありませんか?
『・・・アドルフ・ヒトラーが自らに授けた称号である「フューラー=総統」は、単なる「大統領」の同義語ではない。それは、ヒトラーという個人に集積していったさまざまな政治的権能を総合した称号として解すべきである。・・・』
2) 『・・・ヒトラーが「総統」をひとりに継承させることを望まず、・・・』と、ここにも「個人的な意見の押し付け」があります。また、五つの権能は1933年、1934年、1938年、1941年と経時的な流れの中で兼務を重ねた結果であり、このうち、大統領職(総統)が最高位であるために呼びかけに用いられただけで、他の権能も存続しており、それを『・・・その権能を分割したことを意味している。・・・』とは誤解も甚だしいといわざるを得ません。
- kun さん、ご見解をお聞かせください。 回答なき場合はご理解いただいたと解し、旧に復しますのでご了解ください。Hartmann 2007年9月5日 (水) 11:22 (UTC)
尚、ドイツの事象を対象とする項目ですので、ドイツ語がまずありきであることをご理解ください。漢字とカタカナだけでは理解しがたい点が多々ありますので。
- Hartmannさん!kunともうします。ご指摘ありがとうございます。しかし、どうも「理解」はしかねますので、旧には復さないでくださいませ。Hartmannさんのおっしゃるのは、あくまで1934年にできあがったFührer und Reichskanzler という称号の解説にすぎないのではないでしょうか。Führer und Reichskanzler は確かに公文書においての公的称号ですが、ドイツでも普通の会話でこれを使うことはなく、ヒトラーは単にFührer と呼ばれておりました。これを日本語に訳したのが「総統」であり、「大統領」とは違いますよね。現に、ヒトラーの遺言によってその後継者となったデーニッツ海軍元帥は、確かに大統領ではありましたが、彼のことをFührer と称した事例は知りません。もしHartmannさんのおっしゃる通り「Führer」=「大統領」=「総統」だとすると、デーニッツもFührer と呼ばれて当然だったはずです。それに、もともとFührer には大統領という意味はなく、ナチ党という一弱小政党の党首を指す称号でした。それが、ナチ党の拡大とヒトラーの政権掌握、さらにはヒトラーの独裁確立とともに、Führer は当初の意味から離れてどんどん肥大化していった、ということになるはずです。「ドイツ語がまずありき」ということですが、この項目は日本語の「総統」の解説であり、ドイツ語のFührer und Reichskanzlerの解説ではありません。その証拠に、後段には総統と日本語訳されるイタリア語のドゥーチェや、同じく総統と日本語訳されるスペイン語のヘネラリシモの解説があります。○ただ、「個人的な意見の押し付け」と見られるのでしたら、修正するにやぶさかではありません。この五つの権能の合同をうまく説明する言い方があれば、ご教示いただければ幸いです。利用者:kun 2007年9月8日 (土) 0:00 (UTC)
- 利用者:kunさん!お返事ありがとうございます。利用者:kunさんの回答の『Hartmannさんのおっしゃるのは、あくまで1934年にできあがったFührer und Reichskanzler という称号の解説にすぎないのではないでしょうか。Führer und Reichskanzler は確かに公文書においての公的称号ですが、ドイツでも普通の会話でこれを使うことはなく、ヒトラーは単にFührer と呼ばれておりました。これを日本語に訳したのが「総統」であり、「大統領」とは違いますよね。』に関して質問があります。 ヒトラーは1921年以来ドイツ語では Der Führer と呼ばれ、1934年に大統領になってからも 彼自身が Der Führer と呼ぶように国民に要請した。利用者:kunさんは1921年から1945年まで一貫して日本語で「総統」と訳され続けたと認識されておられますか? もう少し質問がありますが、本日はこれにて失礼します。ご返事をお待ちします。Hartmann
Hartmannさん! ありがとうございます。9月8日の投稿は、我ながら、説明不足のような気がしています。もうしわけありません。◆「利用者:kunさんは1921年から1945年まで一貫して日本語で「総統」と訳され続けたと認識されておられますか?」という質問ですが、そうは認識していません。ヒトラーの称号Führerは、1933年までは単に一野党にすぎないナチ党の党首の地位を意味しているものでした。手持ちの資料が少ないのですが、少なくともヒトラーの首相就任時の朝日新聞は「首領」という訳を宛てていますので、おそらくこれが当時の日本語の定訳だったのではないかと思います。◆そうすると、Führerに対して「総統」という日本語が定訳として定着するのがいつかということですが、申し訳ありませんがこれについては資料を持っておりません。おそらく、Hartmannさんがおっしゃるように、1934年のヒンデンブルク死去以降のことだったのでしょうね。その点ではHartmannさんの御説の通りなのだと思います。◆ただし、それ以降、ヒトラーの地位に対する日本語訳としては「総統」という単語が定着したというのは疑いないのではないでしょうか。戦後に出た日本語書籍のほとんどは、このように訳しています。たとえば「1921年にヒトラーはナチ党の独裁権を握り、自らを総統と称した」という類の記述は、ごくごく普通におこなわれています。◆そういう状況が70年以上も続いておりますので、日本語の「総統」は、ヒトラーの地位だけに限って使われる言い方であるというのは、現在の日本では一般的な認識であるのではないかと思います。◆Hartmannさんは「大統領職(総統)」と書かれて、大統領と総統が同義語だと認識されているようですが(もちろん、本来の中国語ではこの認識はまったく正しい)、1934年のヒンデンブルク大統領の死にともないヒトラーが「大統領になった」というのは、いささか正確さを欠くように存じます。事実は「大統領の職権を首相の職権と合体する。首相ヒトラーはこれまで通り〝Führer und Reichskanzler〟の称号を使用する」ということではないでしょうか。つまり、ここで「大統領の職は廃止され、その職権は首相に合体された」と解すのが普通だと思うのですが、御見解をうけたまわりたく存じます。kun218.217.20.114 2007年9月10日 (月) 23:52 (UTC)
- 利用者:kunさん!お返事ありがとうございます。●私が危惧していた点は杞憂であったことがわかりました。当初より総統でないと認識されておられるようです。小松伸六著の『ミュンヘン物語』にミュンヘン留学中の斉藤茂吉が現地で見聞きした1923年のビヤホールプッチに関して「ヒトッレル事件」と題して昭和十年十一月号の中央公論に投稿したとの記述があります。ここでは「フューラァ(指導者)」と紹介されています。●戦後に出た日本語書籍のほとんど「総統」と訳していると引用されていますが、それは理解できます。これら日本語文献は、英語を母国語とする研究者の著作の翻訳がその大半です。英米の研究者は、同じアルファベットを共通するためか、また、自明のことであるのか、ドイツ語を英語に置き換えずドイツ語の原語をそのままにしています。例えば、Führerや The Third Reich がその例です。ドイツ語が判らず、英語しか理解できない日本人の英語翻訳者は、先に述べた1921年から1934年までの背景を知らず、ひどい翻訳者は1921年にまで「総統」を遡及させております。英語翻訳者に誤魔化されてはなりません。この意味でドイツ語が基本と申し上げております。●貴殿は『「大統領の職は廃止され、その職権は首相に合体された」と解すのが普通だと思うのですが』と記述されております。これは間違いです。廃止されておりません。兼務しただけであります。ヒトラーは偉大な故ヒンデンブルク大統領に敬意を示すために、大統領 (Der Reichspräsident) という同じ官職名を使用することに心苦しさを感じ、1921年来呼ばれ慣れた Der Führer と呼ぶことを国民に求めたのみで、国家元首としての役割は果たしておりました。この機関は Präsidialkanzlei と呼ばれ、故ヒンデンブルク大統領に仕えた Otto Meißner が引き続き大統領府官房長を務めていました。 ●従って、〝Der Führer und Reichskanzler〟は「総統および首相」とフルに訳されて初めて「首相を兼務する大統領」と翻訳されたことになります。これを国民は「総統」と短縮した訳です。●現在の日本の若者が「総統」と聞けば、台湾の陳水扁総統を思い浮かべるかも知れません。時代は変わりました。●もう一つ気になることがあります。貴殿は「総統が肥大した」、「五つの権能の合同をうまく説明する言い方があれば」と言われますが、兼務を重ねただけに過ぎません。ドイツ語で:Der Führer, Der Reichspräsident, Der Oberbefehlshaber des Heeres , Der Oberste Befehlshaber der Wehrmacht が単純に並べられただけです。なまじっか総統と漢字で表現したために原文から離れ、ひとり歩きしただけではありませんか。また、複数の職務を兼務する人物への呼びかけはその人の上位の役職名を使用するのが通例です。例えば、キヤノン株式会社の会長である御手洗冨士夫氏は経団連会長を兼務し、一般には経団連会長として知られています。●ヒトラーの遺言でボルマンが「ナチス党の責任者」と記述されていますが、これは党務担当国務大臣 (Der Parteiminister) の間違いではないでしょうか?●kun さん、ご理解いただけましたら、自覚されている個人的な見解の押し付けを修正ください。もし足らずがあれば私も修正に参加いたします。Hartmann 2007/09/17
Hartmannさん! ありがとうございます。Hartmannさんがドイツ語に御堪能であることはよくわかり、こちらも勉強になります。私のドイツ語は貴殿に比べるとはるかに劣りますので、御教示いただけることは幸いです。ただ、戦後の日本語文献の著者の大半はドイツ語に無知な英語しかわからない連中だ、と断ずるのはいささか言い過ぎで、日本にもたくさんおられる、ドイツ語に堪能な、真摯なドイツ史研究者への侮辱だと存じます。●1934年のヒンデンブルク死去の後のヒトラーの地位について、私の理解は「間違いです」とのことですが、申し訳ないのですが、まだ納得するにいたりません。私は、この年にヒトラーが「国家元首」になったことを否定するものではありませんが、Hartmannさん説のように「大統領になった」ことに関して疑義を呈しているのです。手元に十全の史料がないのですが、私の理解するところでは、ヒトラーはヒンデンブルクが危篤状態であった1934年8月1日に新法「G. über das Staatsoberhaupt des Deutschen Reiches und Volkes(ドイツ国および国民の『国家元首』に関する法律)」を制定しました。その根幹である第1条には「Reichspräsident(大統領)の職務は、Reichskanzler(国首相)の職務と合一され、従来の大統領の職能はFührer und Reichskanzlerであるヒトラーに移行する」と定められました。そして、ヒンデンブルク死去が公表された8月2日、ヒトラーは「大統領という称号は偉大なヒンデンブルクの名と切り離しがたく結びついているため、国家元首となった私はこれを使用せず、従来通りFührer und Reichskanzlerの称号を使用する。そして、国首相の職務自体に従来の大統領のもつ職能が合体されることについて、国民投票を実施する」と声明しました。ここで、Reichspräsident(大統領)とStaatsoberhaupt(国家元首)の用語が明らかに区別されていることは重要だと存じます。また、「大統領の職務」「大統領の職能」の「合一・移行」という言葉がくりかえし使われ、ヒトラーが「大統領」に就任するのだとは言われていないことも重要だと存じます。つまり、「ヒトラーはここで(大統領ではなく)国家元首となり、その称号としては従来通りのFührer und Reichskanzlerを使った」というのが、ごく自然な理解であると受け止めていただけるのではないでしょうか。「大統領ではない。大統領の職能を引き継いで国家元首となるのである」とヒトラー自身が言っているのに、「(大統領は)廃止されておりません。兼務しただけであります」とか「ヒトラーはヒンデンブルクの『後継大統領に就任した』」というのは拡大解釈にすぎると思うのですが、いかがでしょうか。もっとも、手元には「G. über das Staatsoberhaupt des Deutschen Reiches und Volkes」のドイツ語原文をそろえていませんので、原文をご呈示いただければ幸いです。●一連の議論を通じて、Hartmannさんと私の理解の違いは明確になってきたように思います。Hartmannさんは「総統」を「1934年8月2日〜1945年4月30日のFührer und Reichskanzler」に限る訳語だと解されるのに対して、私は「総統」はヒトラーの地位をあらわす「Führer」の訳語であると理解する、というわけですね。●しかし、どちらが現在の日本で一般的な理解かは、前述した通り、戦後の日本語文献の大多数が私の理解と同じであることで示されております。Hartmannさんは、それは日本語文献の著者すべてが間違っているのだ、と主張されるのですが、それはHartmannさんの個人の御論文で展開していただくことであり、ウィキペディアでは大多数の理解を採用する、というのが約束事ではないでしょうか。●しかし、Hartmannさんにしても、ドイツの「総統」は「ドイツ国大統領」の同義語ではないことだけはお認めいただけるのではないでしょうか? もし総統=Reichspräsidentだとすると、ヒンデンブルクやデーニッツも「総統」と呼ばねばならなくなり、話が混乱しますものね。●もしそうだとすると、「1934年8月2日〜1945年4月30日のFührer und Reichskanzler」は「FührerでありReichskanzlerでありStaatsoberhaupt(自動的に国防軍最高司令官ともなる)でもある」、というのですから、「ナチ党党首と国首相と国家元首と国防軍最高司令官が不可分に複合したもの」である、という理解がまちがっているとは思いません。それを「兼務を重ねた『だけ』」「単純に並べられた『だけ』」というのは、それこそ「個人的な見解の押し付け」ではないでしょうか。●失礼に聞こえた点があれば、どうか御寛恕くださいませ。なお、ボルマンの地位については、たしかにHartmannさんのおっしゃるのが正確です。ありがとうございます。 kun211.2.46.214 2007年9月18日 (火) 01:07 (UTC)
- kun211.2.46.214 さん!Hartmann です。今晩は! ご依頼のありました「G. über das Staatsoberhaupt des Deutschen Reiches und Volkes」のドイツ語原文をお届けします。これはドイツ語リンク "Reichspräsident" に見つけました。戦前のドイツの官報に相当する Reichsgesetzblatt に同法律が公示された時のものです。また、このリンクを一覧する限り、kun さんが主張される1934年に大統領職が廃止されたとの記述はありません。ご自身で確認ください。ご返事をお待ちしております。Hartmann 2007年9月19日 (水) 10:38 (UTC)
Hartmannさん! 御教示ありがとうございます。ただ、せっかくの「原文」なのですが、画像が粗すぎて、私には読み取れません。ただ、なんとはなしにReichspräsidentとStaatsoberhauptが明確に区別されているようには見えますので、私見の補強になると思い、意を強くしています。●Hartmannさんが示されたドイツ語版ウィキペディアには確かに「1934年に大統領職が廃止されたとの記述はありません」が、まさか、史料そのものよりもドイツ語版ウィキペディアの記述の方を信頼すべきである、とはおっしゃらないでしょうね? ●上段に書いたところを繰り返しますと、史料の示すところでは「ヒトラーはここで(大統領ではなく)国家元首となり、その称号としては従来通りのFührer und Reichskanzlerを使った」というのが正確だと存じます。少なくともヒトラー自身が自分をReichspräsidentと呼んだことは一度もない(これはお認めいただけるでしょうね?)のですから、「大統領という職名はこの段階で廃止され、新しい国家元首の称号としてはFührer und Reichskanzlerが採用された」というのは、ごくごく常識的な見解かと思っています。ともあれ、そのあたりは上段の投稿に詳述しましたから、それに対するご見解を頂戴できれば幸いです。 kun211.2.40.4 2007年9月20日 (木) 03:29 (UTC)
- kun211.2.40.4 さん!ご返事ありがとございます。画像が粗くて解読できないとお嘆きのようですが、左下隅にある Version in höherer Auflösung をクリックしてください。ディスプレイの画面全体に拡大されます。また、ドイツ語のひげ文字が苦手であれば、フラクトゥールを参照ください。説明があります。中途半端な回答はご遠慮いたします。十分に検討の上再度お考えをお聞かせください。それから一つお願いがあります。大統領が廃止されたと記述される史料があるとのことですのでその出典をご教示ください。Hartmann 2007年9月22日 (土) 09:08 (UTC)
Hartmannさん! 御教示ありがとうございます。おっしゃる通りいたしましたところ、確かに読むことができました。「G. über das Staatsoberhaupt des Deutschen Reiches und Volkes」のドイツ語原文に接することができ、喜んでおります。しかし、読んでみた結果でも、上述の私見を変更する必要は認めませんでした。●「大統領が廃止された」という文言を直截的に記述した「史料がある」のではありません。それはこれまでくりかえしてきた通りです。●しかし、これまでのところ、どうも合意に達しそうにありませんね。ウィキペディアは学術論争をする場ではなく、大多数に受け入れられる見解を記述するものなのですから、そろそろ、お互いに譲歩しませんか? ●そこで、提案です。(1)私は、「1934年にドイツ大統領職が『廃止された』」という言い方には異論が提出されている事実を認める。(2)Hartmannさんは、「1934年にヒトラーがドイツ大統領に就任した」または「1934年にヒトラーがドイツ大統領を『兼務した』」という言い方には異論が提出されている事実を認める。(3)その合意の上に立って、より正確な表現を模索する。 いかがでしょうか? kun 211.2.47.217 2007年9月28日 (金) 12:19 (UTC)
kunです。前の書き込みから1ヶ月が過ぎ、その間ずっとHartmann氏のお返事を待っていたのですが、回答をいただくことができませんでした。しかるに、Hartmann氏は2007年9月5日 (水) 11:22の書き込みで、「回答なき場合はご理解いただいたと解」す、と宣言しておられます。この御言葉は当然のことながらHartmann氏御本人にも適用されるものでしょうから、Hartmann氏は今回の議論について私の見解を理解・了解された、と解することができます。したがって、議論は終了したとみなさせていただきます。ありがとうございました。kun211.2.48.178 2007年10月30日 (火) 02:57 (UTC)
ドイツにおけるFührerの法的地位
ドイツ国におけるFührerというのは「ドイツ国首相」のようなはっきりと法に定められた職なんでしょうか。北朝鮮の「偉大なる指導者金正日総書記」のようなepithet(添え名)なんでしょうか。Führerの地位を示した法律などをご存じではないでしょうか。--模様砂漠2 2009年7月17日 (金) 14:57 (UTC)
Führerと総統
「総統」という言葉を正確に定義するためには「Führer」の解説と、日本語で「総統」がどのようにして用いられているかを出典付きで示すことが必要です。リバートではなく出典を示した文章によって加筆をお願いします。--模様砂漠2 2009年8月23日 (日) 05:57 (UTC)
- 模様砂漠2さん、初めまして。「Führerと総統」と「ドイツにおけるFührerの法的地位」について私見を述べさせていただきます。まず、「Führerと総統」についてですが、基本的には、あなたの仰るとおりです。ただ、「日本語で『総統』がどのようにして用いられているかを出典付きで示すことが必要」とありますが、これは一定の基準を設けないと際限がないかと思います。この件についてはどのようにお考えでしょうか。また、「『総統』という言葉を正確に定義するためには『Führer』の解説」が必要だとあなたは仰います。それに否やを申すわけではないのですけれど、ただ、このページは日本語の「総統」の解説であり、イタリアやスペイン、中華民国の総統の項目に比して、ドイツの総統の項目が妙に肥大化している印象が拭えません。私が以前の版で「ドイツの総統部分を整理。このページの本義は日本語の「総統」の解説にあるので、Führerについての詳説は脚注へ」としたのはその点を懸念したからです。「Führer」が政治指導者の称号として使われた端緒が19世紀後半のシェーネラーであることや、ナチ党各階層のFührer、そして「指導者原理」などはドイツの「総統」(あえてFührerとしていないことをお汲み取りください)の解説本文に入れる必要が果たして必要なのでしょうか?私は脚注で述べるだけで充分だと思いますが。もし、上記のような「Führer」や「指導者原理」の説明が必要ならば、イタリアの「ドゥーチェ」のように別ページを建てたほうが良いと思います。◆次に「ドイツにおけるFührerの法的地位」については、やはり、「ドイツ国および国民の国家元首に関する法律」で定められているのではないでしょうか。ご承知の通り、法律の本文中に「ドイツ国大統領の従来の権限は『Führer und Reichskanzler』アドルフ・ヒトラーに委譲される」とあります。この条文により「Führer und Reichskanzler」が国家元首兼首相として国制上に位置づけられたものと私は理解しています。この称号を日本語で「総統」ないし「総統兼首相」と訳すことは周知の通り。なお、「Reichskanzler(ドイツ国首相)」は次第に省略され、1939年以降はただ「Führer(総統)」と称したことも知られています。このことは、ヒトラー自身の「Führer und Reichskanzler」という称号に対する考え方(この称号の本質、と言ったらよいのでしょうか)が奈辺にあるかが読み取れましょう。ですから、ヒトラーの国家元首兼首相としての地位を示す称号としては「総統兼首相」よりも「総統」のほうが、一般的に定着しているものと私は解します。ゆえにドイツの「総統」はナチ党党首・大統領・首相・軍最高司令官の地位・職権を包摂した称号だと前の版で記した次第です。◆最後に、便乗して質問することをお許しください。 (1)「総統」という語句について、このページの本文では「総統(そうとう)とは、国家元首またはそれに匹敵する国家の最高指導者の地位を表す名称の一つ。中国語で大統領を意味する總統に由来する」と定義されています。「国家元首またはそれに匹敵する国家の最高指導者の地位を表す名称の一つ」というところはその通りだと思うのですが、「中国語で大統領を意味する總統に由来する」というところに違和感を感じます。「全体を統べくくること」という「総統」の本来の語義(広辞苑より。後日、日本国語大辞典や大漢和辞典を照会してみます)をまず紹介し、そこから現代の中国語で大統領のことを「總統」ということを記すほうが自然ではないでしょうか?そうすると、本文中の「ヒトラーの地位を日本語に翻訳する際に、中国語の大統領を意味する総統が用いられた」にも疑問がわきます。これは、何か根拠があるのでしょうか。 (2)模様砂漠2さんの執筆を受けて、シェーネラーの影響下にあったヒトラーが「Führer」の称号を使い始めたとしましたが、これも根拠があるのでしょうか。何せ不勉強なもので、根拠があった場合は失礼をお許しください。 (3)これも模様砂漠2さんの執筆を受けてなのですが、1933年にヒトラーが首相に就任した後にナチ党員から「Führer und Reichskanzler」とよばれたとしましたが、1933年の時点においてナチ党員以外の一般国民からは「Führer und Reichskanzler」とよばれてはいなかったのでしょうか。つまり、「Führer und Reichskanzler」は1933年の段階ではナチ党限定の称号だったのでしょうか。 (4)1934年の国家元首就任以前のヒトラーの地位である「Führer」を「総統」と訳す例が多数あることは承知しておりますが、果たしてそれは妥当なのでしょうか。「国家元首・国家の最高指導者」としての「総統」と、「一政党の最高指導者の称号」としての「総統」は違うのではないでしょうか。これはあくまで私見なのですが、国家元首就任以前のヒトラーの地位としての「Führer」は、「(ナチ)党最高指導者」や「党総統」と訳したほうがいいと思います。そこで、ドイツの総統の解説の場合、広義の「総統」(1921年から1945年にかけてのヒトラーの政治的地位を示す称号)と狭義の「総統」(1934年にヒトラーが獲得したドイツ国の国家元首兼首相=ドイツ国最高指導者としての政治的地位を示す称号)に分けて説明したほうが、日本語の「総統」の解説として明確になると思いますが、どうでしょうか。以上長くなりましたが、ご回答をよろしくお願いします。--211.124.162.11 2009年8月31日 (月) 10:59 (UTC)
- ドイツの総統の部分が肥大すれば、総統 (ドイツ)に分離すればすむことですので、一部分が肥大することの問題はありません。現状のページ容量は「15,883バイト」にすぎず、分割を要するほどページが肥大化しているわけではありません。また、イタリアのドゥーチェの訳で総統は一例に過ぎず、中華民国総統のようにすでに別に立項されています。
- 1933年以前の「総統」の記述や、「総統兼首相」が複数の文献にあるということは事実であり、どちらの記述が妥当かどうか検討するのは「Wikipedia:独自研究は載せない」で禁じられています。Wikipediaで行うことは出典に基づいて書くことですので、それが事実かどうか検討することはできません。「4つの立場を統合したのが総統」とする意見が存在するのであれば、そう書かれた出典をお願いいたします。また、狭義・広義としている出典もお願いいたします。
- [3]の国家元首に関する法律の原文では、「Infolgedessen gehen die bisherigen Befugnisse des Reichspräsidenten auf den Führer und Reichskanzler Adolf Hitler über.」の訳ですが、「Führer und Reichskanzlerのヒトラーに権限を委譲する」と読むことも確かにできます。しかし、この文書の署名では「Reichskanzler Adolf Hitler」であり、「Führer und Reichskanzler Adolf Hitler」ではありません。この文書の署名時点では「Führer und Reichskanzler」が正式な肩書きになっていたとは受け取れません。「指導者(国法上の地位ではなく、ヒトラーへの美称)であり、首相のアドルフ・ヒトラーに権限を委譲する」と読むことも可能であるわけです。このためこの事項に関する質問をしている状態です。
- 1933年の時点ではFührer und Reichskanzlerは法的な文書に書かれていませんし、ナチス党以外の共産党・社会民主党などの支持者も多数存在しました。その人たちがヒトラーを「Führer」と呼ばなければならない事情は無いでしょう。
- 総統がすべてを統べることなどは一番上の定義部分にかかれるのが適切でしょう。
- シェーネラーがFührerを使用し始めたこと、ヒトラーがシェーネラーの影響を多く受けたということ、シェーネラー以降「Führer」が使われたこと、親衛隊上級指導者などの記述は、シェーネラーやヒトラー、Führerの英語版・独語版の記述であります。詳細はde:Führerを参照してください。
-模様砂漠2 2009年9月1日 (火) 13:29 (UTC)
模様砂漠2さん、ご回答ありがとうございます。私の質問・提案のうち、(1)については、同意いただいたものと思います。ですので、本文のイントロ部分を「総統(そうとう)とは、国家元首またはそれに匹敵する国家の最高指導者の地位を表す名称の一つ。日本語における総統の語義は『全体をすべくくること』で、現代の中国語では『大統領』を意味する。そのため、日本語としての用例は、中華民国の国家元首、ドイツのアドルフ・ヒトラー、イタリアのベニート・ムッソリーニ、スペインのフランシスコ・フランコの場合に限られている。」に修正し、「ドイツの総統」部分も「中国語の大統領を意味する」は根拠が見当たらないので削除したいと思います。
さて、その上で模様砂漠2さんのご回答にお答えしたいと思います。まず、3.について。「ドイツ国および国民の国家元首に関する法律」の第2条に、「本法は、ドイツ国大統領フォン・ヒンデンブルクの逝去の日にこれを施行する」とあります。この法律が制定・公布されたのが1934年8月1日。ヒンデンブルク死去が8月2日。つまり、8月1日時点ではヒトラーは国家元首に就任していないので、法律の公布の際に「ドイツ国首相(Reichskanzler)アドルフ・ヒトラー」と署名するのは当然です。ヒトラーが国家元首兼首相の地位につき、「Führer und Reichskanzler」となるのはヒンデンブルク死後と定められていますから。
次に1.についてですが、やはり納得いきません。現状のドイツの総統・イタリアの総統・スペインの総統・中華民国の総統を比較してドイツの総統の記述が突出していると申し上げているのです。要は記述のバランスです。容量云々の話ではありません。イタリア・ドイツ・中華民国の総統については、このページの「総統」の定義「国家元首またはそれに匹敵する国家の最高指導者の地位を表す名称の一つ」を受けて解説されています。繰り返しますが、このページは日本語の「総統」についての解説です。ドイツの総統部分で私が「ドイツの総統は第三帝国期におけるドイツ国の最高指導者の称号である」としたのもこのページの「総統」の定義を受けてです。つまり、このページに求められるのはドイツ国最高指導者(国家元首兼首相)としての「Führer」乃至「Führer und Reichskanzler」の解説であって、ナチ党各階層の「Führer」の話や「指導者原理」については脚注で充分ではありませんか?このページのタイトルが「フューラー」なら話は別ですが。
また、関連して6.について。当方は語学力に乏しく、ドイツ語ページを参照せよと仰られて途方にくれました。仕方がないので西洋史(世界史)辞典などの日本語文献で調べると、シェーネラーがヒトラーに思想的影響を与えたことは否定し得ないようです。ただ、シェーネラーが「Führer der Deutschnationalen Bewegung」(ドイツ国民運動の指導者)と称したことと、ヒトラーが「Führer」と称したことが本当に関係しているのかが疑問です。この点は何か根拠があるのですか?むしろヒトラーがナチ党最高指導者(党首)として「Führer」を称した背景については、芝健介氏が「ナチズム運動が台頭する以前の段階では、(中略)革命派労働者を虐殺していった反革命義勇軍(フライコーア)の部隊リーダーたちは、正規軍の将校Offizierと区別する意味でも『フューラー』と呼ばれていた。一九一八年革命の後の混乱期、全国各地には『フューラー』がたくさんいたといってよい」(ノルベルト・フライ著『総統国家』、岩波書店、1994年の訳者解題より)と指摘されていることを取りあげたほうが良いでしょう。ドイツ各地の政治団体の「フューラー(指導者)」のうち、ヒトラーがドイツ国の総統(フューラー)になりおおせたから、私がこのページの8月23日版において「この称号が政治的重要性を帯びるようになったのは、アドルフ・ヒトラーが1921年に国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の党首となり、党内における独裁権を確立した後、自らの呼称を『Der Führer』(指導者)と定めてからである」としたのです。やはり、シェーネラーの話も、本文に掲載する必然性を認めることはできません。脚注でふれる程度で充分です(私個人としてはその必要性すら感じていませんが)。
2.について。◆「総統」と「総統兼首相」のどちらの記述が妥当かを検討することが「Wikipedia:独自研究は載せない」で禁じられているのならば、これ以上深入りしません。ただ、各種辞典(手元にあるのは京大西洋史辞典編纂会編『新編西洋史辞典 改訂増補』、山崎宏・兼岩正夫編『新版世界史辞典』、『日本国語大辞典』、『広辞苑』)の項目には「総統」の項目はあっても「総統兼首相」の項目がないということは、「総統」のほうがFührerの訳語として一般的だと思いますよ。なお、京大西洋史辞典編纂会編『新編西洋史辞典 改訂増補』では「総統 Führer ナチス・ドイツの最高の指導者。第三帝国の元首。1934年ヒンデンブルク大統領が死亡すると、ヒトラーは首相兼大統領兼党最高指導者としての自己を総統と声明した」(中村幹雄)とあり、山崎宏・兼岩正夫編『新版世界史辞典』には「総統(そうとう) Führer ナチス・ドイツでヒトラーの用いた職名。大統領と首相の地位を兼ねるものでナチスドイツの最高主権者。1934年ヒトラーは、ヒンデンブルク大統領の死を機に、これまでの大統領制を廃して、自らこの地位に即いた」とあります。◆「『4つの立場(ナチ党党首・大統領・首相・軍最高司令官)を統合したのが総統』とする意見が存在するのであれば、そう書かれた出典をお願いいたします」ということですが、出典としては上記京大西洋史辞典編纂会編『新編西洋史辞典 改訂増補』の「総統」の項目、木村靖二編『新版世界各国史13 ドイツ史』(山川出版社、2001年)の314ページで「(前略)ヒンデンブルク大統領が死去すると、ヒトラーは首相の権限に大統領の権限をあわせ、国家元首、首相、軍最高司令官、ナチ党最高指導者の地位をえて、総統兼首相と名乗った」(木村氏「両世界大戦と現代の暗転」より)とあること、坂井榮八郎著『ドイツ史10講』(岩波書店、2003年)の190ページで、「総統(フューラー=指導者)」について、「元来ナチ党指導者の称号だが、首相就任以来『総統兼首相』と称したヒトラーは、一九三四年八月に大統領ヒンデンブルクが死去すると、その称号のまま大統領の職務を合わせることになり、さらに軍に対する最高司令権、そして『最高裁判高権』をも手中にする。全権委任法以来立法権はすでにヒトラーのものだったから、彼は要するに立法・行政・司法の三権に軍司令権も宰領して、文字通りの独裁者になったのである。一九三九年以後彼はただ『総統』とだけ名乗った」とあることを挙げます。以上のような観点から、ドイツの「総統」がナチ党党首・大統領・首相・軍最高司令官の地位・職権を包摂した称号だとすることは妥当と考えます。ただ、今後のこのページの改訂を行うときには「ドイツにおける総統は、国家社会主義ドイツ労働者党最高指導者(党首)・ドイツ国首相・ドイツ国大統領・軍最高司令官の四つの地位・職権を統合した称号である」という説明は、1939年以降ヒトラーはただ「総統」とだけ称した旨の記事の直後に挿入するか、1934年8月の記事のところで、「ドイツにおける総統(正式には総統兼首相)は、(以下省略)」としたほうが誤解がないかもしれません。むしろ、模様砂漠2さんにお尋ねしたいのは、察するところ、ドイツの総統が「国家社会主義ドイツ労働者党最高指導者(党首)・ドイツ国首相・ドイツ国大統領・軍最高司令官の四つの地位・職権を統合した称号」だとする考えに否定的な様子。もし、この考え方を否定されるのであれば、出典を示された上で理由を説明していただきたく思います。◆「狭義・広義としている出典もお願いいたします」とのことですが、単に記述の方法として、ドイツの「総統」について、1921年から1945年にかけてのヒトラーの政治的地位を示す称号としての説明部分と、1934年にヒトラーが獲得したドイツ国の国家元首兼首相=ドイツ国最高指導者としての政治的地位を示す称号としての説明部分(このページの定義に則すと、ここの部分がメインになると思いますが)を分けたほうが、論述しやすい(書きやすい)のではないかと思った次第です。単なる提案に「出典を示せ」と迫られても……。
最後に4.について。1933年の時点では「Führer und Reichskanzler」はナチ党員限定とありますが、党員ではなくてもナチ党を支持する一般国民もヒトラーのことを「Führer」とよびかけたのではありませんか?先述の坂井榮八郎著『ドイツ史10講』190ページにヒトラーが「首相就任以来『総統兼首相』と称した」とあること、成瀬治・山田欣吾・木村靖二編『世界歴史大系 ドイツ史3』(山川出版社、1997年)272ページに「(ナチズム)運動が大衆化し、ナチ党員がヒトラーを自分たちのカリスマ的リーダーというニュアンスを込めて『われらがフューラー(党総統)』とよびかけるようになった段階からは、政権奪取が現実的可能性を帯びてきた党総統に対する喝采のスタイルを、国民大にひろげることが重要な課題になった。政権を掌握すると、ヒトラーは総統兼(ドイツ国)首相というタイトルをもちい、ナチ党内での称号のほうを意識的に前においた」とあります。模様砂漠2さんのようにナチ党限定とするのは言い過ぎの感があります。1933年の「Führer und Reichskanzler」は、ナチ党員や支持者に対してヒトラー(もしくはナチ党)が使用を求めた呼称としたほうがよいかもしれませんね。もし、異論があるならば、出典を示された上でご回答をよろしくお願いします。
長文・駄文失礼致しました。何卒ご教示お願いいたします。--211.124.162.11 2009年9月6日 (日) 15:21 (UTC)
- シェーネラーとウィーン市長であったカール・ルエーガーをヒトラーは「我が人生の師」と呼んでいます。ヒトラーに対するシェーネラーの影響については新潟大学教授の谷喬夫教授の論文でも解説されています。それほど深い関係の人物が最初に「Führer」を名乗ったということが「無関係」と断言できません。「政治運動で最初にFührerを用いたのはシェーネラー」「ヒトラーはシェーネラーの影響を深く受けた」と書いています。しかし「ヒトラーがシェーネラーの例にならってFührerと名乗った」とまでは断言していません。
- ドイツの「総統」が突出しているのは他の総統と呼ばれる人の項目には既に項目があり、「統領」や「頭領」と呼ばれることのほうが多い「ドゥーチェ」等とは性質が全く違うからです。実質翻訳の一例でしかないドゥーチェの「総統」の文と、ほぼヒトラーの地位の呼称として定着しているドイツの「総統」と同量にするなら、大部分の文章を削除しなければなりません。また、複数ある用例のうち、ひとつが突出して多いならそれを削除しなくてはならないと書かれた方針文書をお示しください。
- 辞書や事典に「総統兼首相」の項目がないとのことですが、「総統兼首相」はひとつの単語ではなく、「総統」と「首相」を兼ねるということだからです。日本の例で言うと「征夷大将軍」「国家公安委員長」の項目は辞書にあっても、「従二位右大臣征夷大将軍」「自治大臣・沖縄及び北方対策担当・国家公安委員長」などの兼官がならんで項目になることはありえないようなものです。
- 「総統」が「四つの立場」を示した例があるなら、本文中に出典を示して「~ではこう定義している」、もしくは「refタグ」で出典を示して書くべきです。あなたの示した出典で、「総統兼首相」とした立場(新版世界各国史13、ドイツ史10講)、国家元首を兼ねたヒトラーの地位を「総統」とあらわす立場(新編西洋史辞典、新版世界史辞典、)の2通りの解釈があることが実証されたと言うことになります。あなたが「総統」を4つの地位を統合した地位の根拠とされた木村氏の本も、「総統兼首相」と明らかに総統と首相をわけられています。ですから「総統」が「4つの地位を統合」した称号であると断言するのは間違いだと言っているのです。
- また、国防軍の忠誠宣誓では「Ich schwöre bei Gott diesen heiligen Eid, dass ich dem Führer des Deutschen Reiches und Volkes, Adolf Hitler, dem Oberbefehlshaber der Wehrmacht, unbedingten Gehorsam leisten und als tapferer Soldat bereit sein will, jederzeit für diesen Eid mein Leben einzusetzen."」(「私は、ドイツ帝国とドイツ民族の「Führer」であり、同時に国防軍最高司令官であるアドルフ・ヒトラーに対して進んで無条件の忠誠を捧げるとともに、勇敢な兵士として、何時でも身命を賭する用意のあることを、この神聖なる宣誓をもって、神にかけて誓います。」)とあるように、「Führer」が「首相や国家元首・国防軍総司令官」を合わせた地位を現す「職」であるなら「同時に国防軍司令官である」と宣言する必要はないわけです。またこの文や「国家元首に関する法律」では「Führer」に権限を譲渡したり、忠誠を誓うのではなく、「Führerである『アドルフ・ヒトラー』」を対象とした文章となっています。つまり、「Führer」という職ではなく、アドルフ・ヒトラー個人に権限が譲渡されたと解釈できるわけです。
- 狭義の総統、広義の総統というのが、あなたが記述しやすいように考えた新たな概念なら記述できません。Wikipedia:独自研究は載せないの「新しい造語を、その造語が何らかの評判の良い資料に由来することを示さずに、導入したり使ったりする。」に該当します。記述は「記述しやすいように」という配慮よりも「読者に誤解を与えない」ということを優先してください。
- 1933年の時点で「Führer und Reichskanzler」と「ナチ党員以外が呼んでいない」ということに対し、「ヒトラー側がFührerを広めようとしていた」ということは相矛盾しません。それはナチスによる宣伝活動が始まったということと、国民全体がそう認識したというのはまた別のことだからです。しかし参考文献として揚げられた本には「Führer und Reichskanzler」を「宣伝目的で使い始めた初例」などが揚げられているとみられますので、それを書くのは本文の質向上に益すると思われます。
- あと根本的に「脚注」を2軍の記述を記載するための機能として考えられているようですが、脚注機能はHelp:脚注に「記事本文の内容に関する参考文献や注釈といった短い補足コメントを、記事の末尾など本文とは別の場所にまとめて表示することができます。」あるとおり、比較的短い文や参考文献を載せるための機能です。また「Führer」がどういう意味でドイツ語圏で使用されているか、特にナチス党でどう使われているのかを記載することを「脚注」で書かなければならない程度のトリビアだととらえられるのはどうしたものでしょうか。
- 長文はかまいませんが、出来れば改行などで読みやすくしてください。--模様砂漠2 2009年9月7日 (月) 10:29 (UTC)
模様砂漠2さん、今日は。これまで貴方と議論してきた211.124.162.11です。このたびアカウントを習得しました。泉州大夫惟宗朝臣と申します。よろしくお願いします。さて、これまで議論を積み重ねてきましたが、まだ納得しかねることが多々ありますので、今しばらく議論にお付き合いください。
- シェーネラーが称した「Führer」とヒトラーの「Führer」は直接的に関係ないということはお認めになるのですね。では現行の本文「ヒトラーもシェーネラーの影響を受けており、1921年7月29日の幹部会によって党内の独裁権を確立すると、ナチ党内における自身の称号として『Führer』を採用した」は「ヒトラーがシェーネラーの例にならってFührerと称した」と誤解されかねないので訂正したいと思います。
- シェーネラーの「Führer」についてまだ疑問があります。
- 本文中の「『Führer』が政治運動の指導者の肩書きとして使用される端緒となったのは、オーストリア=ハンガリー帝国においてドイツ国民運動を率いたゲオルク・フォン・シェーネラーが、1879年に自らの肩書きとして『Führer der Deutschnationalen Bewegung』(ドイツ国民運動の指導者)を用いたことである」について、本当にそうなのでしょうか?Führerは本来「指導者」を示す一般的な言葉ですから、シェーネラー以前にも政治運動の指導者の肩書きとして使用されていても不思議ではありません。シェーネラーが政治指導者として「Führer」を称した端緒とする文献なり先行研究があるのですか?日本語文献があればお示しいただきたく存じます(日本語文献と指定したのは当方が外国語の語学力に乏しいからです。悪しからず)。もし無い場合は、検証不充分ということで、現時点では上記の一節も修正ないし削除を検討せねばなりますまい。
- 本文中にある「ドイツ語でヒトラーの地位を意味する語句はFührerである。Führerの本来の語義は「指導者」であるが、この場合のFührerは英語圏で指導者を意味するleader、ドイツ語圏のleiterと異なり、Führerは自己に従属する人を支配するが、その人々には責任を負わず、自己の上に位置する者にのみ責任を負うものとされた」はカントロヴィッツの解釈によるものと思いますが、参考文献「H・カントロヴィッツの独裁論についてのノート」を読むと、このFührerの定義はヒトラーの「Führer」を念頭に記しているとみられます。それとシェーネラーの「Führer」がどうしても結びつかないのです。つまり、シェーネラーが1879年に称した「Führer」にカントロヴィッツによる定義があてはまるのかということです。1879年(シェーネラー)と1921年(ヒトラー)では時代が離れています。ですから、本文のように「このような意味(カントロヴィッツによる定義)を持つ『Führer』が政治運動の指導者の肩書きとして使用される端緒となったのはシェーネラーである」とするのは、時代を無視した記述であり、甚だ疑問です。この点からもシェーネラーの「Führer」をドイツの「総統」の項目に掲載することは慎重にならざるをえないのです。
- 模様砂漠2さんは、「総統」を「ナチ党最高指導者・首相・国家元首・軍最高司令官」の4つの地位・職権を包摂した称号とすることに反対されていますが、私はなお模様砂漠2さんの見解を受け入れるには至りません。私が「総統」を「ナチ党最高指導者・首相・国家元首・軍最高司令官」の4つの地位・職権を包摂した称号とする根拠として木村靖二編『新版世界各国史13 ドイツ史』以外にも『新編西洋史辞典 改訂増補』の「総統 Führer ナチス・ドイツの最高の指導者。第三帝国の元首。1934年ヒンデンブルク大統領が死亡すると、ヒトラーは首相兼大統領兼党最高指導者としての自己を総統と声明した」という記述をあげていたのをご覧になりましたか?また、坂井榮八郎著『ドイツ史10講』の「首相就任以来『総統兼首相』と称したヒトラーは、一九三四年八月に大統領ヒンデンブルクが死去すると、その称号のまま大統領の職務を合わせることになり、さらに軍に対する最高司令権、そして『最高裁判高権』をも手中にする。全権委任法以来立法権はすでにヒトラーのものだったから、彼は要するに立法・行政・司法の三権に軍司令権も宰領して、文字通りの独裁者になったのである。一九三九年以後彼はただ『総統』とだけ名乗った」という記述も確認していただいたのでしょうか?この3つの文献を踏まえ、私は
- 1934年8月の段階でヒトラーがナチ党最高指導者・首相・国家元首・軍最高司令官の地位に就き、国家の頂点に君臨したこと、
- その際日本語ではこの地位を「総統」や「総統兼首相」と称すること、
- 正式には「総統兼首相」だが略称として「総統」が使用されており、この略称が一般的に定着していること、
- 1939年以降はヒトラーがただ「総統」と名乗ったこと、
の4点からドイツの「総統」を「ナチ党最高指導者・首相・国家元首・軍最高司令官の4つの地位・職権を包摂した称号」としたのです。また、『日本国語大辞典』巻12の「総統」の項目の第3番に「ナチスドイツの最高官職。大統領と宰相との権限を合わせたものより強大な権限を持ち、ヒトラーがこの地位を占めて独裁権をふるった」とあり、『広辞苑』(手元にあるのは第4版。最新版はどうなっているかはわかりませんが)には「総統」の項目の第3番に「(Führer und Reichskanzler ドイツ)ナチス・ドイツの最高官職。強大な権限をもち、ヒトラーがこの地位を占めて独裁権をふるった」とあることは、一般的に「総統」がナチス・ドイツ=第三帝国期の最高官職であり、国家元首(大統領)と首相の権限を合わせた地位(無論『日本国語大辞典』がいうようにそれ以上の権限を持っていたと思いますが)であるという認識が広まっているといえる証左ではないでしょうか。私が掲げた、「総統」を「ナチ党最高指導者・首相・国家元首・軍最高司令官」の4つの地位・職権を包摂した称号とする考え方は否定しえないものと確信する次第です。むしろ、模様砂漠2さんがこの考え方を否定されるのであれば、出典を示された上で理由を説明していただきたく思います。先日の回答では納得いきません。貴方の考え方と同様な先行研究・文献はありますか?もし無い場合は、貴方の考え方は「独自研究」となってしまいませんか?なお、繰り返しになりますが、1934年8月にヒトラーは「総統兼首相」(略称「総統」)と称し、1939年以降はただ「総統」と称していること、そして、『新編西洋史辞典 改訂増補』に代表されるように「総統」を首相兼国家元首(大統領)兼ナチ党最高指導者とする見解が文献として存在することを根拠として、私は「総統」を「ナチ党最高指導者・首相・国家元首・軍最高司令官」の4つの地位・職権を包摂した称号とするものであります。
- そもそも、模様砂漠2さんが提出された質問「Führerは国法上に定められた職なのか、それとも添え名なのか」ということについて、私は「ドイツ国および国民の国家元首に関する法律」において「Führer und Reichskanzler」が国家元首兼首相として国制上に位置づけられたと先日回答しました。総統が第三帝国期におけるドイツ国の官職であるという見解は前述の『日本国語大辞典』・『広辞苑』の「ナチス・ドイツの最高官職」という説明のほか、『新編西洋史辞典 改訂増補』のヒトラーの項目より「34年にヒンデンブルクが死ぬと、みずから大統領をかねて総統に就任し、独裁制を確立した」という一文、井上茂子「ナチズム体制」(若尾祐司・井上茂子編『近代ドイツの歴史―18世紀から現代まで―』2005年、ミネルヴァ書房)の「三四年八月二日ヒンデンブルク大統領が死去すると、ヒトラーは大統領も兼任した『総統兼首相』(略称『総統』)に就任した」という叙述からも、妥当といえるのではないでしょうか。ご承知のとおり、「就任」とは「任務や役職につくこと」(『広辞苑』より)ですよね。添え名や美称には使わない表現です。「総統」が国家の役職であるという認識が、研究者も含めて巷間に広がっていることの証左となりましょう。ちなみに、「『総統』と称した」の「称する」とは「称える=名づけていう。呼ぶ」(『広辞苑』より)ですから、ヒトラーが自己の国家元首兼首相としての地位を「総統」と称した(名乗った)ことと、「総統」に就任したことは矛盾はしません。かような点から、「総統」がドイツ国の最高官職と解する見解は成立しうると考えます。逆にお尋ねしたいのですが、Führerがヒトラーの「偉大なる指導者金正日総書記」などのレベルの添え名・美称だとしたり、「総統」が国家の最高官職ではないとする先行研究・文献があるのですか?あるのならば明示していただきたく思います。無い場合はやはり貴方の「独自研究」に基づく質問となりませんか?
- 1934年8月2日以降の国防軍の忠誠宣誓の解釈は模様砂漠2さんの仰るとおりでしょう。成瀬治・山田欣吾・木村靖二編『世界歴史大系 ドイツ史3』(山川出版社、1997年)220ページにも「国防軍はヒンデンブルク死亡当日すでにヒトラー個人に無条件の服従を全軍で誓っ」たとあります。ただ、貴方が言う「『Führer』が『首相や国家元首・国防軍総司令官』を合わせた地位を現す『職』であるなら『同時に国防軍司令官である』と宣言する必要はないわけです」というところには違和感を覚えます。例えばヴァイマル共和国時代の国軍(Reichswehr)の宣誓には「Ich schwöre Treue der Reichsverfassung und gelobe, dass ich als tapferer Soldat, das Deutsche Reich und seine gesetzmäßigen Einrichtungen jederzeit schützen, dem Reichspräsidenten und meinen Vorgesetzten Gehorsam leisten will.」(「私は、憲法に忠誠を誓い、勇敢な兵士としてドイツ国と国家機関を防衛し、大統領と上官に服従することを誓います」)とあり、憲法上の統帥権者である大統領への服従が謳われています。ところがヒンデンブルク大統領の死によって大統領の称号が使用されなくなったのはご存知の通り。そこで国家元首ヒトラーは軍に対して自己への忠誠・服従を要求するために、大統領が保有していた軍最高司令官としての地位を自分が継承したことを特に強調したのではないでしょうか? だからわざわざ「ドイツ国とドイツ民族の総統であり、同時に軍最高司令官であるアドルフ・ヒトラー」と誓約文に記したのではないでしょうか。イメージとしては近代の日本の天皇と大元帥の関係を私は想起するのですが。まあ、これはあくまで私個人の考えですので、依拠する先行研究や文献も手元にありませんから、これ以上忠誠宣誓について立ち入るつもりはありません。
- 模様砂漠2さんは、「またこの文(忠誠宣誓)や『国家元首に関する法律』では『Führer』に権限を譲渡したり、忠誠を誓うのではなく、『Führerである「アドルフ・ヒトラー」』を対象とした文章となっています。つまり、『Führer』という職ではなく、アドルフ・ヒトラー個人に権限が譲渡されたと解釈できるわけです」とされますが、それならばそのような解釈をしている文献をお示し下さい。
- 「広義」・「狭義」の総統については、「広義」・「狭義」という言葉を本文で使うとは一言も言っていません。ただ叙述の方法というか、節立ての方法として、以下のようなイメージを描いていたのです。
- 前史 ここでは芝健介氏(ノルベルト・フライ著『総統国家』、岩波書店、1994年の訳者解題)や村瀬興雄氏(『アドルフ・ヒトラー』、中央公論新社、1977年)の指摘を受け、1910年代末期から20年代初頭にかけて、Führerがフライコーアや政党、民族主義諸団体の指導者として広く使用されたことを述べる。
- 国家社会主義ドイツ労働者党の「総統」 ここではナチ党の独裁権を握ったヒトラーが「Führer」の称号を使用したことについて述べる。また、この時期のヒトラーが称した「Führer」を日本では「指導者」(村瀬興雄氏)、「党総統」(芝健介氏)と訳すことも述べる。「指導者原理」についても煩雑にならない程度で述べる。
- ドイツ国の「総統」 ここでは1933年に首相に就任したヒトラーが「Führer und Reichskanzler」の称号を非公式ではあるが使用しだしたこと、1934年8月にヒトラーが国家元首兼首相の地位に就き、公式に「Führer und Reichskanzler」と称したこと、これを日本では「総統兼首相」や「総統」ということを述べる。
- 消滅 これは現行どおり。
貴方が2009年7月17日に記された版を多少アレンジしたものです。ご意見を伺いたく存じます。
- 最後に、貴方は私に対し、「根本的に「脚注」を2軍の記述を記載するための機能として考えられているようです」と言いますが、私は一言もそんなことを言っていませんよ。憶測でこのようなことを仰るのは勘弁願いたいですね。脚注については貴方が掲げたとおり、「記事本文の内容に関する参考文献や注釈といった短い補足コメントを、記事の末尾など本文とは別の場所にまとめて表示する」と解釈していますが。その上で、シェーネラーの話や「指導者原理」の解説、ナチ党各階層の「Führer」の話などは注釈で充分だと申し上げているのです。このページは「国家元首またはそれに匹敵する国家の最高指導者の地位を表す名称の一つ」としての「総統」の解説なのですから。とくにナチ党各階層の「Führer」の話については国家社会主義ドイツ労働者党でされたら宜しいでしょう。
以上、よろしくお願いします。--泉州大夫惟宗朝臣 2009年9月20日 (日) 14:15 (UTC)
以前長いのはかまいませんと書きましたが、さすがにこれだけ膨大だと回答に時間がかかりすぎ、第三者の方も読むことが出来ません。論点ごとに節を分けます。以降個々の議論は個々の節に回答をお願いします。まず三つの点について回答します。残りはまた日を改めて節を設けます。--模様砂漠2 2009年9月21日 (月) 13:54 (UTC)
Führerの性格
- de:Wikisource:Author:Gesetz über das Staatsoberhaupt des Deutschen Reichs原文にはドイツ国に「Führer」を設置するという条文はなく、「Führerであり、首相であるアドルフ・ヒトラーに委譲する」となっているのです。「Führer」職を新設してアドルフ・ヒトラーを任命するという文ではありません。この法律が「Führer」職の存在をドイツで最初に「Führer」職を規定した法律であれば、なんの前置きもなく「Führer und Reichskanzler Adolf Hitler」と条文に書かれるのは明らかに不自然だからです。この法律で「Führerが国法上の職であると認定された」のはあなたの解釈であって、私の解釈とは異なります。だから、Wikipedia:独自研究は載せないに従って、どちらの記述も掲載してません。この法律で「職として新設されたという」専門家の出典をお願いしているのです。
- 『「偉大なる指導者金正日総書記」などのレベルの添え名・美称だとしたり、「総統」が国家の最高官職ではないとする先行研究・文献があるのですか』。以前も書きましたが、英語版では「Hitler's choice for this political epithet was unprecedented in German」とヒトラーが「political epithet(形容語句)」を選択したと書かれているのです。また続けてムッソリーニの「ドゥーチェ」と同じ性格であると記述されているのです。またドイツ語版でも「Führer」が法制化された職であるという記載は一切ありません。ドゥーチェや北朝鮮における金日成の定冠詞「偉大なる指導者」と同じ扱いをされているのです。さらに以下で調べても同様です。
- オクラホマ大学のA. Robert Lauer教授のページでは[4]、 「換称」の例としてDer Führer (Hitler), Il Duce (Mussolini), El Caudillo (Franco)と並んで The King (Elvis), the People's Princess (Diana Spencer)という明らかに「職」ではないものが並んでいる。
- ウィクショナリードイツ語版では「führer」を「Bezeichnung für Adolf Hitler 」としている。Bezeichnungは【1】名称;表示【2】〔複数なし〕名前を付けること;印を付けること【3】記号
- 三修社アクセス独和辞典[5]では「der Führer(歴史)総統(ナチスドイツにおけるヒトラーの称号)」と「称号」扱いしている。(検索ではウムラウト使用不可)
- 私が質問テンプレートで出したのは「ドイツの法制でFührerがどう定義されているのか」という質問をしているのです。日本語の「総統」の意味ではありません。そもそも近代社会に法律で定義されない「公職」というのはありません。そのことに関する法、政治、歴史の研究者の見解を求めているのです。--模様砂漠2 2009年9月21日 (月) 13:54 (UTC)
模様砂漠2さん、今日は。ご回答に感謝申し上げるとともに、お手を煩わせたこと、ご容赦ください。さて、この議論も長くなってきたので、そろそろ合意形成をめざしたいと思います。
- 私と模様砂漠2さんの議論が平行線をたどるのは、私はこのページを、ドイツ語の「Führer」の解説だけにとどまらず、それを日本語に訳した「総統」という言葉をできるだけ詳細に解説するところと考え、ドイツの項目においても「総統」(このページでの定義では「国家元首またはそれに匹敵する国家の最高指導者の地位を表す名称の一つ」)の解説に力点を置こうとするものですが、模様砂漠2さんは「Führer」の解説に力点を置かれているからだと思います。
- 「Führer」についての私の意見を述べると、ムッソリーニのドゥーチェ(統領)、フランコのカウディーリョ(総統)のように、ヒトラーの政治的地位を示す称号だと思います。ただ、「偉大なる指導者金正日総書記」などのレベルの添え名・美称とするのはやはり疑問です。例えば、1934年8月2日以降の法令などでヒトラーは「Der Führer und Reichskanzler Adolf Hitler」と署名しているでしょう。「Führer」が美称だとして、ふつう法令などの公文書に自らの肩書きに美称を加えるでしょうか?金正日ですら自身が署名するときは「朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員長金正日」と署名しますから(日朝平壌宣言など)。それに、「Führer」が美称ならば「総統大本営」(Führerhauptquartier)やルドルフ・ヘスの肩書きである「総統代理」というのはどのように理解すれば良いのでしょうか。やはり、1934年8月1日公布の「国家元首法」によって、「Der Führer und Reichskanzler」が国家元首兼首相の地位を示す公的称号=官職と位置づけられたとしか考えられないのです。ですが、私は専門家ではないので、この法についての解釈はここまでにしたいと思います。なお、くどいようですが、私の立場としては「Führer」はヒトラーの政治的称号であるが、1934年8月2日以降はドイツ国の最高指導者としての公的称号=最高官職、つまり「総統」であること、私と同様に「総統」をドイツ国の最高官職と認識している文献として (1)『新編西洋史事典 改訂増補』の「総統」と「ヒトラー」の項目、(2)井上茂子「ナチズム体制」(若尾祐司・井上茂子編『近代ドイツの歴史―18世紀から現代まで―』2005年、ミネルヴァ書房)、(3)『日本国語大辞典』と『広辞苑』の「総統」の項目 が存在することを確認しておきます。
- 先日、「『偉大なる指導者金正日総書記』などのレベルの添え名・美称だとしたり、『総統』が国家の最高官職ではないとする先行研究・文献があるのですか?」と尋ねましたが、この回答を拝見する限り、こちらの真意が通じなかったようです。このウィキペディアに参加しているものとしては申し上げにくいのですが、英語版ウィキペディアは参考文献として耐えうるものなのでしょうか。こちらとしては日本語文献(研究論文・専門書・事典類など)を要求したつもりでした。独和辞典での記述は了解しましたので、この他の日本語文献(研究論文や専門書)をお示しいただけるよう、改めてお願いします。--泉州大夫惟宗朝臣 2009年9月21日 (月) 16:20 (UTC)
- 英語版、独語版、独和辞典、ウィクショナリーだけではなく、オクラホマ大学のA. Robert Lauer教授の使用例も出したはずですが。ドイツ語圏、英語圏で「職」ではなくて称号・呼び名と認識されている十分な実例です。しかし日本で「総統」を「職」と認識した記述が国語辞典などにあることは十分に認識しています。しかし「ヒトラーがドイツの『Führer』に就任した」というのは一つも見たことがありません。私はこれらをふまえて(総統ではなく)「Führer」は「職」かという質問をしているのです。なお、英語版からの「履歴ある継承」はWikipediaの記述として認められています。Wikipedia:翻訳のガイドラインをお読み直しください。
- 『「Führer」が美称だとして、ふつう法令などの公文書に自らの肩書きに美称を加えるでしょうか?』イギリスのエリザベス女王の肩書きには「the Grace of God」(神の恩寵深き)といった美称が含まれます。もちろんこれも公文書に書かれます。「また日本でも公文書である詔勅に「天佑ヲ保有シ万世一系ノ皇祚ヲ践メル」と元首が自らの地位を美化した記述を公文書に記すことは異例でも何でもありません。一方でヒトラーの公文書は後に肩書き無しの署名のみになるなど異例づくしです。こういう事例には「ふつうでない」ことが反証になりません。状況証拠ではなくて、きっちりとした研究を求めているのです。--模様砂漠2 2009年9月21日 (月) 22:00 (UTC)
- 泉州大夫惟宗朝臣です。Wikipedia:翻訳のガイドラインには「出典や情報源として他言語版ウィキペディアの記事を引用している記事も見受けられますが、これも適切な方法とはいえないでしょう」とありました。こちらが他言語版ウィキペディアを情報源として避けてほしいと考えるのは、本当にその説が正しいのか検証しにくいからです(無論、こちらの語学力が決定的に欠けているのが大きいですが)。ですので、日本語文献を求めた次第です。改めて日本語文献の提示を要求します。
- 「(総統ではなく)『Führer』は『職』かという質問」とありますが、これも何を意図した質問か正直理解しかねます。「Der Führer und Reichskanzler」と公文書に記された1934年8月以降、ヒトラーはナチ党最高指導者・首相・国家元首・軍最高司令官の地位にいたわけですが、私はこの「Der Führer und Reichskanzler」(略称「Der Führer」)が「ナチ党最高指導者・首相・国家元首・軍最高司令官の地位・職権を包摂した称号」と考えています。これを日本では「総統兼首相」や「総統」と呼びますよね。「Der Führer und Reichskanzler」のうち「Reichskanzler」は「ドイツ国首相」という官職です。もし仮にこの「Der Führer」が美称とした場合、「ナチ党最高指導者・首相・国家元首・軍最高司令官の地位・職権」は「Reichskanzler」に含まれるのですか?それだと1939年以降ヒトラーの称号から「Reichskanzler」を省かれるのはおかしくありませんか?
- 確かに君主制国家では詔勅に「神の恩寵深き」だとか「天佑ヲ保有シ」とかいった言葉が含まれるのは承知しています。でも、君主制国家のスタイルと共和制国家(この場合、君主が存在しないという意味で使用しています)のスタイルを同一視するのはいかがなものでしょうか。貴方が提示された「神の恩寵深き」や「天佑ヲ保有シ」などというのは、程度の差こそあれ、「王権神授説」の影響を受けた君主制独自のスタイルでしょう。貴方の反証こそ反証になっていないと私は考えます。一応「共和国」である北朝鮮では、金日成の称号(美称?)である「首領」などは、法令の署名には使用されていなかったように記憶しています。金正日の場合、「偉大なる指導者」や「将軍様」といった美称は法令には使用していません。が、第三帝国期のドイツ国では「Der Führer」は公文書に記載されていました。これをどう考えるべきでしょうか。なお、「一方でヒトラーの公文書は後に肩書き無しの署名のみになるなど異例づくしです」とありますが、念のためそのソースをお示しください。また、ヒトラーの公文書が後に肩書き無しの署名のみになることについてふれた日本語文献も提示いただければ幸いです。外国語版ウィキペディアは上記の理由からお断りしたく思います。勝手を申してすみません。--泉州大夫惟宗朝臣 2009年9月22日 (火) 03:20 (UTC)
「ナチス・ドイツ」は普通の民主国家でないのです。ナチス時代の公文書に「美称」が掲載されることはないとおっしゃいますが、法的な規定がない「Großdeutsches Reich」(大ドイツ国)という美称が1943年に布告なく公文書に登場し、さも正式な国名のように切手に採用され、終戦まで用いられました。この間もその後も正式な国名変更措置は執られていないのです。また、「たとえ明文の規定がなくとも、民族同胞に対しいかなる場合であれ、共同体は、「〔法的な〕責任を有効に課すことが可能である。」(静岡大学南利明教授論文 法経研究三九巻一号)という見解が公然と用いられた国家です。泉州大夫惟宗朝臣さんや北朝鮮の物差しが適合する国家ではありません。
特に「私はこの「Der Führer und Reichskanzler」(略称「Der Führer」)が「ナチ党最高指導者・首相・国家元首・軍最高司令官の地位・職権を包摂した称号」と考えています」には全く同意できません。「und」は接続詞です。「Führer und Reichskanzler」が一つの称号ではありません。「FührerおよびReichskanzler」なのです。Reichskanzlerにはドイツ国首相として定義された職階があります。また、バルバロッサ作戦の命令書の上部には「Führer und Oberste Befehlshaber der Wehermacht」(Führer および国防軍最高司令官)という印章がおされています。「Der Führer und Reichskanzler」が国防軍最高司令官を兼摂する称号なら、この場所は「Führer und Reichskanzler」となるはずです。
なお、肩書き無しの署名のある命令書にはこのように実例が複数あります。1940年のポーランド侵攻時の命令書、Kommandobefehl、 Befehl des Führers Adolf Hitler betreffend Zerstörungsmaßnahmen im Reichsgebiet、いわゆるネロ指令、T4作戦命令許可書・写真入り、バルバロッサ作戦の命令書の末尾(写真)
また、質問テンプレート」はすべての執筆者に向けて行うもので、個人に質問を差し止められるというものではありません。泉州大夫惟宗朝臣さんだけに回答を求めているわけではありませんので、確たる資料が見つかるまでは放置してください。--模様砂漠2 2009年9月22日 (火) 15:49 (UTC)
泉州大夫惟宗朝臣です。模様砂漠2さん、ご回答有難うございます。
- 「『質問テンプレート』はすべての執筆者に向けて行うもので、個人に質問を差し止められるというものではありません」とのことですが、仰るとおりです。こちらとしては、貴方のご質問を撤回させようという意図はありません。
- 肩書き無しの署名のある命令書のご提示については、感謝申し上げます。解説内容の向上に大いに資するものとなりましょう。本文に掲載する場合は、「1934年8月以降、ヒトラーは『総統兼首相』(略称『総統』)と称し、1939年以降はただ『総統』と称した。なお、公文書におけるヒトラーの署名は、正式に『総統兼首相』となった1934年8月以降は、『Der Führer und Reichskanzler Adolf Hitler』であったが(ここで注釈を打ち、脚注で1934年12月20日に公布されたHeimtückegesetz(ドイツ語原文)を提示する)、1939年以降は『Der Führer und Reichskanzler』が消え、ただ自身の名を記すケースが見られるようになった(ここで注釈を打ち、脚注で模様砂漠2さんが提示された諸資料を紹介する)」というような形にしたいと思います。「ただ自身の名を記すケースが見られるようになった」としたのは、現行の本文「また、ヒトラーは陸軍総司令官など党内外の役職を兼務することが増加したため、ヒトラーは単に名前を署名するだけで、自らDer Führer und Reichskanzlerと署名することも無くなっていった」の斜体にした部分が、独自研究のような表現だからです。「ヒトラーは陸軍総司令官など党内外の役職を兼務することが増加したため」という部分に確たる根拠があるのか、「自らDer Führer und Reichskanzlerと署名することも無くなっていった」とあるが、「Der Führer und Reichskanzler」乃至「Der Führer」という署名が1939年以降皆無になったのか、こちらでは判断がつかないからです。この点についてご意見を頂戴したく思います。
- 「特に『私はこの「Der Führer und Reichskanzler」(略称「Der Führer」)が「ナチ党最高指導者・首相・国家元首・軍最高司令官の地位・職権を包摂した称号」と考えています』には全く同意できません」とのことですが、貴方が同意なさらずとも、私が先にあげた京大西洋史辞典編纂会編『新編西洋史辞典 改訂増補』の「総統」の項目や木村靖二編『新版世界各国史13 ドイツ史』(山川出版社、2001年)の「(前略)ヒンデンブルク大統領が死去すると、ヒトラーは首相の権限に大統領の権限をあわせ、国家元首、首相、軍最高司令官、ナチ党最高指導者の地位をえて、総統兼首相と名乗った」という文献があることは紛れもない事実。貴方は私にことあるたびにWikipedia:独自研究は載せないとおっしゃいますが、Wikipedia:独自研究は載せないには「ウィキペディアで公開されるいかなる事実、意見、解釈、定義、論証も、信頼できる媒体において、その記事の主題に関連する形で、既に発表されていなければなりません」とあります。あなたがいかに説得力に富んだ論証をされても、貴方と同様の意見をもつ先行研究(このページを見るのは圧倒的に日本語ユーザーでしょうから、日本語文献が望ましいと思います。私も貴方ほど外国語に堪能ではありませんし。私のような外国語が不得手な読者に外国語文献を提示されても困惑するばかりでしょうから)が無い場合、貴方の論説は現状では独自研究とこちらでは判断せざるを得ません。私は先日も貴方と同様の意見(「総統」は単なる美称である、「総統」はナチ党最高指導者・首相・国家元首・軍最高司令官の地位・職権を包摂した称号ではない)を述べている先行研究(もちろん日本語文献で)を求めましたが、回答がありませんでした。かような状況では、私がこのページの本文で、「『総統』はナチ党最高指導者・首相・国家元首・軍最高司令官の地位・職権を包摂した称号である」と書いたとしても(もちろん木村氏や京大西洋史辞典編纂会編『新編西洋史辞典 改訂増補』に依拠している旨脚注で触れますが)、貴方は私が執筆した以前の版を削除したようなことはできないことを確認しておきます。無論、貴方が日本語文献で先行研究を提示された場合は、貴方の意見とすり合わせを行うことにはやぶさかではありません。
- 私も模様砂漠2さんもこのページを充実させようという考えは同じでしょうから、極力合意を形成したいと思います。私の「『総統』はナチ党最高指導者・首相・国家元首・軍最高司令官の地位・職権を包摂した称号である」という記述については、
- 1933年1月にヒトラーが首相に就任すると、非公式ではあるが「Der Führer und Reichskanzler」と称したこと。
- 1934年8月にヒンデンブルク大統領が没すると、ヒトラーは大統領の職権を首相のそれに統合したこと、その際国家元首兼首相としての自らの称号として、従来非公式に使用していた「Der Führer und Reichskanzler」を公式に使用したこと。
- 1934年8月の国民投票によって追認された首相・国家元首・軍最高司令官、そしてナチ党最高指導者としてのヒトラーの政治的地位を日本では「総統兼首相」(Der Führer und Reichskanzler)、略して「総統」(Der Führer)と呼んでいる。
- ということを骨子に表現を修正していこうとおもいます。これならば、模様砂漠2さんも同意いただけるかと思いますが。
- なお、本文のドイツの総統の定義「ドイツの総統は、第三帝国期におけるドイツ国の最高指導者に対する呼称である」という部分ですが、これを「ドイツの総統とは、第三帝国期におけるドイツ国の最高指導者を示す称号である」と改めたいと思います。『広辞苑』によれば、「称号」は「呼び名。名称。多く、一定の身分・資格を示すものにいう」とあり、「呼称」は「①呼びとなえること。名づけること。②呼び名。名前。称呼」とあります。私が持つイメージでは、「呼称」は他人がある人物に対して呼びかけるもので、「称号」については『広辞苑』のとおり、「一定の身分・資格を示すもの」で、自ら名乗る場合にも用いられるものです。「総統」はドイツ国の最高指導者ヒトラーの政治的地位を示す日本語だから「称号」の方が良いと思いますが、いかがでしょうか。--泉州大夫惟宗朝臣 2009年9月28日 (月) 06:08 (UTC)
- 「ヒトラーは陸軍総司令官など党内外の役職を兼務することが増加したため」などの理由が憶測を断定している部分は削除するべきですね、すいません。
- 木村靖二氏などが文献で書いているのは「ヒトラーは首相の権限に大統領の権限をあわせ(中略)総統兼首相と名乗った」であり、「総統兼首相」が4つの地位を統合した称号だとは一言も書いていません。ヒトラーが4つの地位の権能を持ったことと、「総統兼首相」が4つの地位を持つ称号なのかは別の問題です。また木村氏の文章では「ナチ党最高指導者の地位をえて」と、ヒンデンブルク死後に党最高指導者となったかのようにとれる文章(ヒトラーが党の最高指導者になったのはそれ以前であるという文献はたくさんある)があるなど、舌足らずな部分が見受けられます。もっと詳細を書いた文献が出てくるまで「4つの地位を統合した称号」であると断定するような書き方は慎むべきです。
- また『「Der Führer und Reichskanzler」が4つの地位を統合した称号』と『「総統兼首相」が4つの地位を統合した称号』はイコールではありません。総統とFührerの関係が
- 定義部分の「呼称」ですが、「総統」は他者である日本人がヒトラーの地位を日本語で表現したもので、ヒトラー自身は「総統」を名乗っていません。日本人が呼んだものですから「呼称」で差し支えはないと思います。
- 記述方針にあたっては、ヒトラーが獲得した権能と「総統」の定義は慎重に分ける必要があります。その点で「3」は同意できません。ヒトラーの地位を単に「総統」と呼んでいる文献を無視した形になります。さらに「1934年8月以降、ヒトラーは『総統兼首相』(略称『総統』)と称し、1939年以降はただ『総統』と称した。(以下略)」ではだめです。ヒトラー自身が称したのはあくまでドイツ語の「Führer」であり、Führerの定訳が総統であると定まっていないからです。ですから本文に書く場合はあくまで「Führer」として書き、『総統』は「Führer」の訳であると定まっているような誤解を与えないように記述しなくてはなりません。また「Führer」が「Der Führer und Reichskanzler」の略としての「Führer」であるというのはどちらが出典でしょうか。--模様砂漠2 2009年10月1日 (木) 00:16 (UTC)
泉州大夫惟宗朝臣です。今回の模様砂漠2さんの回答に対し、申し訳ないですが、苦言を申し上げます。
- 木村靖二氏の文献について。貴方は「ナチ党最高指導者の地位をえて」と、ヒンデンブルク死後に党最高指導者となったかのようにとれる文章(ヒトラーが党の最高指導者になったのはそれ以前であるという文献はたくさんある)があるなど、舌足らずな部分が見受けられます」と仰いますが、先学に対し上からものを見下すような表現をされるのですね。貴方は私が参考文献として掲げた『新版世界各国史13 ドイツ史』をお読みになったことはありますか?そこには、「党は翌年、二五カ条の党綱領を掲げ、国民社会主義ドイツ労働者党と改称し、二一年、ヒトラーを全権をもつ党指導者に選任した」(307ページ)とあります。そのうえで「(前略)ヒンデンブルク大統領が死去すると、ヒトラーは首相の権限に大統領の権限をあわせ、国家元首、首相、軍最高司令官、ナチ党最高指導者の地位をえて、総統兼首相と名乗った」(314ページ)とあるわけです。307ページの表現は、このノートの議論をご覧の方なら承知されていると思い、掲出しなかったのです。ですから、過失があるとすれば私であり、模様砂漠2さんが木村氏に対し「舌足らず」などと仰る必要はありません。撤回していただきたい。
- 貴方は、前掲書314ページでは「『総統兼首相』が4つの地位を統合した称号だとは一言も書いていない」とし、「ヒトラーが4つの地位の権能を持ったことと、『総統兼首相』が4つの地位を持つ称号なのかは別の問題」とされますが、314ページ「国家元首、首相、軍最高司令官、ナチ党最高指導者の地位をえて、総統兼首相と名乗った」とあります。「Führer」はナチ党最高指導者としてヒトラーが使ってきましたし、Reichskanzlerはドイツ国の首相を示しますよね。そして、首相の権限に大統領の権限(ヴァイマル憲法の規定により大統領はドイツ国軍の最高司令官である旨規定されている)が統合されたわけでしょう。そのような地位・職権をえて「総統兼首相」と名乗ったわけですから、「総統兼首相」を国家元首、首相、軍最高司令官、ナチ党最高指導者の地位・職権を包摂した称号と解せるわけです。確かに木村氏自身は前掲書において「総統兼首相」が4つの地位を統合した称号だとは一言も書いていません。しかし、314ページの文章からはこのように解せますし、この理解と同様に「総統」について説明している文献に、京大西洋史辞典編纂会編『新編西洋史辞典 改訂増補』の「総統」の項目があります。貴方はこれらに対し反対されますが、それならば貴方と同じく、「総統もしくは総統兼首相が国家元首、首相、軍最高司令官、ナチ党最高指導者の地位・職権を包摂した称号ではない」とする考えの先行研究(日本語文献)を提示してほしいと再三申し上げました。にもかかわらず、未だ提示されていません。申し上げにくいのですが、今の貴方は、単に自分の考えを他者に押し付けているにすぎないのです。貴方は以前本文から、「総統」を国家元首、首相、軍最高司令官、ナチ党最高指導者の地位・職権を包摂した称号とする部分を削除しました。確かに私も参考文献を掲げていなかった点において非を認めますが、次からはきちんと掲出します。ですので、私が修正版(「総統」を「総統兼首相」に変更したうえで4つの地位について言及しようと思っています)をアップさせた場合、貴方にはこの部分を削除することはできないことを再度確認しておきます(あくまで削除できないということで、当方としては合意の上で修正していくつもりはありますので、誤解なきよう)。
- 「『1934年8月以降、ヒトラーは「総統兼首相」(略称「総統」)と称し、1939年以降はただ「総統」と称した。(以下略)』ではだめです」とおっしゃいますが、これも同様のことが言えます。「1934年8月以降、ヒトラーは『総統兼首相』(略称『総統』)と称し、1939年以降はただ『総統』と称した」というのは、坂井榮八郎著『ドイツ史10講』を典拠としています。「『総統兼首相』(略称『総統』)というのは、若尾祐司・井上茂子編『近代ドイツの歴史―18世紀から現代まで―』から採用しました。もし貴方がこれらに反対されるのであれば、これらの著者と議論されてはいかがですか?反対されるのはご自由ですけど、こちらは先行研究に即して執筆しようとするものです。もし反対の意見をこのページに反映させたいのであれば、繰り返しになりますが、先行研究をご提示ください。また、他者の意見を否定される場合は頭ごなしに「だめ」などという表現は避けられたほうがよいかと思います。正直、私は見下された感じがして、かなり不愉快に感じました(被害妄想が激しいだけかもしれませんが)。あまり、言葉尻をとらえてこのようなことは申し上げたくはないのですが、自戒を込めて、老婆心ながら申し添えます。あと、「以下略」というところは「なお、公文書におけるヒトラーの署名は、正式に『総統兼首相』となった1934年8月以降は、『Der Führer und Reichskanzler Adolf Hitler』であったが、1939年以降は『Der Führer und Reichskanzler』が消え、ただ自身の名を記すケースが見られるようになった」という合意案だと思いますが、この案文も否定されるのですか?
- 「定義部分の『呼称』ですが、『総統』は他者である日本人がヒトラーの地位を日本語で表現したもので、ヒトラー自身は『総統』を名乗っていません」とありますが、それは当然でしょう。しかしそれでは、貴方の論理だと大統領なども「呼称」となってしまいませんか?大統領は呼称というよりも役職・称号でしょう。総統も呼称というよりも称号とした方がよいのではありませんか。なお、ノルベルト・フライ著・芝健介訳『総統国家』の訳者解題では「フューラー(総統)」や「総統兼首相」を「公式タイトル」としています。『広辞苑』によると「タイトル」は「肩書き・資格」で、「肩書き」は「地位・身分・称号をいう」とあります。ここは文献に従い、「称号」を取るべきかと思います。
- 「ヒトラー自身が称したのはあくまでドイツ語の『Führer』であり、Führerの定訳が総統であると定まっていないからです。ですから本文に書く場合はあくまで『Führer』として書き、「総統」は『Führer』の訳であると定まっているような誤解を与えないように記述しなくてはなりません」とありますが、このページの本義を理解されていますか?このページの表題は日本語の「総統」ですよ?2007年のkun氏とHartmann氏との議論にもありましたが、この項目はドイツ語の『Führer』の解説だけにとどまらず、それを日本語に訳した『総統』という言葉をできるだけ詳細に解説するところに主眼があるのです。決してFührerやFührer und Reichskanzleだけの解説ではないのです。Führerだけの解説をなさりたいのであれば、ドゥーチェやカウディーリョのように、別ページを立ち上げられたらいかがですか?「Führerの定訳が総統であると定まっていない」というのも初めて聞きました。たしかに、ナチ党党首としての場合、Führerは「指導者」(木村氏前掲書や村瀬興雄『アドルフ・ヒトラー』など)や「総統」ないし「党総統」(芝健介氏など)に訳は分かれますが、1934年以降、ヒトラーが獲得した国家の最高指導者の地位を示す場合は「総統」と訳すことで一致しているものと解していました。現に『新編西洋史辞典 改訂増補』などの各種辞書類にはFührerを「総統」として立項されています。「Führerの定訳が総統であると定まっていない」と断定するのはいかがなものでしょうか。それに、「本文に書く場合はあくまで『Führer』として書き、『総統』は『Führer』の訳であると定まっているような誤解を与えないように記述する」という方針はどこから出てきたのでしょう?kun氏とHartmann氏との議論以降、「この項目はドイツ語の『Führer』の解説だけにとどまらず、それを日本語に訳した『総統』という言葉をできるだけ詳細に解説するところに主眼がある」ということで了解されていたのではないでしょうか。私もそれに従って執筆しようと思っていました。勝手に方針を定めないで下さい。貴方以外の者は、貴方が定めた方針にのみ従わなければならないのですか?それこそ、合意を形成していく必要がありませんか?
- そのうえで、合意案を提示したいのですが、Führerの訳語については、1921年にヒトラーがナチ党第一委員長となったときに「Führer」という称号が用いられたことを指摘し、この段階では「指導者(最高指導者)」や「総統(党総統)」などと訳すことを出典つきで説明し、1934年8月以降、ドイツ国の最高指導者となったヒトラーの称号としてFührerを総統と訳すことを本文に掲げるという形にすれば良いかなと思います。また、先日提案した「1934年8月の国民投票によって追認された首相・国家元首・軍最高司令官、そしてナチ党最高指導者としてのヒトラーの政治的地位を日本では『総統兼首相』(Der Führer und Reichskanzler)、略して『総統』(Der Führer)と呼んでいる」については修正の必要はないと思います。というより、「ヒトラーが獲得した権能と『総統』の定義は慎重に分ける」という記述方針について、これもどこから出てきたのか分からないし、もう少し詳しく模様砂漠2さんの意図されるところをお聞きしたいからです(「また『「Der Führer und Reichskanzler」が4つの地位を統合した称号』と『「総統兼首相」が4つの地位を統合した称号』はイコールではありません。総統とFührerの関係が」<この後の続きの文章がありません>というところで欠落している部分に説明があったのかもしれませんが)。また、反対されるなら対案をお聞きしたいからです。お手数ですが、模様砂漠2さんも案文をお出しください。--泉州大夫惟宗朝臣 2009年10月4日 (日) 18:57 (UTC)
- 木村靖二氏の文章について
- 木村靖二氏の文章を再掲します。
「ヒンデンブルク大統領が死去すると、ヒトラーは首相の権限に大統領の権限をあわせ、国家元首、首相、軍最高司令官、ナチ党最高指導者の地位をえて、総統兼首相と名乗った」
「5W1H」のWhenは「ヒンデンブルク大統領が死去すると」とありますのでヒンデンブルクの死後、「国家元首、首相、軍最高司令官、ナチ党最高指導者の地位をえて」がWhat、「総統兼首相と名乗った」がWhyです。なんの事前知識もなくこの文章だけを読めば、「国家元首、首相、軍最高司令官、ナチ党最高指導者」の地位を得て「総統兼首相と名乗った」のが「ヒンデンブルク死去後」ととれます。その点でこの文章に「舌足らずの部分がある」と言ったのです。誤解を与えないように書くのであれば「ヒンデンブルク大統領が死去すると、ヒトラーは首相の権限に大統領の権限をあわせ、『今まで保持していた』首相、ナチ党最高指導者『の地位に加え』国家元首、軍最高司令官の地位をえて、総統兼首相と名乗った」とでも書くべきでしょうか。私は木村氏の研究成果を評価しないなどとは言っていません。しかし木村靖二氏は小説家や国語の専門家でもありませんし、国語専門家であっても時に舌足らずの文章が出てくるのは避けられないことです。だから研究家、国語専門家であっても著書を出版する際には編集者などの校正をへて文章を修正し出版するのです。この時の編集者の行動は研究者を否定する行動ではありません。ですから文章の校正について指摘するのは研究家としての地位を否定することではないのです。したがって、この文章が舌足らずであるということは木村氏自身を見下したという言い方ではありませんので撤回する必要はないと思っています。
- 総統兼首相が4つの地位を総合した称号という記述
- 泉州大夫惟宗朝臣さんが提示した出典には、「総統兼首相が4つの地位を統合した称号である」もしくは「総統が4つの地位を統合した称号である」という記述は一つもありません。ですから「総統兼首相が4つの地位を統合した称号である」と記述できないのです。現在の所、4つの地位を統合した称号であるという根拠は「2009年9月20日 (日) 14:15 (UTC)」の泉州大夫惟宗朝臣さんの発言によると、「この3つの文献を踏まえ」「私が掲げた、「総統」を「ナチ党最高指導者・首相・国家元首・軍最高司令官」の4つの地位・職権を包摂した称号とする考え方は否定しえないものと確信」したとありますが、3つの文献をふまえてあなたが推論したと言うことしか読み取れません。また「そのような地位・職権をえて「総統兼首相」と名乗ったわけですから、「総統兼首相」を国家元首、首相、軍最高司令官、ナチ党最高指導者の地位・職権を包摂した称号と解せるわけです」「314ページの文章からはこのように解せます」というのも泉州大夫惟宗朝臣さんの考えです。同じ文章を読んでも、私はそのように解釈できません。資料を読み、書いていない結論を導き出して記述するのは記述するのはWikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成にあたります。推論や演繹ではなく、もしくは「総統兼首相はナチ党最高指導者・首相・国家元首・軍最高司令官の4つを統合した称号」と明記された出典をお持ちください。
- 『「総統もしくは総統兼首相が国家元首、首相、軍最高司令官、ナチ党最高指導者の地位・職権を包摂した称号ではない」とする考えの先行研究(日本語文献)を提示してほしい』とありますが、「総統が4つの地位を包摂した称号である」という文献が無いのが現状です。Wikipedia:検証可能性の「出典を示す義務を負うのは、書き加えようとする側であり、除去を求める側ではありません。」という原則に基づき、4つの地位を包摂した称号であるという出典を示せばそれで完了するのです。
- 本文に書く場合はFührerと書くべき
- まず「ですから本文に書く場合はあくまで『Führer』として書き、「総統」は『Führer』の訳であると定まっているような誤解を与えないように記述しなくてはなりません」という発言は「2009年9月28日 (月) 06:08 (UTC)」に泉州大夫惟宗朝臣さんが提示された3つの箇条書きのうちの3つめに対する意見です。「その点で「3」は同意できません」とその前に書いてあります。「Führer」だけをこのページに記述したいと言う意見表明ではありません。「首相・国家元首・軍最高司令官、そしてナチ党最高指導者としてのヒトラーの政治的地位を日本では「総統兼首相」(Der Führer und Reichskanzler)、略して「総統」(Der Führer)と呼んでいる。」という記述を本文に書く場合の話をしているのです。
- 私がその文を本文に書く場合は「Führer」と書くべきだとしているのは
- まずヒトラーの地位についての解説では用法が分かれる「総統」ではなく、疑問の余地のない「Führer」で解説する。
- そのヒトラーの地位である「Führer」は何か解説する。
- そして日本語各種文献による「総統の用法」について書く
- 以上の段階をふまえて記述することで、「総統」という言葉に対する誤解、(また「総統」訳が定まっているかのような)誤解を防げるという考えに基づくものです。たとえば「1921年にヒトラーは総統に就任した」という記述は「Führer=総統」の観点では正しいですが、1934年以降を「総統」とする観点からは間違いです。ですからその文章を書く場合には、その文で誤解を与えない中立的な表現として「Führer」を用いるべきだとしているのです。--模様砂漠2 2009年10月5日 (月) 10:03 (UTC)
泉州大夫惟宗朝臣です。模様砂漠2さんのお考えは了解しました。それでは、一度貴方の考えに基づく案文を提示していただけませんか。私としてはドイツの「総統」の項目にはヒトラーの政治的地位(ナチ党最高指導者としての地位と、首相・国家元首・軍最高司令官という「ドイツ国の最高指導者」としての地位)の解説はやはり必要だと思いますし、これと「Führer」の解説を上手く両立できるように合意案文を作っていきたいですね。お願いします。あと、私的なことなのですが、私の考えに「だめ」という表現を使用されたことに対してコメントを頂けませんでした。この点において未だわだかまりは解けておりません。前向きに合意を形成するためにも何らかのコメントは頂きたいものです。--泉州大夫惟宗朝臣 2009年10月5日 (月) 11:04 (UTC)
- だめ
- 泉州大夫惟宗朝臣さんが傷ついたということなら謝罪いたします。しかし、「だめ」というのはたいへん軟らかい表現で、「頭ごなしにではなく」日常的に使用されている言葉です[6][7]。
- 文案
- 文案と言いますが、私はドイツの総統の節で「総統は○○という意味である」と断言すること自体がふさわしくないということをいっています。何度も書きますが、総統についての解釈は主なものでも2通りあり、片方の意味を取って「○○である」と断言すること自体が中立的な観点に反するのです。ですから「まずヒトラーの地位についての解説では用法が分かれる「総統」ではなく、疑問の余地のない「Führer」で解説する。」、「そのヒトラーの地位である「Führer」は何か解説する。」、「そして日本語各種文献による「総統の用法」について書く」というのを節に分けて書き、「総統の定義」について読者が考える材料となるように構成すればいいのです。Wikipediaはまだ結論が出ていない事象について結論を下す場所ではありません。--模様砂漠2 2009年10月5日 (月) 11:44 (UTC)
泉州大夫惟宗朝臣です。模様砂漠2さん、ご回答ありがとうございます。例の「だめ」については了承いたしました。あと、文案について。模様砂漠2さんの指摘を受けて、断言はさけるべきだと私も思い始めています。そのうえで、上手い表現を模索したいと思うのです。例えば節立てとして、私が以前提案した
- 前史(シェーネラーやフライコーアなどのFührerについて)
- ナチ党最高指導者としての「総統」(この節のタイトル「総統」については、今後は「Führer」にかえたいと思います)
- ドイツ国の最高指導者としての「総統」
- 消滅(現行どおり)
と模様砂漠2さんの案を融合させ、さらにヒトラーの政治的地位についても、ドイツの総統について「読者が考える材料」として表記したいと思うのです。ヒトラーの政治的地位について、「ドイツ国の最高指導者としての『総統』」の節で触れる場合は、「従来有していたナチ党最高指導者に加え、1934年8月の国民投票によって追認された首相・国家元首・軍最高司令官といったドイツ国の最高指導者としてのヒトラーの政治的地位を日本では『総統兼首相』(Der Führer und Reichskanzler)や『総統』(Der Führer)と呼んでいる(脚注にて参考文献を提示)」としか私は思いつかないのです。上手い方法はありませんか?--泉州大夫惟宗朝臣 2009年10月5日 (月) 12:13 (UTC)
- いえ、「ドイツ国の最高指導者としてのヒトラーの政治的地位を…」という文章自体が総統の意味を固定化することになりかねない文章です。ですから総統という言葉の用例を「総統兼首相」としている場合、単に総統としている場合などを並列して書くほうがよいというのが案です。--模様砂漠2 2009年10月10日 (土) 16:41 (UTC)
泉州大夫惟宗朝臣です。模様砂漠2さん、ご回答ありがとうございます。
- 上記の件ですが、「総統の意味の固定化」といいますけれど、1934年8月以降の「総統兼首相」や「総統」については「ドイツ国の最高指導者(一党独裁を確立したナチ党の最高指導者としての地位に加え、首相・国家元首・軍最高司令官としての地位を保有)」としてのヒトラーの政治的地位を示すという称号とするのは、大方の支持するところと思うのですが。1921年からヒトラーの使用していた「Führer」を説明するならば、「ナチ党最高指導者となったヒトラーが使用した政治的称号」とするしかないかもしれません。だから、私がこの項目の改訂版を作成するなら、前述の節立ての2で「ナチ党最高指導者となったヒトラーが使用した政治的称号」としての「Führer」について言及し、3で1934年8月以降の「ドイツ国の最高指導者」としてのヒトラーの政治的地位を日本では「総統兼首相」や「総統」と呼んでいるというふうにします。つまり、3では「Der Führer und Reichskanzler」の説明がメインになるかと思います。「Der Führer und Reichskanzler」は国家元首兼首相となったヒトラーが法律での肩書きとして使用しているので、その日本語訳である「総統兼首相」や「総統」が「ドイツ国の最高指導者」としてのヒトラーの政治的地位を示す称号というふうに説明できます。現に、村瀬興雄氏や木村靖二氏は、Führerの訳語を、1934年8月の時点で「指導者」から「総統兼首相(宰相)」と使い分けていますし。先述の「従来有していたナチ党最高指導者に加え、1934年8月の国民投票によって追認された首相・国家元首・軍最高司令官といったドイツ国の最高指導者としてのヒトラーの政治的地位を日本では『総統兼首相』(Der Führer und Reichskanzler)や『総統』(Der Führer)と呼んでいる」というのは、私にとってはだいぶ断定調を弱めているのですが…。
- 次に、模様砂漠2さんが「称号か呼称か」のところで取り上げられた、村瀬興雄『アドルフ・ヒトラー』での記述の件ですが、これは「Führerの性格」にも係わってくると思うので、ここで取りあげます。私も同書を読んでいて色々と考えていたのですが、同書によると、ナチ党員がヒトラーを「指導者(フューラー)として崇める気風も強くなった」「『指導者』として尊敬する風潮がしだいに強まった」とし、ヘス、ローゼンベルク、エッサーらが「党機関紙において、また党集会における演説において、ヒトラーを「指導者」として尊敬する風潮を意識的にもりあげていた。一九二二年十月、イタリアでムッソリーニがファシスト政権を樹立していらい、とくにそうであった」とあります。これに従うと、Führerの称号は、ヒトラーが自ら進んで選択し、使用し始めたのではなく、周囲から勧められて使用したというふうに読めます。これは興味深い指摘です。ですが、一方でヒトラーがFührerを自分の政治的称号として進んで選択したという説もあったと思います。今は手元に文献がありませんが、確認次第提示したいと思います。そこで、私よりもこの件について詳しいであろう模様砂漠2さんにお願いしたいのですが、この件についての貴方個人のご意見と、この件についてさらに詳しい情報をお持ちであればご提示願えないでしょうか。村瀬氏の説の当否に係わらず、この指摘は重要だと思いますので、是非このページで取りあげるべきだと考えますが、いかがでしょうか。--泉州大夫惟宗朝臣 2009年10月11日 (日) 10:29 (UTC)
- ここがWikipediaでなければ「○○を日本では総統と呼んでいる」という記述に私も同意したのですが、「総統」という言葉そのものについて研究し、2つの例があることを確認した上で「○○を日本では○○を総統と呼んでいる」と記述した出典がないのです。また、Wikipedia:言葉を濁さないにも例が出ていますように、「大方の支持するところ」であるということを断言するにも想定するにも根拠が必要なのです。ですから、新たな出典を必要とする記述をするよりは、新しい出典が見つかるまで記述しないほうが好ましいと考えています。しかし、実際の使用例は出典がありますので記述することが可能です。その用例が多ければ「と呼んでいる」と記述しなくても「総統」がどのように使われているかよくわかることでしょう。
- また、自称関連について、私が持っている書籍や参照したウェブ上の論文ではまだ村瀬氏のものが一番詳しい状況なので、あまり詳しい情報を加筆できません。また別の書籍をお持ちの方がその都度加筆されると思います。いずれにしろ、Wikipediaの記事はつねに加筆できる未完成の記事なので、現時点で完成を急がなくても大丈夫と思われます。--模様砂漠2 2009年10月12日 (月) 07:30 (UTC)
シェーネラーとFührer
- 「Führerは本来「指導者」を示す一般的な言葉ですから、シェーネラー以前にも政治運動の指導者の肩書きとして使用されていても不思議ではありません。」悪魔の証明という言葉がありますが、「絶対に無いかどうかわからないだろう」という議論法はお控えください。ですがシェーネラーが名乗った当時のドイツは王政・帝政です。それ以前に王侯貴族でない肩書きを持つものに率いられた有力「政治運動」派ほとんど無く、捜索は容易でしょう。たとえばフェルディナント・ラッサールはWortführerという言葉で表現されていますが、これはスポークスマンという意味です。またフランクフルト国民議会や自由ドイツ青年運動でも単なる「führer」という指導者はいません。現存するドイツ最古の政党ドイツ社会民主党の過去の歴史でも単なる「führer」というトップはいません。シェーネラーと同時期のドイツ国民連盟を率いたハインリヒ・クラースもführerという肩書きを用いていません。見つかったらご連絡ください。--模様砂漠2 2009年9月21日 (月) 13:54 (UTC)
泉州大夫惟宗朝臣です。私がシェーネラーの記事を「総統」の解説記事に載せるのに否定的なのは、仮にシェーネラーがドイツ語圏の政治団体のトップとして「Führer」の肩書きを使用した端緒として、先日も申し上げたとおり、ヒトラーの「Führer」とシェーネラーのそれとが質的に同一視できるのかという疑問点があるからです。「シェーネラーが1879年に称した『Führer』にカントロヴィッツによる定義があてはまるのか」、「『このような意味(カントロヴィッツによる定義)を持つ「Führer」が政治運動の指導者の肩書きとして使用される端緒となったのはシェーネラーである』とするのは、時代を無視した記述である」これに尽きます。もし、「Führer」の端緒としてシェーネラーを取りあげられるならば、より慎重に扱われるようにお願いします。--泉州大夫惟宗朝臣 2009年9月21日 (月) 16:39 (UTC)
追記。先日、模様砂漠2さんに「シェーネラーが政治指導者として『Führer』を称した端緒とする文献なり先行研究があるのですか?日本語文献があればお示しいただきたく存じます」とお尋ねしましたが、明確なご回答がありませんでした。改めて日本語文献(研究論文・専門書・事典類)の提示をお願いします。--泉州大夫惟宗朝臣 2009年9月21日 (月) 17:24 (UTC)
- シェーネラーがFührerの端緒であるという記述はまず独語版に「Ursprünglich hatte sich auch der protofaschistische österreichische Politiker Georg von Schönerer zu jener Zeit als „Führer“ bezeichnen lassen.」とあることです。繰り返しますが、外国語版の翻訳による記述はWikipediaで認められた正当な行為です。日本語の文献に基づく記述ではありません。また、両者の間には「関係がない」と認めたのではなく「直接関係があるとする資料が現在見つかっていないから、言及しない」ということです。もしそれに関する文献が出てくればそれを記述に反映させるべきです。また容易に参照できるのであれば出典は日本語に拘束されません。シェーネラー単独の研究図書は国会図書館にもないようですので、日本語ですべて探すのは困難でしょう。
- ですが確かに現在の文構造ではシェーネラー時代に「指導者論理」が確立していたかのように読めます。カントロヴィッツ関連の記述を後ろに移したほうがよいですね。--模様砂漠2 2009年9月21日 (月) 22:00 (UTC)
- 泉州大夫惟宗朝臣です。とりあえず、シェーネラーの件では合意が形成できそうですね。シェーネラーの「Führer」とヒトラーのそれとを直接結びつけたり、シェーネラー時代に「指導者論理」が確立していたかのように読める現在の文構造は修正するということで宜しいですね。修正版を記述する場合は、先日私が提案した節立ての「前史」の部分で、シェーネラーの「Führer」や第一次大戦敗戦直後のドイツ国でフライコーアや政党、民族主義団体で「Führer」が使用されていたこと(芝健介氏や村瀬興雄氏の指摘による)を述べ、「国家社会主義ドイツ労働者党の『総統』」でナチ党最高指導者としてのヒトラーの「Führer」を説明していく、その際カントロヴィッツ関連の記述はこの節で述べていくといった形式で宜しいでしょうか。なお、シェーネラーがFührerの端緒であるという記述は、「今のところシェーネラーが初例と考えられている」と言うニュアンスをふくむ表現に改めたいのですが、百科事典としてふさわしい言い回しはありませんか?お知恵を拝借したく思います。--泉州大夫惟宗朝臣 2009年9月22日 (火) 03:48 (UTC)
『政治運動の指導者として「Führer」を用い始めた人間の代表としては ドイツ国民運動を率いたゲオルク・フォン・シェーネラーがあげられる』ぐらいの表現でどうでしょうか。--模様砂漠2 2009年9月22日 (火) 15:49 (UTC)
対象は個人か職か
- 「忠誠宣誓がヒトラーへの個人のものかどうか」ですが、戦史作家の児島襄は第二次世界大戦・ヒトラーの戦いで「これまでは忠誠の対象は国家、国民、憲法であったが、いまは『アドルフ・ヒトラー』なる個人になったのである」。とあります。また横浜市立大学の永岑三千輝教授のサイトにも[8][9]「ワイマール憲法下では、兵士は、憲法体制に宣誓(1919) 1933年に、憲法への宣誓の文言の除去 さらに、レーム粛清後の1934年8月、ヒトラー個人への宣誓。」という文章があります。また埼玉大学の三宅雄彦准教授の論文職業官僚制における制度と身分では「一方で1937年ドイツ官僚法は、ヒトラー個人と党への宣誓を官僚に課し、既存の官僚宣誓と公的制度を人格主義的に転換する。官僚関係は単なる忠誠関係になる」としており、軍人宣誓と同様の官吏宣誓が「人格主義的に転換」されたとしています。宣誓の対象が職になったというのはWikipediaの軍人宣誓ページ以外では見つかりませんでした。(署名付加--模様砂漠2 2009年9月21日 (月) 22:00 (UTC))
注釈と本文
- 「注釈で充分」という発言は注釈を解説・出典表示機能として見た発言でしょうか。シェーネラーがFührerを名乗ったのは「Führerという言葉のドイツ政治界における歴史」、ナチス党内でのFührerの使用法は「Führerの運用」、指導者原理は「Führerの性格」にあたる文章です。天皇やアメリカ合衆国大統領や中華民国総統など他のページではそういった文章を注釈に書いてありません。むしろ積極的に本文に取り込む編集がされているのです。--模様砂漠2 2009年9月21日 (月) 13:54 (UTC)
泉州大夫惟宗朝臣です。これもこのページに対する私と模様砂漠2さんのスタンスの違いが議論の行き違いを生じさせているのでしょうね。
- 私はこのページが「国家元首またはそれに匹敵する国家の最高指導者の地位を表す名称の一つ」としての「総統」の解説であり、「この項目はドイツ語の『Führer』の解説だけにとどまらず、それを日本語に訳した『総統』という言葉をできるだけ詳細に解説するところに主眼がある」というスタンスです。ドイツの項目でもそれを念頭に解説しようとするものですから、シェーネラーや指導者原理、ナチ党内のヒトラー以外の「Führer」については注釈で充分だと考えています。貴方のようにドイツの項目が「Führer」の解説に力点を置くのであれば、シェーネラーが「Führer」を名乗ったのは「Führerという言葉のドイツ政治界における歴史」、ナチス党内での「Führer」の使用法は「Führerの運用」、指導者原理は「Führerの性格」として本文に必要かもしれません。
- 指導者原理についてはドイツの「総統」の解説に「指導者国家」の概念とともに要点のみ触れてもいいと思います。しかし、ナチ党の他の「Führer」については現在のように「親衛隊・突撃隊……」などと列記していく方式ならば反対です。これは国家社会主義ドイツ労働者党で説明するか、ドゥーチェやカウディーリョのように「フューラー」についてのページを作ってそこで議論されてはいかがですか。--泉州大夫惟宗朝臣 2009年9月21日 (月) 17:12 (UTC)
- まず、一定の記述が「注釈」と「本文」にわかれる基準をお聞きしたいです。ページの主題は後ほどに。なお、また、ナチスの各階層に「Führer」がいるという記述を列挙とおっしゃいますが、各階層にいるという構造(下位のFührerが上位のFührerに従う)は「指導者原理」の実例です-模様砂漠2 2009年9月21日 (月) 22:00 (UTC)
ページの主題
このページは「国家元首またはそれに匹敵する国家の最高指導者の地位を表す名称の一つ」としての「総統」の解説のページ」ではなく、「総統」という語で呼ばれるもののページです。たとえば最終段のフィクションにある「クロコダイル総統」は国家元首ではなく犯罪組織「クライム」の一員にすぎません。フィクションに出てくる総統がすべて国家元首や最高指導者であると断言できるはずもありません。
ドイツの総統においてもヒトラーの場合は「Führer」が総統と呼ばれる場合、そして1934年以降の地位が総統と呼ばれるという実例はあなたも見たとおりです。しかし前者の用例は「国家元首またはそれに匹敵する国家の最高指導者の地位を表す名称の一つ」という用途だけではなく、ドイツの一政党であった時点の「ナチ党の最高指導者」を指す用例もあるからです。また、デーニッツを「総統」とする日本語文献もあるように、「総統」という日本語は「Führer」に比べてかなり揺れがあり、はっきりした定義がされていない言葉なのです。その揺れのある各説を記載することがWikipedia:中立的な観点(論争での全ての観点を公正に考慮することで、記事には特定の立場が正しいと明記したり、暗示したりするべきではない)を実現するための方法だからです。--模様砂漠2 2009年9月21日 (月) 22:00 (UTC)
- 泉州大夫惟宗朝臣です。「フィクションの総統」については、正直念頭にいれてませんでした。ふつう、「総統」の解説といえば現実社会の総統、ドイツやスペイン、中華民国などの国家元首乃至国家の最高指導者の地位を示すものとかんがえていましたから。できれば、「フィクションの総統」はこのページから独立させたいものですが。
- 「デーニッツを『総統』とする日本語文献もあるように、『総統』という日本語は『Führer』に比べてかなり揺れがあり、はっきりした定義がされていない」とありますが、果たしてそうですか?『日本国語大辞典』や『広辞苑』、各種『西洋史事典』などには「ナチス・ドイツの最高官職」やそれに類する説明があり、「ナチス・ドイツの最高官職」というような定義は一般的に広く受け入れられているものと思いますが。「デーニッツを『総統』とする日本語文献もある」といいますが、確かにヒトラーの死の直後、デーニッツを総統と記した記事がありますが、結局それは定着せず現在に至っているのでしょう?「その揺れのある各説を記載することがWikipedia:中立的な観点(論争での全ての観点を公正に考慮することで、記事には特定の立場が正しいと明記したり、暗示したりするべきではない)を実現するための方法だからです」とありますが、趣旨はわかります。それでも、ある程度基準を設けないと収拾がつかなくなりませんか?--泉州大夫惟宗朝臣 2009年9月22日 (火) 05:09 (UTC)
「『日本国語大辞典』や『広辞苑』、各種『西洋史事典』などには「ナチス・ドイツの最高官職」やそれに類する説明があり、「ナチス・ドイツの最高官職」というような定義は一般的に広く受け入れられているものと思いますが。」「一般的に広く受け入れられていると思う」ではなくて、専門家の基準に則るべきです。泉州大夫惟宗朝臣さんが引用しただけでも「Führer」を総統と訳したり、「1934年に『総統に就任』」に別れています。
「公正に論争を記述するためには、競合する様々な観点を、その主題についての専門家や関係者の勢力に合わせて提示すべきです。しかし、これは少数派の観点が、それぞれの記事においても軽い扱いを受けるべきだ、ということではありません。ウィキペディアにはサイズの制限はありません。そのようなページにおいて、その観点が詳細に説明されているかも知れませんが、その観点が真実であるといった形で表現されるべきではありません。」「収拾がつかない」ではなく、サイズの制限がないのですから各意見について詳細に書けばいいのです。全体としてのまとまりは「作品」としては美しいですが、事物をフェアに現すために最初に考えなければならない観点ではありません。
なお、デーニッツが当時「総統」と日本語で呼ばれたことは紛れもない事実であり、その後も「総統」と表記されることがしばしばありました。「現在主流ではない」から記述する価値がないのではありません。「総統という言葉が日本語でどう使われているか、総統という言葉がどう使われてきたか」ということをあらわす事象だから価値があるのです。--模様砂漠2 2009年9月22日 (火) 15:49 (UTC)
称号か呼称か
「大統領」と「総統」ではかなり問題が異なります。ドイツの場合では「Reichspräsident」以外には大統領と訳される地位はなく、その地位の変化もありません。だから大統領はReichspräsidentの「訳語」として、単に「役職」と形容できるのです。一方で「総統」は「Führer」の訳か、1934年以降のヒトラーをさすか訳がバラバラです。だから現状で「総統」を「称号」とすると誤解が生まれるのです。村瀬興雄「アドルフ・ヒトラー」では、1921年の記述は、終始「指導者(フューラー)として崇める気風も強くなった」「『指導者』として尊敬する風潮がしだいに強まった」と、正式な称号として定められたように記述されていません。また「ヒトラーは大統領をかねて総統兼首相と称したが、やがて総統(フューラー)とだけ呼ばれるようになった」、と「呼ばれる」という表現を用いています。「称号」には「功績を顕彰し、栄誉・資格を認定するための、特別の呼び方。」という意味もあり、「認定された」という、単なる「呼称」とは違うニュアンスがあります。「呼称」であれば、そのあたりの解釈を限定しません。ですから間違いが生まれない表現としての「呼称」を採用するべきです。--模様砂漠2 2009年10月5日 (月) 10:03 (UTC)