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ノート:織田信行

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出生年について

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「織田信秀の三男または四男」であることから、「少なくとも天文年間の3年から14年の間との推測は出来る」のでしょうか。すぐ下の弟とされる織田信包の生年も不確かだそうですし、厳密に考えると「天文年間の3年から14年の間との推測は出来る」とする論文か書籍の出典の提示が必要な気もします。--伊佐坂安物会話/履歴2018年9月11日 (火) 08:51 (UTC)[返信]

生年不詳とは余りに大雑把かなと思ったので書いただけです。全く不明かといえばそうではない。信長のすぐ下の弟で、信秀の三男、四男ならば、本当のところはだいたいわかるわけです。
一般的には信広をカウントしないことも多いのですが、「織田信秀の三男または四男」と書いているので、信広、信長は兄で確定ということなのでしょう。信長の生年が天文3年(1534年)という前提で考えると、信行の生年は、少なくとも天正3年以後。で、確かに不確か部分はあるのですが、三男か四男になるには2人に後れるとアウトというかなり緩い設定。
  • 信包(天文12年か17年)
  • 信治(天文14年)
  • 信時(不明、信長の異母兄かも)
  • 信興(不明)
  • 秀孝(不明、同母弟かも、天文9年~11年頃)
  • 長益(天文16年)
  • お市/同母妹(天文16年)
  • お犬/同母妹(不明)
  • 長利(不明)
で、土田御前が生母なら同母から10ヶ月以内には生まれない制約もあるということでしょう。天文4年や15年ではないっぽい。三男か四男とされるのは信時が信長よりも年長かという説があるからだと思いますが、信時を無視した場合でも。三男、四男ということだけを考えると、天文10年~13年よりも前ではないとそこには収まらないのではないかと。五男以下になる。
ただ、三男、四男そのものを無視して考えて別の視点から、信秀が天文21年に死んでいて、死ぬ以前にはすでに信行は政治に関わっていたということならば、元服しているはずです。信長は13歳で元服しましたから、信行の生年は天文7年よりも前と考えるのが自然です。
ということで、信秀の生前に政務がとれた前提ならば、生年は1530年代後半というのが妥当だと思いますが、出典はそこではなくて「織田信秀の三男または四男」といことなので、1540年代前半まで下限をとりました。それ以降は絶対無いレベルなので。
上手く意図が伝わってないかももしれませんが、要するに、言いたかったことは、生年不詳だけども不明の範囲は結構狭いということです。最初は天文年間の前半とか、もっとぼんやりした表現も考えたのですが。
出典があった方が良いというのは、その通りです。独自研究だから削除だといわれたら、ま、しょうがねーなという感じなんで、信行の生年についての研究が載ってる書籍を少し探してみて、文言を変えてみたいと思います。--Quark Logo会話2018年9月11日 (火) 13:54 (UTC)[返信]

達は大和守家の通字なのか

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織田達定、織田達勝、織田達広はみな同世代の人物で、しかも斯波義達とも同世代です。これらはおそらく全て義達の偏諱であり、達が大和守家の通字であったとは考えられません。織田氏の通字は広、定、(弾正忠家は)信です。達成が達字を意識して用いたかどうかはともかく、達が通字であるとするのは明白な誤謬であって出典にあるからといって直ちに用いるべきでない情報です。--240D:1A:51E:AB00:2C74:B205:3CA5:EAFA 2019年6月5日 (水) 13:30 (UTC)[返信]

ご指摘ありがとうございます。言われてみれば、たしかにおそらくそうなんでしょうね。一方で、信行自身が天文23年頃に、すでに政治的影響力を低下させて久しい斯波義達から偏諱を受けたかというえば怪しい気もします(私の個人的見解ですが)。ちょっと追加で調べみたいと思います。--伊佐坂安物会話/履歴2019年6月6日 (木) 22:57 (UTC)[返信]
チェック 今年の12月に出た柴裕之氏(かつては通字だと述べていた方)の著書『織田信長』で、織田達定、織田達勝は義達の偏諱を受けたものの、信勝自身は大和守家の名を意識して改名したと述べていたので、その出典に従って編集しました。詳細は記事をご確認ください。--伊佐坂安物会話/履歴2020年12月30日 (水) 03:33 (UTC)[返信]

冒頭部の変更提案

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現在、冒頭部には白山信仰と鷹狩についての記述があります。しかし、当時の武士がなんらかの信仰を有し、また鷹狩などを嗜むのは珍しいことには思えず、また逆に白山信仰といえば信勝、鷹狩といえば信勝というほど知られている事実でもないので、本項人物の人柄を語る上で欠かすことのできない要素か疑問です。冒頭部から除去してはいかがでしょうか。なお、この提案は記事本文の変更を求めるものではありません。--taisai429会話2023年1月2日 (月) 11:28 (UTC)[返信]

利用者‐会話:伊佐坂安物#織田信行についてのお知らせを拝見しまして、興味のある白山信仰の話が出ておりましたのでまいりました。経緯として、2018-09-09T10:14:21時点における版(特別:差分/69997526)で本文に記述、2018-09-20T16:41:54時点における版(特別:差分/69997526)で導入部に記述、いずれも伊佐坂安物さんによるもの(現在は一部修正)というのがあるようですが、本文のほうで織田信秀が主となっている割に、そちらには言及がないのが以前から気になっていました。ですが私のほうでは加筆できるほどの資料がうまく見つかりません。ちなみに、2020年10月に発売された小和田哲男 による著書「全国「武将印」徹底ガイド : 見どころ・楽しみ方がわかるISBN 9784780423952 の短い項目の中にも言及があるので(日本語版ウィキペディアの記述と一部読点まで一致しているのは、共通の出典元に由来するのか原因は定かではありませんが、ちょっとどうかと思いますけど)、「武将印」の項目でもあれば重要ということにもなるかと思いますが、現状では作為的になりかねず作りようがない気がします。白山信仰のほうも無出典記述が多く(戦国時代の記述も一定量欲しいです)、繋げるには読者のほうで前もって城山八幡宮等、ある程度の理解がないと漠然とする気もします。鷹狩についてはモズでIP利用者によって2019-05-11T10:20:40時点における版(特別:差分/72711952)で別の出典をつけて加筆がされています。珍しいには違いないと思います。--市井の人会話2023年1月5日 (木) 10:40 (UTC)[返信]
  • WP:LS#要約に従って、全体の要約ということで、人物節の内容にも少し触れた方が良いかと思って書いていましたが、すごく重要かと思えばそうでもないので冒頭から除去しても良いと思います。個人的には賛成でも反対でもないです(小和田哲男さんの本がウィキペディアを参考にして書かれたのだとすると、当該部分を書いた私としてはちょっと光栄ですね)。--伊佐坂安物会話/履歴2023年1月6日 (金) 08:41 (UTC)[返信]
  • 冒頭の部分は、「白山を信仰していたとされ」の語句だけと短いので、除去する必要があるとまでは思いませんが、人物の項の白山信仰の記述が2行だけと短いので、むしろ本文の拡充に努めてもらうほうが建設的だと思います。Quark Logo会話2023年1月13日 (金) 04:46 (UTC)[返信]
  • 皆様のご意見を鑑み、信勝の人物面についての加筆を待つのが最良との結論に達したため、今回の提案は取り下げることにいたしました。議論に参加いただきありがとうございました。--taisai429会話2023年2月12日 (日) 11:34 (UTC)[返信]