ノート:聖霊/archive1
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聖霊の「人格性」について
[編集]hypostasis/persona を位格と人格という二つの概念に分けて考えるため、話が透明でないのですが(聖霊論はキリスト教神学でもいまだに議論の分かれる問題のひとつです)、私の知る限りでは
が聖霊に人格的性格を拒否しています(スヴェーデンボリの三位一体理解はサベリオスの変形で、ただしサベリウス派の子から霊への移行という説を取らず、エホバの証人同様、聖霊を神の非人格的で遍在する力とみるようです)。
異端には、あまり詳しくありませんが、おそらくユニテリアンも聖霊には人格性(位格性)を認めないでしょう。
そのように考えると、聖霊を非人格的(非位格的)に捉える教派について積極的に言及すべき(かつ数としてはこれは少数派であること)かと思います。
エホバの証人の教説についてですが、私の知識の範囲内では、スヴェーデンボリなどの先行思想に比してさして新しい点があるようには思えません。思想史的重要性からいえば、スヴェーデンボリやユニテリアンの聖霊理解のほうが、百科事典の充実という点からは重要かと考えます。KIZU
エホバの証人の見解について
[編集]昨日から8度ほど、緩慢ではありますがほとんど同じ編集が繰り返されていおり、ノートでの要請、もしくは有効そうな議論はありませんでしたが記事をブロックしました。 09:22 2004年2月15日の版このJohncapistranoさんの変更があってから K.M.さんは
- 09:24 2004年2月15日の版
- 09:27 2004年2月15日の版
- 13:04 2004年2月15日の版
- 13:51 2004年2月15日の版
- 14:27 2004年2月15日の版
- 05:08 2004年2月16日の版
- 07:18 2004年2月16日の版
- 09:04 2004年2月16日の版
の8回にわたって同じところを削除されています。同じことはJohncapistranoさんにも言うことができ、
- 09:26 2004年2月15日の版
- 09:30 2004年2月15日の版
- 13:33 2004年2月15日の版
- 13:57 2004年2月15日の版
- 14:29 2004年2月15日の版
- 05:12 2004年2月16日の版
- 07:25 2004年2月16日の版
- 09:10 2004年2月16日の版
でノートなどを使用して呼びかけることをせずにほとんど同じ変更を加えられています。
お二人ともいったん落ち着き、ノートでの議論をへて編集に参加されることを望みます。その際に、Wikipedia:ウィキペディアは何でないか、Wikipedia:議論が白熱しても冷静に、Wikipedia:ウィキペチケットの「主張の内容を限定し、自分のものとしてではなく他の人も持っているものとして表現してください。」「自分の立場以外の視点も理解しているということを示すために、他の視点をフェアーに言い換えてみてください。」「あまりにも情熱を持っている事柄については執筆を避けてください。」などに留意していただけるとうれしいです。よろしくお願いします。Suisui 09:37 2004年2月16日 (UTC)
私の方は落ち着いてるのですが、恐らくK.M.氏も落ち着いて意図的にやられてると思うのですが。他の項目でも、「エホバの証人」は〜、として書かれるならいいが、何でも否定するように書かれるので、立場毎に分けているのですが。Johncapistrano 10:00 2004年2月16日 (UTC)
わたしは聖書的な事実を述べているまでです。わたしの主張はすべて聖書に基づいており、Johncapistrano氏の言う「エホバの証人の宣伝」にはあたらないと存じます。わたしの考えでは彼はわたしの主張に反論できないので、こういう姑息な手段に訴えているものと存じます。K.M. 13:09 2004年2月16日 (UTC)
何が姑息でしょうか? 何処が聖書に基づいてるんでしょうか? あなたたちがあなたたちの解釈をするのは勝手なので、分けて書いてくれと書いているだけですが。Johncapistrano 13:18 2004年2月16日 (UTC)
ウィキペディアは、意見の分かれた問題に対してこの場で真実を明らかにすることそれ自体を目的としたプロジェクトではないと理解しています。 ですから、人格的存在であるという考えを直接的に肯定も否定もすべきでない、ということになると思います。
聖霊は人格的存在であり、“神”の一部であるという教え(三位一体論)
という考えは、キリスト教諸派の公称によれば世界で20億人程度の人々が支持しています。それが正しかろうと正しくなかろうと、これだけの規模で支持されている意見は紹介されるべきです。そして、それを否定する立場も、決して無視されることなく優遇されることもなく、紹介されるべきでしょう。
前者を裏付ける根拠として公会議における議論に触れたりすることは良いことですし、後者を裏付ける根拠として聖書における記述に触れるのも良いことです。しかし、ここで議論をしている数人だけではなく「本当に意見が分かれている」問題である以上は、特定の立場からの意見であると明らかにせずに「人格的存在ではない」と断定するのはウィキペディアとしては正しくないのではないでしょうか。Yugui 14:10 2004年2月16日 (UTC)
これまで反三位一体を唱える人はたくさんいましたが、残念ながらローマ・カトリックや英国国教会がそうした考えをする人を弾圧・処刑してきたために現在は少数意見となっています。しかし、反三位一体をとなえるのはエホバの証人だけではないので、「エホバの証人の意見」として掲載するのはいかがかと存じます。反三位一体の弾圧の経緯については「二つの聖句の著しい変造に関する歴史的記述」で少し取り上げております。K.M. 01:46 2004年2月17日 (UTC)
- 反三位一体の根拠を論じている部分が非常に詳細なので、それがエホバの証人以外の反三位一体論者にも本当に共通している考えなのか、そのあたりがちょっと良く分かりません。その点で誤解を与えるおそれがないのであれば、
- 「エホバの証人の意見」として掲載するのはいかがかと存じます。
- という指摘はもっともだと思います。その場合には、次のような記述でよいのではないでしょうか。
- 聖書の記述に基づいて、聖霊は人格的存在ではないと考える人もいる。現代ではエホバの証人, (教派名列挙)...などがこの説を支持している。具体的には、次のように論じられている。……
- Yugui 07:44 2004年2月17日 (UTC)
Yugui氏の方法であるならば支持します。弾圧してこなかった訳ではないが、K.M.氏の書いているのは他派とは無縁でしょう。それとK.M.氏の例示している記事もコピペじゃないのか疑問ですがイギリスの話で、ローマとは縁が薄くなってしまっている時代です。Johncapistrano 08:00 2004年2月17日 (UTC)
英国国教会の間違いでした。K.M.
三位と一性
[編集]>聖霊は人格的存在であり、“神”の一部であるという教え(三位一体論)
聖霊は位格を持った自立存在であり、唯一の神性の実体を共有する位格の一つである。
のような気がします。“神”の一部というのは表現として変だと思います。Haruka
同意します。「部分」というのは三一論の理解としては正しくありません。
むしろ三神論的解釈というべきでしょう。KIZU
派生的議論
[編集]「聖隷」とはどの教派で言われているのでしょうか。少なくとも、すべての教派の用語ではないと思いますので。Haruka
私もはじめてみました。出典がぜひほしいところです。KIZU
- 聖隷三方原病院が有名ですよね(有名なんです。いろんな研究発表やってるんで)。系列の聖隷クリストファー大学が、ウェブサイトの中で「自分たちが言い出した」と言っています。http://www.seirei.ac.jp/web/kengaku/p4/index.html
- どこの教派だとはひとことも言っていませんが。Sampo 09:13 2004年2月19日 (UTC)
ぐぐったら創設者長谷川保氏は“近代福祉の祖”といわれる、だそうで……。福祉施設の最初の名前がベテルホーム、これはなんか聞いたことがあります。カトリックなら修道会名など書くでしょうから、特定教派の運営によらない、と考えるのが自然かと。推測ですが。正教会の方ではないと思います。正教会読みだとベテルはベテルにならないはずなので(うろ覚え)。KIZU
http://www.seirei.ac.jp/web/kengaku/p4/main.html のページには、「『聖隷』とは『聖なる神の奴隷』を意味しています。」となっています。 編集が解禁になったときは、聖隷と呼ぶ教派もあると付記してほしいです。 ちなみに、アルバート・アットウェル博士がメソジストという可能性があると思います。 http://www.nwfdailynews.com/archive/obituaries/990323briefs5.html Haruka
- このページを見ると、聖隷クリストファー大学の英語名が"Seirei"になっており、国際的な用語の和訳ではなく造語であることが示唆されます。この点から、どこどこの教派の用語という表現は見合わないかも知れません。Sampo 18:39 2004年2月20日 (UTC)
それなら、一部のキリスト教系団体が使用する造語というふうに限定してもらいたいです。
それに、
http://www.seirei.ac.jp/web/kengaku/p4/main.html
の文意から考えて、聖なる神の奴隷は聖霊ではなく聖徒を指しているように思えますが。Haruka
それなら、本項目にも「意味の違う聖隷と紛らわしい」と付記してもらいたいです。Haruka
- あ、まちがい。精霊でなくて聖霊ですね。聖隷と紛らわしいと書いてあるのは。少なくとも、表記が二通りあるという意味ではなく、同音異義語があるので注意、という風に読めます。Sampo 07:22 2004年2月22日 (UTC)
そもそも、
>キリスト教では、「せいれい」と発音して、「聖隷」・・・
のくだりの文意が非常に曖昧なので、「意味の違う聖隷と紛らわしい」に書き換えるか削除した方がいいかもしれません。かえって紛らわしいです^^。Haruka