ノート:藤井寺球場
219.122.130.55氏の書き換え記事のリバートについて
[編集]219.122.130.55氏は、本記事の「歴史」の項において、私が加筆・修正を加えた記事について元に戻す修正を行っています(2006年6月3日 (土) 17:11 の版 なお、5月1日修正の218.42.204.19も類似の修正があり同氏と推定される)。この内容について、私には、下記のような点で、同氏が合理的な理由なく自身の表記であることにこだわって修正しているとしかと思われません。よって、再度リバートするとともに、同氏が再度同様に修正する場合には、合理的な根拠を明示するよう求めます。
1)同氏の記事に主観的記述が散見されること。
- (引用)「・・・日本最大の私鉄である近鉄が頭を下げてローカル鉄道並の路線網しか持たない南海の施設を使わなければならないのかと、屈辱的な出来事だった。」
2)私が時系列に沿うよう修正した部分をあえて自身の表記に戻していること。
- (例)1989年の日本シリーズの記事を、ナイター化以前の部分に記述しているが、この位置で日本シリーズの勝敗まで記載する必然性はないと私は考えます。
3)日時、数値データや修正した表現を一方的に削除したり元に戻したりしていること。
- (例)改修工事計画の発表時期、ナイター設備の完成日、球場敷地の売却面積の削除。
- (例)私が記載したが、後に自ら客観性を欠くと判断して削除した「ソフトボールの日本への普及・・・・(略)」を一方的に元に戻すなど
4)文章的に稚拙な表現をあえて復活している。
- (引用)「・・・照明設備がなく、公式戦をナイトゲームで開催する事ができず、」(表現の重複)
- (引用)「撤去工事の予定は未定だったが(略)四天王寺学園に売却すると(略)明らかになった」(文の前と後で意味がかみ合っていない) ----Komura Jutaro 2006年6月18日 (日) 17:12 (UTC)
- 下記と同一利用者と思われる219.122.130.55氏は、全く上記に対して返答せず、一方的に書き換えを続けています。この方と違い、私は自分の記事に固執するつもりはなく、合理的なものであれば他の方に積極的にご参加いただき、よりよい記述になればと思っています。しかし、現状では他の方が、同氏の一方的な書き換えに対応いただいており、記事の充実にマイナスでしかありません。同氏はただちに一方的な書き換えを止めるか、上記の点に応えるべきです。
- 2006年6月20日、11:55、218.42.204.73
- 2006年6月25日、16:49、219.122.130.87
- 2006年6月30日、20:26、211.18.204.251
- 2006年7月8日、20:21、218.42.204.23
- 2006年7月15日、15:47、219.122.130.242
- ケイ・オプティコム利用。
- ----Komura Jutaro 2006年7月16日 (日) 16:51 (UTC)
日生球場について
[編集]"しかし、社会人野球チームを持つ日本生命保険相互会社から賃借していた球場だったため、収容人員が少なく(約20,500人)、グラウンドは狭く、照明が他球場に比べて暗いなど、プロ野球興行に適しているとはいえなかった。"
という記述が本文中にありますが、日生球場のナイター設備はフランチャイズ化された1958年に近鉄によって建設・譲渡されたもので、それ以前は日生球場に照明はありませんでした。日本生命球場史p.22には"この時期としては日本で一番明るいナイター設備であった。"とあり、後の時代に陳腐化しただけではないでしょうか。--125.4.73.41 2008年10月18日 (土) 16:55 (UTC)
改名提案
[編集]Wikipedia:記事名の付け方#正式な名称を使うことに反するため、正式名称の「近鉄藤井寺球場」に改名提案する。「藤井寺球場」は同記事名のリダイレクトにする。なお、移動については「藤井寺球場」に複数の経歴が存在するので、移動依頼を要する。--teru 2009年1月24日 (土) 12:13 (UTC)
改名についての再提案
[編集]上の項で提案されている「近鉄藤井寺球場」への改名について再度提案します。--賀正(会話) 2018年5月8日 (火) 05:26 (UTC)
- 報告 「近鉄藤井寺球場」への移動対処としてWikipedia:移動依頼へ提出されていましたが、管理者より「提案不備および合意形成不十分」として却下されております。--Challemoni(会話) 2018年6月10日 (日) 08:24 (UTC)
藤井寺球場の改修について
[編集]年月を提示できる文献を所有しておりませんので記事には反映しませんが、記憶や映像からある程度の情報提供は可能なためメモ程度に書いておきます。 藤井寺球場は1999年に一軍公式戦で使われなくなってから外野フェンスの改修が行われ拡張されており、確か2001年頃にはスポーツ雑誌の記述で両翼97.6mになっていた記憶があります。
また、記事内ではフェンス5m(フェンス2m、金網3m)となっていますが、これは80年代後半から90年代の話のようです。 1986年西武戦での1イニング6HRの映像では外野フェンスに金網がなく、選手がよじ登って高さ2mぐらいのフェンスにお腹をのせ、外野スタンド側まで体を伸ばして打球を何とか取ろうとしている姿が確認できます。 1988年の公式戦の映像では外野の高い金網フェンスが確認できるため、1986年オフから1988年開幕の間に金網フェンスの設置が行われたものと考えられます。 --竹光(会話) 2024年5月12日 (日) 20:11 (UTC)