ノート:豊饒の海
タイトル変更の提案
[編集]月面の地形の名称の方が有名と考えます。本記事を改名してこの項目は曖昧化することを提案します。219.107.198.147 2005年11月11日 (金) 17:00 (UTC)
- 「豊かの海」の名称の方が一般的で、記事もあります。こういう場合はどうすればいいのでしょう?DOERAX 2005年11月12日 (土) 11:53 (UTC)
斎藤史
[編集]斎藤史が鬼頭槇子のモデルであると書かれています。要出典タグが貼られてからだいぶたつようです。人物像は被るので本当っぽいのですが実際のところどうなのでしょう?どなたか詳しい方教えてください。また出典も付していただけたら幸いです。--Old jacket(会話) 2015年12月3日 (木) 10:01 (UTC)
- google books を覗き見しただけなのですが、有元伸子『三島由紀夫: 物語る力とジェンダー : 「豊饒の海」の世界』翰林書房、2010年、199頁に「村松剛は、名前は伏せつつも、槇子のモデルが斎藤史であることを示唆している」とあります。『三島由紀夫の世界』の「IV 行動者― 集団という橋」 (新潮社、一九九〇年) が元ネタのようです。ただ、私は「詳しい方」ではないので、利用者:みしまるももさんあたりに確認をとられたほうがよいかと思います。Takabeg(会話) 2015年12月23日 (水) 12:17 (UTC)
Old jacketさん、Takabegさん、こんにちは。村松剛の『三島由紀夫の世界』を確認したところ、「この小説のなかで実在の人物を想起させるのは、現役の陸軍中将鬼頭謙輔とその娘の慎子くらいだろう」と言及している箇所がありますが、明確に斎藤史とは書いてはいませんでした。あと、岡山典弘の『三島由紀夫外伝』の中で、「鬼頭慎子のモデルが斎藤史だというのは、工藤(工藤美代子)の妄想にすぎない」と触れている部分があったので、出典名がどれかは定かではないですが(『昭和維新の朝――二・二六事件と軍師齋藤瀏』の可能性が高い)、この説は工藤美代子が唱えているようです。あとで、このモデル説について、岡山の出典を付けて補足しておきますね。--みしまるもも(会話) 2015年12月24日 (木) 00:48 (UTC) 補足しておきました。修正--みしまるもも(会話) 2015年12月24日 (木) 07:02 (UTC)
- 詳しく調べてくださってありがとうございます。これだけしっかりした記事に要出典タグが貼られていてもったいなさがあったのですが解消されました。執筆者さんも文献をきちんと参考とされていますので良質な記事など目指せるのではないでしょうか。--Old jacket(会話) 2015年12月26日 (土) 01:24 (UTC)
コメント みしまるももさん、Old jacketさん、ソースを検証してみましたので再検証してみていただければ幸いです。
まず、齋藤史「おやじとわたし―二・二六事件余談」『遠景近景』大和書房、1980年8月10日、0012-000990-4406、223頁には、
また、三島由紀夫の小説「奔馬」の中に歌人の軍人の娘でやはり歌をつくる女―というのがちょっと出てまいります。わたくしがモデルか?ときかれることがございますけれども、わたくし三島氏には逢った事がございません。これはもしかしたら、若いころのわたくしの随筆集の中に、そうした場面があるのをお読みになっていて、お使いになったのかもしれないと思います。
とあります。つまり、齋藤史自身は、三島が自分をモデルにした可能性が皆無であるとは思っていないようです。ちなみに、これは1980年に書かれた (NHKラジオで読まれた)もののようです。
次に、松村剛『三島由紀夫の世界』新潮社、平成2年9月10日、ISBN 4-10-321402-3、456頁には、
『奔馬』のえがく未遂クー・デタには、特定のモデルはないと三島はいっていた。
神兵隊事件の関係者や北一輝の息子を主人公とする構想は、四部作の第一巻にとりかかった時点で棄てられたようである。
高名な将軍歌人の娘と二・二六事件の栗原安秀中尉とが親しかったように、飯沼勲も歌人である鬼頭の家によく出入りし、槇子にほのかな恋心を抱いた。決行の四日まえに彼は槇子に別れの挨拶に行き、予定の日どりを彼女にだけはつい洩らしてしまう。槇子はそれを勲の父親に電話で告げ、父親は息子を無謀な暴発から救うために警察に密告する。
この小説のなかで実在の人物を想起させるのは、退役の陸軍中将鬼頭謙輔とその娘の槇子くらいだろう。
とあります。村松剛は、モデルとは言わずに「実在の人物を想起させる」という表現にとどめていはいますが、「退役の陸軍中将鬼頭謙輔とその娘の槇子」に該当するのは、齋藤瀏と齋藤史以外にはいません。
齋藤史 樋口覚『ひたくれなゐの人生』三輪書店、1995年2月14日、ISBN 4-89590-036-3、89~90頁には、
樋口覚:史さんにとっては二・二六があり、友人たちの死やお父様の刑があったわけですが、戦後、北一輝や磯部浅一の著作が読まれ、三島由紀夫自身も天皇個人に対して怨みをのんで死んでいった。死んだ中井英夫は、『春の雪』のヒロインの聰子は史さんだとどこかで書いていますが、いろいろないきさつがありました。その点、昭和天皇崩御のあと、史さんにおける昭和天皇に対する思いというか、ルサンチマンっていうんですか、そこはどうなのでしょう。 齋藤史:買い被りすぎていますよ、皆さん。私を。
というやりとりがあります。中井英夫による「聰子=史」説があるようですね。ただ、私は、中井の書いた原典を発見できませんでした。
そして、工藤美代子『昭和維新の朝―二・二六事件と軍師 齋藤瀏』日本経済新聞出版社、2008年1月7日、ISBN 978-4-532-16648-9、336~337頁には、
三島由紀夫の『春の雪』の主人公松枝清顕の恋人綾蔵聡子を史に重ねるのはいささか無理があるかもしれない。清顕は公爵家の嫡男であり、聡子は伯爵家令嬢である。ただ、日露戦役勝利直後の時代背景や、いろいろとしつらえた死の儀式にその影を読み取る読者もいるかもしれない。
史のモデル説について言うのなら、むしろ第二部『奔馬』の方がふさわしいのではないだろうか。
『奔馬』に登場する歌人将軍の娘の名は槇子である。槇子は三島の表現によれば、史自身が「買い被りすぎ」だと照れながら言うのもわかるほどのただならぬ美しい翳りを漂わせる。
(中略)
とありますので、工藤自身もモデルであるとは言い切っていないようです。「おやじとわたし」、『三島由紀夫の世界』などと併せて考えるとそうした俗説が流布されていたのは間違いなさそうに思います。「槇子は三島の表現によれば、史自身が「買い被りすぎ」だと照れながら言うのもわかるほどのただならぬ美しい翳りを漂わせる。」という一文はまさに妄想と呼ぶにふさわしいと思ってしまいましたが、岡山が書いているのも正確ではなくて、工藤は、中井英夫による「聰子=史」説だったら、まだ「槇子=史」説のほうがありそうだということを書いているだけで、「鬼頭槇子のモデルは斎藤史だとする"珍説"」を展開しているわけではないと思いますが、いかがでしょうか?
ちなみに、岡山から引用しておきますと:
どうやら工藤には、取材した相手の話を鵜呑みにして書くという"癖"がある。ほかにも工藤は、三島の『奔馬』に登場する女流歌人・鬼頭槇子のモデルは斎藤史だとする"珍説"を展開している。鬼頭槇子のモデルが斎藤史だというのは、工藤の妄想にすぎない。これについては、稿を改めて論じたい (岡山典弘『三島由紀夫外伝』彩流社、2014年11月25日、ISBN 978-4-7791-7022-5、163頁)。
ということになります。岡山が同書の「美智子様の御成婚を祝するカンタータ」のところでも触れているように、確かに工藤には脇の甘さというか思い込みの激しさというか、そういうのはあるのではないかなぁとは思いますが、「工藤の妄想にすぎない」と言い切ってしまうのも、かなり無理があります。工藤独自の説というわけではないようですし。。。別稿に期待しましょう。Takabeg(会話) 2015年12月27日 (日) 17:01 (UTC)
- Takabegさん、様々な資料を当たっていただき、どうもありがとうございます。とても参考になりました。斎藤史の当該部に出典を補足しておきます。「聡子」のモデルについては、三島がお見合いをしたことがある美智子さまだという説や、初恋の三谷邦子だという説もあるし、いろんな見方があるようです。様々な推測が生れるところも作品の魅力でしょうか。「慎子=斎藤史」説を、岡山がどういう意味で、あれほど強く否定しているのか、知りたいところですね。--みしまるもも(会話) 2015年12月28日 (月) 02:44 (UTC)
- Takabegさん、お調べくださってありがとうございます。大変だったと思います。三島は鬼頭槇子についても聡子についてもモデルは誰とは明言をしなかった。しかし、多くの専門家がそのモデルを推定し、研究してきたという事実があったということがよく分かりました。ご本人が明言されずに他界されてしまいましたので、永遠の謎ということでなかなか面白い話だと思います。記事の中で研究者によって誰々説があるなど記載されることにより、実際の時代背景への興味も湧きますし作品への理解も深まりますね。--Old jacket(会話) 2015年12月28日 (月) 12:17 (UTC)
みしまるももさん、Old jacketさん、お久しぶりです。岡山さんは「別稿」を発表したのでしょうか? ご存知でしたらお教えください。是非とも読んでみたいので。--Takabeg(会話) 2019年7月15日 (月) 12:08 (UTC)
- Takabegさん 、こんにちは。岡山典弘が他の文で鬼頭槇子のモデルについて書いているか、よく調べていないので不明ですが、2016年3月に『三島由紀夫の源流』 (新典社)という本を出していて、その第3章に「奔馬」に触れているようなので([1])、もしかしたらそこの何かプラスαが書かれているかもしれません。ただその章論の初出は『三島由紀夫外伝』より早い2014年5月に『三島由紀夫研究⑭ 鏡子の家』の中で発表されたものなので([2])、別稿かどうかは今一つ分からないところです。でも今のところそれが「奔馬」について語っている他の文なので、私も読んで確認してみようと思います。--みしまるもも(会話) 2019年7月16日 (火) 01:27 (UTC)