ノート:足利氏
「武家のテンプレート」を試作
[編集]武家のテンプレートを試作しました。皆様の意見を伺う為に有名な足利氏に適用してみます。どうでしょうか? ご意見お待ちしてます。以下に試作の意図などを記します。
- 色
- ウィキペディアが多用している色です。収まりの良さを重視しました。
- 家紋
- 有った方が良いだろうとは思うのですが、複雑な図形も多く全て描くとなると大変です。ウェブ上には家紋の画像を公開しているサイトも多いので、そういった所の物を使わせてもらう事が出来れば良いのでしょうが・・
- 門地
- 現在の武家の記事において、門地の定かな場合は概ね記述されている様です。
- 発祥
- 氏の名前の由来です。門地と同じで、定かな場合は概ね記述されている様です。
今回は加えていませんが、以下の項目も検討しました。
- 本姓
- 源平藤橘などを書くと良いかと考えましたが、門地にした方が情報量が多いため、加えませんでした。
- 菩提寺
- 時代により変わっている武家もあるでしょうから、加えませんでした。
--俊 2005年2月18日 (金) 15:55 (UTC)
- 今になって思うと、まぁ表にするほどの内容でも無いですね。--俊 2006年5月12日 (金) 10:26 (UTC)
喜連川足利家16代当主
[編集]喜連川足利家には16代当主足利公平氏がいて、龍光寺(栃木県さくら市)の祭祀も公平氏が行っています。平島公方家も祭祀を執り行っているのかもしれませんが、公平氏の存在を無視するのは適当でないのでは。--以上の署名のないコメントは、61.204.209.246(会話/Whois)さんが 2006-12-18 18:09:27 (UTC) に投稿したものです。
- ウィキペディアへの加筆はそれぞれの執筆者が自分の手持ちの情報を利用しておこなっているので、意図的に無視しているわけではないかと思います。あなたが公平氏と
仙台先代の喜連川足利家当主との続柄などを調査した上で、載せるに値すると第三者が判断できるほどの材料がそろったら、ご自分で加筆されればよろしいかと思われます。なお、ノートでの発言には所定の書式に基づいて署名を付加してください。--61.125.254.155 2006年12月18日 (月) 19:53 (UTC)(--訂正。61.125.254.155 2006年12月18日 (月) 19:56 (UTC))
逆では? 「稲村御所」と「篠川御所」
[編集]足利満直と足利満貞の記事は「稲村御所」、「篠川御所」の部分が逆ではないですか?
--58.0.88.12 2008年12月15日 (月) 22:50 (UTC)
家紋
[編集]足利家の二つ引の紋は○に2本線が入ったものではないでしょうか。太平記でも足利方敗残兵が二つ引の間を塗りつぶして新田氏の大中黒に偽装したという記述があるようですが。--Extrahitz 2009年4月5日 (日) 18:15 (UTC)
画像ファイルを作成しました。--Extrahitz 2009年4月6日 (月) 01:15 (UTC)
←の紋で間違いないとは思いますが、なにぶんかなり長期間、多くの記事に疑問が投げられた形跡なく貼り続けられていたものですので、しばらく待って異論がなければ貼り換えをしたいと思います。--Extrahitz 2009年4月6日 (月) 08:35 (UTC)
- こういうのもあるようなので、よく調べてみる必要がありそうです。
- できれば資料・文献による裏づけを取って、そのうえで編集していただければと思います。--Horlicks 2009年4月8日 (水) 10:54 (UTC)
(コメント)こんにちは。足利氏が特に用いた図案は、ご指摘の「丸に二つ引」ではなく、現行の記事に貼られている「足利二つ引」のようです。(高澤等著『家紋の事典』東京堂出版 2008年)--ムカイ 2009年4月8日 (水) 13:40 (UTC)
- ご教示頂きありがとうございます。提案は一旦取り下げます。--Extrahitz 2009年4月9日 (木) 01:48 (UTC)
喜連川系足利家について
[編集]Law somaさんが提示されました『花の乱-NHK大河ドラマ・ストーリー』が手元にあるので、ページ数を付記しました。少し気になるのは、そのページでは26代目を足利惇氏氏、惇氏氏の死後、甥の浩平氏が27代になったという言い回しをしていることです。足利基氏を初代とする数え方をしているようなので、現在の喜連川系足利家が足利氏宗家の祭祀を継承しているのかは不明です。しかし現状の記述では喜連川系足利家が祭祀を継承しているとも解釈されかねません。この部分の直前の要出典箇所を除去すれば誤解されないと思いますがいかがでしょうか。なお、同じ本のp179-180に平島系足利家についての記述がありますが、祭祀がどうなっているのかは言及されていません。皆さんのご意見をいただければと思います。--まさふゆ 2011年12月16日 (金) 09:41 (UTC) / 誤字があったので修正。--まさふゆ 2012年1月16日 (月) 09:58 (UTC)
- まさふゆさん、ページ数の付記ありがとうございました。おっしゃるとおり出典には祭祀は言及されておりませんし、前段には出典自体がありませんので同意します。--ろう(Law soma) D C 2011年12月19日 (月) 03:01 (UTC)
- ご意見ありがとうございます。要出典の平島系についての記述を除去しました。--まさふゆ 2012年1月16日 (月) 09:58 (UTC)
足利氏諸家関連の改名提案
[編集]先行事例をCategory‐ノート:日本の氏族#個別カテゴリ関連の提案やさらにそのリンク先に示していますが、足利将軍家連枝やその末裔の諸家の記事・カテゴリ・テンプレートについて、以下の改名を提案します。
- Category:関東足利氏 → Category:関東足利家
- Category:平島足利氏 → Category:平島足利家
- Category:宮原氏 → Category:宮原家
- Category:喜連川氏 → Category:喜連川家
--エンタシス(会話) 2019年4月21日 (日) 11:49 (UTC)
- 理由は何でしょうか? 先行事例を見てもあまり明確ではないと思いました。正直、自分自身でも「~家」と「~氏」の使い分けはよく悩むので、ルールさえ明確なら良いと思います。中世関連の文献は「~氏」、近世関連の文献は「~家」が多いような印象がありますが、例外も多いようです。
--冬扇(会話)- そもそも中世以前の氏族は系譜関係が詳らかでないことが多く、同じ苗字を名乗った〇〇氏であっても、同じ家系を構成する〇〇家であるかどうかは不明瞭なことが多いのではないかと。根城南部氏と三戸南部氏が本当に同じ「南部家」なのかどうか、とか。その点で、系譜が比較的明らかになる江戸時代以降を除き、〇〇氏を一律で〇〇家に変換することには抵抗感があります。これは足利氏に限った話ではないので、ここに返信するのも変かもしれませんが。--Rasalghul(会話) 2019年4月21日 (日) 13:47 (UTC)
- それはむしろ話が逆で、一つの家系として縦の線がつながっているのが確認できる場合に「家」を用いる理屈です。それと、基本は近世以降に「家」を用いるのを原則にしています。関東足利「家」は時代的には少し早いですが、これは氏素性が明確な上、「足利将軍家」の分家であります。--エンタシス(会話) 2019年4月21日 (日) 14:27 (UTC)
- そもそも中世以前の氏族は系譜関係が詳らかでないことが多く、同じ苗字を名乗った〇〇氏であっても、同じ家系を構成する〇〇家であるかどうかは不明瞭なことが多いのではないかと。根城南部氏と三戸南部氏が本当に同じ「南部家」なのかどうか、とか。その点で、系譜が比較的明らかになる江戸時代以降を除き、〇〇氏を一律で〇〇家に変換することには抵抗感があります。これは足利氏に限った話ではないので、ここに返信するのも変かもしれませんが。--Rasalghul(会話) 2019年4月21日 (日) 13:47 (UTC)
- ご説明いただきありがとうございます。明確な基準のもとに改名提案を実施されているのであれば、安心しました。ただ、個別のことでいうと関東足利家という名前はそれはそれでどうなのかという気がしました。足利荘が本貫である足利氏は、将軍家も平島公方家も藤姓足利氏も、全部「関東足利家」と括り得るのではないでしょうか(これはそもそも「関東足利氏」であっても同じことですが)。そのため、どなたの提案であったか今ちょっと失念してしまいましたが、Category:鎌倉公方足利家ないしCategory:関東公方足利家という案がよいと思いました。--Rasalghul(会話) 2019年4月21日 (日) 14:41 (UTC)
- 私もそれは気になり、機械的に「氏」を「家」に置き換えて提案する前に確認はしたのですが、「関東(鎌倉)公方系足利家」を「関東足利家」と呼称する用例は存在するので、カテゴリ名として用いた上で定義で基氏系と明記すれば問題ないだろうと判断しました。--エンタシス(会話) 2019年4月21日 (日) 15:17 (UTC)
- 「関東足利氏」の名称に関してですが、「関東足利氏研究会」という名の学会が存在し、また戎光祥出版社から『関東足利氏の歴史』というシリーズ本が出版され、他にも岩田書院から『関東足利氏と東国社会』という本が出版されていることが示すように、我が国の研究者たちの間では一定の間使用されているそうです。もっとも、「関東公方家」に関しては基氏に始まる鎌倉公方家の系統以外にも、その兄である2代将軍義詮の子孫で平島公方家や晩期の室町幕府将軍を輩出した堀越公方家も含まれています。以上のことから、新たにCategory:鎌倉公方足利家、Category:堀越公方足利家を作成して、その上位カテゴリ、さらには、前者の後身である喜連川藩主家や足利子爵家もひっくるめた形でのCategory:関東足利氏がありえると思います。もっとも、その場合でしたら、上記の提言案のようにCategory:関東公方足利家に改名した方が良いのかもしれませんが。--220.216.89.204 2019年4月21日 (日) 19:20 (UTC)
- 私もそれは気になり、機械的に「氏」を「家」に置き換えて提案する前に確認はしたのですが、「関東(鎌倉)公方系足利家」を「関東足利家」と呼称する用例は存在するので、カテゴリ名として用いた上で定義で基氏系と明記すれば問題ないだろうと判断しました。--エンタシス(会話) 2019年4月21日 (日) 15:17 (UTC)
- ご説明いただきありがとうございます。明確な基準のもとに改名提案を実施されているのであれば、安心しました。ただ、個別のことでいうと関東足利家という名前はそれはそれでどうなのかという気がしました。足利荘が本貫である足利氏は、将軍家も平島公方家も藤姓足利氏も、全部「関東足利家」と括り得るのではないでしょうか(これはそもそも「関東足利氏」であっても同じことですが)。そのため、どなたの提案であったか今ちょっと失念してしまいましたが、Category:鎌倉公方足利家ないしCategory:関東公方足利家という案がよいと思いました。--Rasalghul(会話) 2019年4月21日 (日) 14:41 (UTC)
- 堀越公方系を足利将軍家から区分したり、関東公方系として一括するつもりは私にも、おそらくカテゴリ作成者にもありません。もし「関東足利」がそうした定義というのが正しいというのであれば、Category:関東足利氏のCategory:鎌倉公方足利家への改名のみ行うことで正すことにします。念のため付け足すと、「鎌倉公方」を付しますが、古河公方系や小弓公方系も含めます。--エンタシス(会話) 2019年4月22日 (月) 03:43 (UTC)
- 機械的に「家」にするのではない、理由が明確であることが分かったので賛成します。なお分かりやすい位置に、「氏」ではなく「家」とした理由を明記してあるとよいと思いました。ご検討ください。例えば、関東足利家では、カテゴリーのページ冒頭説明に「関東足利氏という用例もあるが、同一氏族のうち、系譜が明確な場合は「~氏」ではなく「~家」とした。」と追記するような方法です。--冬扇(会話) 2019年4月22日 (月) 09:04 (UTC)
- 堀越公方系を足利将軍家から区分したり、関東公方系として一括するつもりは私にも、おそらくカテゴリ作成者にもありません。もし「関東足利」がそうした定義というのが正しいというのであれば、Category:関東足利氏のCategory:鎌倉公方足利家への改名のみ行うことで正すことにします。念のため付け足すと、「鎌倉公方」を付しますが、古河公方系や小弓公方系も含めます。--エンタシス(会話) 2019年4月22日 (月) 03:43 (UTC)
おおよそ同意が得られたようです。宮原、喜連川は原案通りで、数日の後に改名に着手したいと思います。その他については、ご意見を色々といただく中で再検討し、以下のようなカテゴリ構成を考えました。
「関東足利氏/家」は、名称としてこれで問題なく、ただし書きを付ければ基氏系に限定しても問題なかろうとも思います。ですが、古河公方系は下位に分けてはどうかと新たに考え、これは「古河公方足利家」と呼ぶことになるため、他の「○○足利家」もこれに揃えた形のものを改めて提案することにしました。--エンタシス(会話) 2019年4月26日 (金) 13:46 (UTC)
- 原案どおりとしたものについて、改名に着手します。--エンタシス(会話) 2019年4月28日 (日) 12:59 (UTC)
- その他のものについて、改名に着手します。--エンタシス(会話) 2019年5月3日 (金) 14:23 (UTC)
- 報告 すべて完了しました。--エンタシス(会話) 2019年5月3日 (金) 17:14 (UTC)
- その他のものについて、改名に着手します。--エンタシス(会話) 2019年5月3日 (金) 14:23 (UTC)