ノート:輪廻
農耕民族に再生思想がみられるということについて
[編集]輪廻思想が、”農耕民族によくみられる再生思想の一形態である。”とする記述への何か資料はあるのでしょうか。 間違っているかもしれませんが、これは、宮元啓一氏の「インド死者の書」という書籍が元ではないでしょうか?この本には、死後にもう一度生まれるという思想は、エジプトのミイラ製造などに見られるという趣旨の記述がありますが、再生と再死を繰り返す輪廻思想は、インドとギリシアでしか現れなかったとしています。
この項目の記述は文脈的に輪廻思想が、農耕民族に起原を持ち、そこから歴史的に発展したかのような印象を受けます。この点を執筆された方は、よろしければ「輪廻思想が、”農耕民族によくみられる再生思想の一形態である。”」という記述の典拠を教えていただきたいのですが。 --Ryo 625 2009年4月2日 (木)
インドの先住民族が輪廻思想を持っていたとする記述について
[編集]"元来は先住民族のものであったとされる輪廻思想がバラモン教に公認された"とありますが、古代インドの先住民が輪廻思想をもっていたことを示す資料はあるのでしょうか。 --Ryo 625 2009年4月2日 (木)
一部転記の提案
[編集]この記事は輪廻(サンサーラ)の記事なので、「その他の地域における輪廻」は「転生」に転記したほうがわかりやすいのではないかと思います。現状では、輪廻と転生がどのように分けられているのか、いまいち理解できません。そうでなければ、「輪廻」も「転生」も「輪廻転生」に統合したほうがわかりやすいです。--やまさきなつこ(会話) 2015年11月6日 (金) 14:45 (UTC)
輪廻をモチーフにした作品について
[編集]輪廻をモチーフにした作品ですが、生まれ変わりを扱っていても、それが輪廻なのかという見極めは難しすぎるので、転生の記事と同じようにカテゴリーを張ればいいと思うのですが、どうでしょうか?漫画でテーマになっているのは、ほとんど近代的な転生観だと思います(「火の鳥」は違うかもしれませんが、生まれ変わるキャラクターが同じ人格、同じ顔だったりするので、輪廻と断言しにくいかなと思います)「境界のRINNE」は、死神が地縛霊を成仏させる話で、これも輪廻とは違いますし(主人公の名前がリンネ)、「輪廻のラグランジェ」も、記事を見る限り輪廻とは関係ないです。単にタイトルに輪廻が入っているのを入れてくれているのかなという感じです。特に異論がなければ削除してカテゴリーのみにしますので、よろしくお願いします。--ジャム・パンナ(会話) 2016年7月18日 (月) 13:52 (UTC)
外部リンクについて
[編集]WP:NOTLINKというルールがあるので、外部リンクを整理したい、できればすべてなくしたいと思います。出典として脚注にあるものは外部リンクに載せる必要はないですし、出典として記事に生かされていないものを載せる必要はないと思います。重要なことが書いてあるサイトなら、その内容を記事に反映して出典として残してください。よろしくお願いします。--ジャム・パンナ(会話) 2016年7月18日 (月) 14:01 (UTC)
- 条件付反対 (1)出典として脚注にあるものは、分割ページされたものの一部にすぎません。正しくリンクに載せる必要があります。(2)出典として記事に生かされていないものは、読者に記事だけでなく他の情報源も提示するものです(WP:ELPOINTS)。削除すべきというルールは聞いたことがありません。(3)輪廻について肯定的意見が2つ、否定的意見が3つ載せてあるだけで肥大化しているとも考えられませんし、この主題は簡単な情報サイトを一つふたつあげればそれでよしとできるほど単純とも思えません。ただし小川一乗、和辻哲郎両氏の論文を転載したリンクは著作権上の問題から削除すべきだと思います。なので、「この2つのリンクだけを削除し、他3つは残すこと」に合意して下さるなら反対を取り下げます--Ryo 625(会話) 2016年7月18日 (月) 17:58 (UTC)
- コメントありがとうございます。この外部リンクを見た時に、なんでこの5つが選ばれているのか全然わかりませんでした。CiNiiにも輪廻がテーマの論文はいっぱいありますが、ウィキペディア以外のサイトから、あえてこの5つを選ぶ理由はわかりませんし、どのサイトを選んでも、輪廻思想のどこを重く考えるか人によって考えは違うと思うので、どのページを紹介するのが正しいかというのは難しいと思います。(なぜ論文じゃなくてテーラワーダ仏教協会の法話なのか?とか、いろいろ不思議です。なので、選ぶこと自体難しいなら、全消去の方が問題は少ないかなと思っています)今の記事に何が欠けていて、なにを補完するためにその外部リンクをつけるか、というはっきりした理由があったらいいですし、そうでないなら特に外部リンクする必要はないように感じます。今の外部リンクを見て、ブッダが輪廻についてどう思っていたかを補完したいなら、記事の中でそのことを描けばいいのにと思いました。著作権的にNGのサイトはもちろん削除です。
- 他のページでも、注釈にそのサイトを使っている場合、もうページにあるので外部リンクには載せていないと思うのですけどどうでしょうか。さらなる情報というのにならないですし、重複になるので。--ジャム・パンナ(会話) 2016年7月19日 (火) 13:22 (UTC)
- コメントすでに脚注に用いてある出典は取り除いてみました。全消去はあまりに極端すぎると思いますね。それだったらウィキペディアに外部リンクという項目を作ってはいけないことになりますから--Ryo 625(会話) 2016年7月22日 (金) 07:46 (UTC)
- ありがとうございます。石飛氏の外部リンクは他に比べると限定的なテーマに見えたので、記事に組み込んでみました。ついでに輪廻の否定まわりを加筆したので、おかしいところがあったら手を入れていただけるとありがたいです。外部リンクは、現状でよければ私からはこれ以上手を入れません。よろしくお願いします。--ジャム・パンナ(会話) 2016年7月22日 (金) 11:57 (UTC)
- すみません。もうひとつのQ&Aの外部リンクも記事に組み込みました。これ以上は加筆修正はしません。よろしくお願いします。--ジャム・パンナ(会話) 2016年7月22日 (金) 12:29 (UTC)
- ありがとうございます。石飛氏の外部リンクは他に比べると限定的なテーマに見えたので、記事に組み込んでみました。ついでに輪廻の否定まわりを加筆したので、おかしいところがあったら手を入れていただけるとありがたいです。外部リンクは、現状でよければ私からはこれ以上手を入れません。よろしくお願いします。--ジャム・パンナ(会話) 2016年7月22日 (金) 11:57 (UTC)
- コメントすでに脚注に用いてある出典は取り除いてみました。全消去はあまりに極端すぎると思いますね。それだったらウィキペディアに外部リンクという項目を作ってはいけないことになりますから--Ryo 625(会話) 2016年7月22日 (金) 07:46 (UTC)
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コメントリンクを削除するために無理やり記事に組み込むのは、記事執筆の目的が本末転倒であり、いたずらに記述が肥大化するだけで難読となり、本文が非整合的になるためジャム・パンナさんの方針には反対です。--Ryo 625(会話) 2016年7月22日 (金) 14:02 (UTC)
- 本文中に用いた出典を外部リンクしてはいけないというルールもないし、本文中に矢継ぎ早に組みこむことによって外部リンクを抹消してもよいというルールもありません。本文執筆にあたってそのような合意をしたわけではないことを明記しておきます--Ryo 625(会話) 2016年7月22日 (金) 14:10 (UTC)
- 石飛氏の外部リンクは、ご自分の論文を読んだことが前提のエッセイみたいなもので、これ単体では情報が少なく(何が言いたいのか掴めなくて、何度か読み直しましたが、たぶん元の論文読んだ方がいい文章に見えます)、外部リンクとしては適当に見えません。また浄土真宗本願寺派東海教区仏教青年連盟のQ&Aも、あくまで回答している人の個人的見解で、資料として輪廻の記事を補足するものになっているように見えません。このふたつは外部リンクに必要ですか?仏陀は輪廻を否定したと主張したい人が、その意見に誘導するためにリンクをつけているように見えてしまします。正直、この二つの外部リンクを読んで、このリンクがあって理解が深まったとは感じませんでした。なんでこれ?という感じで、微妙です・・・・なにか別の、もっといいものならいいんですけど。これ、外部リンクとして最適なんでしょうか?必要な情報があるなら記事に組み込んだほうがいいだろうと思ったのですが、記事に組み込むほどの情報もないなら、つける意味あるかなと思っています。
- 加筆部分の整理ありがとうございます。わかりやすいです。日本仏教界で今も議論があるという内容が消えていますが、個人的にこれはあった方がいいと思いました。--ジャム・パンナ(会話) 2016年7月23日 (土) 02:33 (UTC)
- すいません、説明せずに削除してしまいましたが、ブッダの真意がなんであったかという問題は、現在も、少なくとも日本の仏教学会では論争が続いているという論点ですが、ソースをつけるなら松尾氏の論文では文脈的に難しいと思います。氏の論文では大略、「パーリ経典を見れば、「輪廻想念説」を肯定するどころか、「輪廻想念説」を否定する記述ばかりが見つかる。だからこそ日本の学界では(輪廻想念説を肯定をするために)「ブッダの真意」を探ることが問題となり論争が起こっているのだ」という論旨の記述だからです。--Ryo 625(会話) 2016年7月31日 (日) 06:20 (UTC)
- 「「ブッダは輪廻を否定した」という主張が少なくない。」だけだとそっち一辺倒に見えるなぁと思っていたので、現在の形でよいと思います。ご対応ありがとうございます。外部リンクのひとつがインターネットアーカイブだったんですが、これは問題ないですか?内容も、若いお坊さんの情熱があふれてていい内容とは思うんですけど、事典向きには見えないです。--ジャム・パンナ(会話) 2016年8月2日 (火) 11:08 (UTC)
- すみません!外部リンクのところと見るの飛ばしてました。整理ありがとうございます。外部リンクの整理については、これで終了で問題ありません。--ジャム・パンナ(会話) 2016年8月2日 (火) 11:10 (UTC)
- 「「ブッダは輪廻を否定した」という主張が少なくない。」だけだとそっち一辺倒に見えるなぁと思っていたので、現在の形でよいと思います。ご対応ありがとうございます。外部リンクのひとつがインターネットアーカイブだったんですが、これは問題ないですか?内容も、若いお坊さんの情熱があふれてていい内容とは思うんですけど、事典向きには見えないです。--ジャム・パンナ(会話) 2016年8月2日 (火) 11:08 (UTC)
- すいません、説明せずに削除してしまいましたが、ブッダの真意がなんであったかという問題は、現在も、少なくとも日本の仏教学会では論争が続いているという論点ですが、ソースをつけるなら松尾氏の論文では文脈的に難しいと思います。氏の論文では大略、「パーリ経典を見れば、「輪廻想念説」を肯定するどころか、「輪廻想念説」を否定する記述ばかりが見つかる。だからこそ日本の学界では(輪廻想念説を肯定をするために)「ブッダの真意」を探ることが問題となり論争が起こっているのだ」という論旨の記述だからです。--Ryo 625(会話) 2016年7月31日 (日) 06:20 (UTC)
「輪廻転生」の読み
[編集]「りんねてんせい」という読みが書いてあったのを削除しました。「転生」だけなら「てんせい」とも読みますが、「輪廻転生」は全て呉音で「りんねてんしょう」と読むのが一般的です。学研 四字熟語辞典は「りんねてんせい」を誤りとしています[1]。--C2BK(会話) 2022年2月15日 (火) 05:36 (UTC)
「概要」節はない方が見やすいです
[編集]「輪廻」について少し知りたくこの記事を見たら、導入部のあり方をめぐって編集合戦となっていました。「輪廻」について知りたい立場から見ると、「概要」節で導入的な説明がぶつ切りにされているよりも、Yuasanさんがまとめていらした版の方がスムーズに読み進めていける感じがいたしました。--みしまるもも(会話) 2022年10月29日 (土) 11:42 (UTC)
- コメントありがとうございます。私は3段落で構成しておりましたが、今は2段落のものに戻されてしまっているようですね。2段落と3段落では、雑多さにあまり差はないと感じます。--Yuasan(会話) 2022年10月29日 (土) 13:03 (UTC)
- ^ “輪廻転生(りんねてんしょう)の意味・使い方 - 四字熟語一覧”. goo辞書. 2022年2月15日閲覧。