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ノート:郁姫

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内容の検証について

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島津斉宣女(後に兄・斉興養女)の郁姫(興子)は近衛忠煕の正室となり、幕末近衛家薩摩藩の連携に深く関わった女性といわれ、重要人物であることは間違いないのですが、一般向けの歴史書などには記載が少ない「謎」の人物でもあります。

まず、今回の記述では「郁姫は文化4年(1807年)に江戸高輪島津藩邸にて誕生した(中略)母・幸姫は郁姫を生んだその日のうちに死去。」とあります(現状、下線で強調しています)が、手元にあるわずかな史料で確認したところ、佐竹義敦女・幸姫は寛政8年(1796年)6月11日(旧暦)に20歳で死去とあります(『鹿児島県史料集』6「御家譜」)ので10年近くものズレがあります。

また、兄・斉興の側室であるお由羅の方の養女になったとも書かれていますが、これも確認できません。

よって、内容全体の検証が必要かと思われます。記述を肯定できる史料をご存じの方はノートでの情報提供をお願い申し上げます。 --こぶまき 2007年12月25日 (火) 08:44 (UTC)[返信]