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ノート:釈悟震

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出典のある記述を議論なく削除しないでください

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2012年9月15日 (土) 11:26 の編集で、36.2.11.51 さんは、駒澤大学のサイトに記述がある出典付きの別名の記載を削除されました。これは、不適切な編集であると考えましたので、差し戻し、こちらで議論していただけるよう要約欄で誘導しました。

  • この記事の主題である釈悟震が、別名として金漢益としても活動していたことは、駒澤大学のサイトに記述がある典拠に示されおり、第三者言及によって確認されます。また、「釈悟震」で検索してもヒットがない、「金漢益」としての業績もあります。例えば、国立国会図書館の検索における「釈悟震」「金漢益」を見てください。釈悟震金漢益が同一人物であることは、この人物の人物伝の記述として、記述する必要性が高い事実であると考えます。
  • 金漢益は、朝鮮語/韓国語の読みに従えばキム・ハンイク、キム・ハニクなどと表記すべき名ですが、読みについて明確な典拠は、ここで示している駒澤大学の日本語読みのものがあり、これを典拠としています。もし、読みが適切ではないということであれば、別の典拠をお示しください。
  • また、36.2.11.51 さんは、要約欄に「現在はこの名称は使用しておりません。」とお書きですが、これは典拠のない独自研究です。また、「現在は」という言い回しは、過去において、別名としてこの名称が使用されていたことを肯定されていることになります。過去の一時期まで使用していたということであっても「別名」として挙げることが不正確であるとはいえないと思います。もし、より詳細に「○○年ころまで別名として金漢益を使用していた」と記述できるのであれば、その方が望ましいですが、そのように断定する典拠は何かあるのでしょうか?
  • 念のためですが、36.2.11.51 さんが「現在はこの名称は使用しておりません。」と典拠なく断言されるのは、36.2.11.51 さんが、釈悟震=金漢益本人、ないしごく近しい方だという印象を与えます。もし実際にそうであるならば、「Wikipedia:自分自身の記事をつくらない」をご覧いただき、適切なご対応をお願いいたします。--山田晴通会話2012年9月17日 (月) 00:48 (UTC)[返信]
    • 2012年10月6日 (土) 08:29 のIP氏の編集によって、「別名:金 漢益(きん はんいく)」という記述が再び削除されました。IP氏が釈悟震本人であるか否か、要約欄で述べられた「この「名称」は本人の「別名」ではありません。本人は日本に帰化した際に、法務大臣との間で、旧名を破棄して新名を名乗ること...」(以下省略されて判読できない)というコメントが事実なのか、検証可能なのかは分かりませんが、典拠を示した記述の削除を、こちらで対話を呼びかけているにもかかわらず、コメントされないままに強行されたことは遺憾です。とりあえず、「別名」とする記述を復帰し、こちらでの対話を再度呼びかけます。IP氏の主張通りであれば、「別名」ではなく「旧名」とするのが好ましいかとは思いますが、現時点では「別名」のままでの復帰とします。--山田晴通会話2012年10月6日 (土) 08:52 (UTC)[返信]

上記ノートでIP氏と名指されている者です。すみません、私はwikiの操作について詳しくありませんので、どこに何を書くのが「ルール」なのかも分かりませんし、対話を呼びかけられていると言うことも知りませんでした。ただここに書き込む人間がみな貴方がた編集委員にようにwikiの操作に詳しい者ばかりでないことはご承知おきください。「ルール」を知っていることが前提の編集委員同士の議論の際のように「ルール」を持ち出しだされ、「適切なご対応をお願いいたします」といわれても、こちらは対応できません。さて、ご指摘の通り、私は本人と近しい関係にある者で、本人から話を聞いて、それをもとに書いています。たしかに貴方がご指摘のように、本人は「旧名」を”金漢益”といい、この名での学問上の業績もあります。著作物もあります。だから貴方がお書きになっている記述はその意味では正しいものです。ただ、問題はそういうことではないのです。本人は2004年に日本に帰化し、その時に、”金漢益”という俗名を廃して、自身の法名/僧名であった”釈悟震”を「本名」として登録しました。ですから、日本の戸籍上では唯一”釈悟震”という名前のみが登録されているということになります。山田様はもしかしたら、本人の帰化後の日本人としての名前が従来の僧名と同じであることから、本人が単純に僧名を使うことを好み、俗名の方をあえて使わないようにしている、というように理解されて、「別名」云々ということを言われているのかもしれませんが、事実としては、上記のように、正当な法的手続きをとって帰化し、その際に”釈悟震”という名前を日本人名として戸籍に登録したということになりますから、本来そもそも「別名」などというものが存在していないのです。また、法的な手続きに則って、帰化以降は破棄した旧名は公には使わないということを誓約しているので、ここで「別名」という書き方をされると、その誓約に抵触しかねないわけです。それで本人が迷惑している、ということを先日来申し上げている次第です。山田様の書いていらっしゃる個々のデータは確かに正確です。一点を除いて間違いはありません。しかし、そのただ一点、「旧名」と「別名」の使い分け方と、それに派生して生じる問題について少々無頓着でいらっしゃることが大きな問題で、それゆえに本人の社会的立場に深刻なダメージが生じかねないため、ご配慮願います、ということを先般より申し上げているのです。そもそもwikiの「ルール」にも、「本人が希望しない情報を書かない」といったものがあったかと思いますが、ここの記述をもとに何か本人に被害が生じたさいに山田様はきちんと責任をとって下さるご覚悟はおありなのでしょうか? 事情については今、説明いたしましたので、以後、「知らぬ」「存ぜぬ」はなしに願います。その上でなおかつ「別名」という言葉の使用を強行される場合には、こちらとしてもしかるべき手段をとらせていただきますので、ご承知おきください。以上です。   追伸:本人の一番の希望は項目自体の削除です。しかし、現実問題として、項目を何度削除しても削除を撤回されるということが続いているため、仕方なく「旧名」であるなら目をつぶろう、と言っております。ここが譲歩の限界点ですので、どうぞご承知おきください。この点、上で「IP氏の主張通りであれば、『別名』ではなく『旧名』とするのが好ましいかとは思いますが」と書いて下さっているので、お互いここで歩み寄れるだろうと楽観的に考えております。——以上の署名の無いコメントは、157.14.180.240ノート/Whois)さんが 2012年10月19日 (金) 10:01 (UTC) に投稿したものです(山田晴通会話)による付記)。[返信]

  • IP氏(36.2.74.145)は、「事実とは違うから」という要約欄のコメントとともに「別名:金 漢益(きん はんいく)」という記述を削除されていますが、この記事の人物について、「釈悟震」「金漢益」の2つの名が同一人物に使われていることは、典拠によって明示されています。しかし、それぞれの名が、本名であるのか、通名であるのか、僧名その他の職業上の名であるのか、滔々の事情については、こちらのノートにIP氏(157.14.180.240)によって縷々述べられていますが、典拠は何も示されていません。「Wikipedia:検証可能性」をご覧いただけば、事実か否かよりも、検証可能性が重要であることはご理解いただけるものと思います。こ繰り返しになりますが、この状態であれば、本来なら「釈悟震」と「金漢益」が同一人物であること、すなわち、「釈悟震」を中心に記述するのであれば、別名が「金漢益」であるとするのが最も適切な書き方であるというのが、山田の判断です。
  • ウィキペディアにある諸々のルールを承知せずに編集し、ルール違反を犯すということは、山田自身を含め初心者の段階では誰しもあることです。当方としても、「wikiの操作に詳しい者ばかりでないこと」は重々承知しています。そうであればこそ、「Wikipedia:新規参加者を苛めないでください」のようなガイドラインが存在します。(念のためですがWikipediaには「編集委員」は存在しません。また、ウィキペディアにおけるやりとりは、<「ルール」を知っていることが前提>であり、ルールを知らないことで何か間違いをしたなら、それを指摘されたことを通して学んでいただければよいというだけです。)
  • しかし、だからといって、初心者でルールを知らないのは当然だとしても、ルールを学ばないでいたずらにルール違反の編集を重ねることは歓迎されません。「Wikipedia:ウィキペディアに参加する」以下のページをひと通りお読みいただいた上で編集に参加されることが望ましいことを、改めてご理解いただきたいと思います。「Wikipedia:五本の柱」を中心としたルールを適切に理解されることがまず大切であることをご理解ください。
  • とりあえず、「旧名」という表現で記述を復活させますし、山田はこの記述に特に異議を挟みませんが、「金漢益」が「旧名」であることの典拠は示されていませんので、別の誰かがこの表現を不適切と考えれば、これは書き換えられる可能性があります。
  • なお、記事の対象人物自身が「本人の一番の希望は項目自体の削除です。しかし、現実問題として、項目を何度削除しても削除を撤回されるということが続いているため、仕方なく「旧名」であるなら目をつぶろう、と言っております。ここが譲歩の限界点ですので、どうぞご承知おきください。」とありますが、このこと自体が事実であることの証明は示されていません。特筆性のある人物が顕名で活動した記録が、ネット上などに公開されている状況では、それについて記述するなとご当人が望まれていても、記述を削除することが望ましいとは判断されにくいと思います。もし、釈悟震氏が、本当に記事の削除をお求めであるのなら、1)ご本人公式ページなど、間違いなくご本人の意思として削除を求めるというコメントを公にされ、2)別名の記述の根拠となっている駒沢大学のサイト内のデータベースの記述を(駒澤大学に要求して)削除することを、まずなさってください。その上で、3)プライバシー侵害を理由に記事の削除を依頼する、というのが真っ当な手順であると考えます。--山田晴通会話2012年10月20日 (土) 15:15 (UTC)[返信]

学位名称の訂正、敬意表現としての博士の除去

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先ほど2点について編集を行ないました。誤解がないよう、理由を説明しておきます。

  • 学位名称の訂正
    • 本記事の主題となっている釈悟震は、1993年に学位を取得しており、1991年の制度改正以降の取得なので、「仏教学博士」という学位はあり得ません。(「博士#1991年改正以降」 を参照)
    • 本記事からリンクされている以下の各サイトのすべてにおいて、この人物の学位は「博士 (仏教学)」と記されています。「仏教学博士」という記述はありません。
    • いずれにせよ、この人物が取得したのは1991年の制度改定以前の「仏教学博士」ではなく、新制度における「博士 (仏教学)」であることは間違いありません。表現を修正しておきました。

以上です。--山田晴通会話2013年1月17日 (木) 04:18 (UTC)[返信]