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ノート:重ね合わせ

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何だか変だなと思う部分があります。


<ただし、ファインマンの解釈に従う場合には、「重ね合わせ」という概念そのものを捨てる必要がある。なぜなら、重ね合わせに相当するものは、経路積分の「積分」という概念のうちに含まれているからだ。>

ファインマンさんに限らず、重ね合わせは誰にとっても積分です。連続的な積分と離散的な和との違いは本質的ではないし。どちらも重ね合わせです。


<発想の根源 「重ね合わせ」という概念が現れるのは、「量子は粒子である」という粒子説を前提としているためであることに注意しなければならない。>

ここは間違い。空間座標を波動関数の独立変数にしたら空間的な波になるけれど、波数空間では粒子です。逆に、波数を波動関数の独立変数にしたら波数空間での波になり、座標空間では粒子です。一方を決めたら他方の状態が決まらずに重ね合わせになる、というのが、不確定性原理。

全体的に書き直す必要があるのではないでしょうか。


--かずぴょん 2006年9月21日 (木) 01:41 (UTC)[返信]


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重ねあわせというのは量子力学だけの概念ではないので、 重ね合わせの原理 (量子力学)にいどうすべきだとおもいます。

Kakannkann 2006年10月13日 (金) 17:07 (UTC)[返信]

修正提案を別サイトにまとめました。 http://taste.sakura.ne.jp/index.cgi/wikipedia --量子力学のド素人ことryon 2006年10月22日 (日) 08:05 (UTC)


1ヶ月以上待って提案に異論が出て来なかったので、後日、提案内容に沿って内容を更新します。--量子力学のド素人ことryon 2006年11月25日 (土) 15:45 (UTC)

内容について論評をさしはさめるほど勉強してないのであれですが、ひとつよろしいでしょうか。改定案のなかに「二つの状態のどちらか一方が正しいと確定的に言えない」という表現が出てきますが、この「正しい」という言葉はちょっと引っかかるものを感じます。日本語の「正しい」という言葉は価値判断を含んだ言葉だと思うのでこの文脈で用いるには少し問題があるかと。ここで「正しい」という言葉を使ってしまう事によって、"本当は状態は確定している"という含みを持ってしまう虞があるのではないでしょうか。
あと、まったく別の問題ですが、このような形で外部でまとめられたものをWikipediaに持ち込むのが可能かどうかという点で少し心配しています。とくに、今回は、外部の改定案自体がGFDLでリリースされているようですが、履歴の扱いはきちんと行えるのでしょうか。yhr 2006年11月25日 (土) 17:40 (UTC)[返信]

「二つの状態のどちらか一方が正しい」と言えるなら、それは状態が確定しているということです。言い方を変えると、確定しているのであれば「二つの状態のどちらか一方が正しい」と断言できます。確定しているなら、どちらの状態であるかが分からなくても、正解は1つしか無いはずです。だから、それが「〜と確定的に言えない」のであれば、それは状態が確定しているかどうかが分からないということです。

ライセンス関係の話は意図することが分からないので、詳しく教えてください。--量子力学のド素人ことryon 2006年11月26日 (日) 09:11 (UTC)

まあ、難癖に近い事は承知で書いてるんですが、改定案の文を読んだときに「どちらかの状態であるかはすでに決まってるんだけどわれわれには観測するまでわからない」というような状況を思い浮かべてしまったのです。正確な定義はわかりませんけど、多世界解釈的な含みを感じ取ってしまったという事になりますか。僕の読解力の問題についてはとりあえず棚に上げて話をしていますけど、もう少し噛み砕いた説明は出来ないものかなぁと感じるわけです。
ライセンスに関しては、外部の改訂文案自体がGFDLでリリースされているという事になると、Wikipediaから一度外に持ち出して、新たな改訂を重ねた後、再びWikipediaに持ち込むという作業が行われている事になりますが、このとき履歴の連続性を担保する方法があるかどうかという点がわからないのです。Wikipedia外での執筆者が一人であり、Wikipediaに持ち込むのがその執筆者本人であれば事が保証・証明できるのなら、大丈夫なんだとは思いますけど。yhr 2006年11月26日 (日) 13:00 (UTC)[返信]

改定前の記述は「どちらか一方に決まらないとき」となっています。この記述では、「どちらか一方に決まらない」と断言しています。しかし、状態が決まっているのか決まっていないのかは、科学的には検証不可能であり、どちらとも断言できません。よって、「確定的に言えない」という記述が必要になります。後の文章にて詳細に説明しているので誤解を招く余地はないと思います。

Wikipediaの外部で行なわれた行為をWikipediaの履歴として残す必要性が良く分りません。その論理だと、引用した文献全ての経緯をWikipediaの履歴として反映しなければならなくなります。Wikipediaの履歴は、Wikipediaがどのような改訂が行なわれたかを示す物であって、外部で行なわれた行為について記録する物ではないと思います。--量子力学のド素人ことryon 2006年11月26日 (日) 14:27 (UTC)

改訂前の記述に問題があることには完全に同意しますが、改訂版は逆の(つまり本当は決まっているのだという)含みが多すぎる気がするというのが僕の見解です。後段で説明されているうちの「実際に複数の状態が同時に存在している」という立場をとるならば、そもそもどれか一つの状態が正しいという言い方そのものが意味を持たないのではないでしょうか。たしかに、日本語の表面的な意味だけを取れば「二つの状態のどちらか一方が正しいと確定的にいえないとき」という条件の中に、実際に複数の状態が同時に存在している場合も含まれるのでしょうけど、少なくとも僕はしっくりとこないものを感じます。
あと、これは細かい事ですが、三つ以上の状態が重ね合わせの状態にあるという事もあたりまえに起こりうる事なので、「二つの状態」ではなく「いくつかの状態」とでもしておいたほうが良いでしょう。
履歴の問題については、GFDLの規定によって履歴の保存が求められているため問題が起こる可能性があるということです。これはWikipediaだからという問題ではなくGFDLでリリースする以上どこにもっていっても生じる問題です。細かいことを言えばWikipedia内でも記事の統合・分割の再にはGFDLの履歴保存義務を完全には満たしていないのですが、要約欄に元の記事・版を指定することによって、履歴を引き継いだとみなすという運用がなされています。厳密に言えば、今回用意された外部の改訂版自体がGFDLの求める履歴保存の義務を履行していないことをまず問題にすべきかもしれません。yhr 2006年11月26日 (日) 15:17 (UTC)[返信]

論理的には、否定と逆は全く別物です。否定は、逆の意味も含めて、否定対象以外の全ての状態を指しています。例えば、ABCの三つの可能性があり、Aの真逆がB、ABの中間がCである場合、Aの否定はBだけでなくCも含みます。よって、この場合は、「状態が確定していない」可能性も「決まっているが分からない」可能性も、等しく含まれています。どちらも対等に含まれているのであって、どちらか一方だけに重み付けが為されてはいません。以上のように、論理学の基礎を踏まえて読めば、誤解を生む記述どころか、正確に伝わる記述であるはずです。理系分野の記述で論理学を踏まえない記述をするのは無理があるのではないでしょうか。

「二つ」とは元々の記述であり、あえて訂正しなかっただけで、「二つ以上」に訂正することに異論はありません。

ライセンスを読んでも良く分らないのですが、GFDLでは正式な改訂とする前の議論の記録も履歴として残す義務があるのでしょうか?もしそうなら、ノートで議論した経緯も残さなければならなくなるはずですが、実際に、そのようにされているのでしょうか?--量子力学のド素人ことryon 2006年11月27日 (月) 11:55 (UTC)

修正の議論であっても履歴は厳格に管理されなければならないのであれば、私は、既にGFDLライセンス違反を犯していることになります。しかし、それは、提案内容がオープンソースに該当するかどうかとは別問題のはずです。著作権フリーの素材であればWikipediaに取り込んでも問題は無いでしょうし、Wikipediaの履歴としては、既にオープンソースとして公開されている文書をその段階で組み込んだという整理で良いのではないでしょうか。その結果、私個人はライセンス違反に問われるわけですが、その対処法についてはどうすれば良いのか分かりません。--量子力学のド素人ことryon 2006年11月30日 (木) 13:22 (UTC)

二つの話を平行して進めるにあたって、少し議論の流れが追いにくいと感じますので、それぞれ節を分けてはなすことにしましょう。yhr 2006年12月1日 (金) 13:11 (UTC)[返信]

記事そのものに関する議論

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えーと、僕はそもそも記述内容が正しいか正しくないかというレベルで問題提起をしたつもりはなくて、説明として適切かどうかというレベルで話をしているつもりです。その部分が伝わっていなかったとしたら僕の文章力の問題です。直接問題にしている部分は、「重ね合わせ」という言葉の意味をしめしているのだと思いますが、論理的に正しいとしても、少なくとも僕には、通常Wikipediaの文章を読むときに行っているよりも高いレベルで「集中」しなければ正しい意図を読み取る事が出来ませんでした。この原因を自分なりに考察した結果、「正しい」という語の存在が、イメージを引きずっているのだと考えて、この部分に関して何か良い言い換えはないものだろうかと提案した次第です。論理的に正しいという事は大前提ですが、その上で、できるだけ平易でわかりやすい記述が欲しいのです。yhr 2006年12月1日 (金) 13:11 (UTC)[返信]


私事都合により間があいてしまって申し訳ないのですが。

単語から受ける印象については、その内容や強弱は個人差があります。全ての人の個人差を考慮した記述をしろというのは無理な話でしょう。大多数の共通認識として誤解を生じる恐れがあるならば、それは配慮すべきでしょうが、そうではないのであれば、記述を変更する理由にはならないと思います。特定の個人だけでなく、万人からの誤解を防ぐのであれば、正確な記述に努めることが最も優れた方法でしょう。別途特別な知識が必要であれば、その点については補足説明が必要としても、誤解を防ぐために記述の正確性を失うのは本末転倒であると思います。 --量子力学のド素人ことryon 2007年1月3日 (水) 12:04 (UTC)

正確性を犠牲にして良いとは思っていませんし、言っても居ないつもりです。正確性をキープした上で、多少冗長であってもより誤解の余地の少ない表現は出来ないのだろうかという事を考えています。yhr 2007年1月3日 (水) 12:20 (UTC)[返信]

「後の文章にて詳細に説明している」と言っているとおり、「多少冗長であってもより誤解の余地の少ない表現」は実現しているはずです。量子力学のド素人ことryon 2007年1月20日 (土) 16:30 (UTC)

「問題の追及」の節ですよね。僕には、この節も、具体的に何を主張しているのか理解しにくく思われます。じゃあ、何処が問題なのかといわれても上手く説明できないのが、なんとも歯がゆいところでして、また、申し訳なく思うところでもあるのですが、ご容赦ください。個々でこうして議論をしているうちにも、僕のほうは、過去に学んだ量子力学の知識を忘れる一方でして、議論を継続するのもかなりしんどいというのが本音です。
それでもまぁ、僕もまるっきりの素人ではないのですから、わかりにくいわかりにくいとばかり言うのもおかしな話ではあるのです。すぐにとは行きませんが、もう一回このあたりを勉強しなおして、適切な対案が作れないかどうか検討してみるつもりです。この改定案で、現状の本分の明らかにまずい店のいくつかが修正されているというのも、また間違えの無いところではありますので、この文案への異議は一旦取り下げるという事で、内容についての議論は終わりにしたいと思います。yhr 2007年1月23日 (火) 14:49 (UTC)[返信]

GFDLに関する議論

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まず、GFDLは記述のコピーに関して、その意図を区別する事はありません。記述を全部または一部利用してなにかを行ったならば、著作権法上の引用にあたる場合を除いて、もれなく履歴保存義務がついて回ります。ノートでの議論でも、記事本文を多量にコピーするような場合は本来GFDL違反が問われるべきだと考えます。ここで、記述をコピーする行為と、記述内容に関して議論する行為は別に考える必要があります。たんに記事内容に関する議論を行うだけならば、GFDLは関係有りません。

今回のケースでは、外部サイトに文章が持ち出された時点でライセンス違反が起こっています。この点に関しては、結局は外部サイトの記述自体を削除するしかないだろうと思います。また、件のサイトには下部にGFDLに従う旨の記述がありますが、この部分の意味をどう考えるかで問題が生じる可能性も有ります。もし、ryonさん以外に書き込んだ人がいるとすると、その人はGFDLのもとで公開したつもりになっている可能性があり、その文章を履歴の引き継ぎなしにWikipediaに持ってくる事は出来ないわけです。

ryonさんが単独で執筆された部分に関しては、Wikipediaに持ってくる事に権利上の問題は生じないと考えます。このようなケースでは、Wikipedia上への書き込みは、著作権を持つものによるリライセンスとして扱えますし、そのためのガイドラインはまだ草案の段階ですがWikipedia:自著作物の持ち込みとして存在します。ただし、外部サイトの該当部分がryonさんによって執筆されたという事を保証する必要はあるでしょう。

これ以上のことについては僕自身も完全に理解しているわけでは有りません。今回のケースでは問題のサイトがWikiであることや、GFDL違反を解消するために該当するページの削除などの対処が必要であると考えられる事などの特殊な問題があり、ライセンス上の問題についてより詳しい人の意見を聞いてみる必要があると思います。yhr 2006年12月1日 (金) 13:11 (UTC)[返信]


執筆者を保証することは、それほど厳密さが要求されることなのでしょうか。自サイトで公開した文章であることを証明しても、どこかからの盗用ではないとする保証はありません。Wikipediaに直接投稿した文章であっても、それは同じはずです。あまり厳密なことを言いすぎると投稿そのものが出来なくなるわけで、どこまで厳密さが要求されるのか、それが分からないと対処しようがないですね。 --量子力学のド素人ことryon 2007年1月3日 (水) 12:09 (UTC)

現時点で、Wikipediaで執筆者を保証する事が実質的にどこまで求められるかという事までは確認していません。ただ、経験上少しでもGFDL上の問題が生じる可能性のあるものに関しては、アウトと判断されるケースが多いとは感じています。僕としては、件のサイトを削除した上で、新規に文章を書き下ろして投稿するのが最も安全であり、実質的にその他の解決法はないのではないかと思っています。Wikipediaに投稿される文章に関しては、投稿した本人が、オリジナルの文章であると宣言する範囲においてはそれを信用し、外部の転載元が確認された時点でWikipedia:削除依頼を通して対処されるというのが基本だと思います。ただし、今回のケースのように、外部サイトがWikiであるということが判断に影響する可能性もあり得るのが判断を難しくしていると思います。僕が最も懸念しているのは、今回の文章を投稿した事が原因となって、将来記事を削除するという事になる危険性です。yhr 2007年1月3日 (水) 12:33 (UTC)[返信]

「投稿した本人が、オリジナルの文章であると宣言する範囲においてはそれを信用」するのであれば、転載元がWikiであろうと無かろうと何も変わらないはずです。いずれにせよ、自己申告であることには変わりなく、他人の文書を勝手に利用して自分の物だと言い張ってる疑いは否定出来ないはずですから。量子力学のド素人ことryon 2007年1月20日 (土) 16:30 (UTC)

おっしゃる事はわかりますが、Wikipedia上でできるだけ複雑な問題を回避するために、まったく新規に文章を書き下ろし投稿していただくのが、やはりベストだと考えます。
すでにリンクを提示していますが、Wikipediaでは外部サイトから記述が移入された際、通常の手続きとして、外部サイト自身にWikipediaへ投稿した旨表示してもらう事によって、そのサイトの執筆者と、Wikipediaへの投稿者が同じ人物である事を確認しています。今回のケースでは、外部サイト自身が第三者にも書き込み可能なWikiであるため、この方法はつかえません。
また、今回のケースでは、Wikipediaから文章を持ち出した際にGFDLの義務を履行していないため、ライセンス違反・著作権侵害の状態を解消するため外部サイトの文章を削除する必要があります。ところが、これを削除したあとも、インターネット上の各種キャッシュ等にはサイトのコピーが残る可能性があり、アーカイブサイトなどを通じて、同一の文章である事が確認され、削除依頼に出されるかもしれません。
実際に削除が実行される可能性は、そんなに高くないとは思いますが、投稿した文章とその後の加筆が無駄にならないためにも、外部サイトでいったん公開された文章を持ち込むのは避けたほうが良いと思います。
これ以上の細かい話は、僕にはもうフォローできませんので、それでも今回の改定案をそのままWikipediaに投稿するのだということであれば、Wikipedia:井戸端などで、誰か詳しい人にアドバイスをもらってからにしたほうがよいと思います。2007年1月23日 (火) 15:40 (UTC)

元々のWikipediaにあった記述以外は完全に私だけが加筆修正したものですが、一応、新たに書き直して本文に投稿しました。ヘッダとフッタ部分は運営者にしか弄れないんで、投稿した旨も表示出来ますし、ページを凍結するという手段で運営者側の意志も示せます。書き直したので、今更、言い訳しても意味が無いわけですが。量子力学のド素人ことryon 2007年1月23日 (火) 16:09 (UTC)[返信]

テクニカルに書き換え

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失礼ながら、テクニカルな定義に書き換えさせてもらいました。 「それ以上の説明はされない」「答えが提示されない」とありますが、量子力学を使う実際的な立場からは、重ね合わせはきちんと定義されて、説明もされて、答えもあり、実験にかかるものです。 量子力学の哲学的解釈は面白い問題ですが、コンセンサスができているわけではないので、Wikipedia に乗せる際には引用元が必要だと思います。 An apple zealot 2007年2月20日 (火) 02:57 (UTC)[返信]

ベルの不等式Greenberger-Horne-Zeilinger_状態は単なる重ね合わせではなく量子もつれでは?量子コンピューターで利用されるのも量子もつれですよね?--量子力学のド素人ことryon 2007年2月25日 (日) 12:20 (UTC)違った。量子もつれ関係の実験結果が重ね合わせの証拠となるのだから、記述に何も問題は無いですね。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月25日 (日) 12:22 (UTC)[返信]
不思議かどうかは主観に基づく判断なので、「古典力学的には理解し難い不思議なものであるが」は「古典力学的概念とは相容れないが」と修正すべきかと思います。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月25日 (日) 12:28 (UTC)[返信]
テクニカルな内容が間違っていなければ、日本語の細かい言い回しには僕は興味はないので、満足がいくように書き換えてくだされば結構です。An apple zealot 2007年2月25日 (日) 17:32 (UTC)[返信]
提案どおりに修正しました。--量子力学のド素人ことryon 2007年2月27日 (火) 13:04 (UTC)[返信]


記述が修正されてから何度も考えたのですが、「物理系の状態を波動関数の段階で足しあわせて良い」という記述は、百科事典として、「誰でも容易に概要を理解できるよう簡潔にまとめたもの」と言えるでしょうか。確かに、この一文は、古典的な粒子像に固執することが先入観に基づいていることを示してはいるでしょうが、「何が古典力学的概念と相容れないのか?」という疑問を持つ人も多いのではないでしょうか。だとすると、「誰でも容易に概要を理解できる」という条件は満足していないと思います。
そこで、「量子力学では、本当にその答えが提示されていない。」を「古典力学的概念に基づいた回答は用意出来ない。」に修正して復活させたいと思います。「本当に二以上の状態が同時に実在しているのか、確率的に複数の状態を取りうるだけで実体は1つなのか」という疑問は、古典力学的概念に基づいているからこそ生じる疑問でしょう。しかし、量子力学が古典力学の枠に収まらないなら、古典力学的疑問に対する答えが出ないのは当り前とも言えます。ベルの不等式やGreenberger-Horne-Zeilinger_状態等が、隠れた変数理論と矛盾し、それが、「重ね合わせ=古典力学の枠を超えた量子力学特有の現象」であることを示しているなら、それは、古典力学的概念にはない新たなる概念が必要であることを示しています。
素人が量子力学をキチンと理解しようとするのは無理があります。しかし、世間には、「量子力学は、誰かが唐突に言い出したトンデモ理論を物理学界が真に受けて出来たもの」のような誤解が蔓延しており、その誤解が解ける程度の記述にはできるはずです。それには、量子力学が、根拠の無いトンデモ理論から出発しているのではなく、古典力学の枠では説明のつかない様々な実験結果等から構築された物であるということを示せばよいだけです。様々な証拠が隠れた変数理論と矛盾し、それが、「確率的に複数の状態を取りうるだけで実体は1つ」とするような古典力学的概念とは相容れないことを示し、それによって、古典力学の枠を超えた概念が必要になったことを示せば済むはずです。--量子力学のド素人ことryon 2007年3月1日 (木) 14:26 (UTC)[返信]
勿論素人の方にも分かりやすくなるのならそれは素晴らしいことですのでよろしくお願いします。といいますか、ryon さんの二段落目の

「本当に二以上の状態が同時に実在しているのか、確率的に複数の状態を取りうるだけで実体は1つなのか」という疑問は、古典力学的概念に基づいているからこそ生じる疑問でしょう。しかし、量子力学が古典力学の枠に収まらないなら、古典力学的疑問に対する答えが出ないのは当り前とも言えます。ベルの不等式やGreenberger-Horne-Zeilinger_状態等が、隠れた変数理論と矛盾し、それが、「重ね合わせ=古典力学の枠を超えた量子力学特有の現象」であることを示しているなら、それは、古典力学的概念にはない新たなる概念が必要であることを示しています。

は非常にわかりやすい説明だと思いますので、それを採用してはいかがですか?また、「様々な実験結果等」を具体的に書き加えていただければ宜しいかと思います。「古典力学では説明できない」という幾分否定的な文章よりは、量子力学に肯定的な、いま引用しました説明のほうがトンデモ解釈退治には有効かと思います。An apple zealot 2007年3月2日 (金) 03:16 (UTC)[返信]
また、「実在」「実体」という哲学的にむずかしい、意味の沢山ある概念を持ち出しますと、トンデモ解釈好きのかたが、こちらの予期しない意味で「実在」という単語を解釈などして誤読してしまいそうに思いますので、なるべく平板な、含蓄の無い言葉でお願いします。もしくは、古典力学的実在、哲学的実在、量子力学的実在などのように形容詞で限定して、誤読の無いようにお願いします。An apple zealot 2007年3月2日 (金) 03:25 (UTC)[返信]


トンデモ解釈好きのかたが、予期しない意味で誤読する・・・ことのない文章ですか。かなり難しい課題ですが、時間をかけてジックリ考えてみます。--量子力学のド素人ことryon 2007年3月2日 (金) 12:51 (UTC)[返信]
よろしくお願いします。僕は、トンデモさんが蔓延する理由の一因には、いわゆる啓蒙書で、量子力学は不思議だ、相対論は不思議だといって、不思議だというのを強調しすぎだということがあると思います。だいたい量子力学にせよ相対論にせよもう100年の歴史があるわけで、ニュートン力学の歴史が300年ですから、科学の進歩の中では目新しさのオーダーは似たようなものですよね。「日常感覚に照らせば」天動説が自然なわけで、地動説ってとんでもないことなわけです。でも地球のほうが回ってるんだというのは僕らは普通受け入れていますよね。でも、自分で地動説をサポートする実験事実をどれだけあげられるかというと僕もあやしいものです。決定論だって、自意識があるということを考えれば全然あたりまえなことではなくて「日常感覚に照らせば」非常に不思議なものですし。ですから、素人さんのことを気にかけるとなると、古典論と比較しておけば誰にでも容易にわかりやすかろう、というわけにはいかないですね。非常に難しい。どう書けば嘘でなく分かりやすくなるのか、ちょっと僕にはアイデアがありません。An apple zealot 2007年3月3日 (土) 07:02 (UTC)[返信]
トンデモさんの良くある勘違いは、科学=理論という認識だと思います。科学では、証拠の無い机上の空論は重視されないし、実験結果と一致しない理論には重大な欠点がある(それが実験結果との食い違いを産む)と見なされるし、理論が考案されてなくても再現性のある実験結果は正しいとされます。科学には理論が伴うが、最も重視されるのは事実に基づく証拠であるということ、いずれのトンデモさんも、共通して、そのことを理解していないと思われます。だから、どのような証拠に基づいて、どのような従来理論が破綻したのか、それを明記することが必要だと思います。具体的文面は、また、改めて考えます。--量子力学のド素人ことryon 2007年3月3日 (土) 10:16 (UTC)[返信]

記事名について

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単純に重ね合わせというと重ね合わせの原理のように複数の意味をもつと思うのでこのページを量子重ね合わせ もしくは 重ね合わせ (量子力学) に移動すべきだと思うのですがどうでしょうか?--Cookie4869 2008年7月12日 (土) 13:21 (UTC)[返信]

「重ね合わせ」という言葉だけで特定の事柄を指し示す分野って、量子力学以外だと何があるんでしょうか。異動後の曖昧さ回避の事を考えると、事前にリストアップしておく必要があると思うのですが、僕にはにわかには思いつきません。重ね合わせの原理に掲げられているものにしても、ただ「重ね合わせ」と言っただけでそれらをさすかどうかというと僕には判断がつきません。yhr 2008年7月14日 (月) 16:44 (UTC)[返信]