ノート:長崎の鐘
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レコーディングの逸話について
[編集]服部正、藤原貞朗『山下清と昭和の美術:「裸の大将」の神話を超えて』名古屋大学出版会、2014年 ISBN 978-4-8158-0762-7 p.433
Wikipedia の当記事を受けて、『典拠は記されない。(レコーディング)に式場が立ち会った可能性はあるが、山下清が同席したことはあり得ない。』と疑義を表明する記述あり。--Mobnoboka(会話) 2016年1月14日 (木) 03:50 (UTC)
Mobnobokaさんへ。菊池清麿『日本流行歌変遷史: 歌謡曲の誕生からJ・ポップの時代へ』論創社、2008年4月20日、ISBN 978-4-8460-0464-4、122頁。に「吹込み当日、藤山一郎は、カゼの高熟でとても歌える状態ではなかった。録音には、画家の山下清、式場隆三郎博士が見学に来ており、スタジオには作曲者、楽団らが、藤山の到着を待っていた。スタジオに到着した藤山は、見学者たちや吹込みのスタッフに申し訳ないと思い、高熱に耐えて《長崎の鐘》を歌唱した。だが、コンデイションの悪さが影響し悲壮感が加味された。それがスタッフ一同を感激させた。レコ—ドは後日再録音する予定だったが、そのまま発売された。」とあります。永井隆も山下清も式場隆三郎に「見出された」という共通点があるので、可能性は無いとまでは言えないような気がしますが、「妻の運転する車でスタジオに向かった」という部分に関するソースは発見できませんでした。-- Takabeg(会話) 2020年4月13日 (月) 11:49 (UTC)