ノート:長谷川慶太郎
長谷川慶太郎氏について、かなり評価のしすぎであるように感じられます。少なくとも、学会(経済学会)などでは決して評価されない人間なので、その能力(経済予測など)は十分な裏づけがあるとはいえないと思います。 適切な形に書き換えられるべきでしょう。—以上の署名の無いコメントは、ライクロフト(会話・履歴)氏が[2006年10月17日 (火) 18:32 (UTC)]に投稿したものです(Rc21による付記)。
その後も、恐らく同一人物と思われるIPアドレスからの書き込みが続いていますが、一方的賛美への偏向が強すぎますね。
・「また氏の特徴として氏と接触したことがある方ならよくおわかりと思うが文字通り、徹底して情報を出し惜しみせずに教示してくれる稀有の存在でもある。」 言うまでもなく、ウィキ利用者の大半は長谷川氏との親交はありません。その前提を無視されても困りますね。
・「氏は(高橋亀吉+石橋湛山 )であるという評価もあるが、一番ピンとくるのは(村田蔵六+吉田松陰+西堀栄三郎)ではなかろうか。」 ここに至っては意味不明。経済動向予測の専門家が、どうやったら幕末の政治思想家と結びつけられるんでしょうか。
ノートでの議論にも参加して頂けないようですから、IPアドレスからの投稿ブロックをかけるために半保護にして、大幅なリバートを行うのも検討すべきかもしれませんね。 - Rc21 2006年11月1日 (水) 13:45 (UTC)
・返答が遅れて申し訳ありません。長谷川氏に対するコメントですが事実を書いているだけです。経済学で評価 されなくても現実の経済を動かす実業界での評価が高い方です。机上の理論と実際の現場重視かということだと 思います。経済学で評価されないからと言って書いてはならないということにはならないと思います。
・ほとんどの方が氏と接触したことがないからこそ、逆にこのような情報は貴重ではないでしょうか。
・幕末の思想家というよりも、考え方のタイプで考えています。村田蔵六は、軍事学に精通し類まれな先見性と いう意味であり、吉田松陰はその思想・考え方・言葉の分かりやすさ等周囲に与える影響力の大きさ、西堀 栄三郎は、現実の技術に対する造詣の深さ、現場最重視の姿勢からです。長谷川氏の本質に迫ろうとすると やはりこのように譬えるのが一番わかりやすいのではないかということです。 経済動向専門家との指摘がありますが、氏は軍事アナリストであり国際情勢アナリストであり先端技術アナリ ストであり、経済予測だけの専門家ではありません。たまたま村田蔵六・吉田松陰は幕末の人間だったわけで 他に彼ら以上に類似する方が居られれば、変更されるには何の異存もありません。 2006年11月4日(土) —以上の署名の無いコメントは、202.224.83.148(会話・履歴)氏が[2006年11月4日 (土) 11:51 (UTC)]に投稿したものです(Rc21による付記)。
202.224.83.148様、お返事を有難うございます。ただ、アカウント取得と記事執筆時の署名をして頂けますともっと有難いと思いますので、ご一考をよろしくお願いします。
で、拝読しましたが、やはり中立性・客観性という観点から、賛同できません。
1.長谷川氏の業績に対する評価について 「事実」と断じるにはあまりにも一方的でしょう。あなたの書いた中に、「氏は、寸分狂わず小泉政権の動向をすべて正確に予測した。100%である。」があります。これも事実ですか?郵政民営化における反対派の追放処分や、2度の平壌訪問にもかかわらず拉致事件によって日朝国交正常化は暗礁に乗り上げた事も、ですか? 予測は「概ねその傾向に沿って動く」事はあっても、完全に的中する事はほぼあり得ません。しかも、5年間にわたる一国の政権の動向を完全に当てる人物など、いる訳がありません。それを「100%」と言い切るからこそ、この文章は冷静さを欠く、一方的な内容と判断されてしまうのです。
2.長谷川氏の人格を歴史的人物になぞらえた評価について 「軍事学に精通し類まれな先見性」、「その思想・考え方・言葉の分かりやすさ等周囲に与える影響力の大きさ」、「現実の技術に対する造詣の深さ、現場最重視の姿勢」、長谷川氏についてそうお考えならば、そう書いていただいた方がよほど分かりやすいです(私は同意しませんが)。それをわざわざ過去の「偉人」になぞらえようとするのは、読み手が誤解しやすくなります。少なくとも私は、長谷川氏に吉田松陰の霊でも乗り移ったとでも言い出すのかと感じました。
3.執筆する際の視点について 文面から拝察しますと、202.-氏は恐らく長谷川氏と面識がある、あるいは長谷川氏の経済予測を信じて投資や企業経営を行っていらっしゃる方だと存じます。なので、「ほとんどの方が氏と接触したことがないからこそ、逆にこのような情報は貴重ではないでしょうか。」という御言葉になるのでしょうが、あまりに一方的な賛美の言葉ばかり並ぶと、逆に長谷川氏のカルト性が引き立ちすぎるように感じます。身近にいるからこそ、執筆には慎重であるべきではないでしょうか。
ウィキペディアの場合、執筆対象者自身による項目の立項や編集は制限されていますが(Wikipedia:自分自身の記事をつくらない)、そこで言及されるWikipedia:中立的な観点というのは、この場合にも援用されるはずです。
気分を害される点も有るかと存じますが、長谷川氏についての記述をより良質な物にしていきたいという点では私も同じ立場です。どうか御賢察頂けますよう、お願いを申し上げます。Rc21 2006年11月6日 (月) 15:06 (UTC)
鈴木康文と申します。今日は2007年1月8日です。 本文、読みにくかったので少しだけ書き直してみました。その際に感じたのですが、長谷川慶太郎の発したコメントの引用元の記載は必要でしょう。--以上の署名の無いコメントは、鈴木康文(会話・投稿記録)さんによるものです。2007年1月8日 (月) 08:18 (UTC)
半保護依頼
[編集]残念ながら、このノートでの議論後も、特定のIPアドレスユーザーによる一方的な観点からの編集がやんでいません。独断ではありますが、半保護依頼を提出させていただきます。Rc21 2007年5月31日 (木) 05:24 (UTC)
・一方的とはすこし表現がひどいのではないでしょうか。その証拠にバブル時代の事や、昔の共産党の関係の記述等はそのまま残してあります。私がほんとうに一方的ならばそこも削除依頼、または削除するはずです。お察しすると、左翼系多分、大学の教授もしくは共産党系の方ではないかと考えます。長谷川氏は石油ショックのときアカデミズムが誰一人発言できなかった時に、的確にその先行きを果敢に判断されました。「石油ショックはありえない」。あの時代を境にしていわゆるマルクス主義者、マル経は何の役にも立たないことが証明されたのではなかったですか。渡部昇一氏もそのことをズバリ指摘されています。 一方的に表現されているとのこと。ではどのような表現が適切か表記してもらえませんか。2007年6月1日(金)鍋軽—以上のコメントは、218.223.197.224(会話・投稿記録)さんが[2007年6月2日 (土) 14:43 (UTC)]に投稿したものです。
半保護依頼は失効したので、ここでの議論を続けます。
まず困るのは、ウィキの書式に則った、ユーザー認証付きの署名がない事です。下の文章の執筆者と私が指摘した「IPユーザー」が同一であるというのはあくまで仮定にすぎません。ただ、状況を考えれば、恐らく同一人物であろうという判断をしたので、以後はその仮説の上に書かせていただきます。
さて、鍋軽様、御反論をありがとうございました。返答が遅れました事にお詫びします。では、私からの意見を申し上げます。
1.鍋軽様のご意見が一方的と判断しているのは、私だけではありません。記事の冒頭に「観点」タグを挿入したのは、私ではなく2007年1月20日に編集した杉山真大氏ですが、出典の明記など、その指摘への対応策が採られているようには見えません。それに、ヤマニがアラブ首長国連邦ではなくサウジアラビアの石油相であるという事実を指摘した4月1日の221.170.78.129氏のコメントに対しても、鍋軽様の編集は対応していません。このような点で、鍋軽様の対応は一方的、かつ排他的であると指摘せざるを得ません。
2.上の鍋軽様のご意見への反論です。では、「「石油ショックはありえない」。あの時代を境にしていわゆるマルクス主義者、マル経は何の役にも立たないことが証明されたのではなかったですか。」とありますが、これは見解が大きく分かれるでしょう。
マルクス主義経済学についての議論はその項目の本稿に任せるべきでしょうが、剰余価値説を批判する意見は古くから近代経済学の研究者によって出ていましたし、日本では1960年代の高度経済成長でその成立基盤が失われつつあったという指摘もできます。逆に、近年の新自由主義体制の強化による所得格差拡大の中で、マルクス主義経済学を再評価する流れも皆無ではありません。そうすれば、石油危機で長谷川が「的確にその先行きを果敢に判断」したことで、マルクス主義経済学の無用性が証明されたという意見は、あまりに過大に過ぎます。
また、本当に1973年には長谷川慶太郎「だけ」が石油危機の先行きを予測したのでしょうか?そうであったという証明はどうなされるのでしょうか。例えば、長谷川以外の第三者による顕彰の理由、あるいは公刊された著作の中で、「長谷川が日本の石油危機対応を提言した唯一の人物であった」という言及がなされていれば、鍋軽様の御意見は広く受け入れられるでしょうが、その出典が無い現時点では、残念ながら「根拠薄弱」という批判を免れません。
これは、1998年の自民・自由連立政権発足にあたり、長谷川が小渕恵三と小沢一郎の関係を取りなしたという点も同じです。もしこれが事実ならば、小渕や小沢の項目でも記述されて然るべき事柄でしょうが、そのような話はウィキの項目内には出てきません。
3.では私がどう執筆するのかを示せというお話ですが、現状では鍋軽様の投稿に対する修正意見の提起で精一杯です。少なくとも、私は文中で示されている「長谷川の言葉」や、その行動の出典や根拠を見いだせないので、執筆の手だてがありません。ただ、その制約の中で、他の項目で書かれている内容と対比させて記述を充実させようとする努力を行い、表現の中立化、出典の不明確な記事への指摘などは行いました。それは現状にある程度反映されています。
4.私は鍋軽様の編集を全て否定しようという意図は持っていません。特に、著書として示された膨大なリストは大変有用であり、今後も採録年代を拡大してその充実が図られるべき項目だと考えています。ただ、全体として、彼への批判者を含め、長谷川がどのような人物であるかという事を調べる利用者に対し、事実に基づき、検証に耐えうる記事をまとめようとする、ウィキペディアの本質的な立場から見ると、鍋軽様の編集には一方的な称賛に偏り、他者からの指摘には耳を貸さないという傾向があるという指摘をさせていただいております。その点をご理解いただけますと、幸いです。 - Rc21 2007年7月1日 (日) 06:46 (UTC)
2010年の議論
[編集]4年前の議論へのコメントが付いていたので、整理しましょう。
- 「一方で、長谷川はバブル経済の時代、著書である「投機の時代」などで株式投資や不動産投資をさんざんに煽っておきながら、その後のバブル崩壊を全く予想することができなかった。そのことから、彼の経済評論家としての資質を疑う意見も有る。」
- バブル崩壊は総量規制による人為的な規制がその引き金になっている以上、「予想できなかった」で片付ける事に疑問が残る。
- 少なくとも、当時の総量規制の明確な検証が済み、総量規制とバブル崩壊の因果関係が否定されてからでないと
- 氏を、「予想できなかった」と非難するのは時期早々であろう。--以上の署名のないコメントは、61.193.184.254(会話/Whois)さんが 2010年4月20日05:24 (UTC) に投稿したものです(Rc21による付記)。
- (ライクロフト氏の主張に対して)
- ・学会(経済学会)で評価されていないから、評価しないというのは、あまりにも短絡的すぎる。
- そのそも日本の経済系の学会はレベルが低く、マルクス主義系の経済学会が多いのだから
- 学会に評価されていない事が、評価が低い根拠にはならない。--以上の署名のないコメントは、61.193.184.254(会話/Whois)さんが 2010年4月20日05:14 (UTC) に投稿したものです(Rc21による付記)。
以上。私のコメントは後日付けます。--Rc21 2010年4月25日 (日) 15:20 (UTC)