ノート:雑賀崎城
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所在地について
[編集]先ほど本文の加筆を行いましたが、城郭テンプレート内の「位置」については一旦そのままとしています。ただし、その所在地については疑念が残る状態です。
加筆前の版の本文では現在雑賀埼灯台がある場所に城があったと読め、テンプレート内の位置も灯台のある場所となっています。一方、私が出典に利用した貴志康親『雑賀党物語』(国書刊行会、1976年)では、雑賀崎城にあたる石垣の所在地について、雑賀崎小学校の西北としています(115頁(要登録))。雑賀崎小学校が以前あった場所は現在「レモンの丘」と呼ばれているそうで[1]、雑賀崎灯台から北東に550mほどの位置にあるようです。貴志康親は小学校の西北としか書いておらず具体的な場所は不明ですが、いずれにしろ灯台から北に数百メートル離れた場所に雑賀崎城があったことになると思われます(なお、本文に書いた通り、雑賀崎城が実在したかどうかも現時点では怪しいと思われます)。
具体的な場所が分からないため手を付けにくいですが、各サイトで雑賀崎城址=雑賀崎灯台とされているようなので上記情報だけ書き留めておきます。--YasuminB(会話) 2024年12月17日 (火) 18:05 (UTC)
- 2024年12月28日 (土) 03:29 (UTC) に、位置の修正等を行いました。新たに確認した和歌山城郭調査研究会編『戦国和歌山の群雄と城館』(戎光祥出版、2019年)には、雑賀崎城の所在地は「雑賀崎」、現状は「元学校」とあり、雑賀崎小学校のあった地点にあると思われる内容になっています。そのため雑賀崎小学校の旧所在地であるレモンの丘を城の位置としました。雑賀崎城の所在地が仮にその位置でなかったとしても、所在地が不明である以上、雑賀崎の端の雑賀埼灯台付近にするより、雑賀崎の中心近くにした方が無難かと思われます。--YasuminB(会話) 2024年12月28日 (土) 03:38 (UTC)