ノート:青潮
貧酸素水塊のページにて、「なお、青潮における呈色の原因からも分かるように、青潮と貧酸素水塊は必ずしも完全には一致しない。」とありますが、これが本当ならば、それに対する解説を誰かお願いします。
ページの分割提案
[編集]このページを大幅に加筆された利用者:戸井田克己さんも要約でおっしゃってますが、 現在の記事の状況は期せずしてWikipedia:曖昧さ回避#廃止された方式の「1ページに共存」の形になってしまっており、 適切に分割する必要があります。私はこの分野に明るくありませんので、戸井田さんの主張に沿った形での分割を提案させていただきます。
まず、青潮本来の意味は対馬海流であったのですから、青潮という名前をこの項目が以前示していた水質汚染が専有するのは問題があります。 一方で対馬海流を意味する青潮はあくまで愛称にすぎず、これについては単独の項目として新たに立項するよりは対馬海流の中で解説すべきです。 最後に、季語としての青潮についてです。山笑うのように単独で立項されている季語もありますが、青潮については現在では語義の説明に過ぎず、単独で立項する必要性は薄いと考えます。
従って、このページは青潮 (水質汚染)へと改名し、空いた青潮を曖昧さ回避のページとしそこから対馬海流と青潮 (水質汚染)へと誘導する、季語としての青潮は新しい青潮内で軽く触れる、という分割が良かろうかと考えます。--220.56.222.45 2016年4月21日 (木) 11:29 (UTC)
- コメント 「青潮本来の意味は対馬海流であった」というのは、どのような情報源に基づくものでしょうか。対馬海流の愛称としての「青潮」は1989年あるいは昭和61年に、東京学芸大の研究者が作った造語であるという記述があります[1][2]。一方で水質汚染を指す「青潮」については、遅くとも1971年の論文で用例があります[3]。また検索結果を見る限り、学術的な文献も含めて、青潮という言葉は水質汚染を意味することが圧倒的に多いようです。
- 対馬海流を指す用法は、あくまで愛称であり、他の用法に比べて歴史的に古いわけでも、広く普及しているわけでもなく、正式な名称での記事がすでにあります。わざわざ曖昧さ回避ページを別に作ってまで平等な曖昧さ回避にせずとも、本記事はそのまま水質汚染の記事とし、青潮#青潮文化論は対馬海流に転記し、本記事から{{Otheruses}}で対馬海流に案内すれば充分ではないでしょうか。季語としての用法は案内すべき記事がありませんから、現時点ではとくに考慮しなくてよいでしょう。--Trca(会話) 2016年4月22日 (金) 03:05 (UTC)
- これは申し訳ありません。言い訳になってしまいますが、「青潮本来の意味は対馬海流であった」というのは戸井田さんの主張で、私はそれを裏を取らずに採用しました。もちろん全ての責任は私にあります。現時点では私はTrcaさんの意見に賛成していますが、提案は閉めずに当初の予定通り1週間ほど意見を募ろうと思います。--220.56.222.45 2016年4月22日 (金) 07:40 (UTC)
戸井田です。 [4][5] この文献で市川氏自身、「学術的なものでは1989年、対馬海流に名付けた「青潮」があります。対馬海流はロシア人によるネーミングで、ほかの海流のような具体的な愛称がありませんでした。この海流は「黒潮」と呼ばれる日本海流の分流。塩分が濃厚で色が黒い。青が、古代には濃い色を意味していたのが命名の由来です。」と述べていますが、一方で氏は別の文献で、「下関市のK氏から、山口県では対馬海流を青潮と呼んでいるという手紙をいただいた。この事実から、青潮は私の命名ではなく、西日本の常民がすでに使用したことを知った。」(『地理』34-5、1989年、p.19)と述べています。つまり、「青潮」が市川氏個人の単なる造語でないことは、市川氏自身が指摘しています。氏の本意は、「青潮」という本来の語彙(対馬海流を指す)が世に忘れ去られてしまったいるため、「それを使用することをあらためて提唱する」ということでしょう。 以上のほかにも、青潮岳(下甑島)や青潮の里(対馬)などの地名のほか、青潮が季語にもなっていることなども含め、「青潮」が日本付近の海流、なかんずく対馬海流のことを指したことは自明です。 「水質汚染を指す「青潮」については、遅くとも1971年の論文で用例があります」とのことですが、日本文化に造詣のない自然科学者たちによって、古来より日本文化として育まれてきた語彙がゆがめられていることをはなはだ残念に思います。直近の論文のあるなしで、非常に長いスパンで継承されてきた「文化」を別の意味に変えてよいという根拠ははたしてどこにあるのでしょうか。
- 「直近の論文のあるなし」とは検証可能性であり、それが根拠です。あなたの主張する「古来より日本文化として育まれてきた語彙」であることが適切な情報源によって示されれば、Wikipedia の議論において説得力を持ちます。編集者自身が「自明」と判断しても、それは意味がありません。- NEON(会話) 2016年4月27日 (水) 14:20 (UTC)
地名をもって「検証」は可能であり、「適切な情報源」ではありませんか。そういう物の存在を知らずに、妥当性を欠く安易な命名が横行することには問題があるでしょう。この問題によって損失を被っている日本文化、地名、団体は数知れません。科学者は「文化狩り」に気づいた時、謙虚にそれを受け止めなければなりません。
- Wikipedia で言う検証はそういう事ではありません。上記検証可能性や独自研究は載せないを読んで下さい。あと、文化の損失とか自然科学者がどうとか、個人の主義主張を議論や編集に反映させることは一般に忌避されますので、強くそれらに基づく言動は謹んで下さい(ウィキペディアは何ではないか)。- NEON(会話) 2016年4月28日 (木) 00:17 (UTC)
転記及び除去提案
[編集]上記分割提案にもある通り、本項目がWikipedia:曖昧さ回避#廃止された方式の「1ページに共存」の形を取っているため、これを解消したいと考えます。提案は次の通りです。
- 本項目は海水が白濁する事象を説明する項目とする。
- 青潮文化論に関する記述を対馬海流に転記する(次点策として、市川健夫に転記するか、青潮文化論に分割する)。
- 季語はあおしおで説明が十分であるため除去する。
以上 --Animataru(会話) 2021年9月8日 (水) 17:54 (UTC) (追記)--Animataru(会話) 2021年9月8日 (水) 18:01 (UTC)
- コメント 分割により海水の白濁現象の記事にすることに賛成します。青潮文化論に関しては独立記事にしても良いのではないでしょうか。提唱者の記事が転記先としてあげられていますが、記事でも挙げられている『青潮文化論の地理教育学的研究』(戸井田克己著)という書籍が存在すること(CiNiiで「青潮文化論」で検索するとでてきますが、さらに、この書籍には地理学評論、人文地理、地理科学などで書評もあります)などを考えると「青潮文化論」自体がWikipedia:独立記事作成の目安を満たすのではないでしょうか。単純に分割すると青潮文化論でスタブになるのを危惧されているかもしれませんが、「対馬海流」に転記してしまうと、リダイレクト起こし自体を困難化してしまうおそれを心配します(青潮文化論のことを対馬海流で記載すると合意したので、今後のリダイレクト起こし(記事立項)自体で事前合意がないと問題視されかねないようにも予想される)。なお、1989年5月に「青潮文化」表記で地理 (雑誌)で特集記事があるので(これも特筆性の根拠にできるようには思います)、転記先を「青潮文化」「青潮文化論」にするかはいちど確認した方が良いかもしれませんが、私自身はどちらでも構わないと思います。季語に関しても現状では除去で良いと思いますが、百科事典的な内容・分量が得られたときに青潮 (季語)などの記事を作成することを妨げない形にしていただければ幸いです。--郊外生活(会話) 2021年9月15日 (水) 09:52 (UTC)
- 済 ご意見を踏まえ、青潮文化論に分割しました。また、ご指摘のとおり、青潮 (季語)等の立項を妨げるものではないことを明記します。 --Animataru(会話) 2021年9月15日 (水) 21:40 (UTC)