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ノート:高宗 (朝鮮)

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改名提案

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この項目の名称を高宗 (大韓皇帝)もしくは高宗 (韓国皇帝)に改称する事を提案します。 議論の重複を避けるため改名についてのご意見はノート:純宗 (朝鮮王)にお願いします。--下総大納言 2007年8月17日 (金) 09:49 (UTC)[返信]

改名提案 2019年8月4日

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Gojong of Korea(朝鮮国大韓帝国の高宗) was King of Joseon(朝鮮王) from 1863 to 1897, and Emperor of Korea(韓国皇帝) from 1897 to 1907. His posthumous name(諡号) is 統天隆運肇極敦倫正聖光義明功大徳堯峻舜徽禹謨湯敬応命立紀至化神烈巍勲洪業啓基宣暦乾行坤定英毅弘休壽康文憲武章仁翼貞孝太皇帝, which refers himself as Emperor(皇帝). Sunjong of Korea(大韓帝国の純宗) was Emperor of Korea(韓国皇帝) from 1907 to 1910. His posthumous name(諡号) is 文温武寧敦仁誠敬孝皇帝, which refers himself as Emperor(皇帝). In order to reflect the historic fact, it is better to change the two articles' titles as this page-moved proposal. 167.179.96.4 2019年8月4日 (日) 06:57 (UTC)

賛成 当然の提案と思います。なお、一応提案の趣旨を日本語で説明しますと、高宗も純宗も君主としての最終的な称号は大韓帝国皇帝であって、朝鮮国王ではないということです。それぞれの諡号も皇帝としておくられたものです。(ただし、純宗は日本の王公族としては李王ということになりますが、君主号に優先させる理由はないでしょう)--Rasalghul会話2019年8月4日 (日) 07:29 (UTC)[返信]
  • 反対 とりあえず高宗のほうを Cinii Article 検索の全文検索にかけた結果が以下の通りです。
    • "高宗" "朝鮮王": 131件
    • "高宗" "朝鮮国王": 46件
    • "高宗" "韓国皇帝": 20件
    • "高宗" "大韓帝国皇帝": 10件

従って、WP:CRITERIAに適っているのは"高宗" "朝鮮王" であると判断できます。なお、ノート:純宗 (朝鮮王)に過去の改名議論が存在しています。--Takabeg会話2019年8月4日 (日) 11:44 (UTC)[返信]

コトバンクを添付しておきます。高宗純宗。--Takabeg会話2019年8月4日 (日) 11:53 (UTC)[返信]
コメントその場合、その言及が朝鮮国王の時期の高宗を扱っているのか、大韓帝国皇帝の時期を高宗を扱っているのか、個別に切り分けていく必要があるのではないでしょうか。そもそも、高宗個人を扱っている記事なのか、歴代の朝鮮国王と一括して高宗を扱っている記事なのかも、その件数からは分からない。「"朝鮮王"朝」なんてのも引っかかってるでしょう。この場合、むしろ論文名から検索して、高宗個人を扱った論文に絞った方がよい。他国の高宗と区別するために、「朝鮮の高宗」とか「韓国の高宗」とか限定的に言及されているでしょうからわかりやすいのではないですか。
一見高宗+朝鮮の方が多いように見えますが、個々に検討してみると前者16件中の5件が高宗皇帝と明記しており、しかも高宗 (高麗王)も混じっているので、実際にはそこまでの件数差はないです。
純宗については当然朝鮮国王であったことはないので、1件に対し2件と逆転しますね。李王は朝鮮王とイコールではないので、李王であることはこの際問題になりません。それと、以前の議論でも結局のところ説得力のある反対意見が出ているようには見えませんね。単に議論が立ち消えになっているだけで。--Rasalghul会話2019年8月4日 (日) 12:44 (UTC)[返信]

@Takabeg: This page-moved proposal reflects the historic fact that both Gojong of Korea(朝鮮国大韓帝国の高宗) and Sunjong of Korea(大韓帝国の純宗) were Emperors of Korea(韓国皇帝). As the monarch of Joseon(朝鮮国) and the Korean Empire(大韓帝国), Emperor of Korea(韓国皇帝) was the final and highest rank title for Gojong of Korea(朝鮮国大韓帝国の高宗). As the monarch of the Korean Empire(大韓帝国), Emperor of Korea(韓国皇帝) was the sole title for Sunjong of Korea(大韓帝国の純宗). If you are afraid of the searching results for the two monarchs in Japanese Wikipedia, don't worry! If this page-moved proposal comes ture, then the current page 高宗 (朝鮮王) can be redirected to 高宗 (韓国皇帝), and the current page 純宗 (朝鮮王) can be redirected to 純宗 (韓国皇帝). In conclusion, this page-moved proposal is proper, accurate and no any problem. 167.179.96.4 2019年8月4日 (日) 13:13 (UTC)

  • 上記に示したコトバンクにある事典類および手許にある事典類を見てみますと、
  • 高宗
    • 『百科事典マイペディア』高宗【こうそう】の定義文は「朝鮮の李朝第26代の王」
    • 『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』高宗 コジョンの定義文は「朝鮮王朝の第26代国王」
    • 『世界大百科事典 第2版』こうそう【高宗 Ko‐jong】の定義文は「朝鮮,李朝第26代の王」
    • 木村誠+吉田光男+趙景達+馬淵貞利-編集『朝鮮人物事典』大和書房、1995年5月5月第1刷発行、ISBN 4-479-84035-4、190頁の"こうそう 高宗 コジョン"の定義文は「朝鮮王朝第26代の国王」
    • 【監修】伊藤亜人+大村益夫+高崎宗司+武田幸男+吉田光男+梶村秀樹『[新版] 韓国 朝鮮を知る事典』平凡社、2014年3月19日 新版第1刷発行、ISBN 978-4-582-12647-1、177~178頁で、吉野誠さんの書いた"コジョン|高宗|고종|1852-1919"という項目の定義文は「朝鮮王朝第26代の王」
  • 純宗
    • 『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』純宗 スンジョンの定義文は「朝鮮王朝の第27代国王」
    • 『世界大百科事典 第2版』じゅんそう【純宗 Sun‐jong】の定義文は「朝鮮,李朝第27代の王」
    • 【監修】伊藤亜人+大村益夫+高崎宗司+武田幸男+吉田光男+梶村秀樹『[新版] 韓国 朝鮮を知る事典』平凡社、2014年3月19日 新版第1刷発行、ISBN 978-4-582-12647-1、279頁で、糟谷憲一さんの書いた"スンジョン|純宗|순종|1874-1926"という項目の定義文は「朝鮮王朝第27代の王」

という具合ですので、やはり本改名提案はWP:CRITERIAに反していると言えます。--Takabeg会話2019年8月4日 (日) 13:34 (UTC)[返信]

コメント そもそも純宗は純祖の旧廟号でもあるので、その意味では純宗 (朝鮮王)は精確性に欠けています。高麗王も朝鮮半島の王であるので、高宗純宗ともにますます精確さは失われます。精確さが一般の名称によって担保できない場合、代数を入れるなどして簡潔性を損なうくらいなら、正確な称号を使用すれば簡潔に曖昧さを回避することができるのですから、正確な称号を避けるべき理由はそう強くないものと考えます。WP:CRITERIAは確かに重視すべきものですが、一般に膾炙している名称が正確さに欠けており、より正確な名称が存在する場合にまで適用されるべきものでは必ずしもない、というのは、クルアーンやらムハンマドやらで十分に慣例として成り立っているものと思います。個人的には高宗は朝鮮国王であった期間もあるのでこだわりませんが、純宗については積極的に韓国皇帝を推します。正確さと精確さの使い分けについてやや分かりにくい文章となったことをお詫びしつつ。--Rasalghul会話2019年8月4日 (日) 14:40 (UTC)[返信]

@Takabeg: In order to conveniently and clearly discuss here, it is necessary to repeat the historic fact you should know. 1. Gojong of Korea(朝鮮国大韓帝国の高宗) was King of Joseon(朝鮮王) from 1863 to 1897, and Emperor of Korea(韓国皇帝) from 1897 to 1907. Sunjong of Korea(大韓帝国の純宗) was Emperor of Korea(韓国皇帝) from 1907 to 1910. Their posthumous names(諡号) refer themselves as Emperor(皇帝). 2. As the monarch of Joseon(朝鮮国) and the Korean Empire(大韓帝国), Emperor of Korea(韓国皇帝) was the final and highest rank title for Gojong of Korea(朝鮮国大韓帝国の高宗). As the monarch of the Korean Empire(大韓帝国), Emperor of Korea(韓国皇帝) was the sole title for Sunjong of Korea(大韓帝国の純宗). Thus, this page-moved proposal reflects the historic fact properly and accurately.

However, the examples you cite can't, because they really make some mistakes. 1. Ignore the historic fact that both Gojong of Korea(朝鮮国大韓帝国の高宗) and Sunjong of Korea(大韓帝国の純宗) were Emperors of Korea(韓国皇帝). 2. Refer Sunjong of Korea(大韓帝国の純宗) as the King of Joseon(朝鮮王), however, the historic fact is: as the monarch of the Korean Empire(大韓帝国), Emperor of Korea(韓国皇帝) was the sole title for Sunjong of Korea(大韓帝国の純宗). In conclusion, this page-moved proposal is reasonable and truthful, but your examples are in error. 167.179.96.4 2019年8月4日 (日) 16:23 (UTC)

追加調査

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  • 朝鮮總督府編『朝鮮人名辭書』昭和十二年三月三十日初版発行、では、李王 (純宗) 李朝第二十七代。 (一九九〇頁)、李太王 (高宗) 諱は㷩。字は聖臨。珠淵と號す。(初諱は載晃、字は明夫) 興宣君是應の第二子なり。 (一九九〇~一九九一頁)
  • 『現代世界人名辞典』平凡社、昭和二十四年九月二十日第一刷発行、では、リタイオウ 李太王 李氏朝鮮第二十六代の王。 (四五二頁)、リオウ 李王 李氏朝鮮最後の王。 (四四九頁)
  • 『新撰大人名辭典』第6巻、平凡社、昭和十三年十月三十一日 初版第一刷発行、リタイオー 李太王 李氏朝鮮末期の王。李朝二十六代の高宗で諱は㷩、字は聖臨、珠淵と號した。 (五一六~五一七頁) リオー 李王 李氏朝鮮最後の王。李朝第二十七代純宗。王、諱は坧、字は君邦。 (五一〇~五一一頁)
  • 桑原武夫編集代表『世界伝記大辞典 2〈日本・朝鮮・中国 編〉』ほるぷ出版、1978年7月1日 発行、271頁。では、高宗(李朝) 李氏朝鮮王朝第26代の国王。索引には純宗 (李朝) があり高宗 (李朝) へ誘導されていますが、単独立項はありません。
  • 下津清太郎編『世界帝王系図集』近藤出版、1982年12月15日初版発行、50頁。では、高宗㷩純宗坧
  • 『コンサイス 外国人名事典 第3版』三省堂、1999年4月10日 第1刷発行、ISBN 4-385-15326-4、では、高宗 Ko-jong 1852~1919 朝鮮, 李王朝第26代の王, 在位 1863~1907. … 李太王は日韓併合後つけられた名称。 (336頁)、純宗 Sun-jong 1874~1926 朝鮮, 李朝の最後の王 (第27代), 在位 1907~10. 別名は李王. (456頁)
  • 岩波書店辞書編集部編『岩波 世界大人名辞典 第1分冊 (ア―テ)』岩波書店、2013年12月12日 第1刷発行、ISBN 978-4-00-080315-1、では、李㷩 朝鮮王朝第26代国王 (208頁)、李坧 朝鮮王朝第27代にして最後の国王 (201頁)
  • 木村幹『高宗・閔妃』ミネルヴァ書房、2007年12月10日 初版第1刷発行、ISBN 978-4-623-05035-2、4頁。において、
    • 「本書は今日我が国において「高宗」と呼び習わされる、朝鮮王朝第二十六代国王とその妻・閔妃、そして両者を取りまく三つの家族の記録である。」と書かれています。

まず、提案者からWikipedia:信頼できる情報源が提示されていない、ことに「純宗が国王でない」点についての信頼できる情報源の提示されていない状態で改名提案が為されたことが問題だと思っています。位の付け方について、「最高」、「最後」、「最長」などのいずれかを選択するという意見もあるようで (ノート:純宗_(朝鮮王)では最長を推す意見があります)、他言語版ではルール化しているところもありますが、日本語版ウィキペディアのWikipedia:記事名の付け方ではそうした決まりがありません。従って、WP:CRITERIAに従って 最も COMMON (一般的) なものが選択されることになります。「最後」を選択するというのは、皇籍離脱した旧皇族などの記事名にも通じるところがあるかもしれません。李氏朝鮮/李朝の君主は全て高宗 (李朝)純宗 (李朝)のような形 (『世界伝記大辞典』式) にしてしまえば、将来的にも、王だの皇帝だの諱だのでもめることもないような気がしますが、と今思いつきましたが、もう少し検討してみます。--Takabeg会話2019年8月10日 (土) 14:54 (UTC)[返信]

ご存じの事かとは思いますが、李王、李太王は日本の王公族としての称号でそもそも国王ないし皇帝としての純宗、高宗という廟号とは相容れないため、純宗 (李王)などは整合性に欠けるということは念のため明記しておきます。どうしても廟号、諡号などは価値判断を含むため、明仁などと同様に諱にしてしまえばそういった問題は一切置きませんし、中立性の観点からもよいのではないかと思いますが、まあ一般的ではないということになります。ちなみに、WP:CRITERIAとWP:COMMONNAMEのどちらが優先されるかについては特に規定がないように思われますがその点についてはどう思われますか。--Rasalghul会話2019年8月10日 (土) 15:10 (UTC)[返信]
コメント 「李朝」の使用は、ノート:李高宗での改名議論の際に、曖昧さ回避の不十分が指摘されています。
最初に (朝鮮) ですませておけば、ここまで長い間こじれることもなかっただろうにと思いますが、今回も議論の紛糾は避けられなかったようですね。--エンタシス会話2019年8月10日 (土) 16:09 (UTC)[返信]
エンタシスさん、どうもありがとうございます。ヴェトナムの李朝があったことを忘れていました。でも紛糾はしていないと思いますよ。コンセンサスがとれなければ流れるだけのことですから。それと、Wikipedia:記事名の付け方/君主の記事名 (本来はWikipedia‐ノート:記事名の付け方/君主の記事名で議論したらよいのですが。。。) でも議論が行われていたようですね。ちなみにエンタシスさんとUraiosさんは別人ですよね? いずれにしても、この記事の高宗が高宗 (李朝)を占有できるだけ著名か否かは微妙な感じです。高宗 (朝鮮)はよい考えだと思いますし、その方向でコンセンサスが得られるなら、Category:朝鮮国王)にある「○○ (朝鮮王)」も「○○ (朝鮮)」にしてしまっていいと思います。ただ、純宗に関しては、IPさんが純宗 (李朝)なら賛成するかもしれませんが、純宗 (朝鮮)にはIPさんなどが反対するかもしれません。私個人は全然気にしません。IPさんは、そもそも日本語で議論していないので発言そのものが無効かもしれませんね。それに、ソースも提示していませんし。。。

朝鮮王朝の「最後の王」が誰なのか気になったのでちょろっと調べてみました:

純宗「最後の王」とするもの:

  • 徐大粛著・金進訳 (1969年 プリンストン大学出版部より翻訳出版権を取得)『朝鮮共産主義運動史: 1918-1948』コリア評論社、1970年11月10日発行、80頁。では、
    • 一九二六年四月二六日、朝鮮最後の王、純宗 (李坧) の死から生じた事態の急変によって、姜はかろうじて懲戒処分を免れた。
  • 金成植著・金学鉉訳『抗日韓国学生運動史』高麗書林、1974年4月15日 初版発行、3322-27420-2425、158頁。では、
    • 三・一運動は高宗の国葬日を契機に展開されたが、六・一〇万歳運動も純宗の国葬日が契機となった。李氏朝鮮最後の王の崩御 (四月二十六日) は、こと新たに朝鮮民族の王朝的愛国心をかもし出した。
  • 高崎宗司「朝鮮の土になった日本人」『朝鮮と日本のあいだ』朝日新聞社、1980年5月20日 1刷発行、149頁。では、
    • 一九二六年四月に朝鮮最後の王・純宗が亡くなった時、矢内原は『中央公論』に「朝鮮統治の方針」と題する論文を発表して、日本の政策の誤りを鋭く指摘しています。
  • 渡部学「第六章 朝鮮の教育とは?」世界教育史研究会編『世界教育史大系 5 朝鮮教育史』講談社、昭和五六年六月三〇日 発行、3337-264054-2253 (1)、287頁。では、
    • 一九二六年六月一〇日、朝鮮最後の王であった純宗の葬儀を契機として起こった万歳独立運動は、学生たちが独自に企画・組織した運動であって、三年後の光州学生事件の背景となった。
  • 原武史「解説―李王朝」伊藤隆・滝沢誠監修『明治人による近代朝鮮論 影印叢書 第16巻 李王朝』ぺりかん社、1997年7月22日 初版第1刷発行、ISBN 4-8315-0784-9、759頁。では、
    • 一三九二年に太祖・李成桂により開創された李氏朝鮮王朝が、一八九七年、高宗の時代に「大韓帝国」となり、一九一〇年に日本に併合されるに至ったことは周知の通りであるが、この王朝の最後に即位した人物が、朝鮮王朝第二七代の王にして、大韓帝国二代皇帝であった純宗 (李坧。一八七四~一九二六。在位一九〇七~一九一〇) である。
  • 吉野誠『東アジア史のなかの日本と朝鮮―古代から近代まで―』明石書店、2004年4月10日 初版第1刷発行、ISBN 4-7503-1885-X、261頁。では、
    • 明治天皇は勅使を派遣し、最後の王となってしまった純宗を「李王」として冊封しました。
  • 海野福寿『伊藤博文と韓国併合』青木書店、2004年6月22日 第1版第1刷発行、ISBN 4-250-20414-6、224頁。では、
    • 高宗 朝鮮第二十六代国王。
    • 純宗 高宗譲位の後をうけて皇位についた (一九〇七年) 朝鮮王朝第二七代国王 (大韓帝国皇帝)。
  • 高榮蘭『「戦後」というイデオロギー―歴史/記憶/文化』藤原書店、2010年6月30日 初版第1刷発行、ISBN 976-4-89434-748-9、では、
    • 次頁の『無産者』一九二九年七月号の表紙は、朝鮮最後の王「純宗」の国葬を写したものである。132頁。
    • 朝鮮の最後の王は、帝王の年号が「昭和」に変わった年に亡くなった。133頁。

高宗「最後の王」とするもの:

  • 渡部学『朝鮮近現代史 [AA叢書 6]』勁草書房、1968年3月15日第1刷発行、180頁。
    • 朝鮮最後の王といわれた高宗 (李太王) の死であった。
  • 福田和也『地ひらく 石原莞爾と昭和の夢』文藝春秋、平成十三年九月三十日 第一刷発行、ISBN 4-16-357780-7、162頁。「漢口の出会い」
    • 三月三日に、一月に死去した李朝朝鮮最後の王、李太王の国葬が予定されていた (『諸君!』平成7年6月号~平成13年6月号に連載)
  • 李錬『朝鮮言語統制史』信山社、2002年、320頁。
    • 彼らは高宗(朝鮮最後の王)の葬礼日の3月3日を前に、群衆が全国各地からソウルに集まって来ていた機会を利用した。そして、高宗の葬礼の2日前である3月1日に断行した。
  • 藤島宇内監修『ドキュメント朝鮮人:日本現代史の暗い影』日本読書新聞出版部、1965年6月、51頁。
    • その契機となったのが朝鮮最後の王といわれた高宗の死であった。

そのほかに、李建志『李氏朝鮮 最後の王 李垠: 第1巻 大韓帝国』、『李氏朝鮮 最後の王 李垠: 第2巻 大日本帝国[明治期]』があって、ちょっと錯綜しています。参考までに。--Takabeg会話2019年8月11日 (日) 12:20 (UTC)[返信]

高宗・純宗の件はかねてから気にはなっていたのですが、改名案を出したところで合意形成が見通せなかったので、これまで関与を控えていました。今回の議論でもひとまずコメントだけにとどめておきます。
「朝鮮最後の王といわれた」という表現だと、記述者本人は「最後の王」と断定していないのでは、とちょっと気になります。「事実上最後の」といった類いの表現でしょうか。--エンタシス会話2019年8月11日 (日) 18:08 (UTC)[返信]
条件付賛成 - ノート:純宗 (朝鮮王)でも提起しましたが、「高宗 (朝鮮王)」を「高宗 (朝鮮王・韓国皇帝)」に、「純宗 (朝鮮王)」を「純宗 (韓国皇帝)」にするのでしたら、改名に賛成します。--パルパーソル会話2019年8月26日 (月) 14:09 (UTC)[返信]
理由 - 理由として、高宗は1863年から1897年までは朝鮮(李氏朝鮮)国王、1897年から1907年までは韓国(大韓帝国)皇帝だったので、国王としての在位期間が長いことを考慮し、(朝鮮王・韓国皇帝)としました。純宗は国王ではなく、皇帝として在位していたので、(韓国皇帝)とした次第です。--パルパーソル会話2019年8月26日 (月) 14:09 (UTC)[返信]
Takabegさん、入念な調査ありがとうございます。
高宗を「最後の王」とするか純宗を「最後の王」とするかについてですが、史実では高宗在位中の1897年に朝鮮王国は国号を大韓帝国と改め、初代皇帝として高宗が即位しています。しかし大韓帝国も李氏の血筋で引き継がれており李王朝の一部とも呼べます。これは私の推測にしかすぎませんが、誰を「最後の王」とみなすかに意見の相違があるのは「朝鮮王国の最後の王」であるか「李王朝(朝鮮王朝)の最後の王」であるかの違い(『地ひらく 石原莞爾と昭和の夢』を除いて)だと思います。ですからどちらを「最後の王」とするかはどうとでも取れるわけであって、いくらでも解釈ができます。そこで、以下の条件で改名に賛成させていただきます。
条件付賛成(条件:「高宗 (朝鮮)」へ) そもそも記事名に括弧付けが必要なのは他国の高宗と区別する必要があるからであります。記事名での位のつけ方について日本語版ではルール化していない現状、「朝鮮国王」か「大韓帝国皇帝」かどちらの肩書を優先すべきかの議論は平行線に終わり不毛なものとなってしまう可能性が高いです。そこで「朝鮮」という地域の高宗とすることで他国の高宗と区別できるのではないでしょうか。また、同様に純宗に関しても「純宗 (朝鮮)」とすることで「朝鮮王朝最後の王(=朝鮮国王)」と取るか「大韓帝国皇帝」を取るかの論争を避けることができるのではないでしょうか。--圓成 (talk/history) 2019年8月27日 (火) 16:11 (UTC)[返信]
賛成 高宗が「朝鮮」だった国号を「大韓」に改めたわけですので、「高宗 (大韓皇帝)」「純宗 (大韓皇帝)」でよいと思います。ただ、高宗は朝鮮王としての期間が長いので「高宗 (朝鮮王)」も可とします。その場合、「高宗 (大韓皇帝)」をリダイレクト元としてつくっておくとよいと思います。「大韓帝国皇帝」はちょっとクドいと思います。記事「大韓帝国#大韓国国制」には「大韓国大皇帝」とあり、個人的には、「韓国皇帝」よりも「大韓皇帝」の方が歴史的名辞としてしっくりきます。--Greenland4会話2020年2月3日 (月) 08:02 (UTC)[返信]
 追記 (修正意見)圓成さん、Takabegさんのおっしゃる通りかもしれませんね。君主号を付けなければならないように思い込んでいましたが、そうでないなら「朝鮮」でもちゃんと曖昧さ回避としての用は足ります。「高宗 (朝鮮)」・ 「純宗 (朝鮮)」への改名に同意します。--Greenland4会話2020年2月6日 (木) 10:23 (UTC)[返信]
条件付賛成(条件:「高宗 (朝鮮)」へ) 条件付賛成(条件:「純宗 (朝鮮)」へ)Wikipedia:信頼できる情報源にもとづくとともに、「純宗 (朝鮮)」に関しては圓成さんのアプローチが合理的であると考えます。-- Takabeg会話2020年2月5日 (水) 12:14 (UTC)[返信]
昨年の八月から大分時間がたってしまいましたが、提案者の167.179.96.4さんは、多重アカウントの不適切な使用でブロック中で、利用者:Rasalghulさんは「高宗は朝鮮国王であった期間もあるのでこだわりませんが、純宗については積極的に韓国皇帝」、利用者:パルパーソルさんは「高宗 (朝鮮王・韓国皇帝)」、「純宗 (韓国皇帝)」、利用者:圓成さん、利用者:Greenland4さん、利用者:Takabegが「高宗 (朝鮮)」、「純宗 (朝鮮)」、利用者:エンタシスさんは、「最初に (朝鮮) ですませておけば、」とおっしゃっていますので事実上の「発案者」と見做すことができるかと思います。という感じですので、高宗、純宗 ともに、(朝鮮王)の「王」を外す方向で改名を実施するということでいかがでしょうか? 改名テンプレートが除去されているので、もう一度改名提案を出しなおさないといけないのでしょうか?-- Takabeg会話2020年2月7日 (金) 11:16 (UTC)[返信]
合意自体はある程度形成されているのではないかと思うので改名テンプレートを再貼付し周知期間として一定期間置いたのちに改名を実行すべきではないかと思います。--圓成 (talk/history) 2020年2月9日 (日) 01:16 (UTC)[返信]
圓成さん。ありがとうございます。告知しておきました。本音を言うと、現行のままもとりあえず曖昧さは回避できているので、コンセンサスが得られないなら無理して変えなくてもかまわないかなと思っています。ただ、王を外して「朝鮮」という地域の人物とするのが情報源に従ったころよい落としどこですし、ベターですよね。それでは。-- Takabeg会話2020年2月28日 (金) 13:28 (UTC)[返信]
ソースの提示もないようですし、異論もないようですので、「王」を外す形で改名します。-- Takabeg会話2020年3月26日 (木) 07:52 (UTC)[返信]

改名提案 2020年3月28日

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For Chinese, Korean and Vietnamese monarchs(中国朝鮮ベトナムの君主), in order to avoid misleading and ambiguous, Wikipedia should name the articles about these monarchs with the specific dynasties' names during their reign, instead of their countries' common names, China(中国), Korea(朝鮮) and Vietnam(ベトナム).

As the monarch of Joseon(朝鮮国) and the Korean Empire(大韓帝国), Gojong of Korea(朝鮮国大韓帝国の高宗) reigned as King of Joseon(朝鮮王) from 1863 to 1897, and Emperor of Korea(大韓帝国皇帝) from 1897 to 1907. His posthumous name(諡号) is 統天隆運肇極敦倫正聖光義明功大徳堯峻舜徽禹謨湯敬応命立紀至化神烈巍勲洪業啓基宣暦乾行坤定英毅弘休壽康文憲武章仁翼貞孝太皇帝, which refers himself as Emperor(皇帝). Thus, during his reign as the monarch of Joseon(朝鮮国) and the Korean Empire(大韓帝国) from 1863 to 1907, Emperor of Korea(大韓帝国皇帝) is the latest and highest rank title for Gojong of Korea(朝鮮国大韓帝国の高宗). In addition, the word 李氏朝鮮 can generally refer to Joseon(朝鮮国) from 1392 to 1897 and the Korean Empire(大韓帝国) from 1897 to 1910. In conclusion, the best article title for Gojong of Korea(朝鮮国大韓帝国の高宗) in Japanese Wikipedia is 高宗 (李氏朝鮮). It can also distinguish from Gojong of Goryeo(高麗国の高宗, see 高宗 (高麗王), who reigned as King of Goryeo(高麗王) from 1213 to 1259 and is another Korean monarch(朝鮮民族の君主) whose temple name(廟号) is also Gojong(高宗).

As the monarch of the Korean Empire(大韓帝国), Sunjong of Korea(大韓帝国の純宗) only reigned as Emperor of Korea(大韓帝国皇帝) from 1907 to 1910. His posthumous name(諡号) is 文温武寧敦仁誠敬孝皇帝, which refers himself as Emperor(皇帝). In addition, as the monarch of Joseon(朝鮮国), Sunjo of Joseon(朝鮮国純祖 only reigned as King of Joseon(朝鮮王) from 1800 to 1834, and his original temple name(旧廟号) is also Sunjong(純宗). In order to avoid misleading and ambiguous, the best article title for Sunjong of Korea(大韓帝国の純宗) in Japanese Wikipedia is 純宗 (大韓帝国). --139.180.206.85 2020年3月28日 (土) 20:10 (UTC)

隣国を侵略しその皇帝を貶める内容ばかり記載して日本の恥になるとは思わないのか

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これだけ一国の皇帝を悪く言い募る。単なる個人の感想だろう

それだけそれを裏づける貶める出典物が侵略国日本に存在するということだろう

とても辞典とは呼べない傲慢な隣国の皇帝を馬鹿にした記載だ

反論はいらない 個人が自由につくれば貶める記載もできるということだ

--Osamu angel会話2022年11月2日 (水) 10:39 (UTC)[返信]